2018年4月
あすなろ98 ダストトレイル(過去記事)
2009.12号
ここ最近、マスコミニュースで、天文ネタが取り上げられることが多くなった気がします。
テレビの天気予報がバラエティー化して、各局で視聴率を競うようになってから、天気予報のついでにそんなことを言うようになったのかなあなんて思っていますけど、テレビを見ない私はよくわかりません。
ただ、比較的星好きな私としては、まあ悪い気はしていません。
今年になってからは、7月の皆既日食に加えて、流星群が2回ほど話題にあがったみたいです。
2年前には、水星の太陽面通過(太陽の手前を水星が通過)なんていう、普通の人は言葉すら知らんだろというような話題を、カミサンはラジオで聞いたらしいですね。
どうやら、私が高校で天文気象部の部長をやっていた頃より、マスコミに乗る情報の量が、確実にあがっているようです。
ただその一方で、現在無人で宇宙空間を航行中の小惑星探査機はやぶさが、
「故障して停止していた2台のエンジンから、正常に使える部品だけを電子回路で繋いで、1台分の推力を出すことに成功したニュース」
なんてものは、全くマスコミで取り上げられていませんね。(*)
予め、あらゆる事態を想定して、電子回路でエンジン間をつないでいたらしいのですが、それでも考えてみてください。
月よりも遙かに遠い位置にある探査機を、遠隔操作だけで部品を回路を繋ぎ直して、機能を復帰させてしまうんですよ。
これ、SF作家でも思いつかないようなすごい技術なんですけど、世間の人達は全く興味がないのでしょうか。
まあ、それはよしとして。
ここ最近で、流星群が話題にあがるようになったのは、もう一つ要因があるかもしれません。
それが、ダスト・トレイル理論です。
1999年、ヨーロッパにおけるしし座流星群において、流星雨の出現を「予言」し、見事に的中させた天文学者がいました。
その後、2001年には、日本におけるしし座流星群で、またもや大出現を的中させました。
この時に有名になったのが、ダストトレイル理論です。
ダストトレイルとは、彗星が通過したときに残る、塵(ちり)の帯のことです。
彗星は、主に氷の塊でできています。
(最近確認できました)
これが太陽に近づくと、「太陽風」に吹かれて表面の氷が溶け出して、あたりに粒子をまき散らしながら軌道を通過していきます。
この粒子は、その後もその軌道を回り続けるため、ここに地球の軌道が重なったときには、きっと大量の流星が見られるはずだ、という理論です。
この理論が発表された当時は、ダストトレイルというもの自体が存在するかさえわからないものでしたが、2002年には撮影によって、その存在が確認されています。
先に書いた2001年のしし座流星群とは、あの大流星雨のことです。
この頃はまだ、ダストトレイル理論が半信半疑だったので、天文年鑑には極大時のHR(1時間あたりの流星観測数)が、確か20個程度の数字だった気がします。
それでも流星群としては多めなのですが。
ですが、
「理論が正しければ、HR1000を超す可能性がある」
と書いてあって、それを知ったマスコミも騒ぐし、結果としてはすばらしいものを見ることができて感激しました。
私が見た夜半過ぎでもHR2~3000くらいは観測できましたし、明け方あたりではHR5000までいったらしいです。
高校の頃のハレー彗星は、日程と天候が合わなくて、ろくな観測ができませんでしたので、ようやくそのリベンジを果たしたような気がしたものです。
実は、つい先日も、このダストトレイルを通過する際の流星群が来るよーという話があったのですが、日本では時間的に、あまりよく見られなかったようです。
しかし今年の流星群といえば、まだ12月14日にふたご座α流星群があります。
「ふたご座α」というのは、ふたご座の中で最も明るい星(=α星・アルファせい)であるカストルのことです。
これは、この流星の輻射点(ふくしゃてん)の位置を示しています。
流星群は、だいたいどちらの方向から飛んでくるかがわかっています。
その中心点のことを、輻射点(又は放射点)と呼びます。
今年のこの流星群は、HR50が予測されています。
これは、毎年お盆にやってくるペルセウス座流星群に匹敵する数です。
しかもこの日は新月に近いので、ほぼ一晩中、好条件で見られるはずです。
あとは、天気次第ですけどね。
流星群の前に付いている名前は、全てこの輻射点のある星座のことです。
先に挙げたしし座流星群はしし座の方から来ますし、ペルセウス座流星群は、ペルセウス座の方向から飛んできます。
ところが実際には、輻射点から少し外れた位置を見ている方が、よく見ることができます。
もちろん、数を多く見られるのは輻射点近辺ですが、輻射点に近ければ近いほど、飛んでくる角度が自分に向かうようになりますから、尾が短くなってしまうのです。
むしろ、少しずれた位置を見る方が、尾の長い流星を見ることができます。
こんな感じ↓で。
また、全天を見たときに、普通は天頂付近が一番暗くなっています。
従って、我々シロートが肉眼で流星観測をするときには、天頂付近を探すのが一番いい、と思われます。
星図盤を一枚、塾に置いておきます。
よろしければ、天気のいい夜にでもお使い下さい。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
*追記2018.04
これを書いた当時、「はやぶさ」は本当にマイナーな存在でしたが、その後日本中に注目されたのはご存じの通りです。
あすなろ135 彗星(過去記事)
2013.01号
天文年鑑などによると、来年(2013年)は彗星の当たり年なのだそうです。
っていう話をしていたら、彗星って何?と質問をする中学3年生が……
確かに、彗星のことは、学校の理科ではちゃんとは習いませんよね。
ここで説明いたします。
彗星というのは旧海軍の艦攻の名前です。ん? 艦爆だったかな? まあともかく、コンパクトな機体に液冷エンジンの組み合わせで、超萌えるルックスをしています。ちょうど、スピットファイアみたいな感じでしょうか。いや、スピッツみたいなダサい主翼じゃないから全然違いますね。でも後の型になってくると、三二型からかな?発動機の生産が間に合わなくなってきて、星形空冷エンジンになっちゃうんですよね。液冷エンジンは、壊れるだのなんだの言われることもありますが、実際は、現場の整備兵が空冷慣れしていたために、整備が不十分だったなんてこともあったみたいですね。あと彗星といえば、単機で空母を一隻沈めたという、伝説のレイテ沖の話は欠かせませんよね。
今のは無し。
彗星は、太陽系の中にある星の一つです。
ほうき星とも呼ばれて、長く尾を引く姿を見せるのが特徴です。
そもそも太陽系とは何かというと、太陽という星と、太陽を中心として回っている物体のあつまりを合わせたものです。
ですから、金星、土星、地球などの惑星以外でも、太陽の周りを回っているのはみんな太陽系の一部です。
惑星よりも小さい岩も、すごい数の物体が、太陽を中心として回っています。
今、太陽を「中心」とすると書きました。
確かに惑星は、太陽を中心とする円を描いているように見えます。
しかし、厳密には、惑星の軌道は真円ではなく、楕円となっています。
(→ケプラーの第一法則)
楕円というのは、焦点と呼ばれる「中心」を二つ持つ図形です。
高校で、理系に言ったら数学C(現課程では数学III)で習うことになると思いますが、次に示すような図形です。
そして惑星は、楕円の焦点の片方を太陽とした軌道を描いています。
地球の周りを回る月も、同様に楕円軌道です。
地球も太陽の周りを楕円で回っていますので、太陽と地球との距離は、一定ではありません。
ですが、その焦点が近いので、円のように見えるだけなのです。
また、焦点の距離は、惑星によって違っています。
地球は焦点の距離が短い=離心率が低いので、比較的真円に近いのですが、離心率が非常に高くて、太陽じゃない方の焦点が遙か彼方にある天体もあります。
周回している彗星は、そんな天体の一つです。
と、そこまで書いておいてアレですが、本当はこの下図のように、楕円以外の軌道を描く彗星もあります。
というより、大抵の彗星は、楕円以外の軌道を描いています。
そしてそういう彗星は、二度と帰ってきません。
楕円軌道で帰ってくる彗星を周期彗星、帰ってこないのを非周期彗星と呼びます。
彗星の正体は、よく「汚れた雪玉」とか「凍った泥団子」などと言われる通り、塵と氷でできています。
それが太陽に近づくと、太陽の熱で解凍された液体や気体が噴き出してきます。
それが太陽熱にあおられて、太陽と反対側へ流されていきます。
それが、彗星の尾です。
ですから、彗星の尾は必ず、太陽と反対方向に伸びます。(上図参照)
そういうわけで、彗星はいろいろな粒をまき散らしながら通過していきます。
ですから、その通った跡には、沢山の塵が、彗星と同じ軌道を、帯のように漂っています。
(→ダストトレイル)
その帯に地球がつっこむと、地球にはその塵が降ってくることになります。
降ってきた塵は、大気圏に突入する際に輝きながら燃え尽きて、流れ星となって見えます。
こうやって、たくさんの流れ星が見える現象を、流星群と呼びます。
毎年お盆のころに見られるペルセウス座流星群は、2013年は、月の条件が良いようです。
うまくいけば一時間に50以上の流れ星が見られるでしょう。
で、2013年の彗星の件ですが。
話題になっているのは、主に二つです。
一つは、三月~五月ごろに近づくパンスターズ彗星です。
これは、うまくいけば三月半ばごろの日没直後の地平線付近に、マイナス3等級の明るさで見られるでしょう。
それを過ぎてからでも、四月上旬まで肉眼で十分見える明るさを保つようです。
星は、明るい順に1等星、2等星……と分類されています。
例えば、オリオン座のワクを構成する4つの星のうち、左上と右下が1等星で、右上と左下は2等星です。
そうやって明るい星は数値を減らしていくと、明るい星はマイナスの等級となります。
次の表と比べて頂けるとわかりますが、マイナス3等級なら、かなり明るく見えることだと思います。
もう一つは、11月ごろに近づくISON(アイソン)彗星です。
こちらは明け方の空の、やはり地平線付近で見られるとされていますが、最大光度でマイナス13.5という予測が出ています。
満月より明るい彗星!
さあ、すごいことになってきました。
ただ、注意点があります。
一つには、このころは、地平線付近という高度と、ちょうど夜明けごろという時間帯のために、日本からはあまりよく見えないだろう、ということです。
もう一つは、予測はあくまで予測であって、どの程度明るくなるかはその時になってみないとわからない、ということです。
特に今回の彗星は、太陽に非常に接近する為に、そのまま蒸発したり分解したりする可能性もあります。
こうなったら、日本では観測できない状態になってしまいます。
過去にも、大彗星になると予測されたコホーテク彗星が、実際には3等級程度までしかいかなかった、ということもありました。
非周期天体の予測は、まだ難しいようです。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
追記
その後のISON彗星は、太陽に接近する前に割れてしまって、小さい彗星となってしまったために、特に世間の話題にはなりませんでした。
あすなろ158 箸(過去記事)
2014.12号
大学生の頃、山登りをやっていました。
どこの世界にも身内にだけ通じる「専門用語」というものはあると思いますが、山でもやはりありまして、例えば、ロープはザイルと呼びます。
このくらいなら、小説やマンガなどで聞いたことがあるかもしれません。
しかし登山靴をザングツ、箸フォーク類をブキ、幕営地をテンバ、ヘッドライトをヘッテン、トイレットペーパーをトッペ、といったあたりになると、書籍では読んだ覚えがありませんので、もしかしたら学生ルールなのかもしれません。
逆に、このあたりの用語がマンガに登場したら、私的には一気にリアリティが増すでしょうね。
山での食事担当はショクトウ(食当)と呼ばれて、基本的に下級生(大抵は一年生)が任命されます。
メニュー決めから材料の買い出し、当日の飯作りを一からさせられますので、上級生を満足させるようなウマいメシを作らなければいけないのです。
ただ、長期合宿になると、下級生に別の役職をさせるために、まれに女性の先輩が食当になって大当たりなんてこともあります。
私は、チーズフォンデュなるものを初めて食べたのは、山中のテントの中でした。
あれは確か、九州の霧島に登った時だったかな?
そんな山に持ちこむブキなのですが、一応みんな、スプーンフォーク箸のセットを持って行くわけです。
が、実際にはみんな、ほとんど箸しか使いません。
箸って便利ですよね。
実に万能です。
コーンには負けますが、それ以外には無敵です。
箸を使わずにペペロンチーノスパゲティを作るイタリア人の気がしれません。
私の場合、箸といえばなんとなく典型的な日本文化のような気がしてしまうのですが、これを使う民族は日本人だけではありません。
東南アジアから中国、朝鮮などの、中華文化圏一帯で使われています。
そのあたりからわかるとおり、箸の発祥は中華文明のようです。
それが当地でいつ頃から使われ始めたのか、はっきりとはわかっていないようですが、調理用としては、少なくとも紀元前10世紀以上前から使われていたようです。
日本では、弥生時代の遺跡からピンセット状の「折箸」が発掘されていますが、これは祭祀用と考えられています。
有名な魏志倭人伝では、邪馬台国の「倭人」は「手食」であるという記述がありますので、この頃はそうだったのでしょう。
日本に食事用の箸を伝えたのは、あの遣隋使だと言われています。
隋では食事に箸を使うという話を聞いた聖徳太子は、朝廷の面々に箸をマスターするように通達を出しました。
そのときから使い始めた二本セットの箸は、当初は「唐箸」と呼ばれて、貴族だけが使っていました。
しかしその後、平安時代には、庶民にまで普及しています。
ところで、先ほど東アジア一帯で箸が使われていると書きましたが、他の国では箸と併用して匙も使います。
中華料理でもそうですが、東南アジア諸国や朝鮮半島では、箸と匙(レンゲ)を食卓に並べて、持ち替えて使っています。
そのためか、日本以外では、箸は皿の横に、縦に置きます。
同じく持ち替えて食べるナイフフォークと同じ置き方ですね。
中華料理で使われるあの匙をレンゲと呼ぶのは、日本オリジナルです。
平安時代、その形状が蓮の花びらに似ているということで命名したようです。
しかし中世の頃からいつの間にか、日本人は匙を使わずに箸だけで食べるようになりました。
茶以外の汁物を飲む時には、椀に直接口を付けることで解決しました。
これによって、右手は箸から違う道具に持ち替えることなく食事するという、日本独自の食事法が確立したのです。
そういう意味では、世界で一番箸にこだわるのが日本人とも言えます。
家族がそれぞれ自分専用の箸を持っているのは日本だけです。
食事作法は、そのほとんどが箸に関することです。
箸で豆をつまむ競争なんて、他の国の人はしません。
というよりも、他国の箸では先端が太すぎて、そんなことは最初から不可能です。
日本人の指先が器用なのは、幼少から箸を徹底的に使わされるからだという話まであります。
すごいですね箸。
さて、そんな箸文化は、中世には庶民にまで浸透していたわけですが、そんな鎌倉末期、貿易と布教を狙ってスペイン人とポルトガル人が日本にやってきます。
連中の目的は、シンプルに金儲けと宗教です。
野蛮な東洋人から巻き上げた珍品を本国に持って帰れば大もうけ、うまく征服しちゃえば搾取し放題、または、我々偉大なる白人様が愚かで野蛮な東洋人に偉大なるキリスト教を教えてあげよう優しいな俺、と意気揚々と乗り込んで来るのですが、日本の食事風景を見て驚愕します。
だって、当時の西洋人は、全て手づかみで飯を食っていたんですから。
使うのは、その場で肉を切り分けるナイフだけ。
あとは全部手づかみ。
当然手が汚れますので、ベロベロと舐めたり手近にある布でぬぐったりします。
ナプキンやテーブルクロスがなぜあるのかというと、つまりは手ふきなのです。
ついでに口を拭いたり鼻をかんだりもします。
さらに、今の中国人と同じく、食事中は食いかすを下にこぼしまくって、骨などは足下に投げ捨てるのが当たり前、痰を吐いたり唾を吐いたりゲップをしたり屁をしたり、口いっぱいにものを詰め込んだまま楽しく会話。
宴会になると必ずどこかで喧嘩が起こって、誰かが死んだとしても別に珍しくもない。
どこかの国では、食事中に殺人が起こっても仕方ないので罪に問わない、なんて法律があったくらいです。マジで。
ワンピースという漫画では、要所要所に宴会風景が登場して、みんなで口にめっちゃくちゃ詰め込むバカ食いをしていますよね。
リアルにあれが日常風景だったのです。
そんな世界から来た宣教師様が、野蛮人に文明を教えてやろうと思って来たら、小さい子供まできっちりと正座して、器用に箸ですよ。
そりゃびっくりですわな。
織田信長にも謁見したポルトガル人ルイス・フロイスは、その著書の中で、
「我々は四歳児でも自分の手で食べられないのに、日本人は三歳で箸を使って食べている」
「我々は全てのものを手で食べるが、日本人は男女とも幼児の時から二本の棒で食べる」
なんてことを書いています。
ざまあ(笑)
ちなみに、西洋諸国でスプーンが一般に広まったのは、日本の江戸時代のことです。
一応、フォークは南欧の上流階級に限って使われていたのですが、現在のような弓なりのフォークが発明されたのは江戸時代中期ですし、ナイフフォークスプーンがセットになったのは幕末のことです。
千年遅いわ。
ただ現在では、西洋人もつつましく食事をしております。
相変わらず汚く食べているのは、箸の発祥の地、中国です。
なぜだ。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
あすなろ189 愛知時計電機(過去記事)
2017.07号
塾生はご存じかと思いますが、当塾には振り子時計があります。
本物の機械式ですので、月に一回、ゼンマイを巻いています。
この時計、購入したのは平成27年(2015)で、ネットオークションでたまたま出ていた新品を入手したものです。
製造年は不明ですが、おそらく昭和の末期のものでしょう。
それまで使っていた時計は大正時代のもので、精工舎(現セイコー)の外ガンギ……って言っても意味わかんないですよね。
やめます。
いやあ、新しいっていいですね。
大正モノと比べると、笑っちゃうくらい正確です。
この時計のブランドは「アイチ」。
愛知時計電機という会社です。
現在では水道やガスなどの流量メーターのメーカーで、時計の製造からは撤退してしまいましたが、社名は愛知時計電機を名乗り続けています。
この会社は、明治からこれまで、実に色々なものを製造してきました。
そんな話をご紹介します。
明治26年(1893)の創業当時は、柱時計の製造を手がける会社でした。
愛知時計製造合資会社としてスタートしています。
その当時、時計と言えば精密機械でした。
そのため、日露戦争が始まると、明治37年(1904)からは陸軍の砲弾の信管などを受注するようになります。
翌年には海軍からも依頼があり、機雷や魚雷発射管などの製造から、艦砲の射撃盤の国産化に協力するに至ります。
それに伴って、大正元年(1912)には社名を愛知時計電機と改称します。
大正9年(1920)、今度は海軍が設計した航空機の製造を依頼されます。
そこからは航空機技術者の育成に努め、大正14年(1925)にはドイツ機のライセンス生産を始める一方で自社設計も始め、昭和11年(1936)には完全自社設計の水上偵察機が初めて制式採用されます。
そして昭和14年(1939)には、名機「九九式艦上爆撃機(九九艦爆)」が制式採用されています。
「九九艦爆」は、大戦初期にはパイロットの練度が高かったこともあって、驚異的な命中率何度も記録しています。
九九艦爆は大戦中、連合軍の艦船を最も多く沈めた航空機だと言われています。
他にも、戦艦などの艦載機として最も多く採用された「零式水上偵察機」と、その後継の「瑞雲」も愛知製です。
また大戦末期、初めての急降下・水平兼用爆撃機となった「流星」や、潜水艦から発進してパナマ運河を爆撃する予定だった「晴嵐」も愛知製です。
なお、「九九艦爆」の後継となる「彗星」は、海軍が設計したものですが、愛知でも生産されていました。
また「彗星」に搭載されていた液冷(水冷)エンジン「アツタ」は、ダイムラーベンツ製ノックダウンの改良型ではありますが、愛知製です。
このエンジンは先述の「晴嵐」にも積まれています。
さらに愛知では、あの特攻ロケット兵器「桜花」も製造していました。
ただし、こちらも「彗星」同様、設計は別です。
……何言ってるのかわからないですよね。
はい大丈夫です。
正常な証です。
そんな愛知ですが、昭和20年(1945)6月の熱田空襲では攻撃の主目標となって壊滅的打撃を受けて、そのまま終戦を迎えます。
戦後は、愛知時計電機は量水器や時計の生産を、愛知航空機は自動車の生産を始めます。
そして作った自動車が、オート三輪の「ヂャイアント」であり、軽自動車の「コニー」です。
コニーといえばグッピーが有名……だと思ってるのは私だけですかそうですよね。
まあともかく、昭和22年(1947)から「ヂャイアント」の生産を始めた愛知機械(旧愛知航空機)は、オート三輪の衰退を察知した昭和34年(1959)からは軽四輪にスイッチして、昭和45年(1970)まで四輪車を生産しています。
しかし昭和40年(1965)に日産のエンジンやトランスミッションの製造を請け負うようになってからは、どうも下請けの方が儲かったようで、自社製の四輪からは撤退してしまいます。
そこからは、日産の「チェリー」、「サニートラック」、「バネット」、「セレナ」の製造を担当していたのですが、平成13年(2001)以降は完成車の製造からも撤退しています。
現在は、エンジンやトランスミッションの生産に特化しているようです。
一方、愛知時計の方は、最初に書いた通り時計業界からは既に撤退しているのですが、いつから時計をやめたのかについては、どこをどう調べてもわかりませんでした。
残念。
と、長くなりましたが、塾にあるのは、こんな歴史を持つ会社の時計です。
――今回はですね、もうどうせ全部は説明しきれないと思って、開き直って趣味全開で書いてみました。
すみませんほんと。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
追記(塾内向けお知らせより引用)
一応お断りしておきますが、私は飛行機はあまり専門ではなくて、たしなむ程度です。
「艦これ」とかやっている人の方が詳しいんじゃないんでしょうか。
よく知りませんが。
古いクルマに関しては、まあまあそこそこ知っているつもりでしたが、今回の記事を書くまで三輪の「ヂャイアント」が「コニー」と同じ愛知機械だとは知りませんでした。
なんかですね、くろがねあたりのブランドなのかとテキトーに思い込んでいました。
「ヂャイアントコニー」が愛知機械だってことは知っていたのに、何ででしょうね。
要は、私なんてその程度だと。
オート三輪はあんまり得意じゃないんですよね。
ははは……。
(皆さんは、こっちに来ちゃダメですからね)