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あすなろ105 イースター島(過去記事)

2018年7月8日投稿

 

 

 

2010.07号

 

ここに以前(No.101_2010/03)書いたとおり、「霊が見える」などと言う嘘つき野郎は大嫌いですが、「古代文明の謎」などの「超科学」は、かなり好きです。

この手の話は、基本的には人に迷惑をかけませんからね。

 

ただ、たまーに「我々はかつて世界を支配した優秀な民族」「人類の発祥の地は我が国」などと、どう考えてもあり得ない話を始める困った国民もいますけど、こういうのは超科学とはいいません。

(どことはいいませんけど、こっちの方に度々ミサイルを撃ってくる独裁国と、そのすぐ南にある国のことです)

 

そして今、中二の英語に、イースター島だのモアイだのが出てきてしまいましたので、ついモアイの話をすることにします。

 

イースター島といえばモアイ、モアイといえばイースター島。

イメージ的には、いかにも謎の古代遺跡という匂いをプンプンさせていて、ナスカの地上絵やストーンヘンジなどと同列に語られることが多いのですが、実はそんなに「古代」のものではありません。

モアイ信仰は、10世紀くらいから17世紀あたりまでと言われていますから、日本で言ったら鎌倉から江戸時代初期までですね。

 

イースター島は、よく「絶海の孤島」と呼ばれるとおり、周りに全く他の島がありません。

一番近い隣の島まで400㎞以上、人が住む島までは2000㎞も離れています。

ですから、他の島との交流はほとんど無かったことでしょう。

周囲は海だけですから、耕作する他に、木で削りだしたカヌーで漁をして暮らしていました。

また、人種的・文化的には、ポリネシア文化圏だとされています。

 

……という所まで書いて、念のために調べていたら気づいたのですが、ポリネシアという言葉は、中学生用の地図帳には載ってないんですね。

一般用語ではないのでしょうか。

 

ポリネシアとは、ハワイとニュージーランドを結んだ線よりも東側一帯に広がる島々のことです。

ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結んだ三角形が、おおよその位置と考えてもいいそうです。

マゼランやクックの航海の話を読むと、必ずポリネシアという言葉が登場しますので、知っていてもいいと思います。

 


ポリネシアン・トライアングル
ポリネシア文化圏を表す指標
東端の「ラパ・ヌイ」がイースター島


 

モアイは、そんなポリネシアの祖先信仰の対象として生まれました。

この島からは、凝灰岩(ぎょうかいがん)が多数産出します。

凝灰岩は、原始的な道具でも加工が容易であるため、これを切り出して作られました。

 

最初期のモアイは、全身の座像で下半身もちゃんと作られています。

しかし、それが何百年も経つうちに、下半身が省略され、顔が強調され、いわゆるモアイの姿に変わっていきます。

 


初期のモアイ

足まで作られている



上:中期のモアイ 下:後期のモアイ

長い顔、深い眼窩、長い鼻、長い耳などが特徴


 

作られたモアイは、村の周囲の祭壇の上に、村に向けて立てられていました。

モアイが立てられた祭壇の下からは、近年、多数の人骨が発見されていて、モアイは墓標の一種ではないかという説が有力になっているそうです。

 

モアイは山で切り出され、村の周囲まで運ばれました。

さらに、高い祭壇の上に乗せられたわけですが、それは20tから80tもある石の塊です。

その高さは、平均的なものでも3mを超え、ものによっては7m級のものもあります。

これをどうやって運んで立てたのか、それには未だに諸説があります。

 

一般的には、木でソリを作って斜面を滑らせた、という説があります。

また、モアイは山から歩いてきたという島の伝承からヒントを得て、直立させた状態で運んだのではないか、という仮説も立てられています。

 

イースター島の地層を調べていくと、かつては椰子(ヤシ)の大木に覆われた島だったことがわかっています。

しかし、現在では草原が広がるばかりで、大木など一本も生えていません。

これは、人口増加とモアイ製造によって森林が乱伐され、全て使い尽くされてしまったためと言われています。

 

大木を失ってからは船が作れず、釣り道具すらままならず、最後は燃料にも事欠いて、一説によると食人をするところまで追い込まれていたようです。

 

そうなると、モアイを作って平和に暮らすどころではありません。

限られた耕作地や漁場を巡って、島内では争いが絶えなくなり、敵対する村のモアイ像を倒し合う「モアイ倒し戦争」が起こります。

 

1722年、オランダ人が西洋人として最初にイースター島に上陸したときには、1000体を超えるモアイがあり、島民は祈りを捧げていました。

1744年、イギリス人冒険家クックは、数々の破壊されたり倒されたりしたモアイを見ていますが、まだ半数ほどは立っていたそうです。

そして伝承によると、1840年、最後のモアイが倒されました。

 

同じ頃、ペルー政府によって住民が奴隷として連れ出されたり、同時に天然痘が外部から持ち込まれたりして、島民の数はさらに激減します。

1872年には、わずか111人(田舎の小学校1つ分)にまで減っていました。

 

現在の住民は、タヒチへの奴隷狩りから帰ってきた人達の子孫であるため、現在では当時ここで話されていた言語すらわかりません。

かつては独自の文字も木材に書かれたいたようですが、そのほとんどが燃料や釣り道具として消耗されて、今では解読不能です。

 

こうして、一つの文化が断絶しました。

この島には、こんな壮絶な歴史があるのです。

 

ところで、倒されたモアイは、1990年代まで全てそのままでした。

しかし、日本のクレーンメーカーであるタダノが、クレーンを持ち込んでモアイの引き起こしや修復をして、使用済みクレーンを寄贈しています。

 

ありがとうタダノ。

ありがとう日本の人。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義