2018年4月

あすなろ88 地球温暖化(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2009.02号

 

遂に、下妻まで来てしまいました。

 

下妻市内のスーパーでも、レジ袋無料配布をやめるみたいですね。

エコとか言いながら安っぽいバッグを売っていますけど、どう見ても単なる新商法です。

周囲の同業者と結託して始めるあたりに、競争原理に反する胡散臭さが、どうにも消えないわけですが。

 

つくば市内では、昨年からこれが始まっています。

私の実家の親によると、愛知県の方でも、すでに同様の状況らしいです。

 

先にお断りしておきますが、私は「省エネ」自体は否定しません。

有限のエネルギーを有効に使うという方針には、賛同します。

しかし、その方便として使われるエコという言葉が嫌いなだけです。

エコじゃなくてエゴだろ、と常々思っています。

ええ偏屈ですみません。

 


ちなみに、Ecological Biologyとは「生態学」です。

「環境生物学」はEnvironmental Biologyです。

もうその時点で違うだろ、と思うわけでして。


 

さて、今やテストでも頻出問題となっている「地球温暖化」ですが、よく言われている

 

「地球の温暖化は、人間の排出する二酸化炭素のせいだ」

 

って、本当のところ、どうなんでしょう?

どう思います?

そのあたりの理屈について、調べてみたことがありますか?

 

さらには

 

「最近の異常気象は温暖化のせいだ」

「南極の氷は溶ける一方だ」

「近い将来、平野の大半は海に沈む」

 

等々、全部が全部、本当のことなのでしょうか?

 

(以下、「二酸化炭素」は「CO2」に統一します)

 

少し理屈を確認してみましょう。

だいたい、


①近年は大気中のCO2濃度が急増中

②CO2は温室効果をもつ気体である

③近年は地球の平均気温が上昇中

④つまり、人間の出すCO2が増えたためだ


……とまあ、こんな風に聞いていますよね。

 

私の調べた限り、①は事実のようです。

②も③も、事実であることを裏付けるデータが揃っています。

じゃあ④もいいじゃねえか、と思うかもしれませんが、お待ちください。

 

ここでは、実は重要な要素がいくつか伏せてあるのです。

 

まず、温室効果についての話です。

 

確かに、CO2には温室効果があります。

しかし、温室効果のある気体は、CO2しか無いというわけではありません。

 

結論を言いますと、地球上の温室効果のほとんどは、水蒸気が担っています。

ある計算によると、地球大気の温室効果の95%が水蒸気によるものです。

一方、CO2による温室効果は0.054%です。

この100年でCO2は35%増えましたので、大気の温室効果は0.0189%上昇したことになります。

こりゃ大変だ。

 

次。

地球の気温上昇について。

 

地球の気温は、確かに上昇しています。

具体的には、西暦1900年ごろと比較すると、現在は平均気温が約1℃高くなっています。

そのデータをもって「このままでは」という論法が温暖化派の常套手段なのですが、彼らはその前の気温の事を触れようとしません。

 

実は、現在の気温は、約1000年前と同じくらいなのです。

いやむしろ、1000年前の方が、まだわずかに高かったというデータもあります。

 

しかしそれを言うと、

「気温そのものではなくて上昇ペースの問題だ」

という反論が必ず返ってきます。

しかしその時に出すデータは、必ず過去データとは比較できないような短期的な変化です。

(1000年単位の過去の気温は、樹木の年輪や貝殻、花粉などから算出するため、あまり精密な変化は測定しきれない)

昔と比べる以上は、昔と同じ精度でデータを語るべき、つまり1000年単位の話をすべきなのに、何故か「肯定派」はそういうことをしません。

 

データといえば、こんなものもあります。

 

実は1940年ごろから1975年ごろまで、地球の気温は下がり続けていました。

当時は、北極の氷が増え続け、氷河は延び、「このままでは氷河期が来る」といわれていたのです。

そして現在、そのころと比べて減った、つまり、それ以前の状態に戻った氷河や流氷を指して、「地球温暖化」とか騒ぐのがマスコミの仕事です。

もちろん、当時は寒冷化と大騒ぎしていたことは絶対に言いません。

 

逆に、地球温暖化の否定派は、その時代の気温下降に異常にこだわります。

「CO2が増えているのに気温が下がっているよな」と。

 

共に、都合のいいデータしか使いません。

 

氷河といえば、南極の氷河が海面に崩れ落ちる映像をよく見ます。

しかしあれは、平均気温とは全く関係ありません。

単なる春の訪れであって、毎年必ず見られる風物詩です。

春の雪解けの写真を見せて「温暖化!」と言っているみたいなものです。

 

ついでに南極の氷の話をしましょうか。

 

南極の氷が溶けると海面が云々といいますが、大丈夫。

溶けません。

地球温暖化を国際的に宣伝しているIPCCですら、

「気温が上がると南極の氷は増加する」

と言っています。

周囲の海水の表面温度が上がると雲が増え、雪となって積もった氷は増えるのです。

溶けたらどうなるという心配は、全く無用です。

 

ついでにいうと、北極の氷は溶けても海水面は上昇しません。

アルキメデスの原理といいます。

 

では、温暖化によって沈みつつあると言われているツバルはどうなのか。

 

あそこは、珊瑚礁に土を盛って埋め立てた土地です。

戦時中、米軍が飛行場を作るために埋め立てました。

ところが珊瑚は、土に覆われると増えなくなります。

その結果、徐々に崩れてきたのが今の状態です。

あれは海面上昇ではなく、地盤沈下なのです。

 

100年で海面が17cm上昇している、という話もあるのですが、あくまで陸地に対する潮位(満潮と干潮の位置)を測定した記録です。

地盤沈下がある場所でのデータだとしたら、全く意味がありません。

ただ今では、衛星による正確な海水面のデータもあります。

こちらは潮位と違って正確な数値が出ているのですが、ここ10年余りのものしかありません。

つまり、海水面が上がっているかどうかは、まだ結論を出せないはずなのです。

 

そんなことよりも、一番の大前提である

 

「CO2増加→気温上昇」

 

は本当でしょうか。

 

氷床コアを調べると、気温とCO2の増減がわかります。

それによると、気温が上昇したその数百年後に、CO2が増加していることがわかります。

さらに、気温が下降して数百年後に、CO2が減少していることがわかります。

これまで何度調査しても、必ず「気温→CO2」なのです。

はい、逆ですね。

 

理屈は簡単です。

気体は液体に対して、温度が高い方が溶けにくく、温度が低い方が多く溶けます。

また、小学校の時には「地温が上がってから気温が上がる」と習ったかもしれませんが、水温はそれよりもさらに遅れて変化します。

 

つまり、

 

気温が上昇して海水温が上昇すると、海水に溶けていたCO2のうち、溶けきれなくなった分が空気中に放出される。

気温が下降して海水温も下降すると、CO2がより多く海水に溶けるために、空気中のCO2が減少する。

 

ということなのです。

 

気温のエネルギーは、その由来はほとんどが太陽です。

太陽の放射量の変化は、黒点の量によって推測できる上に、黒点は昔から観察記録が残っています。

それと平均気温の上下を照らし合わせると、これがなかなかいい感じに一致しちゃいます。

ただあくまで過去100年だけの話ですので、結論とはしませんが。

 

まだあるのですが、現状はだいたいそんな感じですよ。

また、「将来の気温シミュレータ」は、データの入力次第でいくらでも結果は変わります。

その上、水蒸気と雲による影響は、計算しきれないので無視しています

 

そうそう。

マラリアは、かつてソ連から北極圏にかけて大流行したことのある病気です。

「気温が上がるとマラリアが来る」も嘘ですよー。

 

ドラッグストア関係では、まだレジ袋を配っています。

その袋にでっかく「エコバッグ」と書いてスーパーに買い物に行く強者を募集中。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ161 家畜(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2015.03号

 

新年明けましてしばらく経ちますが、頭の中が中々切り替わりません。

昨年は10月頃まで今年は何年だっけと迷うことがありましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

ひつじ年です。

 

一般にヒツジといえば、羊毛を取るための「綿羊」のことを想像されるかと思われます。

私も同様です。

 

しかしこれは、完全な家畜として品種改良されたものです。

ブタやウシと同じですね。

 

漢字では、美・義・翔・善など、「羊」を部首として使ったものが数多くあります。

このことからも、中国には古代からヒツジがいたことがよくわかります。

さらに、漢字の由来を調べていきますと、ヒツジは神への捧げ物として使われていたようです。

もしかしたら、漢字が作られた頃にはすでに、家畜として飼育されていたかもしれません。

 

そんなヒツジですから、野生のヒツジなんてものは野生のヒトコブラクダみたいに、既にいないものかと思っていたのですが、ちゃんと現存するのですね。

ヒツジの原種、つまり野生種は、こんなんだと言われています。

 

上がムフロン、下がアルガリという種類です。

 

あれ?

君たち、なんだか超かっこよくないですか?

毛も普通にストレートヘアですし、角もでっかいし。

 

ちなみにこちらが普通の家畜ヒツジ。

上がメリノ種、下がサフォーク種です。

 

ああこれこれ。

ヒツジと言ったらこれですよ。

野生のヒツジからは、ずいぶんと変わったものですね。

 

ヒツジが家畜として飼育された痕跡は、古代メソポタミアの紀元前7000~6000年頃の遺跡が、最古のものとされています。

つまり、人類がヒツジを家畜にしてから、少なくとも8000年から9000年経っているということになります。

すごいですね。

 

ウシも、ヒツジ同様に漢字で部首になっていますが、こちらの家畜化は紀元前6000~5000年頃ということですので、ヒツジよりも1000年ほど新しいようです。

これは、ウシの原種がヒツジよりも大きく凶暴で、飼い馴らすまでには手間がかかったから、と考えられています。

 

なお、ヤギは、人類の家畜としてはヒツジよりももう少し古い歴史があるということです。

しかし漢字で書くとヤギは「山羊」、つまり、まずヒツジありきの命名ですので、アジアでは、家畜化されたのはヒツジが先だったのかもしれません。

 

あと、今では家畜と言っていいのかどうかわかりませんが、ネコもなかなか古くから、人類にとって身近な存在でした。

こちらは9500年前の遺跡において、人間と共に埋葬された跡が発掘されています。

こちらは、農耕を始めた人類が、貯蔵した穀物をネズミの被害から守るために、村に入ってきたネコを保護し始めたことがきっかけのようです。

 

しかし、なんと言っても人間と付き合いが長いのは、やはりイヌです。

 

イヌの原種はオオカミと言われています。

 

元々は、人間の食べ残しを拾うためになんとなく近づいてきたオオカミが、そのうちに一緒に暮らすようになったのがイヌだ、なんて言われています。

 

ただ、オオカミの一部がイヌという家畜になったのか、それともオオカミとは別のイヌという動物が全て家畜化されたのか、そのあたりはよくわかっていません。

 

1万2000年前の遺跡では、子犬に手をかけた姿で埋葬された女性が見つかっています。

つまり少なくともこの頃には、イエイヌという種類の動物が、人間と密着した生活をしていたことがわかっています。

 

さらに遡る、3万年以上前の遺跡でイヌと思われる骨が発見された例もあります。

最近流行の遺伝子解析では

「イヌのDNAの塩基配列に見られる変異が、1匹のオオカミのみに由来する場合(単系統)は、イヌの家畜化は約4万年前」

「複数のオオカミがイヌの系統に関わっている場合(他系統)は、約1万5000年前」

という報告もありますので、もしかしたらもっと古いのかもしれせん。

 

また、イヌの登場と同じ頃、人類の狩猟道具が石斧からヤジリに変化しているところから、

「人類は、イヌとの出会いによって狩猟方法が変わったのかもしれない」

という説まであるようです。

 

ところで、先にも少し書いたとおり、ウシやヒツジなどは、最初は凶暴な野生動物を無理に囲っていたはずなのですが、今ではすっかりおとなしい動物です。

イヌとオオカミも、随分と性格が違います。

そこで、オオカミはどうやってイヌとなっていたのか、そのプロセスを見つけようという研究が、ロシアでもう50年以上も続けられています。

 

研究では、素材にギンギツネが選ばれました。

キツネはイヌに比較的近いことと、家畜化されていないことが理由です。

 

まず、毛皮用に飼育されていたキツネの中から、おとなしそうな個体130頭を買ってきて交配します。

そして、その子供の中から、比較的おとなしそうな個体を集めて交配、という繰り返しをしていきます。

言葉で書くと簡単ですが、キツネが成獣になるまで1年かかりますので、非常に気の長い実験です。

 

すると、4世代目に、人間を見てしっぽを振るキツネが現れました。

9世代目の頃には、耳が垂れた子ギツネが誕生して、まだら模様のキツネも現れてきました。

そしてこの頃は、人間に対して甘えてクンクン鳴くようになっていました。

さらに何世代かあとでは、ひもを付けずに散歩しても、呼べば戻ってくるような個体まで現れました。

50世代目になると、85%の個体が人間に「甘噛み」をするようになりました。

つまり、「イヌ化」してきたわけです。

 

逆の実験も行っています。

 

人間に対して攻撃的な個体ばかりを交配していったらどうなるか。

その結果登場した攻撃的なキツネは、子供の頃から人に馴れたメスに育てられても、やはり人間に攻撃的に育つそうです。

ここから、行動を左右するのは、遺伝子の力が大きいのではないかと見られています。

 

それはそうと、我が家の庭に、まれにタヌキが現れます。

その度に、ああタヌキを飼い馴らしてみたいなあと思うわけです。

ということはつまり、まず130頭集めて……。

 

うん、無理っぽいですね。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ175 アブラナ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2016.05号

 

五月です。

 

春の花といえば桜でしょうが、桜が散っても春はまだ続きます。

虫好きの私にとっては、五月にカマキリが孵化するまでは、まだ本格的な春は始まっていません。

または、望遠鏡を立てようにも風が強すぎるわ黄砂で空は霞むわ屋上は寒いわで、天文部がグダグダと落書きばっかりしつつ過ごす毎日が来てこそ、春本番といえましょう。

 

この時期の花として、今回は菜の花を取り上げてみようと思います。

 

菜の花は、ご存じかと思いますが和名をアブラナといいます。

小学校でもそう習います。

 

ところが、その辺の畑の脇や河川敷に咲いている菜の花は、よく見るとアブラナばかりとは限らない上、アブラナにも種類があることは、あまり知られていないと思います。

(地域によって違いはあると思います)

 

私が実際に見かけたのは、セイヨウアブラナ、アブラナ、カラシナの三種です。

詳しい人が見れば、まだ他にもあるかもしれません。

 

一番簡単に区別できるのは、カラシナです。

葉の付き方で見分けられます。

 

これだけだと、なんだ全然違うじゃんと思うかもしれませんが、野に生えている状態だとこれがまたそっくりなんですよね。

そんなのが、同じ河川敷にあっちがアブラナ、こっちがカラシナというように混在しています。

 

そして、そのアブラナの方にも二種類のものがあります。

それが先に挙げた「アブラナ」と「セイヨウアブラナ」です。

話を進める上で紛らわしいので、ここでは「アブラナ」を仮に「在来種」と呼ぶことにします。

 

一番わかりやすい区別点は、種子の色です。

セイヨウアブラナは黒い種、在来種は赤い種(黄褐色)をつけます。

 

ただ、今の時期はまだ種子が熟していないので区別できません。

そんなときは、花の萼片(がくへん)の開き具合で見分けます。

 

ちょっとわかりにくいのですが、セイヨウアブラナは、萼があまり開いていません。

花が開ききった状態では、萼の先端は花弁(花びら)よりも上に突き出ています。

 

対する在来種は、萼がもっと大きく開きます。

花が完全に開いた状態で横から見ると、花弁とは完全に離れた角度まで開きます。

 

また、在来種の方が西洋アブラナよりも少し明るい色をしているのですが、これは二つを実際に並べてみないと区別しにくいと思います。

慣れればわかるのかもしれませんが。

 

今回の在来種アブラナは、小貝川の堤防で見つけました。

やはりこの二種も、同じ堤防であちらはセイヨウ、こちらは在来というように混在しています。

ここではカラシナは見かけませんでした。

 

一方、鬼怒川の堤防では、セイヨウアブラナとカラシナばかりのようでした。

また、鬼怒川河川敷の公園っぽい場所にある菜の花畑では、ざっと見たところセイヨウアブラナばかりでした。

こちらは恐らく、人為的に種をまいて作った場所なのでしょう。

 

さて、菜の花と言ったりアブラナと言ったりしていますが、本来の菜の花は、「菜」の花を指す言葉でした。

 

では菜とは何かというと、葉や茎を食べる草を指す言葉です。

日本語では、一般的に文字数が少ない方が古くから使われてきた言葉ですので、菜は相当古い言葉と思われます。

 

平安時代には、一月七日に若菜摘みという行事があったことが枕草子にも書かれています。

百人一首にも若菜摘みを詠んだ歌がありますので、菜の花とは、元々はそのあたりの植物の花の総称だったのでしょう。

 

そんな菜の中に、エゴマという植物があります。

エゴマは、縄文時代から日本で利用されてきたシソの仲間で、遙か昔は食用として栽培されてきたのですが、鎌倉時代の頃にはその種をしぼった油が、燃料としてよく使われるようになってきました。

 

そして江戸時代になると、油の原料は、エゴマの種からアブラナの種へと移り変わっていきます。

 

アブラナ自体は昔から日本にありましたが、昔は普通に野菜でした。

ウィキペディアによりますと、古事記や万葉集に、現在とは違う名前で登場するそうです。

それが前述の通り、油用として大量に栽培されて、名前もアブラナとなってしまったようです。

また、セイヨウアブラナが日本で栽培されるようになったのは、明治以降なのだそうです。

 

さて、今回のこの記事を書くにあたって、セイヨウアブラナと在来種の違いを調べようかと、我が家の図鑑を開いてみました。

 

まずは小学館の子供用図鑑を見たのですが、アブラナは小さい写真一枚しか載っていません。

まあしょうがないよねと思って次に、「日本の野草」を見ても、影も形もありません。

おや?と思って今度は、保育社の原色図鑑――要は図書館にあるような図鑑――の、「植物Ⅰ」「植物Ⅱ」「園芸植物」の三冊を見ても、全く載っておりません。

 

しばらく目を疑いましたが、考えているうちにわかりました。

要するに、アブラナは野菜だからなのです。

普通は、植物図鑑には野菜は掲載されないのです。

だって野菜は、「この植物の名前は何だろう?」と、図鑑を開いたりはしません。

そこの畑の持ち主に聞けばそれで終わりですからね。

 

現在でも在来種のアブラナは、野菜として植えられている地域があるとのことです。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ186 霊が見えてしまったら(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2017.04号

 

ウチのカミサンは、本読みです。

よく図書館に行っては本を借りてきています。

枕元に、図書館の本が途切れることはありません。

書店で買うことも多いのですが、図書館からは「試しに読んでみたい本」「目を通せばいい程度の買うまでもない本」を借りてきているようです。

そのため、分厚い小説に加えて、よく知らない人のよくわからないエッセイマンガを借りてくることがあります。

 

そんな中で先日、「霊が見える人のエッセイマンガ」というものが我が家に転がっていました。

前述の通りの、図書館で借りた「よくわからない枠」の一冊のようです。

 

読んでみました。

 

はあ~。

 

まあ、そういう人っていますよね。

 

霊に対して、まずは私のスタンスを申し上げます。


霊とは脳のノイズです。

神様はOK。否定しません。

フィクションは別。楽しんでいます。


 

霊と言えば、以前からずっと気になっていることが一つあります。

 

「素粒子を理解している人で、霊が見える人は存在するのか」

 

中学生以上なら、原子はご存じかと思います。

その原子も、最終的には素粒子によって構成されていることがわかっています。

 

例えば、原子核は陽子と中性子によって構成されていますが、これらはそれぞれが3個のクオークという素粒子でできています。

さらに、そのクオークを結びつける力も、素粒子によって橋渡しされています。

電子や光も素粒子です。

電波も素粒子です。

そして飛んでいる素粒子にとりついて速度を落とす素粒子まで、すでに観測されています。

現在は、重力を伝える素粒子が観測できないものか、世界中の物理学者が探している最中です。

 

現在の科学は、ここまでわかっています。

ここまでわかっているのです。

 

では、霊は何でできているのですか?

 

どんな素粒子で構成されているのですか?

 

「見える」とは、モノに当たって屈折したり反射したりした光子という素粒子が、眼球の中の網膜を化学的に刺激した結果なのですが、霊とやらによって反射もしくは屈折した光子が、一部の人の網膜だけを刺激するのは何故ですか?

 

つまり、「見える」霊というのは、現実には存在しないもの、ということなんですよ。

見えるという人の脳の中(もしかしたら眼の中?)にだけあるもの、ということに他ならないのです。

 

要するに、霊というのは「ポケモンGO」なんですよ。

スマホを通せば見えますが、本当はそこには無いのです。

霊が見える人というのは、本人も気付かないうちに、脳内にポケモンGOのアプリをインストールしちゃった人なのです。

 

ところが、よく

「現代の科学は万能ではない」

だの、

「携帯電話インターネットも百年前は空想の世界だったのに今は現実にある」

だの言う輩がいらっしゃいます。

 

ああそうですね。

それは否定しません。

 

確かに、タイムマシンなどは、未だにSFの世界から出てきていません。

しかし、理論はすでに構築されています。

ただ、それが実現不可能であり、実現方法すらわかっていないだけのことです。

 

しかし、霊は、その理論がありません。

成り立たせようという人すらいません。

 

先ほど私は、神は「有り」だと申し上げました。

別に神の存在を信じているわけではありませんが、でも私にとって、神は「有り」だと思っています。

 

なぜかというと、神の存在は、ちゃんと学問になっているからです。

 

人類は、文明が生まれてからこれまで何千年もの間、本当にくだらないことばかりを真剣に考え続けてきました。

その一例が自然科学であり、哲学であり、神学です。

神の存在も、人間の存在意義も、当時の国のトップクラスの天才達が頭を突き合わせて、マジになって考え続けてきたのが人類の歴史なのです。

目に見える物から見えない物まで、およそ考えつく限りのありとあらゆることが、学問として成り立ってきたのです。

 

しかし霊は、これを研究する学問などはありません。

歴史上、学問として構築されたことがありません。

つまり、これだけあること無いことあらゆることを考えてきた人類なのに、目に見えるはずの霊を研究してきた歴史がないのです。

 

理由は簡単です。

少なくとも中世までは、人類には霊が見えなかった、ということなのです。

仮に一部の人にでも見えていたら、絶対に学問になっていたはずです。

 

それでも、霊や死後の世界の存在を信じる人はいます。

そんな中で、悲劇的な有名人がいました。

天才奇術師と呼ばれたフーディニ(1974~1926)です。

 

彼は、脱出王とも呼ばれた天才マジシャンでしたが、母親を亡くしてから、降霊に興味を持つようになります。

なんとかして死んだ母親とコンタクトを取りたいと、有名な霊能力者の元を訪れるのですが、彼の才能は、ことごとくインチキを見破ってしまうのです。

霊を信じたくても信じられないという、天才ならではの悲劇が起こるのです。

 

彼は生涯かけて霊を求め続けましたが、結局、本物に出会うことはありませんでした。

死の間際にも、妻に

「死後の世界があったら、そこから必ず連絡する」

と言い遺したのですが、何も起こりませんでした。

 

少し話を戻します。

 

先ほど、霊の存在を人類全体で否定してみたのですが、まだ

「本当は以前からあったのだが、存在を意識しだしたのはごく最近だから」

という反論が残されています。

 

この「以前からあった云々」という物は、確かに色々とあります。

例えば電波がそうですよね。

こちらは素粒子で説明可能ですが。

 

他にも、例えば花粉症や食物アレルギーなども、この類いといえるでしょう。

 

はい、もうわかりましたね。

霊が見える人は、ご病気なのです。

 

「見える」ようになったきっかけとして、

「死にかけたら見えるようになった」

「ショックで見えるようになった」

という話をよく目にします。

こういう事例は、

「脳の血流が中途半端に止まったために、脳に軽い障害を持ってしまった」

と考えれば、すっきりと納得できますね。

 

現代の科学は、確かに万能ではありません。

しかしきっと将来、「見える人」を治す方法が見つかると思いますよ。

ですから、もし見えてしまっても、どうか気を落とさずに!

 

グッドラック!

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義