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あすなろ153 アイスアイス(過去記事)

2019年1月10日投稿

 

 

 

2014.07号

 

いやー最近暑いですね。

暑いのでアイスの話でもしましょうか。

それとも季節柄、ウメの方がいいでしょうか。

ん?

どっち?

ウメ?

やっぱウメ?

ウメの方が好きだよね?

 

……ごめん。

アイスの話にします。

 

普段、アイスアイス言っている物には、ソフトクリームからガリガリ君まで全部含まれていると思います。

しかし、本当は色々と分類されているんですよね。

ご存じかとは思いますが。

 

メーカーで製造されて市販されているアイスには、種類別の表記が必ずあります。

「アイスクリーム」「アイスミルク」「ラクトアイス」「氷菓」

という4種類のアレです。

大抵は表側に、大きめの字で書かれているので、誰もが目に入っていると思います。

 

こういった表記は、どんな食品にでもあります。

しかし、大抵が裏側です。

なぜアイスに限って目立つように書いてあるのか、ちょっと不思議だったのですが、調べてみたら見つかりました。

どうやら、日本アイスクリーム協会による「公正競争規約」で、文字の大きさを自主規制しているようですね。

 

そんな分類ですが、先に挙げた4種類のうち、氷菓以外は、乳製品に分類されています。

そこから先は、乳脂肪や乳固形分の含有率によってグレードが決まっています。

 

具体的には、最も乳成分が多いのが「アイスクリーム」です。

次が「アイスミルク」、最後は「ラクトアイス」となります。

もちろん「アイスクリーム」が最もコクのある良い味を出す代わりに、最も高コストとなります。

高級路線のアイスを見ると、確かに揃って「アイスクリーム」との表示がありますね。

 

逆に、安いアイスは「ラクトアイス」の割合が高くなります。

ラクトアイスの場合、乳脂肪の代わりに植物性脂肪が使われることが多いので、見方によってはヘルシーとも言えます。

アイス食っててヘルシーもクソもないですが。

 

ところで、先に挙げたアイスクリームの公正競争規約ですが、よく読むと、結構細かいことまで決まっていることがわかります。

例えば、

 

「ラクトアイス」や「氷菓」では「ミルク」「MILK」の表示禁止

 

とか、逆に

 

「アイスクリーム」では植物性油脂の使用禁止

 

とか。

他にも、

 

「チョコ」と書くならカカオが1.5%以上入っていること

 

とか、

 

「最高」「ベスト」「一番」などは禁止

 

とか。

 

こういう業界ルールはきっと他の商品でも決まっていて、それをみんなで守っているから日本製は安心できるのでしょう。

 

逆に、そういう歯止めのない世界もあります。

例えば韓国ロッテ。

ロッテは元々韓国の会社ですので、当然韓国でもお菓子を売っています。

しかし、日本と同じ商品でも、中身が同じとは限りません。

※値段はほぼ同じ。


日本仕様


少し前までの韓国仕様


リニューアルしました! お値段同じ!


 

……それはともかく、暑い季節に冷たい物が食べたい、というのは誰でも考えることです。

その発想は古代からあって、記録上ではアレクサンダー大王が、乳や蜜などに山から運んできた氷雪を加えて飲んだという話があります。

今から2300年以上前のことです。

 

日本でも、平安時代には「削り氷」というものがあったと、枕草子に記録されています。

江戸時代には、富士山の雪を切り出して、江戸まで運んで将軍が食べた、なんて話を子供の頃に聞いたことがあります。

今回調べていくと、鎌倉時代にも、幕府に雪が献上されていたようですね。

幕府は途中で「富士山の雪の貢進は中止」なんて宣言しているくらいですので、雪は度々送られていたのでしょう。

 

同じ頃、マルコポーロが中国から「凍らせた乳」をヨーロッパに伝えたという話もありますが、まだ「アイスクリーム」よりも「シャーベット」などの氷菓が中心でした。

 

16世紀になると、イタリアでは人工的に氷点下を作り出す方法の発見によって、シャーベットのバリエーションが大幅にアップします。

そんな中、イタリアの大富豪(メディチ家)の娘が、フランスの王家に嫁いでいきます。

そして彼女がお抱えの料理職人や調理道具を一緒にフランスに持ち込んだ結果、フランスの貴族社会にも様々なシャーベットが伝わっていきました。

 

こういう文化の伝播方法は、ヨーロッパではよくある話だったりします。

チョコレートも、最初はスペイン王家の門外不出の技術だったのが、スペイン王女の嫁入りによってフランスに伝わって、そこから広まっています。

あすなろ97チョコレート

 

その後1720年、パリでホイップクリームを凍らせた、現在のアイスクリームの原型とも言えるようなものが登場しました。

 

一方アメリカでは、1851年、牛乳屋ヤコブ・フッセルが、余った生クリームの処理に困って、これを凍らせて販売することを思いつきます。

安価で量産したために、これ以降は一般庶民にもアイスクリームが親しまれるようになりました。

 

アメリカはこれ以降、アイス文化が大きく発展します。

1890年、チョコレートをかけたアイスを日曜限定で売り出す業者が現れ、ここからこのようなアイスがサンデーと呼ばれるようになります。

またアメリカは、1920年から「禁酒法」によってアルコール類が全面禁止されました。

そこで生き残りを図ったビール会社の多くはアイスクリーム産業に参入して、アイスクリーム業界はさらに急速に発展していきます。

 

日本においては、文明開化の明治2年、横浜で「あいすくりん」の製造販売が始まります。

鹿鳴館でも、フルコースのデザートにはアイスクリームが用意されていたようです。

 

大正時代にはアイスクリームの工業生産が始まり、後の雪印もこの頃に製造を開始します。

太平洋戦争時には製造が中止されますが、戦後は誰にでも始められる商売として、アイスキャンデー売りが登場します。

 

昭和30年、ホームランバー登場。

安い上に当たりクジ付きで、大ヒット商品となります。

今でも売っていますよね。

ただコレ、少なくとも私が中学生の頃までは、

 

安いのにちゃんと「アイスクリーム」のスゲエやつ!

 

だったのに、今ではいつのまにか「ラクトアイス」になっちゃっています。

ちょっと残念です。

 

平成元年、筑波大学生物学類の1年1クラスが、学園祭でどら焼きの生地とアイスを仕入れて、アイスどら焼きと名付けて販売します。

その後、地元のどら焼き屋では、いつからかアイスどら焼きという物が売られるようになります。

これは実話なのですが、ウチのカミサンは、アイスどら焼きを最初に売ったのは我々だ、ということを信じてくれません。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義