【雑記帳(あすなろ)】

HOME雑記帳(あすなろ)あすなろ235 八郎潟

あすなろ235 八郎潟

2022年4月29日投稿

 
 
 
2021.07号
 
秋田県に、八郎潟というところがあります。
 
四谷大塚のテキストでは、社会5年上で登場するのですが、小中学校の教科書には掲載されていません。
地図帳にはありますけど。
 
場所は、男鹿半島の付け根です。
 
 




 
 
かつてここは、霞ヶ浦よりも広い湖でした。
しかし現在は、その8割弱が干拓されて、陸地となりました。
陸地は主に、水田となっています。
 
上のように、日本地図で見ると、大して広いようには見えないかもしれません。
しかし、実際にはここだけで、神奈川県の全水田面積に匹敵するそうです。
干拓は、国家プロジェクトとして進められました。
 
この干拓の目的は、食糧増産でした。
終戦直後の食糧難の時代に、耕作地を増やそうとしたわけです。
……と書くと、戦後初めて思いついた話のようですが、実は江戸時代の頃からあった計画でした。
 
八郎潟は元々、水深が3~5mしかない、浅い湖でした。
そんな所を、国中のありとあらゆる場所を水田化してきた日本人が見逃すわけはありません。
当然、目は付けられていたのです。
 
しかし実際には、その湖底はヘドロが何十メートルもの厚さの層となっていましたので、
見た目ほどは容易ではないこともわかっていました。
 
江戸時代には、新田開発で名を馳せた渡部斧松という武士が、八郎潟の干拓を計画しています。
しかし財政的・技術的に困難とされて断念しています。
その後も、何度も計画だけは現れたようですが、実現には至りませんでした。
 
さて、少々話は変わります。
戦後の日本は、サンフランシスコ平和条約によって独立を回復しますよね。
しかしこの時、オランダがなかなかこれを認めようとしませんでした。
 
オランダは大戦前、東南アジアに植民地を多数持っていました。
しかし戦時中、それを日本に奪われてしまいます。
 
日本が敗戦してからは、また元のように植民地支配をしようとしたのですが、
旧日本軍人が協力した現地人に抵抗されて、次々と独立されてしまいます。
 
オランダから見れば、日本には植民地を奪われたという恨みがあるわけです。
 


戦後、東南アジアからインドにかけての諸国が次々と独立したのは、実はこのように、
戦時中の日本の進出がきっかけとなっています。
 
それまで、白人には何をやっても勝てないと思わされていたところに、
同じ顔をした日本人が、あっという間に白人を追い出したのです。
日本人はまた白人と違って、現地人と対等な付き合いをしていました。
軍上層部の思惑はともかく、少なくとも現地に進駐した軍人達は、
大東亜共栄圏の設立を夢見ていたわけですから。
 
それもあってか、日本の軍人達は敗戦時も、
現地人のために武器を残して引き揚げていったり、
人によっては現地に残って、共に独立のために戦ったりしています。


 
そこで、何か合法的に、オランダにお金を払えるようなことを見つけて、オランダの機嫌をとる必要が出てきました。
そこに浮上したのが、八郎潟の干拓の技術指導です。
 
オランダと言えば、海抜ゼロメートルの干拓地です。
干拓の技術は高いはずですから、その指導を依頼すればいいのではないかと、
秋田県から吉田茂首相に、直接の要望がいったのだそうです。
 
そんないきさつで昭和二十七年、八郎潟の干拓はついに動き始めたのでした。
 


なお、こうやって日本はオランダ政府のご機嫌を取ることには成功したのですが、
オランダでは今でも日本のことを、
「オランダを邪魔したヤツだからキライ」
と考えている人が多いらしいですね。
ですから好感度調査を行うと、日本を好きじゃ無い率が、
ヨーロッパではオランダが一番高いらしいです。


 
それはともかくとして、八郎潟です。
 
干拓には、まず湖底に堤防をぐるりと建設して、閉め切った内側の水を排水するという手法が選ばれました。
 
大正の頃、国家事業として岸の方を排水する計画が立てられているのですが、その逆ですね。
 


大正の計画


 
確かに干拓と言えば、岸から陸地を作るのが普通の方法ですから、
内側を丸々排水するというのは、いかに大胆な計画だったかということがよくわかります。
 
 
 
昭和32年 湖底調査開始。
 
昭和33―34年 試験堤防の建設。
地盤の一番ゆるい場所に堤防を建ててみて、さらには、その堤防の破壊実験まで行っています。この試験堤防だけに2年をかけました。
 
昭和33―38年 堤防工事。
相当苦労したようです。浅いところと深いところでは、工法を変えているとか。

 
昭和38年 排水。

 
昭和39年 大潟村発足。
 
昭和41年 排水完了。
 
昭和42年 入植開始。
 
 
 
合併や分割なしで新しい自治体ができるのは、この大潟村が、日本で最後の事例です。
 
八郎潟の話は、もう1つ続けます。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義