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あすなろ114 三種の神器(過去記事)

2018年4月9日投稿

 

 

 

2011.04号

 

三種の神器(さんしゅのじんぎ)というものがあります。

「天皇の証」ともいえるもので、天皇家に代々伝わってきました。

 

三種の神器といえば、中学生なら社会の歴史で「戦後の高度成長期に云々」という電化製品を思い浮かべるかもしれませんが、こちらは天皇家の三種の神器になぞらえて呼ばれただけの物です。

 

これと同様に、元ネタを忘れかけられて使われる言葉は他にもあります。

例えば、四天王とは本来、帝釈天を守る毘沙門天、多聞天、増長天、広目天のことを指す言葉です。

しかしマンガなどでは、何かに秀でた人が四人いれば、すぐに「なんやら四天王」とかつけられちゃっています。

読者は本当の意味をわかっているんでしょうかねえ。

 

三種の神器は、鏡、勾玉、剣の三つの宝物の総称です。

それぞれ、

 

八咫鏡(やたのかがみ)

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

 

と呼ばれています。

これらはすべて、神話に登場するものが、現在まで伝わっているということになっています。

 

天の岩戸の話は、もちろんご存じかとおも……

 

一応紹介します。

 

まず、国産みによって日本列島を作ったのがイザナギ、イザナミの男女二神です。

しかしイザナミは火の神を産んだときに焼死してしまいますので、それを悲しんだイザナギは黄泉の国へとイザナミを取り戻しに行きます。

結局これは失敗してしまうのですが、現世に戻ったイザナギは、黄泉の国の穢れ(けがれ)を洗い流します。

その時、生まれ出でたのが天照大神(あまてらすおおみかみ)と月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)という三神です。

イザナギは、尊い神が生まれたと喜び、この三神にそれぞれ昼、夜、海を治めさせることにします。

 

しかし素戔嗚尊は仕事を全くせず、それどころか天照大神の神殿を荒らし始めます。

荒らすといっても機織りの邪魔をするとか糞尿をまき散らすとか馬の死体を投げ込むとかで、血で血を洗う西洋の神話などとは比べ物にならないのですが、ともかくそれに嫌気が差した天照大神は、洞窟に籠もって、入り口を大岩で塞いでしまいます。

 

天照大神は太陽神ですから、閉じこもってしまいますと現世は闇に包まれてしまいます。

入り口の岩戸はピッタリ閉まっていて開きません。

そこで、残された神達は一計を案じ、岩戸のすぐ前で楽しそうなバカ騒ぎをすることにします。

 

岩戸の奥に籠もった天照大神は、自分がいない割に外の世界が楽しそうなことを不思議に思い、そっと外を覗き見ます。

するとそこに見えたのは、用意された鏡に映った自分の姿でした。

天照大神は、自分のような太陽神が他にもいるのかと思い、それを確認しようともう少し開けたところで岩戸を開け放たれ、とりあえず一件落着ということになっています。

 

これが天の岩戸のお話。

 

一方、その責任から、天界を追放されて地上に降ろされた素戔嗚尊は、偶然行き着いた村に出没する怪蛇、八岐大蛇(やまたのおろち)を計略にて退治します。

そしてその尾を切り落とそうとすると、何か硬い物に当たって剣が欠けます。

見ると、尾の中には一振りの剣が見つかります。

この剣を天照大神に献上することで、素戔嗚尊は許されます。

 

以上の話で、

 

岩戸の前に置かれて天照大神の姿を映した鏡が八咫鏡

その鏡と一緒に掛けられていたのが八尺瓊勾玉

八岐大蛇の尾の中にあったのが天叢雲剣

 

なのです。

 

この三つは、天孫降臨の……

 

天孫降臨というのはですね、神の子孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上の人間を統(す)べるために、要するに地上に降りてくることです。

そしてこの三つは、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊に託されたもの、とされています。

それ以降、2000年以上の時を越えて、この現在まで伝わる物が三種の神器なのです。

 

神器は最初、全て宮中にありました。

しかし、八咫鏡はご神体そのものであるというところから、それを祀るための神社が建てられ、そちらに移管されます。

それが伊勢神宮で、過去も現在も、全国の神社の頂点にあります。

 

天叢雲剣も、宮中から伊勢神宮に納められるようになりましたが、大和朝廷が東国遠征をする際、日本武尊(やまとたけるのみこと)に、この剣を持たせます。

 

日本武尊はその道中、野火に囲まれた際、この剣にて草を切り払って、その難を逃れたということで、この剣は別名、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになりました。

しかし日本武尊はこの後、この剣を現地で結婚した姫に託したまま、山の神との戦いで命を落としてしまいます。

姫は、尾張の国に神社を建てて、この剣を祀ることにします。

それが名古屋の熱田神宮です。

 

一方、八尺瓊勾玉は、箱に収められたまま、常に天皇のそばにあったようです。

 

こうして伝わってきた宝物ですが、これだけ歴史が長いと、やはり存続の危機はありました。

その中でも特筆すべき事件は、平安末期の源平合戦の時のことです。

 

平家側は、親族でもある安徳天皇を連れて戦に出ていました。

安徳天皇は、当時八歳。

摂関政治のための、いいカモだったわけです。

 

源平最後の戦いである壇ノ浦の戦いでは、最後を悟った二位の尼が、安徳天皇を抱いたまま入水(じゅすい)します。

その時、この尼は三種の神器を持ったまま海に飛び込んだそうです。

しかし、箱に入った勾玉は水に浮いたために回収された、と言われています。

ここで、鏡も剣も一緒に沈んだとか、鏡だけは回収できたが剣は見つからなかったとか、剣は後に自ら浮かび上がったとか、色々な話がありますが、本当のところはわかりません。

 

しかし、この時代では既に、剣と鏡は共に、二つの神宮のご神体となっていたはずです。

したがって、実際に平家が壇ノ浦まで持ち運んだものがあったとしても、それは形代(かたしろ:儀式のために作られた複製品)だったのではないか、というのが私の考えです。

 

現在、これらの宝物は、天皇自身も見ることを許されてなく、「箱の中に入っている」ということしかわかりません。

 

江戸時代、熱田神宮の大宮司他数人が、こっそりと剣を見たところ、これを見たものは次々と死んだという話があり、最後に生き残った者が書いたという書物が今に伝わっています。

冷泉天皇は、勾玉の箱の紐を解いたところ、白い煙が出たためにとりやめたという話も残っています。

 

日本には、そんな物が公式に存在します。

 

私は、キリストの奇跡などの話を聞くと、その非科学っぷりに笑ってしまうのですが、日本も案外同じようなものなのかもしれません。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義