【雑記帳(あすなろ)】

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あすなろ236 涼月(1)

2022年5月7日投稿

 
 
 
2021.11号
 


少し前、塾のお地蔵さんのお話をブログに書きました。
今回の内容は、それを基にして加筆修正しておりますので、大部分が重複します。
すみません。


塾の敷地、南東の角に、石彫りのお地蔵さんが立っています。
自販機の脇に安置されている、アレのことです。
 

 
 
これ、いいでしょ。
これの由来については、話せば長くなるのですが、せっかくですから簡単に。
 
 
 
もう何年前だったかなあ。
 
 
 
ヤフオクで買ったんですよ。
 
 
 
なお、台座となっている石は、山新で買った庭石です。
 
 
 
ですが、モノ自体はちゃんと骨董でして、江戸時代に彫られた物のようです。
その証拠に、光背には日付が彫られています。
 


 

※ 光背(こうはい)とは、仏像や人物画の、頭の周囲に描かれた光や炎などのこと。
フランシスコ・ザビエルの、頭の後ろで光っているアレも、光背です。

 

 


 
光背の向かって左には、
「寛政丁巳六月七日」
という文字が見えます。
 

 
あの「寛政の改革」の寛政年間のことです。
 
「丁巳」は、「ひのと み」で、つまり、寛政九年=1797年のことです。
今は2021年ですから、224年前のことですね。
その六月七日(旧暦)ですから、現在の五月半ばごろだったようです。
 
また一方で、光背の向かって右には、祀られた方と思われる名前が入っています。


「涼月童女」
(凉月にも見える)


涼月は、本来は「りょうげつ」と読みますが、現代風に、「すずつき」と読んでも構わないと思います。
 

 
涼を「すず」と読むのは、要は「送り仮名ぶった切り読み」で、一般的には最近のどきゅ…………キラキラネームみたいですが、そういうわけでもありません。
 
というのも、旧日本海軍の駆逐艦に、「涼月(すずつき)」という名前の艦があったからです。
つまり少なくとも、戦前にはあった読み方ということになります。
 
そして、童女とは、一般的には嬰児より上で成人するまでの女性のことです。
つまりは、小学生から中学生くらいまでの女性です。
 
恐らく、今から200余年前、涼月という女の子が亡くなって、それを祀るために彫られたものでしょう。
 
そう言うと、
きゃーこわーい とか、
のろわれるー とか、
たたられるー とか、
そういうことを言う人がいますが、そういうのとこれとは、根本が違います。
 
例えば、道祖神という土地の神様の場合。
 
大抵の場合は、その土地の守り神で、外から来る邪気を払うために置かれます。
 
しかしまれに、何か悪いことがあった場所で、その地の穢れや怨念を鎮めるために置かれることがあります。
昔からのお社を動かしてはいけない、というのが、まさにそれです。
 
でもこの地蔵の場合は、明らかにそういうのじゃないですからねえ。
だって童女って書いてありますし。
 
また仮に、かつては涼月ちゃんがこの石に取り憑いていたとしても、200年も経ったら、もう毒気は抜けてますよ。
 
それよりも、塾の守り神となってもらって、受験の神様として扱えば、涼月童女も、そういう神様になります。
 
日本の八百万の神というのは、本来、そういうものです。
世の万物に神が宿るというのが八百万の神ですが、元から宿っている神だけではなくて、宿ってもらう神もあります。
 
そういう場合、何でもいいのです。
そこいらに落ちている石ころでも、それを神棚に祀って祈れば、そこに神が宿ります。
神が憑くと表現してもいいかもしれません。
 
ですから逆に、コワイコワイと言っていると、本当に怖い神になります。
その通り、怖い神が憑くからです。
そう言える理由は、私に神の声が聞こえるからでも経典に書いてあるからでもなくて、宗教学的な見地からです。
 
霊感があると自称して、恐怖を煽る輩がそこここにいますが、そういうのに乗せられないようにしましょう。
 
すずつきちゃんも、もう、この塾には何年もいます。
この土地にも、すっかり馴染んでいることでしょう。
 
今年の生徒も、また見守っていてください。
 


 
……というところでブログは終わったのですが、本当はまだ書きたいことがあります。
 
次回は、地面の下にいる涼月の話です。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義