2018年4月

あすなろ28 日本における世界一(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2004.02号

 

年が明けました。

大相撲も始まりました。

 

先場所の開幕中は、「大相撲ダイジェスト」のない空しい毎日を過ごしたわけですが、今場所からなんと、それに代わる番組が始まったではないですか。

しかもNHK様自ら。

いやいや、ありがたいことです。

その名も

 

「大相撲 幕内の全取組」

 

……。

 

この、そのまんまの番組名。

素敵すぎます。

ここまでハイセンスな番組名には、なかなか出会えるものではありません。

 

しかし、内容は申し分なし。

 

「大相撲ダイジェスト」は、放送時間が短くなる度にセットをいじって、なんとか見た目で勝負しようとしていましたが、こちらは夕方の中継を編集しただけ。

見たいのは相撲なんだから、これでいいんですよ。

さすがはNHK様、わかってらっしゃいます。

 

ところで、この番組の前に、ニュースが放送されます。

その日も「全取組」を見るべく、前番組のニュースを見ながら、正座して待っていました。

するとニュースの中で、

 

「それでは大相撲初場所、本日○日目の結果です」

 

……は?

 

ちょちちょっとまった!

テレビオフ!

 

 

危なかった。

もうちょっとで楽しみが減るところだった。

勘弁してくれって。

 

NHKちゃん。

お願いですからもうちょっと考えて構成してね。

 

横綱の朝青龍、今場所は余裕があっていい感じです。

その辺は観客にも伝わっているみたいで、「日本一!」なんて声もかかっていました。

モンゴル人の彼としては複雑なところかもしれません。

相撲なんだから、日本一=世界チャンピオンです。

どうせだから、誰か「世界一!」って云わないかなあ。

掛け声のセンスとしてはアレですけど。

 

そういえば、千葉県の小見川あたりを自転車で走っていたら、「世界一の納豆工場」という看板を見ました。

確かにそのとおりなのかもしれませんが、なかなか大胆で素敵です。

 

そこまではアレですが、身近なところにも、結構こんな風に「世界一」のモノってあるんですよ。

あるんですって。

 

例えば、この近辺にもいるオオスズメバチ、あれは実は世界一大きいハチです。

もちろん毒の強さも世界一。

オオスズメバチはほかのハチの巣を襲うことでも知られていますが、他の国にはそんな獰猛な習性を持つハチはいません。

 

大きい昆虫と云えば、沖縄・与那国島他にいるヨナグニサンも、世界一大きいガです。

一般的に、昆虫は南方に行くほど大型化するので、大抵は赤道直下の昆虫が最大です。

従って、この二種は珍しいパターンです。

 

ところで、日本が誇る世界一と云えば、普通は長寿とかロボット技術などが取り上げられます。

他にも世界一長いトンネル(青函トンネル)とか、世界一長い吊り橋(明石大橋)とか。

そういう「メジャーなもの」以外の、意外に思えるような世界一が、思ったよりもあります。

挙げてみましょうか。

 


●鰹節=世界一堅い食品


 

他にも堅い食べ物はあります。

中国の乾鮑(カンパオ=干しアワビ)は、堅くてそのままでは食べられません。

ヨーロッパの干し肉も、そのままではかなりの堅さです。

しかし、機械で圧力をかけて測定すると、圧倒的に鰹節が堅いそうです。

 


乾鮑と干し肉は、一定の圧力がかかるとぐにゃっと曲がってしまいますが、鰹節は一定の力がかかると、ものすごい音を発して『バーン』と割れます。


(東京農大教授・小泉武夫氏の文より)

 

だそうです。

 

鰹節の作り方だけでも一話できちゃうのですが、確実に話が長くなるので割愛します。

(後に書きました→あすなろ91

 


●打ち上げ花火=世界一華麗


 

打ち上げ花火自体は、確かに他の国にもあります。

あるにはあるのですが、ショボいんです。

色も大きさも。あんな華やかな色の、あんな大玉が、あんなきれいに丸く揚がるのは、日本だけです。

 

違いは、打ち上げる玉の構造にあります。

 

日本の花火玉は、球形をしています。

その中には、「星」と呼ばれる小さな球状火薬が並べられています。

そしてさらに、この「星」の中も、ちがった色の出る火薬が層になっています。

「星」が、中央の割り火薬の爆発力で四方八方にとばされ、光の色を変えながら丸く咲くので、あんな綺麗な花火になります。

 

これに対し、外国の花火玉は円筒型です。

中に入っている火薬も、凝った色を演出しようとしていないので単調です。

もちろん変化に乏しく、また丸く広がらないので立体感に欠けます。

日本の花火玉は世界で認められ、現在80余りの国に輸出されています。

 

毎年10に、土浦で全国花火競技会が開催されています。

あれはまさに、世界一の大会ということになります。

 


●積雪=世界一雪の深い国


 

世界一の積雪量は、日本で観測されています。

これ、知らない人も多いと思います。

私も最近まで知りませんでした。

 

現在、最深積雪の世界記録は、滋賀県伊吹山の11m82cmです。

1927年2月14日に観測されました。

二位はカリフォルニア州の11m53cmです。

 

実は、日本という国は、世界的にも有数の豪雪国です。

この頃になると、新潟で「一晩で1メートル」なんてニュースが流れてくる頃ですが、こういう国はそうありません。

 

雪の量は、気温だけでは決まりません。

日本国内でも、北海道の方が寒いのに、新潟の方が雪が多いですよね。

これには地理的な理由があります。

 

まず、雪が降るには、空気中に水蒸気が多く含まれている必要があります。

そういう空気が山に沿って上昇して、気温が下がると、空気中に含まれることのできる水蒸気の量(飽和水蒸気量)が減って、あふれた分が雪(気温が高いときは雨)になります。

 

空気は、海や大きい湖の上通過すると、多くの水蒸気を取り入れることができます。

水を含んだ直後に山があれば、雪を多量にふらせることができます。

 

そういった条件を満たす風が吹くのは、日本では北陸地方にあたるわけです。

(大陸→日本海→日本アルプス)

他にも、アメリカのカリフォルニアや、スカンジナビア半島などが、同様の理由で豪雪地帯となっています。

 

ただ、同じような気候でも、日本の北陸ほど、多くの人が高密度で住んでいるところはありません。

さらに、重い雪質まで考え合わせると、北陸は世界一の豪雪地帯とも云えるでしょう。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ198 身近なブランド

あすなろ

 

 

 

2018.04号

 

この「あすなろ」は、月謝発行から1ヶ月遅れで塾のサイトにアップしています。

しかし最近、塾のサイトをスマホ対応にリニューアルしたら、過去の記事が使えなくなってしまいましたので、ここの所はヒマを見つけてはボチボチとアップしなおしています。

 

そんなわけで、昔の記事をまた読み直す機会が増えているのですが、そんな中でNO.170(2015.12)を見たら、

『シルバーストーンのフライパンにご飯をあけて』

なんて記述を見つけました。

 

当時、特に何も考えずに当たり前の言葉として使ってしまったようですが、シルバーストーンって言われても、少なくとも高校生以下にとっては、きっとあまり一般的な用語じゃ無いですよね。

 

何のことだかわかります?

 

これは、フライパン内面のコーティングの商標です。

あの黒いツルッとしたアレです。

 

昔々の鉄そのもののフライパンに対して、コーティングされたフライパンが登場した当初は、「テフロン加工」と呼ばれていました。

そして次に、そのバージョンアップとして「シルバーストーン」が出たわけですが、今ではコーティングがすっかり当たり前になってしまったので、もうそんな呼び名はすっかりされなくなってしまいましたね。

 

フライパンそのものも、今や一般家庭では、鉄製のものなんてほぼ見かけなくなりました。

みんなアルミです。

 

そんなアルミのフライパン、我が家には大小合わせて4本あるのですが、全て北陸アルミニウムというメーカー製です。

この手の物と言えば韓国製中国製が席巻する中、我が家のフライパンは全て日本製です。

 

でも、大抵の人はそんなブランド知りませんよね。

そこで今回は、この手の

「普段は意識したことの無いようなブランド」

を、あえて紹介してみようと思います。

 

1.北陸アルミニウム(hokua)

 

先述の通り、我が家のフライパンがここの製品です。

また、たまたま実家からもらった圧力鍋もここ製でした。

 

創業は昭和5年。

本社は富山県。

調理器具以外にも、建材や工業製品を作っているようです。

フライパンでは韓国や中国製造の製品も扱っていますが、上位モデルは日本製です。

長持ちするフライパンが欲しかったら、ティファールかここの製品が一番確実です。

 

※個人的には、ティファールの外れる取っ手は、金具が洗いにくくて嫌いです。

 

ここのフライパンは、以前はホームセンターでも普通に見かけましたが、最近は中国製しか並ばなくなってきてしまいましたので、今や買うとしたら通販となるのでしょうか。

私も最後に買った時は楽天経由でした。

 

2.カリモク(Karimoku)

 

国内家具メーカーのトップです。

我が家のこたつ兼卓袱台(ちゃぶだい)がカリモク製なのですが、タンスは残念ながら違います。

 

創業は昭和15年。

ブランド名は「刈谷木材」を略したものです。

刈谷とは愛知県刈谷市を指しているのですが、現在の本社は、刈谷からは少し外れた位置にあるようです。

 

製品は、国内工場で生産された国産品です。

マレーシアにも部品工場はあるようですが、中国とは縁が無いようです。

そういう意味でも非常に信頼できる会社なのですが、その分少し高めですので、家具の量販チェーンなどでは少量しか見かけません。

 

3.パロマ(Paloma)・リンナイ(Rinnai)

 

ガス器具メーカーの国内トップ2です。

我が家ではガスコンロがリンナイ製、ガス炊飯器がパロマ製です。

特にガス炊飯器はずっとパロマで、現在使っているのは3台目です。

 

創業は、パロマが明治44年、リンナイが大正9年です。

共に愛知県名古屋市の会社で、ずっとパロマの後をリンナイが追う形だったのですが、パロマが湯沸かし器の死亡事故(2006年)を起こしたことをきっかけに逆転したようです。

 

リンナイは、つくば市の北部工業団地にもビルがありますね。

工場には見えないので、どうも研究施設のようです。

 

なお、石油器具関係でいうならば、我が家の灯油ボイラーと灯油ストーブがコロナ製です。

コロナは、堰結暖房器具トップのダイニチと共に新潟県三条市のメーカーで、こちらも同郷ライバルとなっています。

 

4.象印マホービン・タイガー魔法瓶

 

象印は大阪府大阪市、タイガーは大阪府門真市で、こちらもまた同郷2大メーカーです。

メーカー名を比べて見て頂くとわかるのですが、象印は漢字+片仮名、タイガーは片仮名+漢字をメーカー名としています。

 

創業は、象印が大正7年で、今年2018年は創業100年です。

タイガーは少し後の大正12年創業です。

 

その後は魔法瓶(保温ポット)の2大メーカーとして発展して、1970年にタイガーが電子炊飯ジャーを発売すれば同年に象印からも発売されたり、エアーポットは象印が1973年、タイガー1974年、電気ポットは共に1980年と、ずっと2大メーカーであり続けました。

 

現在、この会社名を見かける機会は、炊飯器とステンレスボトル(保温式水筒)が多いかと思います。

 

ステンボトルといえば、特許の関係なのか各メーカーのパッキンの形状がバラバラで、洗う方としては非常に面倒なことになっていると思います。

しかしその中で、象印とタイガーは面白いことに、形式がほぼ同じなんですよね。

だからと言って、互換性があるわけではないのですが。

こんな所までライバルなのかー、なんて思ったことがあります。

 

なお、ステンボトルといえば、他にピーコックやサーモスの製品も見かけますが、共に日本のメーカーです。

また、サーモスはステンボトルのシェア世界一です。

 

5.ノリタケ(Noritake)

 

どうも案外知られていないようなのですが、世界的に有名な陶器のブランドです。

私も何年もの間、塾でノリタケのコップを使っていたのですが、1年ほど前に割ってしまいました。

(今のコップはリラックマです)

 

創業は明治37年。

戦前から海外でも名を知られていて、戦前のものはオールドノリタケと呼ばれて骨董扱いされています。

現在も、国内の洋食器ではトップメーカーです。

 

また、ノリタケ創業家の作った財閥(森村グループ)には、トイレ関連製品のTOTO、スパークプラグの日本特殊陶業(NGK)、電線の碍子(がいし)を作っている日本ガイシが含まれていまして、それぞれが国内トップのメーカーです。

グループ全体としては、世界最大のセラミック関連企業となっています。

なお、トイレ関係といえば、もう一つINAXという会社がありましたが、こちらも実は同じグループ会社でした。

ただINAXは現在、トステムが中心になって立ち上げたLIXILに合併したために、同グループから外れています。

 

まだまだ他にもあります。

ドライバーのベッセルとか、エアコン世界一のダイキンとか、楽器世界一のヤマハとか、ジッパー世界一のYKKとか、オイルシール世界一のNOKとか……。

オイルシールは身近じゃないかな?

 

でも今回はこのへんで。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ76 数詞、助詞「へ」(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2008.02号

 

あけましておめでとうございます。

今年も当塾をよろしくお願い致します。

 

最近、朝は毎日寒いですね。

私は毎朝、小学校の通学班の集合場所まで、一年生の子供と一緒に行っているのですが、こいつらよくこの寒い中行くわなんて、毎朝考えています。

 

小学生ともなると、まわりにポケモンをやっている子供が、急に増えるようになりました。

幸い、ウチの子はあまりゲーム自体には興味がないようですので、それはそれで助かっているわけですが、会話を聞いていて、一つ面白いことに気づきました。

 

ポケモンというのは、基本的に「RPG」という形式のゲームですので、戦って経験を積んで、「レベル」の数値が上がっていきます。

そのレベルは、ポケモンの場合はレベル1からレベル100まであり、ゲーム内での表記は、レベル5ならば「Lv.5」となっています。

 

さて小学生。

このレベルの呼び方が、ぼくらのような古いゲーム人とは、少々違うのです。

「今レベルいくつ?」ではなく、

 

「今なんレベ?」

 

「50レベルになった」

 

なんて会話をしています。

「レベル50」ではなくて、「50レベル」なんですねえ。

 

この言い方、思えば他の地域でも聞いたことがありました。

単なる地方性なのかもしれませんが、考えてみると、こっちのほうが、日本語として自然な呼び方なんですよね。

だって日本語では、数詞は数字のあとにつけるものですから。

 

具体例を出すまでもないのですが、数えるときには一枚二枚ですし、一個二個です。数詞は全て、数のあとです。

小学生は、数詞のあとに数字をいれるというレベル表記を、直感的に日本語として自然な形に変えたのでしょう。

先入観がない子供だからこそできることなのだと思って、軽く感動しています。

 

(この話は、後に詳しく取り上げています→あすなろ140

 

台所の洗い物をしながらそんなことを考えていたら、面白いことにまた気づきました。

 

数詞には、音便変化する物があります。

例えば、一本(ん)二本(ん)がそうです。

色々と考えていて、ちょっとした分類ができることに気づきました。

 


●一般和数字標準群

回: いっかい にかい さんかい

艘: いっそう にそう さんそう

 

●一般和数字音便群その1

階: いっかい にかい さん

軒: いっけん にけん さん

 

●一般和数字音便群その2

本: いっん にほん さん

匹: いっき にひき さん

偏: いっん にへん さん

 

●一般和数字音便群その3

班: いっん にはん さん

辺: いっん にへん さん

 

●原型和数字群・特殊群

月: ひとつき ふたつき みつき

人: ひと ふた さんにん

日: ついたち ふつか みっか

 

●漢数字群

枚: いちまい にまい さんまい

台: いちだい にだい さんだい

 

※この分類法は、私の勝手な思いつきと命名によります。学術的には全く意味がありませんので一応。


 

以上の中で、注目すべきは回と階、偏と辺です。

基本形を読む音が同じでも、その意味によって変化の仕方が違うんですね。

 

このような音便が変化する法則は、数詞の最初の文字によって機械的に変わるのだろう、と最初は考えていました。

英語で、母音の前に「a」をつけるときには「an」に変わる(an apple)というようなものと同じだろうと思ったからです。

また日本語でも、五段活用する動詞の連用形では、音便変化は、そこそこの規則性があるような気がします。

(あまりちゃんと調べていないので、例外があったらごめんなさい)

 


例 活用語尾が「つ」の五段活用は、連用形の音便変化が「っ」になる。

待つ→待った

立つ→立った

放つ→放った

他にも、活用語尾が「く」なら、連用音便は「い」になる(巻く→巻いた 開く→開いた)など。


 

ですから、回と階のような違いに気づいたときには、少し驚きました。

どういう由来から、こういう違いが生じたのでしょう?

 

というわけで、今回私が上に揚げたグループの、違いを生じる理由

 

~三回と三階は、なぜ読み方が違うのか~

 

を、誰か研究してみませんか?

 

日本語の発音の話といえば、もう一つあります。

これも私の身の回りの話ですが。

 

最近、私の下の子(五歳児・幼稚園年中組)が、妙な日本語を使うようになってきました。

 

「さっきの猫が、あっちへ行った」

 

ね。

変でしょ。

 

……あれ?

何も変じゃないですか?

 

さて。

何が変なのだと思います?

 

今、私が伝えようとしていることは、実は口では簡単に伝わるのに、文章だと伝えにくい、という珍しい内容です。

 

最近のウチの子がやっていることとは、「あっちへ」を

 

「atchi-he」

 

と発音するというものなのです。

つまり、助詞の「へ」を「e」と発音せずに、「he」と発音しているのです。

 

逆は、よく聞きますよね。

低学年の作文で、「あっちえ」と書いてしまうというやつです。

悪い見本として、「は」「を」と共に、小学校の国語の教科書には必ず登場します。

 

もちろんこれは、耳で聞き、口で話す「話し言葉」と、字で書く「書き言葉」のギャップからくる間違いです。

ただしその原因を考えると、「話し言葉を先に知っていたから」という大前提があるように思えます。

 

それがウチの子の場合は、おそらく「書き言葉を先に知った」のでしょう。

これはもしかしたら、国語の教科書的には、少々特殊な例にあたるのかもしれません。

 

しかしよく考えてみると、日常会話で「へ」は、あまり使わないことに気づきます。

普段、方向を表す助詞って、「に」ですよね。

私の日常会話の範囲ではそう思えるのですが、いかがなものでしょうか。

百年後の辞書には、助詞「へ」は「文学的表現」とか書かれているかもしれません。

大げさか。

 

さて。

 

先日、ウチのカミサン宛に、一枚のはがきが届いた時のことです。

一枚のはがきだけどはがして広げられるタイプのはがきを、最近よく見かけますよね。

あれです。

で、子供はこれをはがしたくてたまりません。

 

「これ開けていい?」

 

「お母さんに来たやつだから、お母さんに帰ったら聞いて」

 

「かあちゃん屁か」

 

「かあちゃん『へ』じゃなくて、『え』ね」

 

……いつ治るのかなあ、これ。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 


追記

私の故郷(愛知県三河地方)では、助詞の「を」を、「wo」と発音していました。

ですから、音楽の時間に先生がわざわざ、

「「を」は「お」と発音すると、きれいに歌えますよ」

などと言って、みんな意識して「お」と歌うようにしていたものです。

今回の助詞「へ」も確か、「he」と発音する地方があると聞いたことがあります。

共に、昔の発音の名残です。

あすなろ134 イモ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2012.12号

 

こんにちは。

ジャガイモ派です。

 

世の中の人は、イモが好きといえばサツマイモのことを考える場合が多いようですが、私の中ではジャガイモが圧倒的勝利です。

どうもすみません。

 

サツマイモも、そんな嫌いってわけじゃないのですが、特に喜んで食べるという程は好きではありません。

焼き芋屋さんががんばっていても、ふーん、てな感じです。

しかし、スーパーに行って新ジャガを見ると、おしりがそわそわしてくるような、そんな私です。

 

日本で普通、イモといえば、あとはサトイモとヤマイモといったところでしょうか。

その4つの写真を、ちょっと並べてみます。

 

 

いやー、ぜんっぜん違いますよね。

 

植物学的には、ジャガイモはナス目ナス科の植物ですが、サツマイモは同じナス目でもヒルガオ科で、サトイモはサトイモ目サトイモ科、ヤマイモはユリ目ヤマノイモ科、となっています。

また、ジャガイモとサツマイモは双子葉植物で、サトイモとヤマイモは単子葉植物です。

このあたりを習った人ならわかるとは思いますが、そりゃ全然違うわけです。

 

そもそも、「イモ」って何なのでしょう。

 

いつも頼りにしているwikipediaでは、

 


芋(いも)とは、植物の根や地下茎といった地下部が肥大化して養分を蓄えた器官である。

特にその中で食用を中心に人間生活の資源として利用されるものを指すことが多い。

但し、通常はタマネギのような鱗茎は含めない。


 

……となっていました。

 

ふーん。

じゃあ大根はイモ?

ショウガは?

 

紙の辞書も見てみましょうか。

 


●ベネッセ チャレンジ国語辞典

 

植物の地下茎や根に養分がためられて大きくなったもの。

ジャガイモ・サトイモ・サツマイモなど。


 

うん。

これじゃ大根もイモですね。

 


●明治書院 精選国語辞典

 

【芋】形成文字。

意味を表す艸に、音を表す于を加えて、大きい葉の付く芋類の意を示す。


 

アホかお前。

「芋ってなあに?」

「芋のこと」

って会話になってないだろそれ。

 

じゃあ大野さんの角川は?

 


●角川書店 必携国語辞典

 

植物の根や地下茎が発達したもの。

ジャガイモ・サツマイモなど。


 

だめですね。

まだ大根もショウガもイモだ。

 

北原さんの明鏡。

 


●大修館書店 明鏡国語辞典

 

植物の根や地下茎が大きくなって、でんぷんなどを蓄えたものの総称。

サツマイモ・ジャガイモ・サトイモ・ヤマノイモなど。


 

ほほう。

でんぷんの表記が新しいですね。

さすが筑波大の元学長。

 

確かに調べてみると、人参や大根では、でんぷんよりも糖類の方が多く含まれています。

一方、ヤマイモやサトイモにはでんぷんというイメージが無かったのですが、実はでんぷんが主成分のようです。

このあたりが結論でしょうか。

 

面白くなってきたので、ついでに大辞泉。

 


●小学館 大辞泉

 

植物の根や地下茎が肥大して、でんぷんなどの養分を蓄えているものの総称。(後略)


 

残念。明鏡そっくしでした。

 

最後に重鎮広辞苑。

 


●岩波書店 広辞苑

 

①サトイモ・ツクネイモ・ヤマノイモ・ジャガイモ・サツマイモなどの総称。

(②は略)


 

そう来たか。

ある意味、一番正確ですね。

新明解が手許に無いので、優勝決定です。

 

とまあ、ちょっと長くなってしまいましたが、要するに肥大した根っこは、みんなイモと呼んで差し支えないようです。

これだけ書いておいてアレですが、個人的には、ショウガや葛根も広義のイモだと思っています。

特に葛は、主成分がでんぷんですし。

 

ちなみに英語には、日本語のイモにあたるような総称が無いようです。

根菜という言葉はあるのですが。

 

そんなイモですが、最初に挙げた四つのうち、ヤマイモは日本に古来よりありました。

生物学的にも、日本原産の品種です。

芥川龍之介の有名な短編『芋粥』の芋粥も、ヤマイモとアマヅラという甘味料で煮た粥でした。

 

サトイモはマレー原産らしいですが、日本に伝わってきたのは縄文時代ごろだということですから、こちらも歴史が長いですよね。

各地で実施される「芋煮会」の芋もサトイモです。

また、世界各地で主食にされているタロイモは、サトイモと同じ仲間です。

 

この二つは、ヤマ(山)とサト(里)と対になっているところからも、日本ではこれが本来のイモなのでしょう。

 

一方、サツマイモは、江戸時代に儒学者の青木昆陽が、甘蔗という名で広めたことで有名ですね。

享保の大飢饉で懲りた徳川吉宗が、飢饉対策に大岡忠相(大岡越前)を通じて青木昆陽に命じたのだということです。

その後も大飢饉は何度か起こっていますが、サツマイモの普及率の高かった西日本では、東北よりも被害が少なく済んでいるようです。

 

サツマイモは最初、

「味が栗(九里)に近いから『八里半』」

だとか、

「『栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)』という呼び名で広めた」

と子供の頃に読みました。

 

しかし江戸時代の頃のサツマイモは、今に比べて小さくて甘味も少なかったようです。

今のようなサツマイモが作られるようになったのは明治以降のことで、十三里の呼称も明治の話なのだそうです。

 

そして、我が愛するジャガイモは、南米原産です。

16世紀に、スペイン人によってヨーロッパに伝わったのが最初でした。

ということは、ドイツやイギリスのジャガイモ料理は、安土桃山時代以降ということになります。

 

日本にも、江戸時代初期に伝わってきていますが、普及したのはサツマイモより遅く、江戸末期だったようです。

これには、若いイモや芽に毒が含まれることと、連作障害が起きやすいことも要因としてあったようです。

 

あと、ジャガイモの名は、ジャワのジャガタラ(現ジャカルタ)に由来します。

これは小学生の頃、国語の教科書で知りました。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ88 地球温暖化(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2009.02号

 

遂に、下妻まで来てしまいました。

 

下妻市内のスーパーでも、レジ袋無料配布をやめるみたいですね。

エコとか言いながら安っぽいバッグを売っていますけど、どう見ても単なる新商法です。

周囲の同業者と結託して始めるあたりに、競争原理に反する胡散臭さが、どうにも消えないわけですが。

 

つくば市内では、昨年からこれが始まっています。

私の実家の親によると、愛知県の方でも、すでに同様の状況らしいです。

 

先にお断りしておきますが、私は「省エネ」自体は否定しません。

有限のエネルギーを有効に使うという方針には、賛同します。

しかし、その方便として使われるエコという言葉が嫌いなだけです。

エコじゃなくてエゴだろ、と常々思っています。

ええ偏屈ですみません。

 


ちなみに、Ecological Biologyとは「生態学」です。

「環境生物学」はEnvironmental Biologyです。

もうその時点で違うだろ、と思うわけでして。


 

さて、今やテストでも頻出問題となっている「地球温暖化」ですが、よく言われている

 

「地球の温暖化は、人間の排出する二酸化炭素のせいだ」

 

って、本当のところ、どうなんでしょう?

どう思います?

そのあたりの理屈について、調べてみたことがありますか?

 

さらには

 

「最近の異常気象は温暖化のせいだ」

「南極の氷は溶ける一方だ」

「近い将来、平野の大半は海に沈む」

 

等々、全部が全部、本当のことなのでしょうか?

 

(以下、「二酸化炭素」は「CO2」に統一します)

 

少し理屈を確認してみましょう。

だいたい、


①近年は大気中のCO2濃度が急増中

②CO2は温室効果をもつ気体である

③近年は地球の平均気温が上昇中

④つまり、人間の出すCO2が増えたためだ


……とまあ、こんな風に聞いていますよね。

 

私の調べた限り、①は事実のようです。

②も③も、事実であることを裏付けるデータが揃っています。

じゃあ④もいいじゃねえか、と思うかもしれませんが、お待ちください。

 

ここでは、実は重要な要素がいくつか伏せてあるのです。

 

まず、温室効果についての話です。

 

確かに、CO2には温室効果があります。

しかし、温室効果のある気体は、CO2しか無いというわけではありません。

 

結論を言いますと、地球上の温室効果のほとんどは、水蒸気が担っています。

ある計算によると、地球大気の温室効果の95%が水蒸気によるものです。

一方、CO2による温室効果は0.054%です。

この100年でCO2は35%増えましたので、大気の温室効果は0.0189%上昇したことになります。

こりゃ大変だ。

 

次。

地球の気温上昇について。

 

地球の気温は、確かに上昇しています。

具体的には、西暦1900年ごろと比較すると、現在は平均気温が約1℃高くなっています。

そのデータをもって「このままでは」という論法が温暖化派の常套手段なのですが、彼らはその前の気温の事を触れようとしません。

 

実は、現在の気温は、約1000年前と同じくらいなのです。

いやむしろ、1000年前の方が、まだわずかに高かったというデータもあります。

 

しかしそれを言うと、

「気温そのものではなくて上昇ペースの問題だ」

という反論が必ず返ってきます。

しかしその時に出すデータは、必ず過去データとは比較できないような短期的な変化です。

(1000年単位の過去の気温は、樹木の年輪や貝殻、花粉などから算出するため、あまり精密な変化は測定しきれない)

昔と比べる以上は、昔と同じ精度でデータを語るべき、つまり1000年単位の話をすべきなのに、何故か「肯定派」はそういうことをしません。

 

データといえば、こんなものもあります。

 

実は1940年ごろから1975年ごろまで、地球の気温は下がり続けていました。

当時は、北極の氷が増え続け、氷河は延び、「このままでは氷河期が来る」といわれていたのです。

そして現在、そのころと比べて減った、つまり、それ以前の状態に戻った氷河や流氷を指して、「地球温暖化」とか騒ぐのがマスコミの仕事です。

もちろん、当時は寒冷化と大騒ぎしていたことは絶対に言いません。

 

逆に、地球温暖化の否定派は、その時代の気温下降に異常にこだわります。

「CO2が増えているのに気温が下がっているよな」と。

 

共に、都合のいいデータしか使いません。

 

氷河といえば、南極の氷河が海面に崩れ落ちる映像をよく見ます。

しかしあれは、平均気温とは全く関係ありません。

単なる春の訪れであって、毎年必ず見られる風物詩です。

春の雪解けの写真を見せて「温暖化!」と言っているみたいなものです。

 

ついでに南極の氷の話をしましょうか。

 

南極の氷が溶けると海面が云々といいますが、大丈夫。

溶けません。

地球温暖化を国際的に宣伝しているIPCCですら、

「気温が上がると南極の氷は増加する」

と言っています。

周囲の海水の表面温度が上がると雲が増え、雪となって積もった氷は増えるのです。

溶けたらどうなるという心配は、全く無用です。

 

ついでにいうと、北極の氷は溶けても海水面は上昇しません。

アルキメデスの原理といいます。

 

では、温暖化によって沈みつつあると言われているツバルはどうなのか。

 

あそこは、珊瑚礁に土を盛って埋め立てた土地です。

戦時中、米軍が飛行場を作るために埋め立てました。

ところが珊瑚は、土に覆われると増えなくなります。

その結果、徐々に崩れてきたのが今の状態です。

あれは海面上昇ではなく、地盤沈下なのです。

 

100年で海面が17cm上昇している、という話もあるのですが、あくまで陸地に対する潮位(満潮と干潮の位置)を測定した記録です。

地盤沈下がある場所でのデータだとしたら、全く意味がありません。

ただ今では、衛星による正確な海水面のデータもあります。

こちらは潮位と違って正確な数値が出ているのですが、ここ10年余りのものしかありません。

つまり、海水面が上がっているかどうかは、まだ結論を出せないはずなのです。

 

そんなことよりも、一番の大前提である

 

「CO2増加→気温上昇」

 

は本当でしょうか。

 

氷床コアを調べると、気温とCO2の増減がわかります。

それによると、気温が上昇したその数百年後に、CO2が増加していることがわかります。

さらに、気温が下降して数百年後に、CO2が減少していることがわかります。

これまで何度調査しても、必ず「気温→CO2」なのです。

はい、逆ですね。

 

理屈は簡単です。

気体は液体に対して、温度が高い方が溶けにくく、温度が低い方が多く溶けます。

また、小学校の時には「地温が上がってから気温が上がる」と習ったかもしれませんが、水温はそれよりもさらに遅れて変化します。

 

つまり、

 

気温が上昇して海水温が上昇すると、海水に溶けていたCO2のうち、溶けきれなくなった分が空気中に放出される。

気温が下降して海水温も下降すると、CO2がより多く海水に溶けるために、空気中のCO2が減少する。

 

ということなのです。

 

気温のエネルギーは、その由来はほとんどが太陽です。

太陽の放射量の変化は、黒点の量によって推測できる上に、黒点は昔から観察記録が残っています。

それと平均気温の上下を照らし合わせると、これがなかなかいい感じに一致しちゃいます。

ただあくまで過去100年だけの話ですので、結論とはしませんが。

 

まだあるのですが、現状はだいたいそんな感じですよ。

また、「将来の気温シミュレータ」は、データの入力次第でいくらでも結果は変わります。

その上、水蒸気と雲による影響は、計算しきれないので無視しています

 

そうそう。

マラリアは、かつてソ連から北極圏にかけて大流行したことのある病気です。

「気温が上がるとマラリアが来る」も嘘ですよー。

 

ドラッグストア関係では、まだレジ袋を配っています。

その袋にでっかく「エコバッグ」と書いてスーパーに買い物に行く強者を募集中。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ161 家畜(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2015.03号

 

新年明けましてしばらく経ちますが、頭の中が中々切り替わりません。

昨年は10月頃まで今年は何年だっけと迷うことがありましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

ひつじ年です。

 

一般にヒツジといえば、羊毛を取るための「綿羊」のことを想像されるかと思われます。

私も同様です。

 

しかしこれは、完全な家畜として品種改良されたものです。

ブタやウシと同じですね。

 

漢字では、美・義・翔・善など、「羊」を部首として使ったものが数多くあります。

このことからも、中国には古代からヒツジがいたことがよくわかります。

さらに、漢字の由来を調べていきますと、ヒツジは神への捧げ物として使われていたようです。

もしかしたら、漢字が作られた頃にはすでに、家畜として飼育されていたかもしれません。

 

そんなヒツジですから、野生のヒツジなんてものは野生のヒトコブラクダみたいに、既にいないものかと思っていたのですが、ちゃんと現存するのですね。

ヒツジの原種、つまり野生種は、こんなんだと言われています。

 

上がムフロン、下がアルガリという種類です。

 

あれ?

君たち、なんだか超かっこよくないですか?

毛も普通にストレートヘアですし、角もでっかいし。

 

ちなみにこちらが普通の家畜ヒツジ。

上がメリノ種、下がサフォーク種です。

 

ああこれこれ。

ヒツジと言ったらこれですよ。

野生のヒツジからは、ずいぶんと変わったものですね。

 

ヒツジが家畜として飼育された痕跡は、古代メソポタミアの紀元前7000~6000年頃の遺跡が、最古のものとされています。

つまり、人類がヒツジを家畜にしてから、少なくとも8000年から9000年経っているということになります。

すごいですね。

 

ウシも、ヒツジ同様に漢字で部首になっていますが、こちらの家畜化は紀元前6000~5000年頃ということですので、ヒツジよりも1000年ほど新しいようです。

これは、ウシの原種がヒツジよりも大きく凶暴で、飼い馴らすまでには手間がかかったから、と考えられています。

 

なお、ヤギは、人類の家畜としてはヒツジよりももう少し古い歴史があるということです。

しかし漢字で書くとヤギは「山羊」、つまり、まずヒツジありきの命名ですので、アジアでは、家畜化されたのはヒツジが先だったのかもしれません。

 

あと、今では家畜と言っていいのかどうかわかりませんが、ネコもなかなか古くから、人類にとって身近な存在でした。

こちらは9500年前の遺跡において、人間と共に埋葬された跡が発掘されています。

こちらは、農耕を始めた人類が、貯蔵した穀物をネズミの被害から守るために、村に入ってきたネコを保護し始めたことがきっかけのようです。

 

しかし、なんと言っても人間と付き合いが長いのは、やはりイヌです。

 

イヌの原種はオオカミと言われています。

 

元々は、人間の食べ残しを拾うためになんとなく近づいてきたオオカミが、そのうちに一緒に暮らすようになったのがイヌだ、なんて言われています。

 

ただ、オオカミの一部がイヌという家畜になったのか、それともオオカミとは別のイヌという動物が全て家畜化されたのか、そのあたりはよくわかっていません。

 

1万2000年前の遺跡では、子犬に手をかけた姿で埋葬された女性が見つかっています。

つまり少なくともこの頃には、イエイヌという種類の動物が、人間と密着した生活をしていたことがわかっています。

 

さらに遡る、3万年以上前の遺跡でイヌと思われる骨が発見された例もあります。

最近流行の遺伝子解析では

「イヌのDNAの塩基配列に見られる変異が、1匹のオオカミのみに由来する場合(単系統)は、イヌの家畜化は約4万年前」

「複数のオオカミがイヌの系統に関わっている場合(他系統)は、約1万5000年前」

という報告もありますので、もしかしたらもっと古いのかもしれせん。

 

また、イヌの登場と同じ頃、人類の狩猟道具が石斧からヤジリに変化しているところから、

「人類は、イヌとの出会いによって狩猟方法が変わったのかもしれない」

という説まであるようです。

 

ところで、先にも少し書いたとおり、ウシやヒツジなどは、最初は凶暴な野生動物を無理に囲っていたはずなのですが、今ではすっかりおとなしい動物です。

イヌとオオカミも、随分と性格が違います。

そこで、オオカミはどうやってイヌとなっていたのか、そのプロセスを見つけようという研究が、ロシアでもう50年以上も続けられています。

 

研究では、素材にギンギツネが選ばれました。

キツネはイヌに比較的近いことと、家畜化されていないことが理由です。

 

まず、毛皮用に飼育されていたキツネの中から、おとなしそうな個体130頭を買ってきて交配します。

そして、その子供の中から、比較的おとなしそうな個体を集めて交配、という繰り返しをしていきます。

言葉で書くと簡単ですが、キツネが成獣になるまで1年かかりますので、非常に気の長い実験です。

 

すると、4世代目に、人間を見てしっぽを振るキツネが現れました。

9世代目の頃には、耳が垂れた子ギツネが誕生して、まだら模様のキツネも現れてきました。

そしてこの頃は、人間に対して甘えてクンクン鳴くようになっていました。

さらに何世代かあとでは、ひもを付けずに散歩しても、呼べば戻ってくるような個体まで現れました。

50世代目になると、85%の個体が人間に「甘噛み」をするようになりました。

つまり、「イヌ化」してきたわけです。

 

逆の実験も行っています。

 

人間に対して攻撃的な個体ばかりを交配していったらどうなるか。

その結果登場した攻撃的なキツネは、子供の頃から人に馴れたメスに育てられても、やはり人間に攻撃的に育つそうです。

ここから、行動を左右するのは、遺伝子の力が大きいのではないかと見られています。

 

それはそうと、我が家の庭に、まれにタヌキが現れます。

その度に、ああタヌキを飼い馴らしてみたいなあと思うわけです。

ということはつまり、まず130頭集めて……。

 

うん、無理っぽいですね。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ175 アブラナ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2016.05号

 

五月です。

 

春の花といえば桜でしょうが、桜が散っても春はまだ続きます。

虫好きの私にとっては、五月にカマキリが孵化するまでは、まだ本格的な春は始まっていません。

または、望遠鏡を立てようにも風が強すぎるわ黄砂で空は霞むわ屋上は寒いわで、天文部がグダグダと落書きばっかりしつつ過ごす毎日が来てこそ、春本番といえましょう。

 

この時期の花として、今回は菜の花を取り上げてみようと思います。

 

菜の花は、ご存じかと思いますが和名をアブラナといいます。

小学校でもそう習います。

 

ところが、その辺の畑の脇や河川敷に咲いている菜の花は、よく見るとアブラナばかりとは限らない上、アブラナにも種類があることは、あまり知られていないと思います。

(地域によって違いはあると思います)

 

私が実際に見かけたのは、セイヨウアブラナ、アブラナ、カラシナの三種です。

詳しい人が見れば、まだ他にもあるかもしれません。

 

一番簡単に区別できるのは、カラシナです。

葉の付き方で見分けられます。

 

これだけだと、なんだ全然違うじゃんと思うかもしれませんが、野に生えている状態だとこれがまたそっくりなんですよね。

そんなのが、同じ河川敷にあっちがアブラナ、こっちがカラシナというように混在しています。

 

そして、そのアブラナの方にも二種類のものがあります。

それが先に挙げた「アブラナ」と「セイヨウアブラナ」です。

話を進める上で紛らわしいので、ここでは「アブラナ」を仮に「在来種」と呼ぶことにします。

 

一番わかりやすい区別点は、種子の色です。

セイヨウアブラナは黒い種、在来種は赤い種(黄褐色)をつけます。

 

ただ、今の時期はまだ種子が熟していないので区別できません。

そんなときは、花の萼片(がくへん)の開き具合で見分けます。

 

ちょっとわかりにくいのですが、セイヨウアブラナは、萼があまり開いていません。

花が開ききった状態では、萼の先端は花弁(花びら)よりも上に突き出ています。

 

対する在来種は、萼がもっと大きく開きます。

花が完全に開いた状態で横から見ると、花弁とは完全に離れた角度まで開きます。

 

また、在来種の方が西洋アブラナよりも少し明るい色をしているのですが、これは二つを実際に並べてみないと区別しにくいと思います。

慣れればわかるのかもしれませんが。

 

今回の在来種アブラナは、小貝川の堤防で見つけました。

やはりこの二種も、同じ堤防であちらはセイヨウ、こちらは在来というように混在しています。

ここではカラシナは見かけませんでした。

 

一方、鬼怒川の堤防では、セイヨウアブラナとカラシナばかりのようでした。

また、鬼怒川河川敷の公園っぽい場所にある菜の花畑では、ざっと見たところセイヨウアブラナばかりでした。

こちらは恐らく、人為的に種をまいて作った場所なのでしょう。

 

さて、菜の花と言ったりアブラナと言ったりしていますが、本来の菜の花は、「菜」の花を指す言葉でした。

 

では菜とは何かというと、葉や茎を食べる草を指す言葉です。

日本語では、一般的に文字数が少ない方が古くから使われてきた言葉ですので、菜は相当古い言葉と思われます。

 

平安時代には、一月七日に若菜摘みという行事があったことが枕草子にも書かれています。

百人一首にも若菜摘みを詠んだ歌がありますので、菜の花とは、元々はそのあたりの植物の花の総称だったのでしょう。

 

そんな菜の中に、エゴマという植物があります。

エゴマは、縄文時代から日本で利用されてきたシソの仲間で、遙か昔は食用として栽培されてきたのですが、鎌倉時代の頃にはその種をしぼった油が、燃料としてよく使われるようになってきました。

 

そして江戸時代になると、油の原料は、エゴマの種からアブラナの種へと移り変わっていきます。

 

アブラナ自体は昔から日本にありましたが、昔は普通に野菜でした。

ウィキペディアによりますと、古事記や万葉集に、現在とは違う名前で登場するそうです。

それが前述の通り、油用として大量に栽培されて、名前もアブラナとなってしまったようです。

また、セイヨウアブラナが日本で栽培されるようになったのは、明治以降なのだそうです。

 

さて、今回のこの記事を書くにあたって、セイヨウアブラナと在来種の違いを調べようかと、我が家の図鑑を開いてみました。

 

まずは小学館の子供用図鑑を見たのですが、アブラナは小さい写真一枚しか載っていません。

まあしょうがないよねと思って次に、「日本の野草」を見ても、影も形もありません。

おや?と思って今度は、保育社の原色図鑑――要は図書館にあるような図鑑――の、「植物Ⅰ」「植物Ⅱ」「園芸植物」の三冊を見ても、全く載っておりません。

 

しばらく目を疑いましたが、考えているうちにわかりました。

要するに、アブラナは野菜だからなのです。

普通は、植物図鑑には野菜は掲載されないのです。

だって野菜は、「この植物の名前は何だろう?」と、図鑑を開いたりはしません。

そこの畑の持ち主に聞けばそれで終わりですからね。

 

現在でも在来種のアブラナは、野菜として植えられている地域があるとのことです。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ186 霊が見えてしまったら(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2017.04号

 

ウチのカミサンは、本読みです。

よく図書館に行っては本を借りてきています。

枕元に、図書館の本が途切れることはありません。

書店で買うことも多いのですが、図書館からは「試しに読んでみたい本」「目を通せばいい程度の買うまでもない本」を借りてきているようです。

そのため、分厚い小説に加えて、よく知らない人のよくわからないエッセイマンガを借りてくることがあります。

 

そんな中で先日、「霊が見える人のエッセイマンガ」というものが我が家に転がっていました。

前述の通りの、図書館で借りた「よくわからない枠」の一冊のようです。

 

読んでみました。

 

はあ~。

 

まあ、そういう人っていますよね。

 

霊に対して、まずは私のスタンスを申し上げます。


霊とは脳のノイズです。

神様はOK。否定しません。

フィクションは別。楽しんでいます。


 

霊と言えば、以前からずっと気になっていることが一つあります。

 

「素粒子を理解している人で、霊が見える人は存在するのか」

 

中学生以上なら、原子はご存じかと思います。

その原子も、最終的には素粒子によって構成されていることがわかっています。

 

例えば、原子核は陽子と中性子によって構成されていますが、これらはそれぞれが3個のクオークという素粒子でできています。

さらに、そのクオークを結びつける力も、素粒子によって橋渡しされています。

電子や光も素粒子です。

電波も素粒子です。

そして飛んでいる素粒子にとりついて速度を落とす素粒子まで、すでに観測されています。

現在は、重力を伝える素粒子が観測できないものか、世界中の物理学者が探している最中です。

 

現在の科学は、ここまでわかっています。

ここまでわかっているのです。

 

では、霊は何でできているのですか?

 

どんな素粒子で構成されているのですか?

 

「見える」とは、モノに当たって屈折したり反射したりした光子という素粒子が、眼球の中の網膜を化学的に刺激した結果なのですが、霊とやらによって反射もしくは屈折した光子が、一部の人の網膜だけを刺激するのは何故ですか?

 

つまり、「見える」霊というのは、現実には存在しないもの、ということなんですよ。

見えるという人の脳の中(もしかしたら眼の中?)にだけあるもの、ということに他ならないのです。

 

要するに、霊というのは「ポケモンGO」なんですよ。

スマホを通せば見えますが、本当はそこには無いのです。

霊が見える人というのは、本人も気付かないうちに、脳内にポケモンGOのアプリをインストールしちゃった人なのです。

 

ところが、よく

「現代の科学は万能ではない」

だの、

「携帯電話インターネットも百年前は空想の世界だったのに今は現実にある」

だの言う輩がいらっしゃいます。

 

ああそうですね。

それは否定しません。

 

確かに、タイムマシンなどは、未だにSFの世界から出てきていません。

しかし、理論はすでに構築されています。

ただ、それが実現不可能であり、実現方法すらわかっていないだけのことです。

 

しかし、霊は、その理論がありません。

成り立たせようという人すらいません。

 

先ほど私は、神は「有り」だと申し上げました。

別に神の存在を信じているわけではありませんが、でも私にとって、神は「有り」だと思っています。

 

なぜかというと、神の存在は、ちゃんと学問になっているからです。

 

人類は、文明が生まれてからこれまで何千年もの間、本当にくだらないことばかりを真剣に考え続けてきました。

その一例が自然科学であり、哲学であり、神学です。

神の存在も、人間の存在意義も、当時の国のトップクラスの天才達が頭を突き合わせて、マジになって考え続けてきたのが人類の歴史なのです。

目に見える物から見えない物まで、およそ考えつく限りのありとあらゆることが、学問として成り立ってきたのです。

 

しかし霊は、これを研究する学問などはありません。

歴史上、学問として構築されたことがありません。

つまり、これだけあること無いことあらゆることを考えてきた人類なのに、目に見えるはずの霊を研究してきた歴史がないのです。

 

理由は簡単です。

少なくとも中世までは、人類には霊が見えなかった、ということなのです。

仮に一部の人にでも見えていたら、絶対に学問になっていたはずです。

 

それでも、霊や死後の世界の存在を信じる人はいます。

そんな中で、悲劇的な有名人がいました。

天才奇術師と呼ばれたフーディニ(1974~1926)です。

 

彼は、脱出王とも呼ばれた天才マジシャンでしたが、母親を亡くしてから、降霊に興味を持つようになります。

なんとかして死んだ母親とコンタクトを取りたいと、有名な霊能力者の元を訪れるのですが、彼の才能は、ことごとくインチキを見破ってしまうのです。

霊を信じたくても信じられないという、天才ならではの悲劇が起こるのです。

 

彼は生涯かけて霊を求め続けましたが、結局、本物に出会うことはありませんでした。

死の間際にも、妻に

「死後の世界があったら、そこから必ず連絡する」

と言い遺したのですが、何も起こりませんでした。

 

少し話を戻します。

 

先ほど、霊の存在を人類全体で否定してみたのですが、まだ

「本当は以前からあったのだが、存在を意識しだしたのはごく最近だから」

という反論が残されています。

 

この「以前からあった云々」という物は、確かに色々とあります。

例えば電波がそうですよね。

こちらは素粒子で説明可能ですが。

 

他にも、例えば花粉症や食物アレルギーなども、この類いといえるでしょう。

 

はい、もうわかりましたね。

霊が見える人は、ご病気なのです。

 

「見える」ようになったきっかけとして、

「死にかけたら見えるようになった」

「ショックで見えるようになった」

という話をよく目にします。

こういう事例は、

「脳の血流が中途半端に止まったために、脳に軽い障害を持ってしまった」

と考えれば、すっきりと納得できますね。

 

現代の科学は、確かに万能ではありません。

しかしきっと将来、「見える人」を治す方法が見つかると思いますよ。

ですから、もし見えてしまっても、どうか気を落とさずに!

 

グッドラック!

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ157 オナガグモ・ユカタヤマシログモ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2014.11号

 

「サイエンス・キッズ」という、学園都市を中心に、小中学生向けに行われている科学体験教室があります。

これを主催している芳賀和夫・元筑波大教授という人が、私の大学時代の恩師ということもあって、私も「キッズ」に登録させていただいております。

タテマエはキッズといいながら、実際には解説補助要員だったりすることも多いのですが。

 

つい先日は、そのテーマが「蜘蛛」でした。

大学構内でクモを捕って、実験室で観察しようという試みです。

実は私、ここ数年クモに興味がありまして、これは行かねばと8ヶ月ぶりに参加した次第であります。

 

そしてその朝の最初の会話

 


 

朝倉「どうもお久しぶりです」

 

芳賀「お久しぶりです」

 

朝倉「いや、ここんとこは土日も仕事を入れちゃって、中々来られませんで」

 

芳賀「……最近、何やってる?」

 

朝倉「2年くらいまえだったかにですね、ダンゴムシの結構いい本が出まして、ちょっと面白いなと思っているところです。

その辺の森にも、オカダンゴムシ以外のがいたりすることもあるらしいですね」

 

芳賀「へえ~」

 


 

「いやあ仕事が」→「何やってる?」→「ダンゴムシ」って、世間的にはまともな会話じゃないですよねコレ。

 

ともかくもその日は、クモに詳しい大学生が何人か呼ばれていましたので、私も色々と盛り上がって楽しんできました。

というのも普段は、クモの話がまともにできる相手って、周りにいないんですよね。

それはつまり、友達がいないという意味ですがキニシナイ。

 

そんなわけで、私はあまり詳しい人ではないことは承知の上ですが、クモのお話です。

 

しかしここで、有名どころのジョロウグモとかオニグモとかの話をしても面白くないので、もう少し違う、マイナーものの紹介という形にしてみます。

 

まずは、こんなクモから。

見えている長さは、1センチから5センチくらいです。

 

 

オナガグモというクモです。

見た目は、小さい松葉が糸についているようです。

 

このクモの巣は、糸が1本か2本しかありません。

しかもその糸は、触っても指にくっつかない糸ですので、虫はひっかかりません。

ではどうするのか。

 

実はオナガグモは、クモを食べるクモなのです。

 

巣を張るクモは、人生(?)の大半を糸の上で過ごすために、体のつくりも糸の上を歩くことに特化しています。

その結果、地面や草木の上を歩くより、糸をたどって歩く方が速いのです。

そういうわけですから、別の場所に移動中も、誰かの残していった糸があれば、それをたどって歩くことが多くあります。

 

クモのそんな習性を利用したのが、このオナガグモの巣なのです。

オナガグモは、この糸をたどってきたクモに糸を巻き付けて、捕らえて食べます。

なおこの習性は、高校生が発見したことでも有名です。

 

もう一つだけ、変なクモを紹介します。

 

 

ユカタヤマシログモという小さいクモです。

下の画像の畳の目から、だいたいの大きさがおわかりでしょうか。

巣を張らないで、歩いて獲物を捕らえるクモです。

 

巣を張らないクモ(徘徊性)といえば、よく見かけるのはハエトリグモでしょう。

他にも、野外にはカニグモの仲間やコモリグモ・ハシリグモなどがいますし、もっと南方では最強のゴキブリハンターであるアシダカグモなんてものもいます。

 

いろいろと挙げてみましたが、以上のクモ類は皆、非常に素早く走ります。

なんせ、ほかの虫を捕らえる方法がダッシュ一発なのですから、速くないと捕まえられません。

そのために、脚が太くて体ががっちりしています。

 

それに対してユカタヤマシログモは、ゆっくり歩くだけです。

弱々しいです。

しかしこのクモには、ほかのクモには絶対にまねのできない攻撃方法があります。

 

それは、口から糸(粘液)を吐くこと。

これによってまず相手を床に貼り付けてしまいます。

あとは、必要に応じて尻の先から出る「普通の糸」を巻き付けます。

そしてこのクモも、わざと他のクモの巣に触って、「エサがかかった!」と飛び出してきたクモを捕らえて食べる、なんてことをしています。

 

なお、口から糸を吐くことができるのは、クモ界広しといえどヤマシログモの仲間だけです。

また、このクモの体型は「頭でっかち」なのですが、これは糸の材料が頭胸部に詰まっているからなのでしょう。

 

今回挙げた二種は、共に我が家で見かけるクモです。

身の回りの事って、案外知らないものですね。

 

え? 知ってました?

そういう方は、是非お友達になってください。

今度ご一緒にお食事などいかがですか?

 

あと一つ、先日教えてもらった情報です。

 

最近はクモといえば、

「セアカゴケグモに注意」

という警告があちこちで見受けられます。

このクモは海外では毒グモとして知られていて、たまに人が死んでいます。

そんな危ないヤツが日本国内でも発見されたというからさあ大変、というのが1995年のこと。

現在は茨城県内でも発見されています。

たいへんだー。

 

ところが、ですね。

 

今のところ、国内では死亡例は確認されていません。

それどころかどうやら、日本にいるセアカゴケグモは、海外のものよりは毒性が少ないのではないか、ということです。

先日の大学生によれば、

 

「あんまり神経質にならなくても大丈夫ですよー。

それよりも、カバキコマチグモの方が痛いです」

 

だそうで。

 

 

触る人はあまりいないでしょうが、一応ご注意を。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ193 ゲノム解析と分類学(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2017.11号

 

生物の分類のお話です。

 

中学校の理科の教科書を見ると、植物の分類では最初がコケ、次にシダ、と分かれていきます。

そして裸子植物、被子植物と続いて、次の分類が単子葉類と双子葉類、さらに離弁花と合弁花という順になっているはずです。

 

一方、動物の方は、無脊椎動物と脊椎動物、その先は魚類、両棲類、爬虫類、鳥類、哺乳類と分かれているはずです。

 

で、そのうち、動物の方はまだいいんです。

両棲類を両生類と書いたり爬虫類をハチュウ類と書いたり哺乳類をホニュウ類と書いたり昆虫をコンチュウと書いたりしている点は大変不満なのですが、まあ良しとします。

 

哺乳類をホニュウ類と書かせるんなら、鳥類はチョウ類で魚類はギョ類だろうが。

そう書いてみろよコラ。

なんてことを強く強くとっても強く思うのですが、まあ良しとします。

 

ちなみに、チョウと言えば分類屋さんにとっては甲殻類に属するコイやキンギョに付く寄生虫のことですが、まあ良しとします。

 

って言いながら、チョウで画像検索しても昆虫綱鱗翅目のバタフライばっかりで、寄生虫の方はちっとも出てこないんですけどね。

 

 

……チョウはいいとして、植物です。

 

ゲノム解析という言葉があります。

 

ゲノムとは、DNAの全配列のことです。

生物が持っているDNAには、使う部分(遺伝子)と使わない部分があります。

その使わない部分も全部含めて、どういう配列になっているのかを調べるのがゲノム解析です。

 

この解析によって、ゲノム配列が似ている種類は近い仲間、違いが多いと遠い仲間、ということがわかる他、どのくらい昔に種類が分かれたのか、ということもわかります。

 

そこからさらに、「AとBとCは別の種類」という程度だった分類が、「AとBが最初に分かれて、その後BからCが分かれた」ということまでわかります。

 

ゲノム解析は、最初はヒトから始まったのですが、色々な生物のゲノム解析をしていくうちに、そのデータから植物の分類を全て見直そう、という世界規模のプロジェクトが、1990年代から始まりました。

 

ゲノム解析の結果を整理するには、膨大なデータをコンピューターで計算する必要があります。

そのため、当時は世界中で

「あなたのコンピューターの使っていないリソースを貸してくれませんか」

という呼びかけのもとに、インターネットに繋がっているコンピューターを借りて計算する、なんてことも行われていました。

私もそんなソフトをダウンロードして、ささやかながらPCのリソースを貸していたものです。

 

そして、結果は1998年に一旦まとまったものの、2003年、2009年、2016年に改訂されて、その度に分類体系が少しずつ書き換えられています。

そのため、森林総合研究所勤務の植物屋さんは当時、

「しばらくは覚え直しですね。まだ全部覚えきれてないです」

なんて言っていました。

もしかしたら、今後もまだ変わるかもしれません。
 


昆虫の分類については、こちらに詳しい記事があります。


 

 

そしてその結果、理科の教科書とは少々合わない分類になってしまいました。

 

現在、小中学校の教科書では、被子植物はまず単子葉類と双子葉類に分かれて、次に双子葉類は離弁花類と合弁花類に分かれる、という順の分類になっています。

次図参照。

 

 

しかし現在の分類では、単子葉類と双子葉類の関係は、次の図のようになってます。

 

 

左から右へと種類が分かれてきたと考えてください。

次に添えた写真の通り、モクレンもスイレンも双子葉類です。

 

そこから単子葉が分かれたあとも、やはり双子葉類です。

つまり、双子葉類の一部の植物が単子葉類になったというだけで、まず最初に双子葉と単子葉に分かれた、というわけではありません。

 

これ、別にどっちでもいいような気がするかもしれません。

しかし、これは極端な話、「空を飛ぶ仲間」として鳥とチョウ(今度は虫の方ね)を一緒にするようなものです。

小学二年生以下にはこれでもいいのかもしれませんが、生物学としてはダメですよね。

 

この双子葉類のように、本来は二つ以上の系統になるものを合わせたものは「側系統」と呼ばれています。

それに対して、祖先を遡るとただ一種にたどり着くグループは「単系統」といいます。

現在の分類学の基本は単系統主義ですので、単子葉はともかく、「双子葉類」という呼び方は、すでに系統分類学的には使えない名称、という言い方もできます。

 

さらにはその次の、合弁花と離弁花という分け方も、やはり少々問題があります。

 

 

合弁花は、離弁花の進化した姿ということがわかっています。

しかしこちらも図の通り、側系統なのです。

様々な離弁花がそれぞれ合弁花へと進化してきただけですので、分類学的に二つに分けることはできません。

 

色々書きましたが、だから今の教科書はダメだとか言うつもりはありませんので一応。

単なる無駄な知識の提供でございます。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ191 乗り物酔い論(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2017.09号

 

車酔いの話です。

持論展開です。

 

多分、10年くらい前のことです。

運転免許センターで、ドライブシミュレータというものを体験したことがあります。

でっかい画面の前に座って、アクセルを踏むとその通りに画面が進んでいきます。

時々人や車が飛び出してくるので、ブレーキをかけたり回避したりしながら指定のルートを進むというものです。

 

酔いました。

いわゆる3D酔いというやつです。

めっちゃ気持ち悪くなって、最後までやっていられませんでした。

 

さて、その話自体はそこで終わりなのですが、その後何日か、ずっと考えていました。

 

どうして気持ち悪くなってしまったのか。

どうして乗り物酔いと同じ事が起こったのか。

この二つの共通点は何か。

 

インターネットでも探してみたのですが、当時のネット上にはそれを納得させる情報はありませんでした。

仕方が無いので、また自分で考えます。

 

で、行き着いた結論。

 

「乗り物酔いも3D酔いも、目から入る情報と、実際に体にかかるGにギャップが生じるために起こる」

(G=加速度)

 

つまりですね、例えば回転運動の場合。

 

普通ならば、体が回ると、体が回転を感じると同時に、周囲の景色も回るわけです。

しかし、目の前に広がる景色が動いていないのに体は回転を感じたり、

また逆に体は回転を感じていないのに目の前の景色が回ったりすると、気持ち悪くなってしまう、

……ということなのです。

 

バスに乗っている時ならば、

目の前に広がっている車内の風景は固定されているのに、体は加減速や回転を感じるから、車酔いをしてしまう

というわけですね。

 

しかし当時は、確認のためにネットを調べてみても、私と同じ考えはありませんでした。

 

さて、今。

 

ネット上を調べると、先述の俺説と同じようなこともチラホラと書いてあります。

世間が追いついたのか、当時から同じ説はあってもネット上に上がってなかっただけなのか、もしくは私がかつて、ネット上のどこかに書き込んだのが研究者の目に留まった?

 

……ってことはないか。

 

まあともかくも、私が10年前に考えたことは、どうやら間違ってはいなかったようです。

 

という理屈ですので、一般的な乗用車の場合は、前方の見えにくい後部座席の方が酔いやすくなります。

もちろん横は見えますが、横の流れる景色を見ていても、カーブの様子はわかりません。

ですから、時々見かけるアドバイスの「遠くの景色を眺めるなどすればよい」は多分、効き目が薄いと思います。

 

前方が見えにくいといえば、乗用車よりもバスの方が、バスよりも電車の方が、より見えません。

しかし実際には、電車よりもバスの方が酔いやすいように気がします。

何故か。

 

電車に乗った際に体に感じるのは、主に加減速ばかりです。

しかし自動車は、右左折時などに回転が度々加わるところが電車と決定的に違います。

自動車の方が酔いやすいのは、恐らくその差では無いかと思います。

 

というわけで、陸上の交通機関で一番酔いやすいのはバスである、と結論づけちゃうことにします。

まあ実際には、新幹線にも酔う人はいるのですが、乗る時間が長いとそれだけ酔いやすいからなのでしょう。

ですから、長距離乗らなければいけない観光バスともなると、運転手が下手なら最悪です。

 

特に、最近時々見かける、後ろの窓が無いバスの後部はヤバいです。

それで運転手が下手だったりした時には、100メートル走った時点で、正直言って降ろして欲しいと思いました。

 

そんな、何らかのハズレに乗ってしまってマジでヤバいと思った時。

とりあえず何の用意も無しにすぐに実行できるのは、「目を閉じる」ことでしょう。

 

結局、目と体のギャップを感じなければいいわけですから、目から情報を入れなければ、とりあえずは耐えられるようになります。

先に書いた、100メートルで窓を蹴破って飛び降りたくなったバスの時も、目を閉じてひたすら2時間耐えました。

あれはほんとヤバかったです。

もう帰らせてくれと思いました。

帰りのバスでしたが。

 

ただし、目を閉じたからといって「すっかり快適」とはなりません。

あくまで緊急用です。

というのも、目を閉じたとしても、バスの音や匂い、乗り心地、というものを、体が覚えてしまっているからです。

そのためなのか、それとも誰も思いつかないのかわかりませんが、ネットでざっと調べた限りでは、「気持ち悪いときは目を閉じろ」とは誰も提唱していないようです。

 

……というのも、乗り物酔いに関して書かれたほとんどのサイトが、酔い止めを販売している薬メーカーですので、もしかしたらあんまり簡単に対処できる方法は、知っていても載せていないのかもしれません。

 

あともう一つ。

こちらは理屈ではなくて経験的に覚えた方法として、「揺れに抵抗しない」というのもあります。

 

逆をやってみればわかります。

車の後部座席やバスに乗った時に、右に曲がる時には右に体を傾け、左に曲がる時には左に傾け、と、要するに遠心力に抵抗するように体を傾けていると、カーブが多い道では結構簡単に気持ち悪くなってきます。

ですから、右に曲がるときにはGに逆らわずに左へバターン、とかやっていれば、気持ち悪くなるのをまあまあ回避できます。

 

多分これは、頭の移動で景色が動くことで、感じるGを目で確認しているから、体感とのギャップが減るのでしょうね。

憶測ですけど。

 

ところで、我々は二次元空間を這いずって生きる生物です。

日常的に、前後左右の加減速や左右の旋回はよく体験しますが、上下動にはなかなか慣れません。

 

船酔いがクルマよりもヤバいのは、きっとそこに根本的な原因があると思います。

 

だから、エレベーターの動きも、本当はかなり危険なはずなんですよね。

普段、すぐに終わってしまうから平気なだけであって、これがもし、ドアが開かないまま連続で上がる・下がる・上がる・下がるという動きを繰り返し続けたら、きっと中にいる人は残らず滅びてしまうことでしょう。

(これ、悪い奴を捕まえるのに使えるかも)

 

逆に、上下の動きにも、もっと慣れてしまえば、きっと酔いにくくなります。

 

本当かわかりませんが、器械体操をしている人たちは、そういう動きに慣れているために酔いにくいなんて話も見ました。

これがもし本当なら、ブランコで限界まで高くこぐなんてことも、良いトレーニングになるかもしれませんね。

 

最近は、小学校ではブランコ立ちこぎ禁止とか言われちゃうらしいのですが、立ちこぎならば、より簡単に限界トレーニングができます。

実は、立ちこぎは正義だったのです。

 

……ブランコトレーニング説は、もちろんネット上にはありませんです。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ137 ベーコン(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2013.03号

 

先日、知人との雑談の中に、ベーコンは生で食べられるかという話が出てきました。

で、そもそもベーコンって何か?

薫製(くんせい)でいいのか?

ハムは?

ソーセージは?

という話になってしまったので、調べます。

 

まずベーコンからいきます。

ベーコンとは、

 

「豚肉の塩漬けの薫製」

 

が正解でした。

 

ちなみに、同じような製法で薫製しないもの、もしくは軽く薫製しただけのものをパンチェッタといいます。

ベーコンは汎世界的に好まれていますが、パンチェッタは基本的にイタリア料理に使われます。

 

さて、生食できるかどうかですが。

 

薫製されている以上、そのまま食べられるはずです。

薫製=加熱調理ですから。

ただ、普通はあんまり生で食べないですよね。

 

ベーコンの調理法について、色々と調べてみました。

とりあえず、日本語のサイトでベーコンサラダ、BLTサンドからベーコンアイスクリーム、ベーコンドーナッツ、チョコレートベーコンまで調べてみたのですが、生のままで食用にはしていないようですね。

スープに入れるとき以外は、炒めるのが原則のようです。

 

また、ニッポンハムにインタビューした記事によれば、ウインナーもベーコンも、別に生食してかまいませんよ、とのことです。

ですから、少なくとも日本ので加工されたベーコンに関しては、生食しても大丈夫かと思われます。

なんせ、世界一正確にモノを製造し、世界一法令を遵守する日本のメーカーが、世界一厳しいといわれる日本の食品基準を満たしているわけですから。

 

日本人以外の人たちはどうやって食べているのか、一応、海外のレシピ投稿サイトも見てみました。

が、ベーコンジャムとかベーコンフライドバナナとかベーコンブラウニーとかアップルベーコントマトスープとか見ていたら、何かもう、色々な事がどうでもよくなってきました。

 

「ベーコンとカニのパンプディング」のレシピに至っては、「シェフのコメント」として「母の日にお勧めですよ」なんてことまで書かれています。

何を言い出すのかと思って、調理動画まで見ちゃいましたよ。

細かくした食パンを、プリン液にひたして焼いたものをパンプディングというのですが、それを焼く前に、細かくして炒めたベーコンとカニを混ぜ込んでいました。

どんな味になるのか想像もつきません。

 

実は、アメリカやカナダには「ベーコンマニア」と呼ばれるベーコン好きが数多くいて、ベーコン集会を開いたり、オリジナルベーコン料理のレシピを発表したりしています。

さらに、ベーコン共和国を宣言したり、ベーコンのコスプレをしたり、ベーコンで作ったブラジャーを着けたり、ベーコンアートを作ったりと、こういう悪ノリを始めたら我々日本人にはかないません。

西洋人の独擅場(どくせんじょう)ですね。

 

このままではベーコンで話が終わってしまいますので、ハムに話を変えます。

 

実は、ハムは限りなくベーコンに近い食品です。

ベーコンを作るには主に豚バラ肉を使いますが、代わりに豚もも肉を使うのがハムです。

これを塊のまま塩漬けにしたのが生ハム(プロシュートなど)です。

生じゃないハムは、さらに薫製にしたあと、スチームやボイルをして仕上げます。

作り方はベーコンに似ているのですが、最後のボイルがある分、ベーコンほど薫製の風味は残っていません。

 

以上が、「本来のハム」の話です。

日本においては、もうちょっと加工の進んだプレスハムが一般的です。

大きさが統一されているハムは、基本的にみんなこれです。

豚肉以外に、卵、牛乳、大豆などから由来する蛋白を使って成形しているので、安く量産できます。

 

また、よく見かけるロースハムは、名前の通り豚ロースを使っていますので、本来のハム=豚もも肉という名称からは、すでに違うものになっていると言えます。

チキンハムや魚肉ハムに至っては、すでに豚肉でも無いわけですが、アメリカにも七面鳥ハムturkey hamというのがありますから、そんなに定義に神経質になる必要もないでしょう。

 

豚ももを使ったハムは、普通はボンレスハムと表記されています。

これは、骨付きのハムに対して、骨born無しlessのハムという意味です。

確かに……。

今まで全く気付いていませんでした。

 

塊の肉を使わずに、豚の挽肉を同じように加工したものがソーセージです。

いわゆる腸詰めという名の通り、本来は動物の腸に詰めてから薫製やボイルで加熱したものですが、現在では腸以外のものに詰められているものも多いようです。

 

ソーセージの中でも、羊の腸を使用したのがウインナーソーセージ、豚の腸ならフランクフルトソーセージ、牛の腸ならボローニアソーセージと呼ばれています。

上記の腸の太さはそれぞれ違うので、本物の腸を使わないソーセージも、細い(二〇ミリ未満)ものがウインナー、太め(二〇ミリから三六ミリ)がフランクフルト、もっと太い(三六ミリ以上)とボロニアと表記されています。

 

ここで、どうせなら本物の腸を使ったソーセージを選んでみたいところですが、原材料欄を見ても、残念ながらその違いはわかりません。

羊の腸を使っていることを売りにしている筑波ハムのウインナーも、肉っぽい原料は豚肉、豚脂肪だけでした。

原材料表示に関して、法律がどうなっているのかわかりませんが、今から食品衛生法を読破したくはありませんので、まあ仕方ないでしょうね。

 

ソーセージといえばドイツ料理のイメージが強いですが、腸に挽肉などを詰める加工法は、ドイツ以外でも世界中にあるようです。

西洋諸国以外でも、中国、タイ、モンゴル、朝鮮半島、台湾にも同様の加工法がありますので、そういう伝統料理を持っていない日本の方が、むしろ少数派なのかもしれません。

 

また、ソーセージと同様に腸詰めした挽肉を、乾燥熟成したものがサラミです。

 

サラミといえば強い香辛料のイメージがありますが、本来のサラミは豚挽肉に塩、ラード、ラム酒くらいしか混ぜられていないものだったようです。

 

ところで、この手の加工食品には、食品添加物がつきものです。

特に発色剤が好きではないので、基本的に我が家ではハム、ソーセージ類は滅多に買いません。

(完全禁止令を出しているわけではないので、パンに入っている場合や外食などでは許可しています)

 

ですが、上記の筑波ハムによりますと、発色剤にはいわゆる発色作用だけではなくて、食中毒防止効果や、ハム独特の発味、芳香を出す効果まであるのだそうです。

そうだったのか。

 

今度、筑波ハムに買いに行くか……

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 


おまけ その1

ここからは、ベーコン狂のキチガイっぷりをご覧ください。

 

メイプルベーコンのカップケーキ

 

ベーコンチョコチップクッキー

 

ベーコンチョコブラウニー

 

ベーコンワッフル

 

ベーコンチップドーナッツ

 

ベーコンサンデー

 

ベーコンバーボン

 

ベーコンマティーニ

 

ベーコンチーズバーガー

 

ベーコンキャンディー、ベーコンキャラメル、ベーコンロリポップ、ベーコンビーンズ、ベーコンミント、ベーコンガム、ベーコンソーダ、ベーコンシロップ、ベーコンクリームなどの通販サイト

 

ベーコンブラ

ベーコン風衣装

 

ベビーフードベーコン味

 

ベーコンキャンドル

(匂いだけかいでどうしようってんだろ?)

 

そして以下が、ベーコンアートの数々……

なのですが、これ、ほとんどがベーコンを巻き付けただけじゃね?

 

「bacon」で画像検索すると、まだまだ出てきますよ。

 


おまけ その2

ベーコンエクスプロージョンbacon explosionというものがありましてですね、

 

材料

薄切りベーコン……2ポンド(910g)

イタリアンソーセージ……2ポンド

バーベキューソース……1瓶

香辛料……適宜

 

1. ベーコンを編んで、生地を作ります。

2. その上にソーセージをばらまいて、バーベキューソースをかけます。

3. ベーコン生地でソーセージを包んで、フットボール大に丸く編み上げます。

4. 香辛料をふりかけて、一時間くらいかけて焼き上げたらできあがり。

5. 最低でも5000kcalはあるそうです。さあ召し上がれ。

 

ちなみに、アメリカ人の肥満率は世界でも突出しています。

あすなろ125 ご先祖様(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2012.03号

 

我が家では、よく市の図書館から本を借りてきます。

そしてたまに、手許に置いておきたい本を見つけると、後日買ってしまうことがあります。

 

先日も、たまたま借りた本を娘(三歳)がいたく気に入ってしまって、まあ買ってもいいかなというようなものだったので、買ってしまいました。

 

 

『ビジュアル版 戦国武将大百科』

 

東日本編、西日本編、合戦編の計三冊。

 

毎晩寝るときに、これは誰と言いながらページをめくっていたら、絵を見て「とよとみひでよし」とか「ちょうそかべ」とか言うようになってきました。

四月から幼稚園です。

 

……どうなっちゃうんでしょう、この人。

 

まあ、それはともかくとして、そのあたりの時代の話は、私も嫌いじゃないです。

 

さて、この本には、私のご先祖様関連とされている人が、二人掲載されています。

いや、別に先祖自慢をするつもりではありません。

こういう話が好きな人が少なくとも一人いるので、ネタを振ってみようかと。

 

ご先祖様のうちの一人は、朝倉義景です。

私の中学の教科書には、

「織田・徳川連合軍が、朝倉・浅井連合軍を姉川の戦いで破った」

と、一行だけ載っていました。

今はどうかわかりませんが。

 

朝倉義景は、越前の戦国大名です。

越前は、今の福井県です。

義景が当主となったころ、朝倉家は、それなり有力な守護大名でした。

しかしその後、義景はチャンスを何度も逃し、家臣に逃げられ、滅亡します。

今や、戦国武将マニアからは、無能の代表選手扱いです。

 

室町時代中期、応仁の乱が起こります。

その頃、8代将軍足利義政(銀閣の人)は「諸国の沙汰は力次第」なんてことを言って、各大名の他国侵略を公認にしてしまったために、徐々に各地に戦国大名と呼ばれる勢力が現れてきます。

越前朝倉家も、応仁の乱の最中に分家して興った守護大名でした。

 

その後は「将軍=お飾り」という時代が続くのですが、13代将軍足利義輝の活躍によって、一時的に幕府の権威が復活します。

しかし、義輝はなんと御所の襲撃を受けて討ち死にし、将軍不在となってしまいます。

もちろん、幕府の信用は完全に地に墜ちます。

 

このころ、後の15代将軍である足利義昭は、個人的に縁のあった朝倉家を頼って来ていて、義景に、共に戦おうとしきりに持ちかけます。

しかし、義景は都に上ろうとしなかったために、義昭はあきらめて去っていってしまいました。

その際、それまで義景の元にいた明智光秀までもが、義昭と共に去って行きました。

 

明智光秀といえば、信長を殺した残念な人というイメージがあるかもしれませんが、実際は頭の切れる、かなり有能な武将でした。

信長の信用も厚く、京と安土を結ぶ重要拠点を任されたのが、光秀だったのです。

 

義景の元を去った足利義昭は、その後、光秀によって信長を紹介されました。

ですから信長は、将軍をバックにつけて京に乗り込むことができたのです。

 

義景があそこで決断していれば、最初に上洛した武将は朝倉家だったのかもしれないのです。

 

その後も、信長と対立した義景は、たびたび信長と対峙します。

信長軍は、朝倉に対しては決して無敵ではありませんでした。

実際、二度ほど信長は朝倉の前に敗走し、信長を討ち取るチャンスがあったのです。

しかしその度に、取り逃がしたり行動が遅かったり人任せだったりして失敗。

信長包囲網を考えていた武田信玄や足利義昭からは、さんざん恨み言を書かれた手紙を送りつけられています。

 

あげく、姉川の戦いで敗れて拠点を取られた為に、軍力はあっても戦術的に不利になっていきます。

そうしているうちに武田信玄が病死すると、信長は武田の心配が無くなったので、全力で朝倉を攻めることができるようになります。

そして信長の猛攻の前に朝倉軍は壊滅し、義景とその直系の血族は滅亡しました。

 

しかしその際、越前から逃げ出した朝倉の一族は、各地に散っていったとのことです。

落ち武者伝説と言えば平家のものが有名ですが、朝倉の末裔伝説も、怪しいモノも含めて全国に相当数があるようです。

まあ、私の家に伝わる話も、そのうちの一つですけど。

 

私が聞いたところでは、ご先祖様は伊勢まで逃れたあと、海を渡って渥美半島に辿り着いて、そこで百姓をやっていたということです。

そして江戸時代は、代々庄屋になったり没落したりを繰り返したそうです。

庄屋時代に掘った溜池の一つは、私の子供の頃まで残っていたとのことです。

 

そういう伝承ですので、子供の頃に親に「ウチの先祖ってどんな人?」と聞いたら、「戦に負けて百姓をやってた」と言われた覚えがあります。

確かにそうなんですけどね。

 

しかし家系図があるわけではありませんので、あくまで「自称」です。

そもそも、越前朝倉氏の家紋は「三つ盛木瓜(みつもりもっこう)」ですが、我が家の家紋は「丸に井桁(いげた)」です。

普通は同じ家系では同系列の家紋を使いますから、ちょっと怪しいです。

強いて言えば、輪郭は似ていますけど。

 

 

ただ、茨城に住むようになってから偶然知り合った同郷出身の人が、この朝倉家の伝説について

「高校の同級生が同じような話をしてた」

なんてことを言っていました。

ということは、末裔伝説は我が家以外でも伝わっているということで、伝説の存在自体は本当のようです。

 

ちなみに、私の三代・四代前の位牌を見ると、周囲の朝倉家の位牌が普通の井桁紋である中、我が家だけが組井桁(井桁とは微妙に違う)となっています。

私が推測するに、ひいじいちゃんが位牌を作る際に、「組井桁の方がかっこいいじゃん」という理由でウチだけデザインが変わったのではないか、と。

 

まあ、伝統なんて大抵がそんなもんですよ。

 

最初の話に戻りますと、戦国武将のご先祖様のもう一人は、家康の忠臣、本多忠勝です。

これは私の祖母の家系です。

 

……その話は、またの機会にでも。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ114 三種の神器(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2011.04号

 

三種の神器(さんしゅのじんぎ)というものがあります。

「天皇の証」ともいえるもので、天皇家に代々伝わってきました。

 

三種の神器といえば、中学生なら社会の歴史で「戦後の高度成長期に云々」という電化製品を思い浮かべるかもしれませんが、こちらは天皇家の三種の神器になぞらえて呼ばれただけの物です。

 

これと同様に、元ネタを忘れかけられて使われる言葉は他にもあります。

例えば、四天王とは本来、帝釈天を守る毘沙門天、多聞天、増長天、広目天のことを指す言葉です。

しかしマンガなどでは、何かに秀でた人が四人いれば、すぐに「なんやら四天王」とかつけられちゃっています。

読者は本当の意味をわかっているんでしょうかねえ。

 

三種の神器は、鏡、勾玉、剣の三つの宝物の総称です。

それぞれ、

 

八咫鏡(やたのかがみ)

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

 

と呼ばれています。

これらはすべて、神話に登場するものが、現在まで伝わっているということになっています。

 

天の岩戸の話は、もちろんご存じかとおも……

 

一応紹介します。

 

まず、国産みによって日本列島を作ったのがイザナギ、イザナミの男女二神です。

しかしイザナミは火の神を産んだときに焼死してしまいますので、それを悲しんだイザナギは黄泉の国へとイザナミを取り戻しに行きます。

結局これは失敗してしまうのですが、現世に戻ったイザナギは、黄泉の国の穢れ(けがれ)を洗い流します。

その時、生まれ出でたのが天照大神(あまてらすおおみかみ)と月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)という三神です。

イザナギは、尊い神が生まれたと喜び、この三神にそれぞれ昼、夜、海を治めさせることにします。

 

しかし素戔嗚尊は仕事を全くせず、それどころか天照大神の神殿を荒らし始めます。

荒らすといっても機織りの邪魔をするとか糞尿をまき散らすとか馬の死体を投げ込むとかで、血で血を洗う西洋の神話などとは比べ物にならないのですが、ともかくそれに嫌気が差した天照大神は、洞窟に籠もって、入り口を大岩で塞いでしまいます。

 

天照大神は太陽神ですから、閉じこもってしまいますと現世は闇に包まれてしまいます。

入り口の岩戸はピッタリ閉まっていて開きません。

そこで、残された神達は一計を案じ、岩戸のすぐ前で楽しそうなバカ騒ぎをすることにします。

 

岩戸の奥に籠もった天照大神は、自分がいない割に外の世界が楽しそうなことを不思議に思い、そっと外を覗き見ます。

するとそこに見えたのは、用意された鏡に映った自分の姿でした。

天照大神は、自分のような太陽神が他にもいるのかと思い、それを確認しようともう少し開けたところで岩戸を開け放たれ、とりあえず一件落着ということになっています。

 

これが天の岩戸のお話。

 

一方、その責任から、天界を追放されて地上に降ろされた素戔嗚尊は、偶然行き着いた村に出没する怪蛇、八岐大蛇(やまたのおろち)を計略にて退治します。

そしてその尾を切り落とそうとすると、何か硬い物に当たって剣が欠けます。

見ると、尾の中には一振りの剣が見つかります。

この剣を天照大神に献上することで、素戔嗚尊は許されます。

 

以上の話で、

 

岩戸の前に置かれて天照大神の姿を映した鏡が八咫鏡

その鏡と一緒に掛けられていたのが八尺瓊勾玉

八岐大蛇の尾の中にあったのが天叢雲剣

 

なのです。

 

この三つは、天孫降臨の……

 

天孫降臨というのはですね、神の子孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上の人間を統(す)べるために、要するに地上に降りてくることです。

そしてこの三つは、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊に託されたもの、とされています。

それ以降、2000年以上の時を越えて、この現在まで伝わる物が三種の神器なのです。

 

神器は最初、全て宮中にありました。

しかし、八咫鏡はご神体そのものであるというところから、それを祀るための神社が建てられ、そちらに移管されます。

それが伊勢神宮で、過去も現在も、全国の神社の頂点にあります。

 

天叢雲剣も、宮中から伊勢神宮に納められるようになりましたが、大和朝廷が東国遠征をする際、日本武尊(やまとたけるのみこと)に、この剣を持たせます。

 

日本武尊はその道中、野火に囲まれた際、この剣にて草を切り払って、その難を逃れたということで、この剣は別名、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになりました。

しかし日本武尊はこの後、この剣を現地で結婚した姫に託したまま、山の神との戦いで命を落としてしまいます。

姫は、尾張の国に神社を建てて、この剣を祀ることにします。

それが名古屋の熱田神宮です。

 

一方、八尺瓊勾玉は、箱に収められたまま、常に天皇のそばにあったようです。

 

こうして伝わってきた宝物ですが、これだけ歴史が長いと、やはり存続の危機はありました。

その中でも特筆すべき事件は、平安末期の源平合戦の時のことです。

 

平家側は、親族でもある安徳天皇を連れて戦に出ていました。

安徳天皇は、当時八歳。

摂関政治のための、いいカモだったわけです。

 

源平最後の戦いである壇ノ浦の戦いでは、最後を悟った二位の尼が、安徳天皇を抱いたまま入水(じゅすい)します。

その時、この尼は三種の神器を持ったまま海に飛び込んだそうです。

しかし、箱に入った勾玉は水に浮いたために回収された、と言われています。

ここで、鏡も剣も一緒に沈んだとか、鏡だけは回収できたが剣は見つからなかったとか、剣は後に自ら浮かび上がったとか、色々な話がありますが、本当のところはわかりません。

 

しかし、この時代では既に、剣と鏡は共に、二つの神宮のご神体となっていたはずです。

したがって、実際に平家が壇ノ浦まで持ち運んだものがあったとしても、それは形代(かたしろ:儀式のために作られた複製品)だったのではないか、というのが私の考えです。

 

現在、これらの宝物は、天皇自身も見ることを許されてなく、「箱の中に入っている」ということしかわかりません。

 

江戸時代、熱田神宮の大宮司他数人が、こっそりと剣を見たところ、これを見たものは次々と死んだという話があり、最後に生き残った者が書いたという書物が今に伝わっています。

冷泉天皇は、勾玉の箱の紐を解いたところ、白い煙が出たためにとりやめたという話も残っています。

 

日本には、そんな物が公式に存在します。

 

私は、キリストの奇跡などの話を聞くと、その非科学っぷりに笑ってしまうのですが、日本も案外同じようなものなのかもしれません。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ22 グルタミン酸(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2003.08号

 

前回、アミノ酸飲料について、朝倉的解釈をさせていただきました。

ついでですので、もう一つ、有名アミノ酸について、私なりの考察を書いてみます。

 

加工食品の成分表示のなかに、かならずと云っていいほど登場するのが「調味料(アミノ酸等)」と「香料」です。

これが二つとも入っていない食品と云うのは、今や本当に希です。

基礎調味料である醤油にも「調味料(アミノ酸等)」が入っているものはありますし、ペットボトルのお茶にも香料が入っていることがあります。

 

ご存じの方も多いと思いますが、「調味料(アミノ酸等)」の正体は、主にグルタミン酸ナトリウム(MSG)と核酸などの混合物です。

簡単に云うと、「味の素」+αです。

化学調味料のことです。

一時期は、安全性についていろいろ云われていたこともあるようですが、現在では特に問題ないとされているようです。

 

安全性について、いろいろ調べてみました。

安全性に対する記述がある時には、大抵「危険派」の意見になるようです。

安全だと思っている人はわざわざ主張しないから、どうしてもそうなってしまうのでしょう。

しかし「買ってはいけない」の例(*)もありますので、安全性に関して討論しているウェブサイトを参考にしてみました。

*かつて、怪しい論理で危険性ばかりをあおって売れた本の名称です。

 


・危険派(問題提起)

 

①動物実験によれば、大量摂取により神経に異常がみられ、死に至ることもある。

 

②中華料理症候群~大量摂取した人たちに頭痛や舌のしびれが起こった~の例にある通り、
人体にも影響を及ぼす実例がある。

その他、アレルギーを示す実験の報告がある。

 

③アメリカでは現在、二ヶ月までの乳児に与えることを禁じられている。

妊婦に与えないほうがいいとしている病院もある。

この事からも、毒性をもつことがうかがわれる。


 


・安全派(反論)

 

①動物実験で使ったMSGの量は異常なほど大量(人間で云うと一度に一瓶より多い量)で、
方法も経口でなく皮下注射であるため、データとして全く使えない。

味の素一瓶を一度に皮下注射したら、どこかおかしくなって当たり前。

これとは別に、人間換算で一日あたり一瓶近くを、マウスに二年間毎日経口投与した実験もあるが、
こちらでは異常が認められなかった。

(マウスにとって、二年間はほぼ一生分)

もちろんMSGに限らず、どんなものでも過剰摂取すれば毒になる。

 

②状況を再現した実験をしてみたところ、結果にあまりにもばらつきがあり、
MSGが原因であるという結論を出すことができなかった。

また、「アレルギーを起こす場合がある=毒である」と云うのなら、蕎麦も卵も牛乳も毒と云わざるをえない。

蕎麦で死者はでるが、MSGで人が死んだとは聞かない。

 

③乳幼児は体各部の構成が未熟なため、月齢に応じて過剰摂取を控えた方がいいものがある。

乳児は脳関門が未熟で、グルタミン酸は脳内の神経伝達物質であるために、
脳に入りすぎるのは危険ではある。

しかし、母乳にもグルタミン酸は含まれており、一切摂ってはいけないものではない。

確かにそれを明記しない企業にも問題はあるかもしれないが、だからと云って毒扱いは短絡的すぎ。


 

はい。

結論が出たようです。

MSGは体に悪いものではない、らしいです。

安心してどんどん摂取しましょう。

 

 

 

じゃなくて。

 

 

 

実は、私は化学調味料の入った食品を食べると、少々喉の奥が腫れます。

どうやらアレルギーのようです。

しかし、昆布ダシの料理(天然のグルタミン酸入り)では何ともありません。

摂る量の違いなのか、天然物と化学調味料とは何かが違うのか、そのあたりはよくわかりませんが、「アミノ酸等」は、あまり積極的には食べないようにしています。

 

私がそうだから、と云うわけでもないのですが、自分の子供(0歳・2歳)には「アミノ酸等」と「香料」を極力与えないようにしています。

微妙な感覚が麻痺するのが恐ろしいからです。

香料は特にそうですが、要は味を「騙して」いるわけですよね。

もしくは、無理ににおいを「濃く」しているということでしょう。

 

塩分の多い食事になれてしまうと、薄味の料理の味がわからなくなってきます。

それと同じで、子供の頃から「きつい味」になれてしまうと、繊細な感覚がなくなってしまいそうな気がしています。

そういう意味では、麻薬的な要素もあるのかもしれません。

逆に、普段から摂らないようにしていると、入っていれば味でわかるようになります。

いつもこう有りたいと思っています。

 

かく云う私も、学生時代には化学調味料を大量摂取致しました。

単体では買ったことがないのですが、30食1080円也の安いラーメンを、毎日毎日食べ続けました。

きっとかなりの量の化学調味料を食べさせて頂いたことでしょう。

その結果が今のアレルギーなのかもしれません。

カミサンには、

「一生分のグルタミン酸を食べ終わってしまった人」

と云われています。

 

ついでに、缶コーヒーも一生分飲み終わってしまったらしいです。

以前の職場(肉体労働)では、一日に何本も飲んでいましたが、ある日を境に、突然、においが気持ち悪くなってしまいました。

それ以来、もうダメです。

 

要は、何でも摂りすぎは良くないよ、と。

 

それにしても、香料とアミノ酸等は、本当に何にでも入っています。

これを全部避けるのは至難の業と云えましょう。

それでも、意識して成分表示を見るようになれば、と思っています。

 

ところで、参考までに。

 

「無添加醤油」の成分表示に、「酵母エキス」とあったら、「精製前のグルタミン酸を入れたんだなあ」と思ってください。

法律上、精製前ならば「アミノ酸等」と表示しなくてもいいらしいんです。

 

世の中信用できないことが多くて困ります。

ほんと。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ39 日本語・茨城弁の発音(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2005.01号

 

子供に字の読み方を教えていると、時におもしろい発見があります。

 

外国の言葉って、日本語に比べて発音と表記にギャップを感じることがありますよね。

個人的には、まず思いつくのがフランス語。

自動車メーカーの「ルノー」は、フランス語で表記するとRenaultです。

読むと短いのに、書くと長いですよね。

確か、フランス語の単語は、最後の「t」や最初の「h」を読まないと聞いたことがあります。

日本人から見ると、なんだか効率が悪いような気がしませんか?

 

でも実は、日本語にも「読まない言葉」があったのです。

 

小さい子供に「カップ」をどう読ませますか?

「か・ぷ」

ですよね。

「っ」は、読んでいないことになります。

 

というと、

「カップとカプは違う」

と云われちゃいそうですが、英語では、カップ(cup)の正しい発音は

「カp」

です。

どうやら「っ」は、日本人が便宜上入れただけのようです。

そういえば、和語においては「ぱ行」の前は、原則として「っ」が入るような気がします。

こういうことから考えを発展させていくと、日本語における「っ」の法則なんてものが見つかるかもしれません。

 

もうちょっと、「表記と発音のギャップ」について書きましょうか。

 

英語では、文字で書くと

「How do you do?」

となるものも、実際には

「How dyudo?」

と発音しているようなものいくつかあります。

これと同じような例が、日本語にもあることに気がついてきました。

 

例えば、「明日」という言葉があります。

ひらがなで書くと

「あした」

です。

 

これを読むとき、ゆっくりと発音すると、たしかに

「a・shi・ta」

と発音しています。

 

しかし、実際の話し言葉では、このとおりには発音していません。

試しに、普通に話す速さで、普通に話すように口に出してみてください。

恐らく、

 

「ashta」

 

となり、真ん中の「し」は、ちゃんと発音されていないはずです。

つまり、母音のない子音だけの状態です。

 

この状態を、ここでは「あシた」と表記することにしましょう。

同様のものは、他にも見つかります。

茨城県立下妻一高は、こうやって発音しているはずです。

(かたかなは声を出さないで)

 

「イばらキけんりツ シもつまいチこう」

 

気がついた方もいらっしゃるかもしれませんが、これは「音便(おんびん)」です。

中学校で習う音便は、促音便(っ)、撥音便(ん)、イ音便、ウ音便の四つくらいだったような覚えがあります。

しかし日本語には、こういう「表記されない音便」もあるってことでしょう。

 

日本語の発音と云えば、これよりもよく出てくる話題が「鼻濁音(びだくおん)」です。

文節の中で、先頭にあるガ行と途中にあるガ行では、発音法が異なるというものです。

これ、ちゃんと発音できますか?

 

「トンガ」と発音してみましょう。

一音ずつ区切って発音した時の「ガ」と、普通にしゃべるように発音したときの「ガ」は、発音方法が違います。

わかりますでしょうか。

わからなければ、スピードいろいろ変えて声に出してみてください。

単音の「ガ」とは、違った声の出し方をしているはずです。

 

これが、鼻濁音です。

 

ガ行の音は、文節の先頭にある場合以外は、鼻濁音で発音するのが美しい日本語だと云われています。

(「うどう」は単音のゴだが、「けつう」は鼻濁音のゴ)

 

ぜひ、練習してみてください。

 

次は、アクセントの話です。

 

私は、愛知県出身です。

子供の頃から使っていた言葉は「三河弁(厳密には東三河弁)」です。

東京弁とは、どうしても多少のずれがあります。
(勘違いされている方もいらっしゃるかもしれませんが、東京弁や関東弁は標準語ではありません。)
すると、子供に本を読んであげているときに、アクセントについて迷うことがあります。

ウチのカミサン(神奈川→茨城)は私よりも東京弁が達者ですので、確認し合うことがありますが、それでも気がつきにくいものがあります。

 

例えば「紙」。

 

|     ・
関東では「かみ」と、「み」にアクセントがあります。

|      ・
三河弁でも「かみ」です。

 

これだけ見ると同じみたいですが、この先に助詞をつけると、違いが生じる場合があるのです。

見てください。

 

| ・ ・
|かみをおる。(東京弁)

 

| ・・・
|かみをおる。(三河弁)

 

故金田一京助氏の方法(下表参照)で分類すると、東京弁の「かみ」は「アクセント2」で、三河弁の「かみ」は「アクセント0」となります。
 



※注:
三河弁では「紙」は「アクセント0」ですが、「髪」は「アクセント2」です。
一方、東京弁では、「紙」と「髪」のアクセントは同じです。
つまり、三河弁では「かみを切る」の意味の使い分けができますが、東京弁ではできません。


 

しかし今回は、単なるアクセントではなく、「音の高さ」で考えたいと思います。
例えば、「しもつまし」は、金田一式でいくと「4」にあたるのですが、厳密には三音階を使っているはずです。

低い方から音の高さを1.2.……と名づけることにすると、「しもつまし」は「23331」となるのではないかと思います。

 

なぜ音階にしたかというと、茨城弁を表現しようとすると、三音階では済まないからです。
例えば、茨城弁で「あさくらくん、」と呼びかけるときには、「123451」となり、五音階使っていることがわかります。

私には、ここまで音階の豊かな地方は、他には思い付きません。

 

茨城弁と云えば、よく「アクセントがなく、平坦な発音」と揶揄されます。

しかし、音階は豊かなのです。

茨城弁を使える人は、このことを誇りに思ってください。

 

方言とは、その土地に生まれ育った人だけが使える、特権的な言葉です。
確かに、他の土地から来た人が、その土地の言葉に「染まる」ことはあります。

しかし純粋な方言は、恐らく一生マスターできないでしょう。
そういうものなのです。

また、一度手放すと、そう簡単には取り戻すことができません。

それが方言です。

 

せっかく話せる言葉なのですから、大事にして下さい。

お願いします。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

参考文献

明解国語辞典 改訂版(昭和二十七年)

あすなろ138 ネコヤナギ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2013.04号

 

塾の前のネコヤナギが満開です。

 

……と言うと、不思議そうな顔をする人がいるのですが、ネコヤナギも花が咲きます。

あの「ふわふわしっぽ」が花なのです。

 

「花らしくない花」といえば、他にはススキやトウモロコシ、マツなどがあります。

 

 

我々が花といえば普通、目立つ色の花びらのついたものを想像しますので、花びらが無いと、どうも花らしく感じません。

しかし、「花とは受粉を目的とする器官である」という定義からすれば、花びらが無くても、おしべ、めしべがあれば花なのです。

 

そもそも、花びらというのは何の為にあるのか、その目的は二つです。

 

一つは、虫から見て花の存在がよくわかること。

もう一つは、虫が花に寄ったときに足場になること。

つまり、虫に花粉を運ばせやすくする為なのです。

 

虫に花粉を運ばせる花のことを、虫媒花(ちゅうばいか)といいます。

それに対して、花粉を風に運ばせる花を風媒花(ふうばいか)といいます。

日本にはほとんどありませんが、鳥媒花というものもあります。

 

先に写真をあげた4種の花は、全て風媒花です。

ですから、虫に対して存在をアピールする必要がありませんので、花びらは必要ないのです。

風媒花には他にもスギ、イネなどがあります。

 

さて、ネコヤナギにも花びらがありません。

ですから、私も少し前まで、ネコヤナギも風媒花かと思っていたのですが、違いました。

ネコヤナギは、虫媒花です。

 

今年の春、塾の前にて、初めてそれを意識して観察しました。

すると、ちゃんと虫が寄ってきていました。

見る限りでは、ハナバチが3種類ほど来ていました。

 

ネコヤナギの「ふわふわ」は、沢山の花が集まったものです。

こういう形状の花は、一般に花穂(かすい)と呼ばれています。

 

花穂という言葉は、厳密には植物学用語では無いのですが、いわゆる穂となる花の総称として使われています。

先に挙げたススキやイネの他にも、ケイトウの花も花穂と呼ばれるそうです。

 

それはともかく、花びらが無い花は、いつ花が「開いた」のか、わかりにくいのが困ったものです。

私がこれまでネコヤナギに虫が来ているところを見なかったのは、一つには、「花が咲いている状態」を正確に把握していなかった、という理由がありました。

 

春になると、まず銀の穂が現れてきますが、あれはまだ「つぼみ」だったのです。

つぼみを眺めていても、虫が来ないわけです。

 

 

その後、気温が上がってきますと、ふわふわの毛の中から、赤いつぶつぶが立ち上がってきます。

これが葯(やく)で、これが開くと中から黄色い花粉が現れます。

葯が開いた状態を「開花」と解釈すべきなのでしょう。

実際、このように黄色くなった花めがけて虫が寄ってきています。

 

 

上側の画像の、赤い部分が開く前の葯、黄色い部分が開いた葯です。

 

面白いことに、花穂の中で開花する順序は、特に決まっていないようです。

一般的な花の場合、大抵は先端からとか根元からとかいう順序で開花されていくのですが、ネコヤナギの場合は、どうやら南側から順に開いていくようです。

開花のきっかけは、温度なのか明るさなのかはよくわかりません。

 

ネコヤナギの開花時期は、他の春の花よりも相当早めです。

このころは、他にはほとんど花が咲いていません。

ですからおそらく、花びらを用意しなくても、花粉の黄色を見せるだけで、冬の間飢えていた昆虫が集まってくるのでしょう。

ライバル不在だからこそできるワザだと言えます。

 

今、葯と花粉の話ばかりをしたのですが、塾のネコヤナギはオスの木ですので、雌花は咲きません。

ヤナギの仲間は雌雄異株(しゆういしゅ)と言って、オスの木とメスの木があります。

雄花の開花後は、花穂全部が丸ごと枝から取れて「散」り、実はできません。

 

ネコヤナギ以外のヤナギ類も、同じように花穂ができます。

もちろん、メスの木には実ができます。

種子には綿毛がついていて、風に吹かれて飛びます。

 

ヤナギの種子は柳絮(りゅうじょ)と呼ばれて、漢詩にはたびたび登場する言葉なのだそうです。

私は全く知りませんでした。

 

中国大陸においては、柳絮の綿毛が日本産のものよりも多い上に、ヤナギの木自体が多いので、春になるとすごい数の柳絮が飛ぶようです。

それが目や鼻に入って来るので呼吸するのも困難で、毎年大変らしいです。

 

 

彼の国では、春は季節風やら黄砂やら柳絮やらで、あんまり良い季節じゃないそうです。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ93 オオカミ、コウモリ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2009.07号

 

世間的に、ある固定的なイメージを持たれる動物がいます。

例えば、ライオンは百獣の王、ゾウは慈悲深い、キツネはずる賢い、カメはのろま、カラスは腹黒い、等々。

 

このイメージは、幼児向け絵本や児童文学において、登場キャラクターの性格付けをする際に、便利に使われています。

マンガや映画で、悪者は見るからに悪そうな容姿をしているのと同じですね。

怖い「人物」を用意するときに、普通はウサギを使いませんよね。

※ピーターラビットには「こわいわるいうさぎのおはなし」という話もありますけど。

 

さて、日本で「のろまな動物」といえばカメでしょうが、英語圏では普通、カタツムリです。

彼の国において、どうしてカタツムリがその代表を担うようになったのかは知りませんが、日本でカメがのろまだと言われるようになった理由はだいたい想像がつきます。

童話「うさぎとかめ」の影響でしょう。

「うさぎとかめ」の出典は、イソップ童話(もしくはイソップ寓話)です。

 

イソップ童話が作られたのは紀元前6世紀と言われていますが、日本に初めて伝わったのは、1593年のことでした。

その後、江戸時代に黄表紙(軽い娯楽本)などで『伊曾保物語』として何度も出版されていますので、「兎と亀」や「鼠の相談」のように、ほとんど日本の昔話のようになってしまった話もあります。

 

さて、そのような話が伝わったために、それまでに無かった悪いイメージがすっかり定着してしまった動物達がいます。

その代表格はオオカミでしょう。

 

最近、絵本「あらしのよるに」等で少々復権の兆しがありますが、基本的にオオカミは「悪者」のイメージです。

ですが、日本では古来より、オオカミに悪いイメージはありませんでした。

というよりもむしろ、神聖な動物だったようです。

 

日本では仏教の伝来以後、野生の獣を捕って食べることは(基本的には)ありませんでした。

従って鹿や兎などは、農作物を荒らすだけの、単なる困った存在でした。

 

そうなると、それを「駆除」してくれるオオカミなどの肉食獣は、田畑を守る「神獣」と見ることができるわけです。

このあたりは、各地で犬神として祀られていたり、オオカミを狛犬としている神社もあったりするところからもわかります。

また、オオカミの語源は「大神」だと言われています。

 

そもそも、日本のオオカミは中型の日本犬程度の大きさで、童話「赤ずきん」のように、人間を食べちゃうような動物ではありませんでした。

むしろ、山道では、周囲にオオカミがうろついている時の方が、イノシシよけになって安全だったのです。

 

 

ですが、牧畜を盛んにおこなっていた西洋人にとっては違いました。

オオカミというのは、大切な家畜を襲う害獣の典型だったからです。

そういえば、キツネも悪者にされることが多いですが、オオカミと同様の理由でしょうね。

家畜の敵は悪者なのでしょう。

 

ともあれ日本でも、江戸時代以降は、悪者のイメージが定着してしまったのでしょう。

いつの間にか日本のオオカミは、害獣として駆除の対象となってしまったようです。

 

さらに明治以降は、西洋犬とともに持ち込まれた伝染病が、オオカミの間に流行したことも追い打ちをかけたようです。

明治38年捕獲の記録を最後に、ニホンオオカミは絶滅してしまいました。

 

これもアメリカのリョコウバトと同じで、絶滅するとは当時全く考えられていませんでしたので、残っている写真などの資料はごくわずかです。

現存する剥製は世界に4体のみです。

 

また、北海道から樺太方面には、別種エゾオオカミが棲息していました。

こちらもやはり、アイヌからは神として扱われていました。

しかし明治以降、入植者によってエサのエゾジカが乱獲されたため、食糧不足となって牛馬を襲うようになります。

そこで、招聘されて牧畜の指導にあたっていた西洋人によって徹底的に駆除され、ニホンオオカミとほぼ時を同じくして絶滅しました。

 

さて、オオカミと同様に、西洋文化によってマイナスイメージへと逆転してしまった例として、コウモリがあります。

 

コウモリは漢字で『蝙蝠』と書きます。

古来より漢語では、この音が「偏福=福が偏って来る」に通じるということで、縁起のいい動物とされ、調度品などに描かれてきました。

この捉え方は周辺諸国にも伝わったため、東洋ではコウモリに悪いイメージはありませんでした。

日本でも、コウモリの糞が良質の肥料として利用されていたり、かわほり、蚊食鳥(かくいどり)と呼ばれて夏の季語だったり、いろいろと親しまれていたようです。

 

 

しかし、イソップ童話の「卑怯なコウモリ」が伝わったことにより、コウモリはどっちつかずの動物というイメージがつき、さらにヴァンパイヤの映画により、今では完全に忌避対象にまでなってしまっています。

 

特に、ヴァンパイヤのイメージが強烈なのですが、血液を食糧とする種類は、全世界でコウモリ約980種のうち、わずか3種類だけです。

しかもこの3種は、全て中南米に棲息していますので、西洋人にその存在が知れたのは、少なくとも、ピサロやコルテスによる中南米侵略があった16世紀以降でしょう。

 

しかも、コウモリとヴァンパイア伝説を組み合わせた「吸血鬼ドラキュラ」は、20世紀になってからの作品です。

コウモリ=吸血鬼というイメージが、いかに最近のものかがよくわかります。

 

しかし、WEBで「コウモリ」と検索すると、「コウモリ駆除なら……」の広告がわんさと出てきます。

都会にも棲息するアブラコウモリは虫食性で、カやガなどを食べます。

一晩で、500匹のカに相当する虫を食べるそうです。

コウモリが全くいなくなってしまったら、どれだけカが増えることになるのか、わかっているのでしょうか。

 

日本に棲息する哺乳類約100種のうち、コウモリは35種で、最大のグループです。

しかし、その多くは絶滅危惧種に指定されています。

わけもわからず、むやみに嫌うことは避けたいものですね。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ92 探査機はやぶさ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2009.06号

 

 

「はやぶさ」をご存じでしょうか。

 

2010年の地球帰還に向けて、現在火星と小惑星帯の間を周回中の惑星探査機です。

2005年、小惑星「イトカワ」に接近したときには話題になりましたが、世間的にはそれっきりで、その後のドラマはご存じないかもしれませんね。

 

ここで一枚、ネットで有名な画像をあげておきます。

 

 

何でもかんでも「擬人化」してしまうのは最近のネット人達の悪い癖ですが、とにかくこれがまさに「はやぶさ」の現況です。

 

「はやぶさ」は、2003年五月に打ち上げられました。

ソーラーパネルを広げると翼端で5.7mありますが、本体のサイズは1.5m×1.5m×1.5mしかありません。

これが、火星と木星の間を回る小惑星のサンプルを採取して、再び地球に戻ってくる、という計画です。

当初は2007年に戻ってくる予定でしたが、計画変更により延期中です。

 

これまでにも、火星探査機や木星探査機がNASAなどによって打ち上げられています。

しかし、ミッションは画像データを送るところまでで、本体は回収しないのが普通でした。

戻ってくるためには、単純に倍の燃料を必要とするわけですから、大変なのです。

(さらに付け加えると、日本の宇宙開発関連は、諸外国から見ると気持ち悪いくらいの低予算でやっています。

実はこれが一番すごかったり)

 

これを実現したのは、イオンエンジンの本格実用化でした。

イオンエンジンの実験自体は’60年代からあったのですが、2000年前後から長期運転に耐えられるような仕様へと開発が進んできました。

 

イオンエンジンとは、イオンの持つ電荷を利用して加速するものです。イオン化された推進剤を電界の中に放出すると、イオンの電荷により加速運動を始めます。機体は、このとき各イオンが得た運動量の総和と同じ大きさで逆向きの運動量を得ます。すなわち、イオンの加速の反作用により機体が加速するという原理です。イオン源の反対側にある電極はグリッド状になっていて、ここを通過したイオン流は中和器により電気的に中性となって放出されます。中和器はイオンと等量の電子を放出していて、

 

……いいですよね、もう。

 

要するに、燃料の重さに対する推進力の大きさが、化学エンジン(いわゆる普通のロケットエンジン)よりも高効率(10倍以上)なのです。

ただし、真空中でしか使えません。

 

さて、地球を離れた「はやぶさ」が出発して半年後、太陽に、観測史上最大のフレアが発生します。

これによって強烈な電磁波が吹き荒れたため、早くも「はやぶさ」の太陽電池の一部がぶっこわれます。

が、ミッション遂行に支障はないと判断されました。

 

発射から1年後、地球によるスイングバイ(重力を利用する加速方法)が成功。

ここから地球軌道を離れて、小惑星帯に向かいます。

 

さらに1年2ヶ月後の2005年7月、「イトカワ」を「発見」して、軌道計算を改めて開始します。

8月、姿勢制御のために3つあるリアクションホイールの1つが故障。

三次元空間では通常、x軸y軸z軸の3つで位置を決めますが、1つの故障は想定内だったために計画続行。

そして9月、イトカワから20kmの距離に静止(相対速度0.25mm/sec)することに無事成功しました。

日本の機器が他天体に相対停止したのは初めてです。

ここまで2年2ヶ月、20億kmの旅でした。

 

10月、リアクションホイールがもう1つ故障したため、化学エンジンで対処。

4週間後、地球に帰るための燃料を残す方法を見つけ出して計画続行。

 

11月4・9・12日、イトカワ着陸リハーサル。

11月20日、着陸及び離陸成功。

小惑星上では世界初でした。

 

11月26日、再着陸。

サンプル採取用の弾丸発射後離陸。

この2度の着陸により、サンプルが採取された可能性が高いです。

 

離陸時、化学エンジンの燃料漏れ発生。

弁閉鎖によって漏れは止まりますが、姿勢が大きく乱れます。

これによる温度変化の影響によって電気系統のトラブルも発生。

 

12月4日、イオンエンジンの燃料を直接噴出することで姿勢制御成功。

 

12月8日、再度燃料漏れで姿勢制御不能。

 

交信途絶。

 

 

 

 

 

 

 

1月23日、はやぶさからの脆弱な電波を受信。

1月26日から徐々に来るようになってきた返答によると、電源は、一度完全に落ちていたようです。

バッテリも放電しきった状態で、かつバッテリの一部は使用不能。

化学エンジンの燃料は全量喪失。

ただ、イオンエンジン用の燃料は無事でした。

 

その後、この燃料を噴出したりプログラムを書き換えたりして、徐々に姿勢が回復。

同時に交信状態も回復していき、3月6日、実に3ヶ月ぶりに、ようやく正確な位置がわかりました。

この時、イトカワからは12000kmも離れていて、地球からは3億kmの距離でした。

ここからはやぶさは、地球に向けて帰還をようやく開始したのです。

 

その後、イオンエンジンの無事も確認できました。

順調に進めば、来年(2010年)6月に帰ってくるでしょう。

そして地球に向けて、試料の入ったと思われる耐熱カプセルを放出した後、本体は大気圏で燃え尽きる予定です。

 

……6年かけた「はじめてのおつかい」は、これでようやく終了する予定です。

 

さてここで、また新たなミッションが持ち上がりました。

 

今年(2009年)の3月、小惑星が地球をかすめていったことはご存じでしょうか。

国内では、そういった天体の予測システムが無かったため、その構築が急務となっていました。

 

そしてその測定実験の対象として、今後実際に地球を「直撃」するはやぶさが使われることとなりました。

これが本当に、最期のご奉公となります。

 

現在、6月28日(水)まで、日立市の日立シビックセンター天球劇場にて、「全天周映像HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を上映中だそうです。

全国どこでも見られるというものではありませんので、茨城県民は大変ラッキーです。

私は見に行きますよ。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 


追記

見に行きました。

マジで感動しました。

カミサンも眼を赤くしていました。

これだけのために日立まで行った甲斐がありました。

あすなろ98 ダストトレイル(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2009.12号

 

ここ最近、マスコミニュースで、天文ネタが取り上げられることが多くなった気がします。

テレビの天気予報がバラエティー化して、各局で視聴率を競うようになってから、天気予報のついでにそんなことを言うようになったのかなあなんて思っていますけど、テレビを見ない私はよくわかりません。

ただ、比較的星好きな私としては、まあ悪い気はしていません。

 

今年になってからは、7月の皆既日食に加えて、流星群が2回ほど話題にあがったみたいです。

2年前には、水星の太陽面通過(太陽の手前を水星が通過)なんていう、普通の人は言葉すら知らんだろというような話題を、カミサンはラジオで聞いたらしいですね。

 

 

どうやら、私が高校で天文気象部の部長をやっていた頃より、マスコミに乗る情報の量が、確実にあがっているようです。

 

ただその一方で、現在無人で宇宙空間を航行中小惑星探査機はやぶさが、

「故障して停止していた2台のエンジンから、正常に使える部品だけを電子回路で繋いで、1台分の推力を出すことに成功したニュース」

なんてものは、全くマスコミで取り上げられていませんね。(*)

 

予め、あらゆる事態を想定して、電子回路でエンジン間をつないでいたらしいのですが、それでも考えてみてください。

月よりも遙かに遠い位置にある探査機を、遠隔操作だけで部品を回路を繋ぎ直して、機能を復帰させてしまうんですよ。

 

これ、SF作家でも思いつかないようなすごい技術なんですけど、世間の人達は全く興味がないのでしょうか。

 

まあ、それはよしとして。

 

ここ最近で、流星群が話題にあがるようになったのは、もう一つ要因があるかもしれません。

それが、ダスト・トレイル理論です。

 

1999年、ヨーロッパにおけるしし座流星群において、流星雨の出現を「予言」し、見事に的中させた天文学者がいました。

その後、2001年には、日本におけるしし座流星群で、またもや大出現を的中させました。

この時に有名になったのが、ダストトレイル理論です。

 

ダストトレイルとは、彗星が通過したときに残る、塵(ちり)の帯のことです。

 

彗星は、主に氷の塊でできています。

(最近確認できました)

これが太陽に近づくと、「太陽風」に吹かれて表面の氷が溶け出して、あたりに粒子をまき散らしながら軌道を通過していきます。

この粒子は、その後もその軌道を回り続けるため、ここに地球の軌道が重なったときには、きっと大量の流星が見られるはずだ、という理論です。

 

この理論が発表された当時は、ダストトレイルというもの自体が存在するかさえわからないものでしたが、2002年には撮影によって、その存在が確認されています。

 

先に書いた2001年のしし座流星群とは、あの大流星雨のことです。

 

この頃はまだ、ダストトレイル理論が半信半疑だったので、天文年鑑には極大時のHR(1時間あたりの流星観測数)が、確か20個程度の数字だった気がします。

それでも流星群としては多めなのですが。

ですが、

「理論が正しければ、HR1000を超す可能性がある」

と書いてあって、それを知ったマスコミも騒ぐし、結果としてはすばらしいものを見ることができて感激しました。

 

私が見た夜半過ぎでもHR2~3000くらいは観測できましたし、明け方あたりではHR5000までいったらしいです。

高校の頃のハレー彗星は、日程と天候が合わなくて、ろくな観測ができませんでしたので、ようやくそのリベンジを果たしたような気がしたものです。

 

実は、つい先日も、このダストトレイルを通過する際の流星群が来るよーという話があったのですが、日本では時間的に、あまりよく見られなかったようです。

 

しかし今年の流星群といえば、まだ12月14日にふたご座α流星群があります。

「ふたご座α」というのは、ふたご座の中で最も明るい星(=α星・アルファせい)であるカストルのことです。

これは、この流星の輻射点(ふくしゃてん)の位置を示しています。

 

 

流星群は、だいたいどちらの方向から飛んでくるかがわかっています。

その中心点のことを、輻射点(又は放射点)と呼びます。

 

今年のこの流星群は、HR50が予測されています。

これは、毎年お盆にやってくるペルセウス座流星群に匹敵する数です。

しかもこの日は新月に近いので、ほぼ一晩中、好条件で見られるはずです。

あとは、天気次第ですけどね。

 

流星群の前に付いている名前は、全てこの輻射点のある星座のことです。

先に挙げたしし座流星群はしし座の方から来ますし、ペルセウス座流星群は、ペルセウス座の方向から飛んできます。

 

ところが実際には、輻射点から少し外れた位置を見ている方が、よく見ることができます。

もちろん、数を多く見られるのは輻射点近辺ですが、輻射点に近ければ近いほど、飛んでくる角度が自分に向かうようになりますから、尾が短くなってしまうのです。

むしろ、少しずれた位置を見る方が、尾の長い流星を見ることができます。

こんな感じ↓で。

 

また、全天を見たときに、普通は天頂付近が一番暗くなっています。

従って、我々シロートが肉眼で流星観測をするときには、天頂付近を探すのが一番いい、と思われます。

 

星図盤を一枚、塾に置いておきます。

よろしければ、天気のいい夜にでもお使い下さい。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 

*追記2018.04

これを書いた当時、「はやぶさ」は本当にマイナーな存在でしたが、その後日本中に注目されたのはご存じの通りです。

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