2018年4月

あすなろ39 日本語・茨城弁の発音(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2005.01号

 

子供に字の読み方を教えていると、時におもしろい発見があります。

 

外国の言葉って、日本語に比べて発音と表記にギャップを感じることがありますよね。

個人的には、まず思いつくのがフランス語。

自動車メーカーの「ルノー」は、フランス語で表記するとRenaultです。

読むと短いのに、書くと長いですよね。

確か、フランス語の単語は、最後の「t」や最初の「h」を読まないと聞いたことがあります。

日本人から見ると、なんだか効率が悪いような気がしませんか?

 

でも実は、日本語にも「読まない言葉」があったのです。

 

小さい子供に「カップ」をどう読ませますか?

「か・ぷ」

ですよね。

「っ」は、読んでいないことになります。

 

というと、

「カップとカプは違う」

と云われちゃいそうですが、英語では、カップ(cup)の正しい発音は

「カp」

です。

どうやら「っ」は、日本人が便宜上入れただけのようです。

そういえば、和語においては「ぱ行」の前は、原則として「っ」が入るような気がします。

こういうことから考えを発展させていくと、日本語における「っ」の法則なんてものが見つかるかもしれません。

 

もうちょっと、「表記と発音のギャップ」について書きましょうか。

 

英語では、文字で書くと

「How do you do?」

となるものも、実際には

「How dyudo?」

と発音しているようなものいくつかあります。

これと同じような例が、日本語にもあることに気がついてきました。

 

例えば、「明日」という言葉があります。

ひらがなで書くと

「あした」

です。

 

これを読むとき、ゆっくりと発音すると、たしかに

「a・shi・ta」

と発音しています。

 

しかし、実際の話し言葉では、このとおりには発音していません。

試しに、普通に話す速さで、普通に話すように口に出してみてください。

恐らく、

 

「ashta」

 

となり、真ん中の「し」は、ちゃんと発音されていないはずです。

つまり、母音のない子音だけの状態です。

 

この状態を、ここでは「あシた」と表記することにしましょう。

同様のものは、他にも見つかります。

茨城県立下妻一高は、こうやって発音しているはずです。

(かたかなは声を出さないで)

 

「イばらキけんりツ シもつまいチこう」

 

気がついた方もいらっしゃるかもしれませんが、これは「音便(おんびん)」です。

中学校で習う音便は、促音便(っ)、撥音便(ん)、イ音便、ウ音便の四つくらいだったような覚えがあります。

しかし日本語には、こういう「表記されない音便」もあるってことでしょう。

 

日本語の発音と云えば、これよりもよく出てくる話題が「鼻濁音(びだくおん)」です。

文節の中で、先頭にあるガ行と途中にあるガ行では、発音法が異なるというものです。

これ、ちゃんと発音できますか?

 

「トンガ」と発音してみましょう。

一音ずつ区切って発音した時の「ガ」と、普通にしゃべるように発音したときの「ガ」は、発音方法が違います。

わかりますでしょうか。

わからなければ、スピードいろいろ変えて声に出してみてください。

単音の「ガ」とは、違った声の出し方をしているはずです。

 

これが、鼻濁音です。

 

ガ行の音は、文節の先頭にある場合以外は、鼻濁音で発音するのが美しい日本語だと云われています。

(「うどう」は単音のゴだが、「けつう」は鼻濁音のゴ)

 

ぜひ、練習してみてください。

 

次は、アクセントの話です。

 

私は、愛知県出身です。

子供の頃から使っていた言葉は「三河弁(厳密には東三河弁)」です。

東京弁とは、どうしても多少のずれがあります。
(勘違いされている方もいらっしゃるかもしれませんが、東京弁や関東弁は標準語ではありません。)
すると、子供に本を読んであげているときに、アクセントについて迷うことがあります。

ウチのカミサン(神奈川→茨城)は私よりも東京弁が達者ですので、確認し合うことがありますが、それでも気がつきにくいものがあります。

 

例えば「紙」。

 

|     ・
関東では「かみ」と、「み」にアクセントがあります。

|      ・
三河弁でも「かみ」です。

 

これだけ見ると同じみたいですが、この先に助詞をつけると、違いが生じる場合があるのです。

見てください。

 

| ・ ・
|かみをおる。(東京弁)

 

| ・・・
|かみをおる。(三河弁)

 

故金田一京助氏の方法(下表参照)で分類すると、東京弁の「かみ」は「アクセント2」で、三河弁の「かみ」は「アクセント0」となります。
 



※注:
三河弁では「紙」は「アクセント0」ですが、「髪」は「アクセント2」です。
一方、東京弁では、「紙」と「髪」のアクセントは同じです。
つまり、三河弁では「かみを切る」の意味の使い分けができますが、東京弁ではできません。


 

しかし今回は、単なるアクセントではなく、「音の高さ」で考えたいと思います。
例えば、「しもつまし」は、金田一式でいくと「4」にあたるのですが、厳密には三音階を使っているはずです。

低い方から音の高さを1.2.……と名づけることにすると、「しもつまし」は「23331」となるのではないかと思います。

 

なぜ音階にしたかというと、茨城弁を表現しようとすると、三音階では済まないからです。
例えば、茨城弁で「あさくらくん、」と呼びかけるときには、「123451」となり、五音階使っていることがわかります。

私には、ここまで音階の豊かな地方は、他には思い付きません。

 

茨城弁と云えば、よく「アクセントがなく、平坦な発音」と揶揄されます。

しかし、音階は豊かなのです。

茨城弁を使える人は、このことを誇りに思ってください。

 

方言とは、その土地に生まれ育った人だけが使える、特権的な言葉です。
確かに、他の土地から来た人が、その土地の言葉に「染まる」ことはあります。

しかし純粋な方言は、恐らく一生マスターできないでしょう。
そういうものなのです。

また、一度手放すと、そう簡単には取り戻すことができません。

それが方言です。

 

せっかく話せる言葉なのですから、大事にして下さい。

お願いします。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

参考文献

明解国語辞典 改訂版(昭和二十七年)

あすなろ138 ネコヤナギ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2013.04号

 

塾の前のネコヤナギが満開です。

 

……と言うと、不思議そうな顔をする人がいるのですが、ネコヤナギも花が咲きます。

あの「ふわふわしっぽ」が花なのです。

 

「花らしくない花」といえば、他にはススキやトウモロコシ、マツなどがあります。

 

 

我々が花といえば普通、目立つ色の花びらのついたものを想像しますので、花びらが無いと、どうも花らしく感じません。

しかし、「花とは受粉を目的とする器官である」という定義からすれば、花びらが無くても、おしべ、めしべがあれば花なのです。

 

そもそも、花びらというのは何の為にあるのか、その目的は二つです。

 

一つは、虫から見て花の存在がよくわかること。

もう一つは、虫が花に寄ったときに足場になること。

つまり、虫に花粉を運ばせやすくする為なのです。

 

虫に花粉を運ばせる花のことを、虫媒花(ちゅうばいか)といいます。

それに対して、花粉を風に運ばせる花を風媒花(ふうばいか)といいます。

日本にはほとんどありませんが、鳥媒花というものもあります。

 

先に写真をあげた4種の花は、全て風媒花です。

ですから、虫に対して存在をアピールする必要がありませんので、花びらは必要ないのです。

風媒花には他にもスギ、イネなどがあります。

 

さて、ネコヤナギにも花びらがありません。

ですから、私も少し前まで、ネコヤナギも風媒花かと思っていたのですが、違いました。

ネコヤナギは、虫媒花です。

 

今年の春、塾の前にて、初めてそれを意識して観察しました。

すると、ちゃんと虫が寄ってきていました。

見る限りでは、ハナバチが3種類ほど来ていました。

 

ネコヤナギの「ふわふわ」は、沢山の花が集まったものです。

こういう形状の花は、一般に花穂(かすい)と呼ばれています。

 

花穂という言葉は、厳密には植物学用語では無いのですが、いわゆる穂となる花の総称として使われています。

先に挙げたススキやイネの他にも、ケイトウの花も花穂と呼ばれるそうです。

 

それはともかく、花びらが無い花は、いつ花が「開いた」のか、わかりにくいのが困ったものです。

私がこれまでネコヤナギに虫が来ているところを見なかったのは、一つには、「花が咲いている状態」を正確に把握していなかった、という理由がありました。

 

春になると、まず銀の穂が現れてきますが、あれはまだ「つぼみ」だったのです。

つぼみを眺めていても、虫が来ないわけです。

 

 

その後、気温が上がってきますと、ふわふわの毛の中から、赤いつぶつぶが立ち上がってきます。

これが葯(やく)で、これが開くと中から黄色い花粉が現れます。

葯が開いた状態を「開花」と解釈すべきなのでしょう。

実際、このように黄色くなった花めがけて虫が寄ってきています。

 

 

上側の画像の、赤い部分が開く前の葯、黄色い部分が開いた葯です。

 

面白いことに、花穂の中で開花する順序は、特に決まっていないようです。

一般的な花の場合、大抵は先端からとか根元からとかいう順序で開花されていくのですが、ネコヤナギの場合は、どうやら南側から順に開いていくようです。

開花のきっかけは、温度なのか明るさなのかはよくわかりません。

 

ネコヤナギの開花時期は、他の春の花よりも相当早めです。

このころは、他にはほとんど花が咲いていません。

ですからおそらく、花びらを用意しなくても、花粉の黄色を見せるだけで、冬の間飢えていた昆虫が集まってくるのでしょう。

ライバル不在だからこそできるワザだと言えます。

 

今、葯と花粉の話ばかりをしたのですが、塾のネコヤナギはオスの木ですので、雌花は咲きません。

ヤナギの仲間は雌雄異株(しゆういしゅ)と言って、オスの木とメスの木があります。

雄花の開花後は、花穂全部が丸ごと枝から取れて「散」り、実はできません。

 

ネコヤナギ以外のヤナギ類も、同じように花穂ができます。

もちろん、メスの木には実ができます。

種子には綿毛がついていて、風に吹かれて飛びます。

 

ヤナギの種子は柳絮(りゅうじょ)と呼ばれて、漢詩にはたびたび登場する言葉なのだそうです。

私は全く知りませんでした。

 

中国大陸においては、柳絮の綿毛が日本産のものよりも多い上に、ヤナギの木自体が多いので、春になるとすごい数の柳絮が飛ぶようです。

それが目や鼻に入って来るので呼吸するのも困難で、毎年大変らしいです。

 

 

彼の国では、春は季節風やら黄砂やら柳絮やらで、あんまり良い季節じゃないそうです。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ93 オオカミ、コウモリ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2009.07号

 

世間的に、ある固定的なイメージを持たれる動物がいます。

例えば、ライオンは百獣の王、ゾウは慈悲深い、キツネはずる賢い、カメはのろま、カラスは腹黒い、等々。

 

このイメージは、幼児向け絵本や児童文学において、登場キャラクターの性格付けをする際に、便利に使われています。

マンガや映画で、悪者は見るからに悪そうな容姿をしているのと同じですね。

怖い「人物」を用意するときに、普通はウサギを使いませんよね。

※ピーターラビットには「こわいわるいうさぎのおはなし」という話もありますけど。

 

さて、日本で「のろまな動物」といえばカメでしょうが、英語圏では普通、カタツムリです。

彼の国において、どうしてカタツムリがその代表を担うようになったのかは知りませんが、日本でカメがのろまだと言われるようになった理由はだいたい想像がつきます。

童話「うさぎとかめ」の影響でしょう。

「うさぎとかめ」の出典は、イソップ童話(もしくはイソップ寓話)です。

 

イソップ童話が作られたのは紀元前6世紀と言われていますが、日本に初めて伝わったのは、1593年のことでした。

その後、江戸時代に黄表紙(軽い娯楽本)などで『伊曾保物語』として何度も出版されていますので、「兎と亀」や「鼠の相談」のように、ほとんど日本の昔話のようになってしまった話もあります。

 

さて、そのような話が伝わったために、それまでに無かった悪いイメージがすっかり定着してしまった動物達がいます。

その代表格はオオカミでしょう。

 

最近、絵本「あらしのよるに」等で少々復権の兆しがありますが、基本的にオオカミは「悪者」のイメージです。

ですが、日本では古来より、オオカミに悪いイメージはありませんでした。

というよりもむしろ、神聖な動物だったようです。

 

日本では仏教の伝来以後、野生の獣を捕って食べることは(基本的には)ありませんでした。

従って鹿や兎などは、農作物を荒らすだけの、単なる困った存在でした。

 

そうなると、それを「駆除」してくれるオオカミなどの肉食獣は、田畑を守る「神獣」と見ることができるわけです。

このあたりは、各地で犬神として祀られていたり、オオカミを狛犬としている神社もあったりするところからもわかります。

また、オオカミの語源は「大神」だと言われています。

 

そもそも、日本のオオカミは中型の日本犬程度の大きさで、童話「赤ずきん」のように、人間を食べちゃうような動物ではありませんでした。

むしろ、山道では、周囲にオオカミがうろついている時の方が、イノシシよけになって安全だったのです。

 

 

ですが、牧畜を盛んにおこなっていた西洋人にとっては違いました。

オオカミというのは、大切な家畜を襲う害獣の典型だったからです。

そういえば、キツネも悪者にされることが多いですが、オオカミと同様の理由でしょうね。

家畜の敵は悪者なのでしょう。

 

ともあれ日本でも、江戸時代以降は、悪者のイメージが定着してしまったのでしょう。

いつの間にか日本のオオカミは、害獣として駆除の対象となってしまったようです。

 

さらに明治以降は、西洋犬とともに持ち込まれた伝染病が、オオカミの間に流行したことも追い打ちをかけたようです。

明治38年捕獲の記録を最後に、ニホンオオカミは絶滅してしまいました。

 

これもアメリカのリョコウバトと同じで、絶滅するとは当時全く考えられていませんでしたので、残っている写真などの資料はごくわずかです。

現存する剥製は世界に4体のみです。

 

また、北海道から樺太方面には、別種エゾオオカミが棲息していました。

こちらもやはり、アイヌからは神として扱われていました。

しかし明治以降、入植者によってエサのエゾジカが乱獲されたため、食糧不足となって牛馬を襲うようになります。

そこで、招聘されて牧畜の指導にあたっていた西洋人によって徹底的に駆除され、ニホンオオカミとほぼ時を同じくして絶滅しました。

 

さて、オオカミと同様に、西洋文化によってマイナスイメージへと逆転してしまった例として、コウモリがあります。

 

コウモリは漢字で『蝙蝠』と書きます。

古来より漢語では、この音が「偏福=福が偏って来る」に通じるということで、縁起のいい動物とされ、調度品などに描かれてきました。

この捉え方は周辺諸国にも伝わったため、東洋ではコウモリに悪いイメージはありませんでした。

日本でも、コウモリの糞が良質の肥料として利用されていたり、かわほり、蚊食鳥(かくいどり)と呼ばれて夏の季語だったり、いろいろと親しまれていたようです。

 

 

しかし、イソップ童話の「卑怯なコウモリ」が伝わったことにより、コウモリはどっちつかずの動物というイメージがつき、さらにヴァンパイヤの映画により、今では完全に忌避対象にまでなってしまっています。

 

特に、ヴァンパイヤのイメージが強烈なのですが、血液を食糧とする種類は、全世界でコウモリ約980種のうち、わずか3種類だけです。

しかもこの3種は、全て中南米に棲息していますので、西洋人にその存在が知れたのは、少なくとも、ピサロやコルテスによる中南米侵略があった16世紀以降でしょう。

 

しかも、コウモリとヴァンパイア伝説を組み合わせた「吸血鬼ドラキュラ」は、20世紀になってからの作品です。

コウモリ=吸血鬼というイメージが、いかに最近のものかがよくわかります。

 

しかし、WEBで「コウモリ」と検索すると、「コウモリ駆除なら……」の広告がわんさと出てきます。

都会にも棲息するアブラコウモリは虫食性で、カやガなどを食べます。

一晩で、500匹のカに相当する虫を食べるそうです。

コウモリが全くいなくなってしまったら、どれだけカが増えることになるのか、わかっているのでしょうか。

 

日本に棲息する哺乳類約100種のうち、コウモリは35種で、最大のグループです。

しかし、その多くは絶滅危惧種に指定されています。

わけもわからず、むやみに嫌うことは避けたいものですね。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ92 探査機はやぶさ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2009.06号

 

 

「はやぶさ」をご存じでしょうか。

 

2010年の地球帰還に向けて、現在火星と小惑星帯の間を周回中の惑星探査機です。

2005年、小惑星「イトカワ」に接近したときには話題になりましたが、世間的にはそれっきりで、その後のドラマはご存じないかもしれませんね。

 

ここで一枚、ネットで有名な画像をあげておきます。

 

 

何でもかんでも「擬人化」してしまうのは最近のネット人達の悪い癖ですが、とにかくこれがまさに「はやぶさ」の現況です。

 

「はやぶさ」は、2003年五月に打ち上げられました。

ソーラーパネルを広げると翼端で5.7mありますが、本体のサイズは1.5m×1.5m×1.5mしかありません。

これが、火星と木星の間を回る小惑星のサンプルを採取して、再び地球に戻ってくる、という計画です。

当初は2007年に戻ってくる予定でしたが、計画変更により延期中です。

 

これまでにも、火星探査機や木星探査機がNASAなどによって打ち上げられています。

しかし、ミッションは画像データを送るところまでで、本体は回収しないのが普通でした。

戻ってくるためには、単純に倍の燃料を必要とするわけですから、大変なのです。

(さらに付け加えると、日本の宇宙開発関連は、諸外国から見ると気持ち悪いくらいの低予算でやっています。

実はこれが一番すごかったり)

 

これを実現したのは、イオンエンジンの本格実用化でした。

イオンエンジンの実験自体は’60年代からあったのですが、2000年前後から長期運転に耐えられるような仕様へと開発が進んできました。

 

イオンエンジンとは、イオンの持つ電荷を利用して加速するものです。イオン化された推進剤を電界の中に放出すると、イオンの電荷により加速運動を始めます。機体は、このとき各イオンが得た運動量の総和と同じ大きさで逆向きの運動量を得ます。すなわち、イオンの加速の反作用により機体が加速するという原理です。イオン源の反対側にある電極はグリッド状になっていて、ここを通過したイオン流は中和器により電気的に中性となって放出されます。中和器はイオンと等量の電子を放出していて、

 

……いいですよね、もう。

 

要するに、燃料の重さに対する推進力の大きさが、化学エンジン(いわゆる普通のロケットエンジン)よりも高効率(10倍以上)なのです。

ただし、真空中でしか使えません。

 

さて、地球を離れた「はやぶさ」が出発して半年後、太陽に、観測史上最大のフレアが発生します。

これによって強烈な電磁波が吹き荒れたため、早くも「はやぶさ」の太陽電池の一部がぶっこわれます。

が、ミッション遂行に支障はないと判断されました。

 

発射から1年後、地球によるスイングバイ(重力を利用する加速方法)が成功。

ここから地球軌道を離れて、小惑星帯に向かいます。

 

さらに1年2ヶ月後の2005年7月、「イトカワ」を「発見」して、軌道計算を改めて開始します。

8月、姿勢制御のために3つあるリアクションホイールの1つが故障。

三次元空間では通常、x軸y軸z軸の3つで位置を決めますが、1つの故障は想定内だったために計画続行。

そして9月、イトカワから20kmの距離に静止(相対速度0.25mm/sec)することに無事成功しました。

日本の機器が他天体に相対停止したのは初めてです。

ここまで2年2ヶ月、20億kmの旅でした。

 

10月、リアクションホイールがもう1つ故障したため、化学エンジンで対処。

4週間後、地球に帰るための燃料を残す方法を見つけ出して計画続行。

 

11月4・9・12日、イトカワ着陸リハーサル。

11月20日、着陸及び離陸成功。

小惑星上では世界初でした。

 

11月26日、再着陸。

サンプル採取用の弾丸発射後離陸。

この2度の着陸により、サンプルが採取された可能性が高いです。

 

離陸時、化学エンジンの燃料漏れ発生。

弁閉鎖によって漏れは止まりますが、姿勢が大きく乱れます。

これによる温度変化の影響によって電気系統のトラブルも発生。

 

12月4日、イオンエンジンの燃料を直接噴出することで姿勢制御成功。

 

12月8日、再度燃料漏れで姿勢制御不能。

 

交信途絶。

 

 

 

 

 

 

 

1月23日、はやぶさからの脆弱な電波を受信。

1月26日から徐々に来るようになってきた返答によると、電源は、一度完全に落ちていたようです。

バッテリも放電しきった状態で、かつバッテリの一部は使用不能。

化学エンジンの燃料は全量喪失。

ただ、イオンエンジン用の燃料は無事でした。

 

その後、この燃料を噴出したりプログラムを書き換えたりして、徐々に姿勢が回復。

同時に交信状態も回復していき、3月6日、実に3ヶ月ぶりに、ようやく正確な位置がわかりました。

この時、イトカワからは12000kmも離れていて、地球からは3億kmの距離でした。

ここからはやぶさは、地球に向けて帰還をようやく開始したのです。

 

その後、イオンエンジンの無事も確認できました。

順調に進めば、来年(2010年)6月に帰ってくるでしょう。

そして地球に向けて、試料の入ったと思われる耐熱カプセルを放出した後、本体は大気圏で燃え尽きる予定です。

 

……6年かけた「はじめてのおつかい」は、これでようやく終了する予定です。

 

さてここで、また新たなミッションが持ち上がりました。

 

今年(2009年)の3月、小惑星が地球をかすめていったことはご存じでしょうか。

国内では、そういった天体の予測システムが無かったため、その構築が急務となっていました。

 

そしてその測定実験の対象として、今後実際に地球を「直撃」するはやぶさが使われることとなりました。

これが本当に、最期のご奉公となります。

 

現在、6月28日(水)まで、日立市の日立シビックセンター天球劇場にて、「全天周映像HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を上映中だそうです。

全国どこでも見られるというものではありませんので、茨城県民は大変ラッキーです。

私は見に行きますよ。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 


追記

見に行きました。

マジで感動しました。

カミサンも眼を赤くしていました。

これだけのために日立まで行った甲斐がありました。