2018年3月

あすなろ194 チバニアン(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2017.12号

 

チバニャン来ましたねえ。ほぼ確定なんだそうですね。

 

この話は確か、半年くらい前からありまして、当時のネット上では半分ネタ扱いだったのですが、正直言って本当に通っちゃうとは思っていませんでした。

 

ご存じの方はご存じでしょうが、地質年代の新名称の話です。

 

この度、77万年前から12.6万年前までの時代は、チバニアンと呼ばれるように「内定」しました。

千葉県市原市にある地層が、この地質年代の世界基準となることになったというわけです。

生物学で言うところの「タイプ標本」に決まったというわけですね。

この場所が基準とされる決め手となったのは、77万年前の地磁気反転の様子が、もう一つの候補であるイタリアの地層よりも明瞭だったから、なのだそうです。

 

……と、先日たまたま見えた千葉テレビでも、女性アナウンサーが嬉々として放送しておりました。

が、この人はどこまでその意味を理解してしゃべっているのかなあ、なんて思ったものですから、今回はそんな話です。

 

まずは、「地磁気反転」という言葉の意味について、といったあたりでしょうか。

 

地磁気とは、地球の磁気です。地球は巨大な磁石となっていて、北にS極、南にN極があります。

ですから、地球上に磁石を置くと、置いた磁石のN極は、地球の北にあるS極に引かれて北を向くわけです。

 

次は、地球が磁石になっている仕組みです。

 

地球の中心部には、核と呼ばれる巨大な鉄の塊があります。

この核のうち、最深部にある内核は、鉄の固体です。

しかしその周囲の外核は、高温の液体の鉄だということがわかっています。

そしてその鉄が対流することで、磁場が発生していると考えられています。

 

なぜ鉄の対流で磁場が発生し続けるかは、ダイナモ理論というのがあるのですが、あのですね、これ、何度読んでも理解できないんですよね。

要するに、磁場の中を電導性の流体が流れると電気が発生して、それによって磁場ができるからまた電気が発生して、だからずっと磁力を維持できる、という話なんだってさ。

へー。

ふーん。

 

おおざっぱには、電磁誘導とその逆みたいなもんだと思っちゃってもいいらしいです。

 

では、外核が対流する理由はというと、内核の熱による熱対流と、地球の自転による力との複合効果だと言われています。

 

また、最初に対流が起こったきっかけは、マントル内部に大陸プレートの残骸が蓄積され続けた結果、マントルを突き抜けて外核まで落下したためという説もあります。

これは、プルームテクトニクスという話にもつながるのですが、今回は別にいいですよね。

 

※ 2006年4月(No.54)に、そんな話を書いています。

 

ともかく、外核の鉄の対流で磁力が発生していますので、なんらかのきっかけでその流れが乱れると、磁力の向きが変わってしまって、地磁気が逆転することがあります。

そのあたりも、力武モデルという理屈があるのですが、これもまた、さっぱりわかりませぬ。

 

ところで、今挙げた「力武(りきたけ)」は、日本の地球物理学者の名前です。

いや、そもそも、世界で最初に地磁気反転説を提唱したのは、日本の地球物理学者の松山基範です。

そしてその功績から、258万年前から77万年前までの、地磁気が今と逆転していた時代は、「松山期」と名付けられています。

 

松山期のあと、77万年前から現在まではブリュンヌ期というのですが、そのブリュンヌ期を細分化したうちの最初の時代を、千葉期(チバニアン)と命名しよう、というのが、今回のお話なのでした。

地質時代に日本名が付くのは、千葉が最初ではないのです。

 

この77万年前の境界がはっきりと観察できるのは、今のところ世界で3カ所だけで、そのうちの一つが、冒頭の千葉の市原にある地層なのだそうです。

 

この市原の地層を調べた結果、地磁気逆転の年代がそれまでの定説より1万年ずれていたことが、2015年に判明しています。

そしてその研究と、今回の千葉時代の提唱をしたチームのリーダーは、茨城大学の岡田教授です。

 

我らが茨城大も、何気にすごいです。

 

ただこれは、地磁気を観測している「気象庁地磁気観測所」が、茨城県石岡市の柿岡にあるということも関係ありそうです。

 

この柿岡(旧八郷町)では、1912年(大正元年)からずっと、地磁気の観測が続けられてきました。

現在では、「赤道間電流の強さの指標を決定する観測所の一つ」となっています。

あ、わからなくてもいいです。

ちなみにこれは、世界に4ヶ所しかありません。

 

ともかくそんな場所であるため、ここでの地磁気の観測に影響を与えないように、特に周辺地域の鉄道には、電流の扱いについては厳しい規則が法律で定められています。

 

鉄道好きはご存じかもしれませんが、常磐線の「取手~藤代」間には、電気が切れる場所があります。

かつては、電車がここを通過する瞬間、車内灯が一瞬停電していました。

今は電灯を消えないようにバッテリーを積んでいますが、モーターやエアコンは今でも何秒間かだけ停止します。

 

これは、地磁気観測所に影響を与えないように、直流と交流を入れかえるためです。

つくばエクスプレスの「守谷~みらい平」間にも、同じくこういう場所があります。

 

この近辺で電車を通すには、こういったコストのかかる仕組みが必要となるために、電化をあきらめた鉄道もあります。

それが、当塾の目の前を通る関東鉄道常総線です。

常総線が今どき、北国でも無いのにディーゼルの車両を走らせているのは、そんな理由です。

 

実は案外、茨城に関係の深い話なのでした。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ54 プレートテクトニクス/プルームテクトニクス(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2006.04号

昨年夏、お子ちゃま達の間で、ムシキングが大流行しましたね。

 

今度は、「恐竜キング」だそうです……。

販売元は、ムシキングと同じセガ。

 

カブトムシと恐竜は、男ならば一度は通る道だと昔から法律で決まっています。

だから、いつかはどっかがやるのではないかと思っていました。

もちろん、我が身近な幼稚園児は、お友達共々販売戦略に乗りまくっております。

構造が単純すぎるぞお前ら。

 

恐竜といえば、次の話題として絶滅の謎が来るのがお約束。

今はユカタン半島の巨大隕石説が有力です。

異論はありますけど。

しかし、それ以外にも古代生物の大量絶滅は何回もありました。

それがすべて隕石のせいだったわけではありません。

その原因として最近有力な学説を説明するために、大陸移動説(プレートテクトニクス)から始めてみます。

 

地球の表面を覆う「地面」は、何枚かのプレート(板)に分かれています。

その内側には、マントルという流動性のある高温の物質(固体ですけど流れるんです)が詰まっていて、プレートはマントルに浮かんでいます。

そして大陸を乗せたプレートは、マントルの流れに乗って移動する、と。

厳密にはアレですが、だいたいそんなイメージです。

 

そして、そのプレート同士がぶつかって、片方のプレートが沈み込んで行く場所が海溝であり、日本の地震はそこで発生している、という話まではきいたことがあるのではないでしょうか。

 

 

ところが、プレートが移動する方向と、その源であるマントルの対流は、常に一定というわけではありません。

 

地球という惑星ができた頃の話。

 

地球は最初「火の玉」で、そこから冷えていったことはご存じだと思います。

その冷える過程にもいろいろとあって、一定速度で冷えたわけではないのですが、まあ結局は表面が冷え固まって、中層は流動性を持ち、最下層が熱いままで残っているという、今の地球のような状態になりました。

これがだいたい四十億年前です。

同時にこのころ、生命が誕生したとされています。

 

そしてまた同時に、マントルは自然に対流を始めたと考えられています。

私なりの解釈をすると、湯を沸かしたときと同じでしょう。

下に熱源があり、上部は冷める場所。

暖まったり冷めたりしながらぐるぐる対流します。

プレートもその動きに従って、できあがったり沈んだりしています。

 

ところで、沈んでいったプレートはその後どうなるのでしょう。

 

地球の内部は、中心に近づくにつれて、ものすごい圧力がかかっています。

そのため、内部はマントルの下層の部分でも既にかなりの高密度な状態になっています。

 

マントル内に放り込まれたプレートは、周囲に対して冷えているので、とりあえず中へ中へと沈んでいきます。

しかし奥の方はそれ以上に高密度なため、だいたい670kmの深さから下には沈降しなくなり、残骸がその付近一帯に蓄積されていきます。

そしてあるとき、たまりこんで大きな塊となった残骸は、深いところに向かって沈下を始めます。

 

大きい塊が沈んでいくと、その分だけ大きい塊が奥から表面へ向かって押し出されて上昇を始め、やはり670kmの深さで滞留します。

この上下動する塊は、ちょうどキノコ雲(プルーム)のような形になりますので、これまでの一連のマントル内での動きは、プルームテクトニクスと呼ばれています。

 

 

マントルはこのように、地球各地で対流をおこしているのですが、その流れは次第に一つの大きな流れに収束していきます。

最終的には、上昇が一カ所、下降が一カ所という、大変おおざっぱな動きになっていきます。

 

すると、マントルに従って移動していたプレートも、マントルが下降する地点である一点を目指して集まってくるようになります。

地球上の陸地は、全てがその場に集中し、世界唯一の大陸=超大陸ができあがります。

超大陸は、地球ができてからこれまでに、少なくとも3回出現したと云われています。

 

超大陸の地下には、世界中のプレートの残骸が集積します。

そしてある時、それはすさまじく巨大なプルームとして、地球内部に向かって沈降を始めます。

するとどうなるか。

 

その反作用としての上昇プルームも、その規模はものすごいものとなるため、いつものように670kmでとどまることなく、地表にまで達してしまいます。

また、実験の結果によると、プルームが上昇する地点は大陸の真下になるそうです。

 

地球内部から押し出された巨大な熱い塊が、大陸を真下から突き上げます。

大地は裂け、大噴火が始まります。

熱と共に溶岩と二酸化炭素と水蒸気が大量に吹き上げ、地球全体の気温は上昇します。

そしてマントルの流れは変わり、こんどは大陸を引き裂くようにプレートが移動を始め、また新たな陸地を形作り始めるのです。

 

最後にこれが起こったのは、およそ2億5千万年前のことでした。

この時には気温の上昇により、土中に閉じこめられていた圧縮メタンが大気中に放出され、温暖化がさらに加速したと云われています。

地上はもとより海水温も上昇し、地球全体が酸素欠乏状態に陥り、それが1千万年続きました。

 

そしてこれが、大量絶滅につながりました。

このとき、地球上の全生命のうち、95%の種が絶滅したとされています。

 

そして現在。

大陸は移動を続けています。

 

大西洋は広がり続け、アメリカ大陸はアジアにぶつかり、超大陸ができあがります。

その時また、巨大なプルームが上昇し、地球規模の大噴火が起こり、地球上の生命は……

 

それは、今から2億5千万年後。

ちなみに、人類が登場してから現在までは700万年、ホモサピエンス登場から20万年です。

 

……人類には関係なさそうですね。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ113 新燃岳(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2011.03号

ご存じとは思いますが、今、新燃岳が絶賛大噴火中です。

口蹄疫に引き続き、また宮崎が大変なことになっています。

 

新燃岳と最初に聞いたとき、普通の関東の人にとっては「どこそれ」だったかと思います。

しかし私は、「え!新燃岳ってまさか、新燃岳のことか!」などと訳のわからないことを口走ってしまったくらいの場所なのでした。

 

実は大学生の頃、新燃岳に登ったことがあるのです。

 

私は大学生の時、ワンダーフォーゲルクラブというサークルに入っていました。

要するに、いわゆる登山部です。

山登りをやっていたのです。

やっていた、とは言っても、あんまり熱心な部員では無かったのですが、それでもある程度は、山登りやっていました。

 

ほとんどは、週末に山に登って帰ってくるという行程だったのですが、年に2回くらいは長期休みを利用して、遠征していました。

そのうちの一つが、九州巡りだったのです。

大学一年生が終わる、春休みのことでした。

 

その時に登ったのは、九重連山(くじゅうれんざん・久住連山とも書く)、霧島連山、祖母・傾(そぼ・かたぶき)の三つでした。

それぞれ面白い山だったのですが、ここでは省略します。

そして新燃岳は、このうちの霧島連山にある山です。

 

さて、我々が登山をするときには、必ず国土地理院の二万五千分の一の地図を用意するのですが、最初にその地図を見たときから、こりゃすごいという予感がしました。

 

 

実に綺麗な形をした山です。

で、普通は登山ルートは山頂まで向かっているはずなのですが、この山のピークはどうなってんの?

 

地図を見慣れていないとわかりにくいかもしれませんが、この山、頂上がへっこんでいます。

つまり、火口になっているわけです。

火口の中にあるのは池です。

登山道は、火口のふちを巻いて通っているのです。

 

この近所には、こんな山が他にもあります。

例えば、新燃岳のすぐお隣の韓国岳(からくにだけ)も。

 

 

地図南東にある丸いのも、きっと火口です。

 

他にも、もっと北に、どうみたって火口だろうという円形の池がいくつもあります。

 

新燃岳の南側にも、御鉢(おはち)という大口をあけた山があります。

この御鉢は、火山礫によるガレ場で、要するに、足下が粒の大きい砂場状態のすべりやすい不毛の地で、火口のふちを歩くと両側は絶壁だし、とにかくすごいところでした。

 

 

ともかくそんなわけで、この地域はもともと、典型的な火山地形だったわけです。

私が登った1990年にも、このさらに北の硫黄山という所では、煙が上がっていて立ち入り禁止になっていました。

 

御鉢も、奈良時代から江戸時代・明治・大正と、何度も噴火を繰り返しているようです。

2002年からも、火山性微動が観測されているそうです。

 

今回の主役・新燃岳も、江戸時代に数千年ぶりの噴火をして以来、昭和・平成と噴火しています。

本格的な噴火は、今回のものが昭和以来の52年ぶりといわれていますが、小規模な噴火は、1991年にも起こっているようです。

そのため、91年11月から、2004年1月まで、新燃岳は登山禁止だったのだそうです。

 

で、繰り返しますが、私が御鉢と新燃岳に登ったのは90年。

その次の年に、登山禁止。

どうやら、絶妙なタイミングだったようです。

 

現在、火口から半径4キロ以内は噴石が降るために立ち入り禁止となっていますが、実際にはもっと遠くまで石が飛んでいるようです。

9キロ地点で停車中のクルマの窓ガラスが割れ、16キロ地点で駐車中のクルマのサンルーフが割れているようです。

ちなみに今測ってみたら、下妻駅から結城駅までが、直線距離で15キロでした。

 

九州ってところは、この地域以外でも雲仙普賢岳で死者を出していますし、阿蘇や桜島では噴煙を上げているのが日常風景ですし、結構すごいところです。

そして、もっと過去には、もっとすごい大噴火もあったようです。

 

6300年前、鹿児島県南の沖合で起こった大噴火は、火山灰を東北地方にまで降らせました。

鹿児島県南部は火砕流に襲われ、火山灰は九州南部で60センチ、紀伊半島にまで30センチも降り積もり、上空に昇った火山灰によって気温はその後2~3年間低下したということです。

この地域が元の緑を取り戻すには、その後500年かかったそうです。

噴火の跡は、現在は海中に直径20キロの巨大カルデラとして残っています。

 

この頃の日本は、縄文時代にあたります。

しかし鹿児島県に当時起こっていた縄文文化は、この噴火によって全滅しました。

 

大噴火といえば、9万年前に起こった阿蘇の大噴火は、こんなもんじゃなかったらしいです。

阿蘇があるのは熊本県なのですが、火砕流は九州全土を覆い、さらに山口県にまで達したのだそうです。

火山灰は北海道東部に10センチの層が残っていて、つまりは日本全土を火山灰が覆ったようです。

 

人が見ていないと思って無茶やり放題ですよね、まったく。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 

 

 

 

おまけ資料

 

誰かが作った霧島のCG

 

 

 

以下、インターネット掲示板に投稿された噴火の様子

がんばれ宮崎