2018年4月

あすなろ135 彗星(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2013.01号

 

天文年鑑などによると、来年(2013年)は彗星の当たり年なのだそうです。

 

っていう話をしていたら、彗星って何?と質問をする中学3年生が……

 

確かに、彗星のことは、学校の理科ではちゃんとは習いませんよね。

ここで説明いたします。

 

彗星というのは旧海軍の艦攻の名前です。ん? 艦爆だったかな? まあともかく、コンパクトな機体に液冷エンジンの組み合わせで、超萌えるルックスをしています。ちょうど、スピットファイアみたいな感じでしょうか。いや、スピッツみたいなダサい主翼じゃないから全然違いますね。でも後の型になってくると、三二型からかな?発動機の生産が間に合わなくなってきて、星形空冷エンジンになっちゃうんですよね。液冷エンジンは、壊れるだのなんだの言われることもありますが、実際は、現場の整備兵が空冷慣れしていたために、整備が不十分だったなんてこともあったみたいですね。あと彗星といえば、単機で空母を一隻沈めたという、伝説のレイテ沖の話は欠かせませんよね。


 

今のは無し。

 

彗星は、太陽系の中にある星の一つです。

ほうき星とも呼ばれて、長く尾を引く姿を見せるのが特徴です。

 

そもそも太陽系とは何かというと、太陽という星と、太陽を中心として回っている物体のあつまりを合わせたものです。

ですから、金星、土星、地球などの惑星以外でも、太陽の周りを回っているのはみんな太陽系の一部です。

惑星よりも小さい岩も、すごい数の物体が、太陽を中心として回っています。

 

今、太陽を「中心」とすると書きました。

確かに惑星は、太陽を中心とする円を描いているように見えます。

しかし、厳密には、惑星の軌道は真円ではなく、楕円となっています。

(→ケプラーの第一法則)

 

楕円というのは、焦点と呼ばれる「中心」を二つ持つ図形です。

高校で、理系に言ったら数学C(現課程では数学III)で習うことになると思いますが、次に示すような図形です。

そして惑星は、楕円の焦点の片方を太陽とした軌道を描いています。

地球の周りを回る月も、同様に楕円軌道です。

 

 

地球も太陽の周りを楕円で回っていますので、太陽と地球との距離は、一定ではありません。

ですが、その焦点が近いので、円のように見えるだけなのです。

 

また、焦点の距離は、惑星によって違っています。

地球は焦点の距離が短い=離心率が低いので、比較的真円に近いのですが、離心率が非常に高くて、太陽じゃない方の焦点が遙か彼方にある天体もあります。

周回している彗星は、そんな天体の一つです。

 

 

と、そこまで書いておいてアレですが、本当はこの下図のように、楕円以外の軌道を描く彗星もあります。

というより、大抵の彗星は、楕円以外の軌道を描いています。

そしてそういう彗星は、二度と帰ってきません。

楕円軌道で帰ってくる彗星を周期彗星、帰ってこないのを非周期彗星と呼びます。

 

彗星の正体は、よく「汚れた雪玉」とか「凍った泥団子」などと言われる通り、塵と氷でできています。

それが太陽に近づくと、太陽の熱で解凍された液体や気体が噴き出してきます。

それが太陽熱にあおられて、太陽と反対側へ流されていきます。

それが、彗星の尾です。

ですから、彗星の尾は必ず、太陽と反対方向に伸びます。(上図参照)

 

そういうわけで、彗星はいろいろな粒をまき散らしながら通過していきます。

ですから、その通った跡には、沢山の塵が、彗星と同じ軌道を、帯のように漂っています。
(→ダストトレイル

 

その帯に地球がつっこむと、地球にはその塵が降ってくることになります。

降ってきた塵は、大気圏に突入する際に輝きながら燃え尽きて、流れ星となって見えます。

こうやって、たくさんの流れ星が見える現象を、流星群と呼びます。

 

毎年お盆のころに見られるペルセウス座流星群は、2013年は、月の条件が良いようです。

うまくいけば一時間に50以上の流れ星が見られるでしょう。

 

で、2013年の彗星の件ですが。

話題になっているのは、主に二つです。

 

一つは、三月~五月ごろに近づくパンスターズ彗星です。

これは、うまくいけば三月半ばごろの日没直後の地平線付近に、マイナス3等級の明るさで見られるでしょう。

それを過ぎてからでも、四月上旬まで肉眼で十分見える明るさを保つようです。

 

星は、明るい順に1等星、2等星……と分類されています。

例えば、オリオン座のワクを構成する4つの星のうち、左上と右下が1等星で、右上と左下は2等星です。

そうやって明るい星は数値を減らしていくと、明るい星はマイナスの等級となります。

次の表と比べて頂けるとわかりますが、マイナス3等級なら、かなり明るく見えることだと思います。

 

 

もう一つは、11月ごろに近づくISON(アイソン)彗星です。

こちらは明け方の空の、やはり地平線付近で見られるとされていますが、最大光度でマイナス13.5という予測が出ています。

 

満月より明るい彗星!

 

さあ、すごいことになってきました。

 

ただ、注意点があります。

一つには、このころは、地平線付近という高度と、ちょうど夜明けごろという時間帯のために、日本からはあまりよく見えないだろう、ということです。

 

もう一つは、予測はあくまで予測であって、どの程度明るくなるかはその時になってみないとわからない、ということです。

特に今回の彗星は、太陽に非常に接近する為に、そのまま蒸発したり分解したりする可能性もあります。

こうなったら、日本では観測できない状態になってしまいます。

 

過去にも、大彗星になると予測されたコホーテク彗星が、実際には3等級程度までしかいかなかった、ということもありました。

非周期天体の予測は、まだ難しいようです。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 

追記

その後のISON彗星は、太陽に接近する前に割れてしまって、小さい彗星となってしまったために、特に世間の話題にはなりませんでした。

あすなろ158 箸(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2014.12号

 

大学生の頃、山登りをやっていました。

 

どこの世界にも身内にだけ通じる「専門用語」というものはあると思いますが、山でもやはりありまして、例えば、ロープはザイルと呼びます。

このくらいなら、小説やマンガなどで聞いたことがあるかもしれません。

 

しかし登山靴をザングツ、箸フォーク類をブキ、幕営地をテンバ、ヘッドライトをヘッテン、トイレットペーパーをトッペ、といったあたりになると、書籍では読んだ覚えがありませんので、もしかしたら学生ルールなのかもしれません。

逆に、このあたりの用語がマンガに登場したら、私的には一気にリアリティが増すでしょうね。

 

山での食事担当はショクトウ(食当)と呼ばれて、基本的に下級生(大抵は一年生)が任命されます。

メニュー決めから材料の買い出し、当日の飯作りを一からさせられますので、上級生を満足させるようなウマいメシを作らなければいけないのです。

 

ただ、長期合宿になると、下級生に別の役職をさせるために、まれに女性の先輩が食当になって大当たりなんてこともあります。

私は、チーズフォンデュなるものを初めて食べたのは、山中のテントの中でした。

あれは確か、九州の霧島に登った時だったかな?

 

そんな山に持ちこむブキなのですが、一応みんな、スプーンフォーク箸のセットを持って行くわけです。

が、実際にはみんな、ほとんど箸しか使いません。

 

箸って便利ですよね。

実に万能です。

コーンには負けますが、それ以外には無敵です。

箸を使わずにペペロンチーノスパゲティを作るイタリア人の気がしれません。

 

私の場合、箸といえばなんとなく典型的な日本文化のような気がしてしまうのですが、これを使う民族は日本人だけではありません。

東南アジアから中国、朝鮮などの、中華文化圏一帯で使われています。

そのあたりからわかるとおり、箸の発祥は中華文明のようです。

それが当地でいつ頃から使われ始めたのか、はっきりとはわかっていないようですが、調理用としては、少なくとも紀元前10世紀以上前から使われていたようです。

 

日本では、弥生時代の遺跡からピンセット状の「折箸」が発掘されていますが、これは祭祀用と考えられています。

有名な魏志倭人伝では、邪馬台国の「倭人」は「手食」であるという記述がありますので、この頃はそうだったのでしょう。

 

日本に食事用の箸を伝えたのは、あの遣隋使だと言われています。

隋では食事に箸を使うという話を聞いた聖徳太子は、朝廷の面々に箸をマスターするように通達を出しました。

そのときから使い始めた二本セットの箸は、当初は「唐箸」と呼ばれて、貴族だけが使っていました。

しかしその後、平安時代には、庶民にまで普及しています。

 

ところで、先ほど東アジア一帯で箸が使われていると書きましたが、他の国では箸と併用して匙も使います。

中華料理でもそうですが、東南アジア諸国や朝鮮半島では、箸と匙(レンゲ)を食卓に並べて、持ち替えて使っています。

そのためか、日本以外では、箸は皿の横に、縦に置きます。

同じく持ち替えて食べるナイフフォークと同じ置き方ですね。

 


中華料理で使われるあの匙をレンゲと呼ぶのは、日本オリジナルです。

平安時代、その形状が蓮の花びらに似ているということで命名したようです。


 

しかし中世の頃からいつの間にか、日本人は匙を使わずに箸だけで食べるようになりました。

茶以外の汁物を飲む時には、椀に直接口を付けることで解決しました。

これによって、右手は箸から違う道具に持ち替えることなく食事するという、日本独自の食事法が確立したのです。

 

そういう意味では、世界で一番箸にこだわるのが日本人とも言えます。

家族がそれぞれ自分専用の箸を持っているのは日本だけです。

食事作法は、そのほとんどが箸に関することです。

箸で豆をつまむ競争なんて、他の国の人はしません。

というよりも、他国の箸では先端が太すぎて、そんなことは最初から不可能です。

 

日本人の指先が器用なのは、幼少から箸を徹底的に使わされるからだという話まであります。

すごいですね箸。

 

さて、そんな箸文化は、中世には庶民にまで浸透していたわけですが、そんな鎌倉末期、貿易と布教を狙ってスペイン人とポルトガル人が日本にやってきます。

 

連中の目的は、シンプルに金儲けと宗教です。

野蛮な東洋人から巻き上げた珍品を本国に持って帰れば大もうけ、うまく征服しちゃえば搾取し放題、または、我々偉大なる白人様が愚かで野蛮な東洋人に偉大なるキリスト教を教えてあげよう優しいな俺、と意気揚々と乗り込んで来るのですが、日本の食事風景を見て驚愕します。

 

だって、当時の西洋人は、全て手づかみで飯を食っていたんですから。

使うのは、その場で肉を切り分けるナイフだけ。

あとは全部手づかみ。

当然手が汚れますので、ベロベロと舐めたり手近にある布でぬぐったりします。

ナプキンやテーブルクロスがなぜあるのかというと、つまりは手ふきなのです。

ついでに口を拭いたり鼻をかんだりもします。

 

さらに、今の中国人と同じく、食事中は食いかすを下にこぼしまくって、骨などは足下に投げ捨てるのが当たり前、痰を吐いたり唾を吐いたりゲップをしたり屁をしたり、口いっぱいにものを詰め込んだまま楽しく会話。

宴会になると必ずどこかで喧嘩が起こって、誰かが死んだとしても別に珍しくもない。

どこかの国では、食事中に殺人が起こっても仕方ないので罪に問わない、なんて法律があったくらいです。マジで。

 

ワンピースという漫画では、要所要所に宴会風景が登場して、みんなで口にめっちゃくちゃ詰め込むバカ食いをしていますよね。

リアルにあれが日常風景だったのです。

 

そんな世界から来た宣教師様が、野蛮人に文明を教えてやろうと思って来たら、小さい子供まできっちりと正座して、器用に箸ですよ。

そりゃびっくりですわな。

 

織田信長にも謁見したポルトガル人ルイス・フロイスは、その著書の中で、

 


「我々は四歳児でも自分の手で食べられないのに、日本人は三歳で箸を使って食べている」

「我々は全てのものを手で食べるが、日本人は男女とも幼児の時から二本の棒で食べる」


 

なんてことを書いています。

ざまあ(笑)

 

ちなみに、西洋諸国でスプーンが一般に広まったのは、日本の江戸時代のことです。

一応、フォークは南欧の上流階級に限って使われていたのですが、現在のような弓なりのフォークが発明されたのは江戸時代中期ですし、ナイフフォークスプーンがセットになったのは幕末のことです。

千年遅いわ。

 

ただ現在では、西洋人もつつましく食事をしております。

相変わらず汚く食べているのは、箸の発祥の地、中国です。

なぜだ。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 

あすなろ189 愛知時計電機(過去記事)

あすなろ

 

 

2017.07号

 

塾生はご存じかと思いますが、当塾には振り子時計があります。

本物の機械式ですので、月に一回、ゼンマイを巻いています。

 

この時計、購入したのは平成27年(2015)で、ネットオークションでたまたま出ていた新品を入手したものです。

製造年は不明ですが、おそらく昭和の末期のものでしょう。

それまで使っていた時計は大正時代のもので、精工舎(現セイコー)の外ガンギ……って言っても意味わかんないですよね。

やめます。

 

いやあ、新しいっていいですね。

大正モノと比べると、笑っちゃうくらい正確です。

 

 

 

この時計のブランドは「アイチ」。

愛知時計電機という会社です。

現在では水道やガスなどの流量メーターのメーカーで、時計の製造からは撤退してしまいましたが、社名は愛知時計電機を名乗り続けています。

 

この会社は、明治からこれまで、実に色々なものを製造してきました。

そんな話をご紹介します。

 

明治26年(1893)の創業当時は、柱時計の製造を手がける会社でした。

愛知時計製造合資会社としてスタートしています。

 

その当時、時計と言えば精密機械でした。

そのため、日露戦争が始まると、明治37年(1904)からは陸軍の砲弾の信管などを受注するようになります。

翌年には海軍からも依頼があり、機雷や魚雷発射管などの製造から、艦砲の射撃盤の国産化に協力するに至ります。

それに伴って、大正元年(1912)には社名を愛知時計電機と改称します。

 

大正9年(1920)、今度は海軍が設計した航空機の製造を依頼されます。

そこからは航空機技術者の育成に努め、大正14年(1925)にはドイツ機のライセンス生産を始める一方で自社設計も始め、昭和11年(1936)には完全自社設計の水上偵察機が初めて制式採用されます。

 

そして昭和14年(1939)には、名機「九九式艦上爆撃機(九九艦爆)」が制式採用されています。

「九九艦爆」は、大戦初期にはパイロットの練度が高かったこともあって、驚異的な命中率何度も記録しています。

九九艦爆は大戦中、連合軍の艦船を最も多く沈めた航空機だと言われています。

 

他にも、戦艦などの艦載機として最も多く採用された「零式水上偵察機」と、その後継の「瑞雲」も愛知製です。

また大戦末期、初めての急降下・水平兼用爆撃機となった「流星」や、潜水艦から発進してパナマ運河を爆撃する予定だった「晴嵐」も愛知製です。

 

 

 

 

なお、「九九艦爆」の後継となる「彗星」は、海軍が設計したものですが、愛知でも生産されていました。

また「彗星」に搭載されていた液冷(水冷)エンジン「アツタ」は、ダイムラーベンツ製ノックダウンの改良型ではありますが、愛知製です。

このエンジンは先述の「晴嵐」にも積まれています。

 

さらに愛知では、あの特攻ロケット兵器「桜花」も製造していました。

ただし、こちらも「彗星」同様、設計は別です。

 

……何言ってるのかわからないですよね。

はい大丈夫です。

正常な証です。

 

そんな愛知ですが、昭和20年(1945)6月の熱田空襲では攻撃の主目標となって壊滅的打撃を受けて、そのまま終戦を迎えます。

 

戦後は、愛知時計電機は量水器や時計の生産を、愛知航空機は自動車の生産を始めます。

 

そして作った自動車が、オート三輪の「ヂャイアント」であり、軽自動車の「コニー」です。

コニーといえばグッピーが有名……だと思ってるのは私だけですかそうですよね。

 

まあともかく、昭和22年(1947)から「ヂャイアント」の生産を始めた愛知機械(旧愛知航空機)は、オート三輪の衰退を察知した昭和34年(1959)からは軽四輪にスイッチして、昭和45年(1970)まで四輪車を生産しています。

 

 

 

 

しかし昭和40年(1965)に日産のエンジンやトランスミッションの製造を請け負うようになってからは、どうも下請けの方が儲かったようで、自社製の四輪からは撤退してしまいます。

そこからは、日産の「チェリー」、「サニートラック」、「バネット」、「セレナ」の製造を担当していたのですが、平成13年(2001)以降は完成車の製造からも撤退しています。

現在は、エンジンやトランスミッションの生産に特化しているようです。

 

一方、愛知時計の方は、最初に書いた通り時計業界からは既に撤退しているのですが、いつから時計をやめたのかについては、どこをどう調べてもわかりませんでした。

残念。

 

と、長くなりましたが、塾にあるのは、こんな歴史を持つ会社の時計です。

 

――今回はですね、もうどうせ全部は説明しきれないと思って、開き直って趣味全開で書いてみました。

すみませんほんと。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 


追記(塾内向けお知らせより引用)

 

一応お断りしておきますが、私は飛行機はあまり専門ではなくて、たしなむ程度です。

「艦これ」とかやっている人の方が詳しいんじゃないんでしょうか。

よく知りませんが。

 

古いクルマに関しては、まあまあそこそこ知っているつもりでしたが、今回の記事を書くまで三輪の「ヂャイアント」が「コニー」と同じ愛知機械だとは知りませんでした。

なんかですね、くろがねあたりのブランドなのかとテキトーに思い込んでいました。

「ヂャイアントコニー」が愛知機械だってことは知っていたのに、何ででしょうね。

要は、私なんてその程度だと。

オート三輪はあんまり得意じゃないんですよね。

ははは……。

 

(皆さんは、こっちに来ちゃダメですからね)

 

あすなろ95 血液型人間学?(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2009.09号

 

 

以前からこれを読んでいる方は十分ご承知だと思いますが、私は「科学の人」です。

科学的に正しいと証明されていないことは信用しません。

定期的に現れては消えるエセ科学~マイナスイオンだの、アミノ酸ダイエットだの、トルマリンだの~のブームは、私にとっては嘲笑(ちょうしょう)の対象でしかありませんでした。

わかっていたならともかく、本気で騙(だま)されて無駄なお金を使ってしまった人は、本当にご苦労様です。

 

さて、これらと同様に、もう何十年も前から、学術的に全く意味がないと否定されているのに、未だにすごい数の人が騙されているものがあります。

それが「血液型人間学」というものです。

 

バブル真っ盛りの80年代後半、この血液型の一大ブームが起こったことがありました。

そんな中の1986年、富山大学の学生が、卒業論文のテーマにこれを取り上げたことがあります。

こんな感じです。

 


血液型と関連があると思われる性格について、60項目の質問を作成しました。

それに対して、「はい」と「いいえ」で答えさせる調査を136人に対して行いました。

この「人間学」が正しいのなら、例えばO型の人の性格に合う質問なら、O型の人に「はい」が明確に多く、それ以外の人には「いいえ」が明確に多いはずです。

その違いが、測定誤差なのか有意な差(=意味のある差)かを見極めるために、統計学的に検定しました。


 

その結果、60個の質問の中で、有意な差が見られた回答は、たった3個だけでした。

しかもその3つは、

 

・血液型人間学によればO型に「はい」が多くなるはずの質問にAB型の「はい」が明らかに多くなってしまった項目

・B型が多くなるはずがAB型が多い項目

・B型が多くなるはずがO型が多い項目

 

の3つだったそうです。

つまり、60個も用意した「血液型別特徴」は、何一つ正しいものはないと、統計学的に否定されてしまったのでした。

 

別の調査もあります。

 

80年代に血液型ブームを巻き起こして大儲けをした能見正比古が亡き後、今は息子の能見俊賢が後を継いで布教活動に努めています。

その息子の著作では、各血液型の中にも4つのタイプがあるということになっているので、それに対応させた調査も行われました。

つまり、今回は血液型4種×4タイプの、16個の質問を用意して、自分に合うかどうかでまた「はい」と「いいえ」を聞いたわけです。

この調査では、大学生337名を対象に行われました。

 

結果、有意な差が現れたのは一項目のみでした。

そしてその項目も、AB型の性格のはずがO型となり、やはり「何一つ正しくない」という結果に終わりました。

 

もっと大規模な調査結果もあります。

 

TBS系全国28社テレビ局が、サンプルを無作為抽出して行っている意識調査に、血液型と関連があると言われる性格の質問項目を入れて、80年、82年、86年、88年の4回にわたり、総計12418名の調査を実施しています。

その結果を統計学的に検定したところ、全24項目の中で、毎回有意な差が出たとされる質問は1つだけでした。

しかしそれも、毎年同じ血液型に支持されたわけではありませんでした。

これはB型が多くなるはずの質問だったのですが、80年ではB型、82年はO型、86年ではB型、88年ではAB型に、多く支持されています。

 

結果に一貫性がないので、やはり血液型と性格との関連性は証明できていません。

 

血液型は、20世紀の始めに発見されました。

その新しい可能性に対して、日本の医師達が性格との関係を探ろうと模索する中、論文として最初に著(あらわ)されたのが1927年のことでした。

しかしその根拠は、各職業や行動に対して、21名の調査、12名の調査、18名の調査、など、実におそまつなものでした。

 

この学説は、1933年の日本法医学会総会にて、正式に否定されます。

 

その後、バブルの頃に流行した「血液型人間学」は、能見正比古がこれを掘り起こして、脚色しただけのものです。

現在のものも、基本的には昔のこれと変わっていません。

 

いいですか?

 

こんなものは、今から70年も前に、すでに「それはねえよ」という結論が出ているんです。

戦前の話ですよ。

 

ただ、一応フォローをいれますと、この手の本は確かに、うま~く騙せるような書き方をしてあります。

これは、占いでもよく使われる「テクニック」なのですが、どんな人が聞いても「自分に合っている」と思わせるようなことを言えばいいのです。

 

例えば、今日の占いをしてあげましょうか。

 


今日は、人間関係に注意。

自分勝手な行動を取ると、まわりとトラブルになるから注意してね。


 

……自分勝手な行動をとると、まわりとトラブルになるのは当たり前です。

よくある「今日の占い」なんてものの正体は、だいたいこんなレベルです。

 

では、こんな文章はどうでしょう?

 


・あなたは人に好かれ、尊敬されたいという強い欲求があります。

 

・自分の将来には希望を持っていますが、願望の中には非現実的なものもあります。

しかし、まだ使われていない潜在能力がたくさんあります。

 

・社会の秩序やルールを尊重し、それを守るために自制することができます。

しかし、制限や禁止事項が多いと、面白くないと感じます。

 

・内面の性格には弱いところもあり、時には自分の行動が正しかったのか、不安に陥ることもあります。

しかし、一般的にはそれを克服する能力はあります。

 

・放浪癖はありませんが、一度は行ってみたいと思っている場所が複数あります。


 

当たっているでしょ?

だって誰だって当たるように書きましたからね。

 

そしてこの冒頭を、「◆型の人は~」と書き換えて、内容を4つくらいに適当に振り分ければ、血液型人間学の完成です。

読む人は信じ切っていますから、自分に多少合わなかったときにも、自分なりに勝手に修正してくれるので便利なものです。

 

今では、外れたときの逃げ道も用意されています。

「性格チェック」から自分の「血液型度」を出したとき、実際の血液型と合えば「キミは素直」、合わなければ「自分を意外に知らないのかも」だそうですよ。

そんなどうにでもなるような書き方を読んだら、普通はそれでも信じる人なんてい……るんだろうなあ、やっぱり。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

参考文献:『「心理テスト」はウソでした。』村上宣寛

あすなろ132 牛乳(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2012.10号

 

涼しくなってきました。

 

冷蔵庫の牛乳が一日1リットルでは足りない季節もそろそろ終わりですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

ウチの子供達は、みんな牛乳好きです。

のどが渇いた時には水か牛乳です。

私も子供の頃は同じでした。

小学生の頃だったか、夏休みに弟と二人でいたとき、数時間で牛乳1リットルを開けたりしていました。

ただ、私の父親は、腸に牛乳耐性が無かったので、飲み過ぎはいかんいかんと言っていましたが。

 

私の友達にも、やはり腸が牛乳に弱い奴がいました。

が、高校生の頃に登場した「アカディ」という牛乳が腹をこわさないということで、毎日それを必ず買って飲んでいました。

 

牛乳が飲めない……というか、牛乳を飲むとお腹をこわしてしまう人は、牛乳に含まれる乳糖が分解できないのが原因です。

 

乳糖をうまく分解できない症状を乳糖不耐症といいます。

乳糖は、ラクターゼという消化酵素によって分解されますので、乳糖不耐症の人は、ラクターゼが十分に働いていないということになります。

しかし、だからといって病気というわけではありません。

 

乳児は、母乳を飲んで育ちます。

その頃は、先天的な異常が無い限り、腸内ではラクターゼがたくさん分泌されていて、乳糖をどんどん分解しています。

しかし、いわゆる乳離れ後は、ラクターゼをそれほど必要としなくなるために、分泌量が減少します。

その結果、大量に乳を飲むことに耐えられなくなり、乳糖不耐症を起こす、というわけです。

 

つまり、オトナの哺乳類なら、牛乳を飲み過ぎたらお腹をこわすのは、ある意味当たり前のことだとも言えます。

 

しかし、日常的に牛乳を飲み続けている場合は、ラクターゼの分泌量は、それほど減少しません。

言ってみれば、体が牛乳に対応しているわけです。

そこで、子供の頃から牛乳を日常的に摂取している人は、成人しても牛乳を普通に飲めるのです。

 

実は、乳糖不耐症の人でも、大抵は牛乳に「適応」することができます。

毎日少しずつでも牛乳を飲み続ければ、そのうちにラクターゼの分泌量が上がってきて、普通に飲めるようになってしまうのだそうです。

もちろん、先天的にラクターゼが出ない人はどうしようもないですが、人間ってすごいですね。

 

という話をしたところで、怪しい科学を紹介しましょうか。

 

いつの時代も、アレが悪いコレが危ないと、ありもしない危機をあおり立てる輩が尽きないわけですが、牛乳に対しても毒だの危ないだの主張する人がいます。

私は知らなかったのですが、10年くらい前に、そういう内容の本が出版されたようですね。

 

ラクターゼ不足の件に関しても、

 

「離乳期を過ぎて乳を飲む動物は人間だけであり、異常」

「牛乳は、仔牛が育つための成分しか入ってないので、人間には合わない」

「昔から飲んでいた西洋人はともかく、明治以降(または戦後)飲み始めたばかりの日本人は牛乳を飲むようにできていない」

 

などと、えーと、この人達は何を言っているんでしょうね。

 

酒を飲むのは人間だけですが、こっちはどうなんでしょうか。

仔牛のための成分だからというのなら、卵はひよこのための成分ですし、コメはイネが育つための成分なのですが。

 

また、日本書紀には神武天皇が将兵に『牛酒』(ししさけ)を賜るという話があります。

この牛酒は牛乳のことであり、ここから日本でも弥生時代から牛乳が飲まれていたと考えられています。

つまり、戦後どころか2000年の歴史があるわけなのですが。

 

とはいっても実をいうと、確かに西洋人の方が牛乳を飲むに適した体質を持っています。

つまり、成人してもラクターゼを普通に出せる人の割合が、他の人種よりも高いのです。

 

しかし、だからといって、西洋人がみんな日常的に牛乳を飲み続けていたわけではありません。

ヤギやヒツジが家畜となったのは紀元前8000年、ウシは紀元前6000年とも言われていますので、確かにかなり長い歴史があります。

ところが西洋諸国でも、本当につい最近まで、乳はバター、チーズなどに使われるのがほとんどで、飲用とされるのはごく一部でした。

 

理由は簡単です。

冷蔵庫がないと、すぐに腐るからです。

今のような殺菌技術が無かった頃は、さらに足が早かったと思われますので、搾乳された牛乳はどんどん加工に回されていたことでしょう。

 

ところで、しぼった牛乳は、そのまま放置しておくと、トロリとした脂肪分が浮いてきます。

これが、本来の「クリーム」です。

そしてこれを攪拌すると、「バター」ができます。

バターを採ったあとの残り汁は「乳清」と呼ばれています。

ホエイとかホエーとか表記されることもあります。

 

ホエイは、昔は全部捨てられていたのですが、豚に与えると良質の肉になるということで飼料として使われたり、これを乾燥させたホエイパウダーはいろいろな食品の材料として利用されています。

 

牛乳批判の話に戻ります。

すごいことが書かれていますので、引用します。

 


牛乳を飲むと血液中のカルシウムが急激に上昇します。

人体は体内のバランスを保つために余剰のカルシウムを体外に排出しようとします。

この際、カルシウムだけでなくその他様々な栄養素も一緒に排出され、これが「骨粗しょう症の原因」となるのです。


 

うわぁ……頭がくらくらします。

 

この理屈でいうと、蛋白質をとればアミノ酸を排出して、炭水化物を取れば糖類を排出するというスーパー生物ができあがります。

どうやって生きていくのでしょうね。

 

カルシウムイオンは、血液にとって特に重要なので、常に厳密に濃度が保たれています。

そして、少しでも濃度が下がったら骨から供給して、逆に濃度が上がったら骨にため込みます。

安易に排出なんてするわけないじゃないですか。

もったいない。

 

その他さまざまな栄養素が排出されるというのなら、その人は腎臓の病気です。

早く治療した方がいいですね。

 

「現代酪農の乳牛は、妊娠しながら搾乳されるので大量の女性ホルモンが含まれている。

それを子供に飲ませるのか」

なんて記事も見つけました。

でも女性ホルモンって、経口摂取しても消化、分解しちゃうんですよね。

それともこの人は、牛乳を血管注射しているんでしょうか。

 

要するに、こういうおかしな人に騙されちゃダメですよ、ということです。

血液型性格診断とか右脳左脳論とか胎教とか酸素水とか、この手のネタは尽きませんねほんと。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

あすなろ147 アンパンマン(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2014.01号

 

平成25年も、すっかり暮れてきました。

 

私が一年間、娘に着せる服のことばかりを考えているうちに、世間様ではいろいろなことがあったようです。

 

その中で、ヲタクな私的に最も大きかったニュースは、やなせたかし氏の訃報でした。

94歳の大往生でした。

 

やなせたかし(以下敬称略)は、ご存じのとおりアンパンマンの作者です。

漫画好きな私にとっては、日本漫画協会の理事長・会長という一面もありました。

また、昔は高島屋の冊子(?)に載っていた「リトル・ボオ」というマンガを目にしていたので、名前だけは子供の頃から知っていました。

 

やなせたかしの人生やアンパンマンが生まれたエピソードに関しては、各方面へのインタビューに語り尽くされていますが、それでも改めて紹介してみたいと思います。

 

最初にアンパンマンが登場したのは1969年のことで、「十二の真珠」という短編集の中の一話でした。

 

これは、妙な格好のおじさんが、戦時下の空を飛んで、飢えた子供にアンパンを届けるという話でした。

しかし、大人からも、アンパンを受け取った子供からも、努力は全く認められず、最後は高射砲に撃たれて終わり、という救われない結末でした。

 

 

同じ頃に書いた「チリンのすず」という話もあるのですが、こちらは、オオカミに復讐するために化け物になったヒツジが、ついに復讐を果たすもののもう仲間の所には戻れずにどこかへと去っていく、というものです。

 

その少し前、やなせが書いた「やさしいライオン」は、犬に育てて貰ったライオンが、年老いたその犬を看取りに帰ったところで、人間に撃たれて終わる話でした。

 

どうもこの人は、こういった話を書く人だったようです。

 

やなせは終戦まで中国大陸で兵役を務めていました。

その後終戦によって正義が逆転する様子を見ているので、「本当の正義とは?」という自問があったようです。

同時に、前線では無かったにせよ、戦地に赴いていたためか、今の日本人とは死生観が違っていたのかもしれません。

 

死生観が違うと言えば、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるの場合は、こんなもんじゃないです。

水木は最前線で敵の攻撃に仲間がバタバタ死ぬのを見ていて、自分も左腕を失ってからは単独で現地人の襲撃から逃げ回ってきたという経験を持っていますので、彼の漫画では実にあっさりと人が死にます。

なお、彼のいた部隊は、その後玉砕しています。

 

初代アンパンマンから2年後、「何でも屋だった」やなせは、フレーベル館から幼稚園向け絵本の執筆を依頼されます。

しかし、

 


その頃の幼児絵本というのは、「くまちゃん でてきて ころころ」とかですね、「ぶらんこ ぶらぶら うれしいな」みたいなやつなんですよ。

こんなものは描けねえ。


 

とやなせ本人が語るとおり、幼児向けの絵本なのに、小学生以上向けのつもりで話を作ってしまいます。

 

これが、二代目アンパンマンでした。

 

それでも一応、子供向けということで、頭をアンパンにして、最後はまた元気よく飛んでいくというラストに仕立てています。

が、

 

 

頭のアンパンを飢えた人に与えていく度に、自分は減っていってしまいます。

しかも、

 

 

最初の登場シーンから、マントは既にボロボロです。

上記「くまちゃん」の世界からは、かけ離れているということがわかります。

 

この本のあとがきに、やなせ自身は、

 


子どもたちとおんなじに、ボクもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということ

です。

ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。

(後略)


 

と書いています。

これが、現在まで続くアンパンマン精神の始まりでした。

 

しかしこれを発表した当初、幼稚園や評論家からはクレームが大量に来て、出版社からも「もうあんなものは描かないでください」と言われたそうです。

まあ、そうですよね。

汚い格好した人が自分を食べさせて、顔半分とか顔無しとかの状態で飛んでいくわけですから。

大人視点では残酷モノです。

 

しかし、実際には園児に大ヒットしてしまいます。

いつも貸し出し中となってしまうほどの人気になってしまったために、もっと頭身を幼児向けのルックスに直した続編「それいけ!アンパンマン」シリーズを描き始めることになります。

そうやって、絵本が本格的に売れ始めたのが1980年頃。

その頃、やなせは既に60歳を超えていました。

 

88年にアニメ化したときも、最初は売れない時間帯で開始イベントもスポンサーも無く、しかも関東限定でした。

しかしすぐに人気番組になって全国放送が始まり、現在に至ります。

実に遅咲きの人生でした。

 

ところで、やなせの功績は色々と言われていますが、私が個人的に考える一番の功績は、

「幼児グッズからディズニーを駆逐したこと」

だと思っています。

 

アニメのアンパンマン登場以前は、幼児向けキャラというものが、国産では基本的にはありませんでした。

比較的近いドラえもんは、せいぜい小学校低学年までです。

もっと下の未就学児向け、特に三歳以下向けの服では、名のあるキャラといえば「くまプー」がほぼ唯一だったのです。

ミッフィーなどの他の外国勢キャラも確かにありましたが、ほぼ「くまプー」席巻状態でした。

 

それが今や、赤ちゃん服やスタイも、「文字を学ぼう」レベルの本も、ゲームコーナーの幼児用筐体も、アンパンマン一色です。

 

日本のキャラクター界における、最後の外国勢を倒したヒーローがアンパンマンではないか。

私は、そんな解釈をしています。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ178 蟲のこゑ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2016.08号

 

今年も7月になった頃から、ニイニイゼミが鳴き始めました。

そろそろそんな季節です。

 

セミの声は、おおよそ今がシーズン開始となるわけですが、キリギリスコオロギ類においては、すでに春先からシーズン入りしています。

が、ここであんまり細かい話をしても誰もついてこないと思いますので、もっと基礎知識のお話をします。

 

唱歌「虫のこえ」はご存じかと思います。

いわゆる秋の虫の声は、この歌によって知った方も多いと思います。

というか、ほとんどの方がこれで覚えたのではないかと思っていますので、これに沿って話をしていきます。

 

とりあえず、歌詞の確認です。

 


蟲のこゑ

一、

あれ松蟲が鳴いてゐる。

ちんちろちんちろ ちんちろりん。

あれ鈴蟲も鳴きだした。

りんりんりんりん りいんりん。

あきの夜長を鳴き通す

あヽおもしろい蟲のこゑ。

二、

きりきりきりきり きりぎりす。

がちやがちやがちやがちや くつわ蟲。

あとから馬おひおひついて

ちよんちよんちよんちよん すいつちよん。

秋の夜長を鳴き通す

あヽおもしろい蟲のこゑ。


 

初出は1910年です。

この歌詞で「きりぎりす」だった部分は、1932年には「こほろぎや」に改められています。

 

さて、ここに色々な虫の名前が登場したのですが、それぞれの姿を想像できますか?

 

最初に登場する「松蟲」ことマツムシは、こんな昆虫です。

 

 

鳴き声は「ちんちろりん」とありまして、図鑑でも大抵はそうなっていますが、実際に聞くと「ピッピリリッ」というような声です。

音が鋭いために、ちょっと電子音っぽい感じがするかもしれません。

筑波周辺でも鳴き声は確認しましたが、草深い所にいますので、姿を見る機会は滅多にないかもしれません。

 

次の「鈴蟲」ことスズムシは有名ですね。

時には生体が店頭販売もされています。

 

 

鳴き声は「りいんりん」は、図鑑でも「リーン リーン」となっています。

実際に飼うとそんな声で鳴くのですが、野外では「リリリリリ リリリリリ」と鳴いていることの方が多いと思います。

これは「呼び鳴き」というもので、単独ではこちらが普通の鳴き方です。

対して前者の「口説き鳴き」は、メスが近くにいるときだけ使われます。

飼育下では、オスもメスも高密度でいますので、口説き鳴きばかりになってしまっているだけです。

 

次の「きりぎりす」改め「こほろぎ」は、一度は見たことはあると思います。

 

 

コオロギの種類はかなりありますので、今回は代表としてエンマコオロギを上げてみました。

よく見かける中では一番大きい種類です。

これの鳴き方は、図鑑上で「コロコロリー」と聞きなされています。

実音では、「コロコロ」の部分が、歌詞のように「きりきり」に聞こえなくもないです。

他に、よく耳にするツヅレサセコオロギやハラオカメコオロギあたりだとしても、「リーリー」や「リッリッリッ」が「きりきり」と聞けなくもないですから、「こほろぎ」の鳴き声としては、おおよそ間違っていないでしょう。

 

次は「くつわ蟲」ことクツワムシです。

 

歌の通り、鳴き声はガチャガチャです。

シャカシャカともシャキシャキとも聞こえます。

もしかしたらモーターのような機械音っぽく聞こえるかもしれません。

音量はかなり大きめですので、一度でも聞けばすぐにわかります。

雑木林の周辺などの深い草むらあたりでよく聞かれます。

 

「馬おひ」ことウマオイは、別名がスイッチョンと言われる通り、「スイーッチョ」または「シーッチョ」を涼やかに繰り返して鳴き続けます。

これも深い草むらにいます。

 

クツワムシとウマオイは、キリギリスの仲間です。

先に紹介した三種はコオロギの仲間で、翅(はね)を立てて鳴くのですが、この二種は鳴くときも翅は立てません。

 

 

一方、歌詞の中では途中で消えてしまったキリギリスは、「ギイーーッ ・・・ チョン」と鳴きます。

 

 

さて、歌詞が「きりぎりす」から「こほろぎ」に改められた理由は、

「昔はキリギリスとコオロギの呼び名は逆だったから」

「キリキリという鳴き声は今で言うところのコオロギだから」

と書いてあるのを見かけます。

 

しかしこの、昔は昔はという昔って、果たしていつごろのことなのか、ちょっと怪しいんですよね。

確かに平安時代はそうでした。

スズムシとマツムシの呼び名も逆でした。

カネタタキの鳴き声はミノムシの鳴き声だと思われていました。

しかし、明治も明けた1910年当時も平安時代と同じ呼び方だった……? なんていう話は、素直に信じられないんですよ。

 

このあたりは、機会がありましたら、当時の図鑑などを調べて確認してみようと思います。

まあ、そのうちに。

 

あと、さらに邪推すれば、作者はキリギリスの鳴き声を知らなくて、

「キリギリスだからキリキリなんじゃね?」

なんて考えた可能性もゼロではありません。

こちらは作者の名誉のために、そうじゃないと信じることにしますが。

 

ただ私としては、さらに全く別の理由で変えたのではないか、と思ってもいます。

それは、キリギリスは「あーきのよながをなきとお」さない、真夏の昼間に鳴く虫だからです。

夜に鳴くこともあるそうですが、普通は暗くなったら静まりますし、10月になったら既にいなくなっています。

夏の日差しの中、セミの声をバックに鳴くような虫なのです。

 

しかし、子供向けの本では「秋の虫」にキリギリスが入っていることがあります。

時折あります。

……いや、時折どころじゃないですね。

結構よくあります。

 

でも残念ですがハズレでーす。

でーす。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

あすなろ166 虫の声の聞こえ方?(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2015.08号

 

最近聞いた話。

 

虫の鳴き声を聞くとき、日本人はそれを「言語」として聞くが、西洋人は「雑音」としか聞かないし聞こえない、とかなんとか。

それは脳の働きが違うとか。

 

んん~~?

脳だとお?

ホントかそれ??

 

どうも私は、そういう

「科学っぽい用語の入ったもっともらしい話」

からは、エセ科学臭さを感じてしまうのです。

 

まずは、原文に近いと思われる物を一部引用してみます。

(何カ所か中略しています)

 


東京医科歯科大学の角田忠信教授がキューバで開かれた国際学会に参加した時の事である。

教授は会場を覆う激しい「虫の音」に気をとられていた。

なるほど暑い国だな、と感心して、周囲の人に何という虫かと尋ねてみたが、だれも何も聞こえないという。

ようやくパーティが終わって、キューバ人の若い男女二人と帰途についたが、静かな夜道には、さきほどよりももっと激しく虫の音が聞こえる。

教授が何度も虫の鳴く草むらを指して示しても、二人は立ち止まって真剣に聴き入るのだが、何も聞こえないようだ。

3日目になってようやく男性は虫の音に気づくようになった。

しかし、それ以上の感心は示さなかった。

女性の方は、ついに一週間しても分からないままで終わった。


 

ここまでの話に限れば、私なりには一応納得いく話ではあります。

 

確かに平均的西洋人は、日本人のようには虫の声に興味を持ちません。

というよりそもそも、害虫以外に興味がありません。

そのため、例えば明治期に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本では虫が売られていて、人々は虫の音を楽しむという行為を、日本独特の文化として紹介しています。

 

注:

小泉八雲は、明治期に日本で見聞きした文化を英文で書いたイギリス人です。

日本人女性と結婚して日本に帰化しました。

代表作に「怪談」など。

 

西洋人が伝統的に虫に対して興味が浅い証拠としては、虫を表す語が単調であることからも推測できます。

 

日本語の虫の名前には、○○ムシになるものと○○ムシにならないものがあります。

例えば前者はカブトムシ、カメムシ、スズムシなどで、後者はハチ、ハエ、トンボなどです。

英語の場合は、このムシにあたる言葉がバグbug=歩く虫、ワームworm=いも虫、フライfly=飛ぶ虫あたりなのですが、虫の名前を英訳すると、日本語よりも明らかに、○○バグか○○フライになる場合が多いです。

 

もちろん、アリant、ハチbee、コオロギcricketなどの言葉もあります。

しかし、バッタは「草跳びgrasshopper」でミミズは「地面イモムシearthworm」というように「熟語」になっていたり、ムカデCentipedeはラテン語そのものだったりしますので、日本語よりも比較的新しい単語が多いことがわかります。

ただし、日本でもチョウ(蝶)のように漢語から来ている「外来語」もあります。

 

また、キリギリスやカゲロウなど、日本語に相当する英語がないこともあります。

さらには、セミcicadaが鳴くことはあっても、その辺のアメリカ人はセミという単語を知らなかったりします。

日本のように、映画やテレビで蝉の鳴き声を「夏の効果音」として使うこともありません。

 

西洋というのはそんな文化ですので、わざわざ虫の声なんぞを聞こうという意識は、最初からない、と言われても、全く不思議ではありません。

 

さらに、虫の声というものは、ものによっては音の高さ(周波数)の関係で人や鳥、犬、猫などの声と比べると「異質な音」となる場合がありますので、ものによっては、聞こうという意識がないと聞こえません

 

人間は、聞く必要のない音は、無意識下に遮断することがあります。

雨の音やエアコンの風の音、時計のチクタク音などは、ふと気付くと音が消えていたような錯覚に陥ることがあります。

虫の声というものを、普段からこのような「雑音」として捉えていると、「聞こえるけど聞こえない」ということになる可能性も、確かにあります。

 

しかし日本人の場合は、セミにせよコオロギにせよ、「虫の声を季節として捉える」という文化がありますので、子供の頃からそういう音を意識して聞く習慣があります。

しかも、「鈴虫はリーンリーン、松虫はチンチロリン」と、音を日本語に「翻訳」しているために、雑音ではなく言葉として捉えやすいのだろうと思います。

 

その上、虫の声は先に述べたとおり、周波数が特殊な場合があります。

 

音の高さを周波数で表すと、人間の耳の可聴域は、20~20000Hz(数字が大きい方が高音)ということになっています。

 

しかし、人間の出せる声は400~1000Hzが限界です。

また、ピアノの音は27.5~4186Hzで、これが音楽として使われる音の最大範囲(ピアノの音域を超える楽器はトライアングルとシンバルくらい)ですので、これよりも高い音や低い音は、普通の人にとっては「聞く必要の無い音」とも言えます。

 

ところが、キリギリス類の声は、10000Hzを超えるものがゴロゴロいます。

16000Hzというのもいますが、このくらいになってくると、人間に聞こえる限界に近い音です。

例えばクビキリギスの鳴き声は「ジ――」というように聞こえながらも、耳がツーンとなるような感じがします。

実は、この「ツーン」が、本来の鳴き声なのです。

 

最近は、「モスキート音」という言葉がありまして、

「人間の聞こえる限界近い高音で、若者には聞こえるけどオトナには聞こえないという音」

のことを言うようですが、要するにそんな音の高さです。

ただし、本当の蚊(モスキート)の羽音は350~600Hzしかありません。

 

さらに、バッタ類のように、シャカシャカという「かすれ声」のような音質で鳴くものもいます。

このような音になってくると、「虫の声が聞こえるはずの日本人(笑)」でも、

「今鳴いてるね」

「え?わかんない」

という会話になることがあります。

 

秋の虫の声をある程度勉強した私でも、色々な声が混ざっているときには、聞きたい音に合わせて、意識的に「耳のチャンネル切り替え」をしないと、目的の音を聞き出せないこともあります。

 

というわけですので、まあここまでは良しとします。

しかし……

 


左右の耳に同時に違ったメロディーを流して、その後で、どちらのメロディーを聴きとれたかを調べると、常に左耳から聴いた方がよく認識されている事が分かる。
同様に、違う言葉を左右から同時に聴かせると、右耳、すなわち左脳の方がよく認識する。


 

これはない(笑)

 

「三角法」という、鳴く虫の位置を耳で聞きながら特定する手法があるのですが、左右で聞こえ方が違ったら、虫は探せませんね。

 

というわけで、私の中ではエセ科学決定となりました。

あー残念残念。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ183 おすすめクラシック(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2017.01号

 

年末ですね。

 

サンタさんって、いつまで来るのでしょうか?

何年か前、我が家がサンタさんに問い合わせたところ、

「プレゼントをもらえるのは6年生まで」

とお返事をいただきました。

6年生までなのだそうです。

ご存じでしたか。

知らなかったらよーく覚えておきましょう。

 

サンタなんて人はいない?

いやいやいや何言ってるんですか。

確かにいますって。

だって、数年前のクリスマスには、夜中に私の眼鏡を踏みつぶしていきましたから。

マジですこれ。

翌日修理に持って行った眼鏡屋さんが証人です。

ほんと思わぬ出費ですよ。

全くひどいサンタもいたものです。

 

年末といえば、どういうわけなのかベートーベン交響曲第九番「合唱付き」がよく演奏されます。

これは戦後始まった日本独特の風習で、特に深い意味はないようです。

 

ベートーベン九番と言えば、例の歌の部分ばっかりが有名なのですが、実際に歌が入るのは、最後の第4楽章Bだけです。

(九番の楽章は1・2・3・4A・4Bの5つと呼ぶのが最近の流行のようです 4Bとはつまり第五楽章のことです)

歌の人たちは、それまで出番無しです。

だからといって、楽章間に入って行くにはコーラスの人たちは多すぎると思うんですよね。

となると、やっぱり一番初めから後ろに並んでいるのでしょうか。

このあたり、ちゃんと見たことがないので知らないんですよ。

 

ちなみに、今手許にあるカラヤン指揮の九番では、最初から4Aが終わるまで、49分もかかっています。

全曲が終わるまでは1時間7分です。

コーラスはともかく、指揮者は大変ですねこれ。

改めてすごい曲ですわ。

 

あとですね、あれの4Aって、実は4Bの前半とほぼ同じ曲なんですよ。

ちょうど、4Bの歌無しバージョンみたいな感じの曲なのです。

となると、後ろに立っているコーラスさん達は、その4Bを聞いている間は、やっぱり頭の中で歌いながら予行演習とかしちゃったりしているのでしょうか。

 

……なんてことを、九番を聞く度に思っています。

 

なんだか偉そうに文句ばっかりつけているようですが、九番はいい曲であることは間違いありません。

私はベートーベンの交響曲が好きで、よくクルマの中で聞いております。

各曲は、だいたいこんなイメージです。

※ 私見です。私は専門家ではありません。

 

一番……なんかモーツァルトみたい。

二番……ちょっと色々試しちゃおうかな。

三番四番……型を破ってやるぜ。どや?

六番……ストーリー仕立てにしてみちゃったり。楽章をつなげてみちゃったり。

五番(六番と同時作曲)……こっちは純粋に音楽の究極を目指す。俺らしさを探す。

七番八番……見つけたぜ俺スタイル!

九番……やりたいこと全部詰め込んだる。今度はノリじゃない。大人の曲だ。

 

――機会があったら、他の曲もぜひ聴いてみてください。

 

最初に手をだすなら、有名な五番以外では、六番や七番あたりがお勧めです。

六番「田園」は、各楽章に副題がついていますので、音に対してイメージを連想しやすくて入りやすいでしょう。

この六番は中学生の頃、何回聞いたかわかりません。

そして七番は、全楽章がノリノリでかっこよくて隙が無い曲です。

 

指揮者では、まずはカラヤンやバーンスタインあたりのスタンダードなテンポを聞き込むのがいいと思います。

で、歌えるくらいに覚えてきた頃にラトルを聞いて、その挑戦的な曲調に感激する、などという、クラシックならではの楽しみ方もあります。

 

ところで、日本人が好きなクラシックというものがあるみたいです。

ベートーベン第五番「運命」、シューベルト「未完成」、ドヴォルザーク「新世界より」の3曲の2曲が入っていれば、そのコンサートは成功するとか、小学生の頃に聞いたことがあります。

ベートーベン以外ならば、このあたりはとりあえず押さえておくべき曲でしょう。

特に「新世界より」は、知っているメロディが入っていますので、聞きやすいと思います。

(よく「新世界」と書かれている文を見ますが、あれはFrom the New Worldですので「新世界より」が正解です)

 

また、聞きやすいクラシックといえば、モーツァルトは絶対に外せません。

ほとんどの曲が、軽くあっさり聞けてしまうために、よく「リラックス」だの「胎教」だの「アルファ波」という副題をつけて安いCDが売られちゃったりしますが、モーツァルトならばリラックスというイメージは、ちょっと違うんじゃないかと思います。

交響曲第25番の第1楽章とか40番の第4楽章を聞いてリラックスとか言う奴がいたら、そいつはきっと頭おかしいでしょう。

 

なお、モーツァルトは壮絶な人生を送っています。

是非一度、伝記を読んでみてください。

二度とリラックスなんて言えなくなると思います。

また、どこかのサイトでは「モーツァルトはアルファ波に合う曲を発見した最初の作曲家」なんてアホな記事を読んだことがありますが、彼は当時単に、売れる曲というものを研究し尽くして作っただけです。

 

とこんなふうに、私は交響曲が好きなのですが、それ以外では室内管弦楽やワルツあたりも好きです。

 

室内管弦楽というのは正式な音楽ジャンルの名前ではなくて、小規模なオーケストラのことです。

ヴィヴァルディの「四季」とかモーツァルトの「アイネクライネナハトムジーク」のような、バイオリン中心の曲の数々です。

 

「ツィゴイネルワイゼン」という速弾きで有名な曲は、高校生の頃にハマりました。

マンガなどでバイオリンの独奏というシーンが出てくると、頭の中を流れるのは「タイースの瞑想曲」です。

ベートーベンの「ロマンス」2曲は、もう何回聞いたのかわかりませんが、未だに曲が終わったときに繰り返しのボタンを押すことがあります。

 

同じく高校生の頃、バレエ音楽の「くるみ割り人形」にも超ハマりました。

当時、家にあったカセットテープは、あんまり聞き込んだので、最後は端の方がシワシワになってしまったほどです。

 

バレエ音楽は、短めの曲であるために、やはり手を出しやすいと思います。

特にくるみ割り人形は、ほとんどの曲が2~3分で、しかも聞いたことがある曲が何曲かあるはずですので、きっと気に入ること請け合いです。

私の車内ではクラシックを流していることが多いのですが、幼稚園の頃の娘が最初に気に入ったのは、このくるみ割り人形でした。

 

小曲集では、やはり高校生の頃に、「ハンガリー舞曲(ブラームス)」にも超ハマりました。

全21曲あるのですが、こちらも各曲は1~2分しかありません。

そして、多分全曲が、途中でテンポが変わります。

この短い演奏時間の中で、速くなったり遅くなったりします。

しかも全体的にノリがとてもいいので、運転中の音楽としても優秀だと信じています。

同様のもので、「スラブ舞曲(ドボルザーク)」というものもあります。

 

また、バレエ音楽には必ずワルツが入っているところから、ワルツにも興味を持って手を出しました。

ワルツ王と呼ばれるヨハン・シュトラウスの曲は、大学生の頃に結構集めました。

いやあ、もう最高ですよシュトラウス。

 

クラシックの良いところは、何年聞いても古くならないことです。

一生つきあえます。

流行はありませんので、違う世代とも話が合います。

 

ご一緒にいかがでしょうか。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ197 ピアノ

あすなろ

 

 

 

2017.03号

 

東大生は、ピアノを習っていた子が多い、なんて調査結果があるそうです。

 

実は私は、幼稚園か小学校低学年の頃に、親にピアノを習わないか、と誘われたことがあります。

 

しかし、その頃の私にとっては、

「ピアノ=女がやるもの」

というイメージが強かったので、女みたいでヤだなあ、と思って、即答で断りました。

私が残念ながら東大出身ではないのは、そんないきさつがあるのです。

 

いや、それは無理がありますか。

 

まあ、東大はおいておくとしても、これまで見る限り成績上位の層は、確かにピアノ経験者の割合が高い気がします。

 

これは多分ですね、楽器というものは、つまらない反復練習に耐えてなければならないので、努力に耐えるだけの精神力が育つからなのかなあ、などと私は解釈しています。

 

反復練習に耐えるという点に関しては、ピアノに限らず、スポーツも同じでしょう。

 

しかし大抵のスポーツは、仲間と一緒に盛り上がったり競争したりしながらがんばることができます。

しかしピアノは基本的に、一人で耐えるしかありません。

 

また、スポーツは年に何回も試合があって、練習の成果を発揮する(発散する)機会が沢山ありますが、ピアノの発表会は、普通は年一回くらいしかありません。

それ以外は、ひたすら練習だけで一年が過ぎるわけです。

 

そりゃあ、精神は鍛えられますよね。

 

ところで、私はクラシックをよく聴いているのですが、ピアノ曲はあまり聴きません。

というのも、フルオーケストラに比べると、何となく地味で退屈な感じがするからです。

 

でも考えてみれば、楽器一つの曲とフルオーケストラを比べているわけですから、地味なのは当たり前なんですよね。

それよりも見方を変えると、楽器一つで曲が「完結」しているのは、ある意味すごいことです。

 

一台の楽器だけで音楽CDが作れちゃうものといえば、ピアノ以外ではオルガンとギターくらいでしょうか。

あとは、琴とか?

 

ともかく、ピアノがそれだけ多彩な曲を弾ける理由は、一つは鍵盤という装置による和音の弾き易さでしょう。

鍵盤が付いていない楽器では、同時に出せる音はせいぜい4音までです。

※ ギターの重音は、厳密には違うということで

 

そしてもう一つは、その音階の広さです。

 

以前にどこかで書きましたが、一般的なピアノの出せる音の幅は、オーケストラで使われる全楽器の音域を超えています。

例外は、シンバルとトライアングルくらいです。

あの音の高さは、確かにピアノでは出せません。

でもあれば「音階」じゃないですから。

 

ピアノの原型となるのは、チェンバロという楽器です。

クラブサンとも言います。

 

 

一見すると、ピアノと同じような形の鍵盤楽器で、中に音の数だけ弦を張ってあるところも同じです。

しかしその音は、ちょうどオルゴールのように、鋭く金属的に響きます。

 

これは、弦を金属のピンではじくという方法で音を出しているからです。

ですからチェンバロでは、音の強弱はつけられませんでした。

強弱を付けられないという点では、オルガンも同様です。

 

それに対して、弦をハンマーで叩くことで、音の強弱をつけられるようになったのがピアノです。

そこで、強弱を付けられる楽器ということで、「ピアノフォルテ」と名付けられました。

これがピアノの語源です。

音楽記号の「p」と、全く同じ意味なのです。

 

チェンバロをしばらく聞いてからピアノを聞くと、音が丸く聞こえます。

ですから、ピアノの方が滑らかに聞こえる一方で、メリハリが少ないというか、締まりが無いというか、そんな風にも感じられます。

 

……私が、ピアノ曲をバイオリンほどは聴く気にならないのは、もしかしたらこれが理由なのかもしれません。

 

私の感想はいいとして、ピアノは楽器の中では、万能性はトップクラスであることは間違いありません。

世界のあらゆる曲が、ピアノ用にアレンジされて演奏されています。

 

しかしそんなピアノでも、苦手な曲はあります。

例えば、バッハの「Air」、いわゆる「G線上のアリア」です。

主にバイオリンで演奏される曲です。

 

このアリアは、最初は全音符から始まります。

速度はレント(Lento:ゆっくり)ですので、この一音はだいたい10秒くらい続きます。

しかもこの音には、クレッシェンド(だんだん強く)がついています。

 

これ、ピアノでは絶対に再現不可能です。

 

実際には、アリアもピアノでもよく演奏されいます。

しかし聴いてみると、元々静かな曲ですので、例の最初の一音は、ペダルを踏んでも一秒程度しか音が続いていません。

やっぱ無理があるよなあ、という感じです。

 

ただ、バイオリンのアリアは、普通は伴奏付きでしか弾きませんので、その点では一人で伴奏まで弾けるピアノにはかないません。

 

※ バイオリンでも、ピチカートを駆使すれば完全ソロでアリアが弾けることを最近知りましたが、知る限りそれができているのは一人だけです。

 

同様に、音をどんどん重ねていくオルガン曲も、やはりピアノではきついジャンルです。

 

この度「主よ人の望みの喜びよ」のピアノ版をいくつか聴いてみたのですが、プロの演奏でも、やっぱり何か違うんですよね。

あの曲は、両手の短音と、足の鍵盤の長音が重ねられるオルガンだからこそ弾ける曲だ、ということが、改めてよくわかりました。

 

ピアノ版「トッカータとフーガ」になるとその差は顕著で、何倍音も重なるオルガンの迫力には全くかないません。

このあたりが、打楽器としてのピアノの限界なのでしょう。

 

さて、ヨーロッパ育ちのピアノですが、現在ピアノメーカーで世界最大手といえばどこか、ご存じでしょうか。

 

知らない方が多いのですが、世界一のピアノメーカーは、日本のヤマハです。

というか、ヤマハは楽器メーカーとしても世界一です。

なお「ピアニカ」も、ヤマハの商品名です。

 

ちなみに、世界二位は河合楽器です。

両方とも、静岡県浜松市にあるメーカーですね。

そして、ヤマハと河合の2社で、世界のピアノの99%を生産しています。

 

一方、電子ピアノを最初に国産化したのはローランドというメーカーですが、ここも今は浜松に本社があります。

すごいですね浜松。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

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