2020年9月

あすなろ225 コロナコロナコロナ――!

あすなろ

 
 
 
2020.08号
 
今回は、コロナについて書きましょう。
 
まずは、コロナってご存じでしょうか。
 
おや?
知っていましたか。
なかなかの通ですね。
 
そうです。
コロナというのは、皆既日食の時に見られるこれのことです。
 



 
これの正体は、太陽の表面を覆っているガスです。
普段は太陽自体がまぶしいために見えませんが、皆既日食の時にはこうやって見ることができます。
 



 


 
ところで、太陽の表面温度は6000度だそうです。
しかしこのコロナは、1000000度とも2000000度とも言われています。
 


※「K」は温度の単位です。
厳密には「℃」とは273度ずれますが、このくらいの温度になってくると誤差の範囲です。


 
では、なぜコロナは、表面温度の100倍以上になってしまうのか。
 
 
 

――――それは、ナゾです。
 
 
 

……いや、マジで謎なんです。
現在の物理学では、まだ説明できていないんです。
 
なんと、普通に誰もが見られるものでも、今の科学では説明できないものがあったんですよ。
なんかすごいでしょ。
 
さて。
コロナと言えば実際には、こっちよりも別の場所、例えばホームセンターとか電器屋さんとかで見かけることの方が多いかと思います。
 
寒くなってくると……そう。
石油ストーブですよね。
 
石油ストーブの第一メーカーは、恐らくコロナでいいと思います。
次が、最近増えてきたトヨトミあたりでしょうか。
 
コロナといえば、石油ストーブ以外でも給湯器のエコキュートでも有名です。
我が家の灯油ボイラーもコロナ製で、エコキュートは……ウチのは入ってなかったかなあ。
 
エコキュートというのは、元々は関西電力が始めたシリーズ名なのですが、ヒートポンプの冷媒にフロンを使わずに二酸化炭素を使ったもので、これを最初に販売したのがコロナです。
 
ヒートポンプといえば、一時期ヤマハなどのメーカーがガスヒーポンに手を出しましたが、結局ほとんどが撤退しましたよね。
現在も販売しているメーカーはあるみたいですけど、家庭用は全滅で、業務用のみとなっています。
サイトのやる気の無さを見る限り、たぶんこれ、受注生産ですね。
東京ガスのサイトにはガスヒーポンのページが残っていますが、もう全く売れてないんじゃないかなあと思います。
 
話が逸れました。
 
ところで、コロナという社名の由来は、太陽のコロナのことだと思っていたのですが、公式サイトによればコロナ放電から取ったとのことです。
コロナ放電の青い光と、ガスコンロの青い炎からの連想だそうです。

 



 


 
コロナ放電という名前自体は、放電の様子が太陽のコロナに似ているからつけられたようです。
普通は、放電と言えば一方向ですからね。
静電気とか雷とか。
 
あ、コロナ放電をご存じないですか? では、別のサイトで説明してもらいましょう。
 


Qコロナ放電とは何ですか?
A 高周波・高電圧によって電極周囲の電界が強く振動することで、気体の分子が分離して発生したイオンと原子、そしてもともと気体中に存在した電子が加速して他の原子に衝突し、衝突された原子が分離して電子とイオンが増殖し続ける現象です。コロナ放電が起きている空間は音や光を発生し、この雰囲気中では化学変化が促進され、絶縁皮膜が破壊されます。周波数が高い程、短時間で絶縁破壊に至るので、コロナ放電を起さないよう設計し、製造検査では必ずコロナ放電試験をする事が最善策となります。


 
読みました?
ぼくは読んでませんけど。
 
ついでに、こんなのもご紹介します。
ほとんどの人には縁が無いでしょうが、私にとっては見慣れている現象で、初めて知ってへえーと思ったので。
NGKのサイトより。
 



 
また、コロナ放電を利用したコロナ処理というものもあります。
 
これは、プラスチックフィルムや紙、金属箔の表面にコロナ放電を照射することで、表面にミクロン単位の凹凸を作ることです。
これによって、表面の親水性(ぬれ性)を向上させて、液体をはじかないようにさせます。
 
この処理によってインクや接着剤の乗りが良くなるので、印刷、コーティング、接着の前処理として利用されているようです。
 
あと、コロナといえば、もう一つお世話になっている会社があります。
テルスターというブランドの監視カメラを作っている、コロナ電業株式会社です。
 



 
塾で使っているカメラがこれです。
怪しい海外製は使いたくなかったので、国内メーカーのものを選んだらこれになりました。
 
この会社が、どういう由来でコロナを社名にしたのか知りたかったのですが、公式サイトには何も書いてありませんでしたので、残念ながら不明です。
 
あ、サイエンス用語としてのコロナがもう一つあるのを忘れていました。
金星の表面にある盛り上がった地形です。
 



 
これは、金星の地下にあるマントルが、地表を押し上げてできた地形だと言われています。
 



 
ちなみに、コロナcoronaという言葉自体は、ギリシャ語の「冠」から来ているようです。
英語のcrownとは、おそらく語源的には同じだろうと思います。
 
そしてコロナと言えば、トヨタで作っていた車種がありますよね。
確か、トヨタが戦後に、最初に作った「小型車」がコロナじゃなかったでしたっけ。
中型車クラウン→小型車コロナ→大衆車パブリカという順だったと思いました。
 


上:パブリカ初期型後期
下:パブリカスポーツ800(通称ヨタハチ)


 
今調べましたら、コロナの初期モデルは1957年に登場したようです。
 


コロナ初期型ST10


 
その後、コロナはマークⅡという派生モデルも併用しながら何十年も販売を続けたのですが、最終的にはコロナは2001年にプレミオに代わって終了しました。
 
派生モデルのコロナマークⅡは、1968年に登場しましたが、1984年モデルからはコロナが抜けて、単なるマークⅡと名称変更されています。
さらに、後継となるマークXが2004に登場した際にマークⅡの名称が消滅しましたが、そのマークXの方も、2019年で生産終了したようです。
 
長々と書きましたが、今でもトヨタがコロナを作っていたら……なんて思うのです。
 
ISって覚えていますか?
一時期、イスラムの「新興国」を自称して、周辺地域に戦争をふっかけまくっていた組織のことです。
 
あれ、最初はアイシスISISという名前で報道されていたんですよね。
ですが、途中からアイエスISに一斉に変わっています。
 
なんでだと思いますか?
 
私も真相を知っているわけではありませんが、恐らくトヨタが待ったをかけたんじゃないかと推測しています。
というのも、トヨタにアイシスというクルマがあるからです。
 
ですから、トヨタが今でもコロナを作っていれば、今頃は例のウイルスも別の名前で呼ばれていて、コロナコロナという風評被害は無かったんじゃ無いかなあと、残念で仕方ありません。
 
私が塾のブログを書く時も、例のウイルスについては、基本的には「コロナ」という名称を使わないようにしています。
普段の会話でも、恐らく滅多に、「コロナ」とは口にしていないはずです。
コロナという会社のことが、最初からずっと頭にあるからです。
 
ちなみに、メキシコ製のビールであるコロナ・エキストラ、通称コロナビールは、風評被害のためにアメリカで売れなくなってしまいました。
そして現在は、政府からの要請によって、生産を中止しているようです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ224 小豆

あすなろ

 
 
 
2020.07号
 
ある日の明け方。
 
家に帰ると、誰もいない居間にこんなものが置いてありました。
 



 
「祝」
 
「祝」
 
私「わーいおめでとうー」
 
私「わーいありがとうー」
 
私「……何が?」
 
なんだかよくわかりませんが、めでたいらしいです。
 
この国では、めでたいときには紅白饅頭というのが定番ですね。
めでたくない時の葬式饅頭というものもありますが。
 
共に、中にはあんこが入っています。
 
また、めでたいといえば、赤飯というものも定番です。
 
あんこといえば小豆です。
赤飯も小豆です。
小豆くん、大活躍です。
 
以前、大豆について書いたことがありますが、小豆もなかなか日本の伝統に深く根付いているようです。
きっと、ずっと昔からあるのでしょう。
 
では、小豆はいつから日本にあるのでしょうか。
 
これの答えは、実はちゃんとした記録が我が国に伝わっています。
小豆がどうやって生まれたのか、昔からちゃんと書物になっているのです。
すごいでしょ。
おおもとの原文は、かなり古い書物です。
しかし私はこの本が好きなので、中学生の頃に「現代語訳付き版」を自分で買いました。
塾に置いてあります。
ちょっと引用してみましょう。
 
まずは書き下し文から。
 
 


[三、須佐之男命(すさのおのみこと)]
 
[蚕と穀物の種]
 
また食物(をしもの)を大気都比売(おほけつひめのかみ)の神に乞ひたまひき。
ここに大気都比売、鼻口また尻より、
種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)を取り出でて、
種々作り具へて進(たてまつ)る時に、
速須佐之男命(はやすさのをのみこと)、その態(しわざ)を立ち伺ひて、
穢汚(きたな)くして奉るとおもほして、
その大宜津比売(おほげつひめ)の神を殺したまひき。
かれ殺さえましし神の身に生れる物は、
頭(かしら)に蚕(かひこ)生(な)り、
二つの目に稲種(いなだね)生り、
二つの耳に粟(あは)生り、鼻に小豆(あづき)生り、
陰(ほと)に麦生り、尻に大豆(まめ)生りき。
かれここに神産巣日御祖(かみむすひのみおや)の命、
こを取らしめて、種(たね)と成したまひき。


 
 
ね。書いてあるでしょ。ね。ね。
 
角川の新訂古事記(昭和五十二年刊)から引用して、適宜読み仮名を追加しました。
 
ただ、小学生以下では少々読みにくいかもしれませんので、こうの史代の「ぼおるぺん古事記 天の巻」の方が、文の意味を取りやすいかもしれません。
こちらも塾に置いてあります。
 


今回の参考文献
左:角川書店 新訂 古事記
右:平凡社 ぼおるぺん古事記


 
話の流れとしては、天の岩戸が解決したところで、その原因となったスサノオ(須佐之男命)が高天原を追放されて、その途中でオオゲツヒメ(大気都比売の神)に食べ物を恵んでもらうところですね。
スサノオが地上に降り立って八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するという有名な話がありますが、今回はその直前の話です。
 
 


およそ5000年前のことです。
スサノオが、オオゲツヒメの食事の準備の様子をのぞき見ていると、オオゲツヒメはその食材を鼻や口や尻から出しているので、キタネエと思ったスサノオはオオゲツヒメを殺してしまいます。
すると、殺されたオオゲツヒメの体からは、頭から蚕、目からは稲の種、耳から粟、鼻から小豆、股から麦、尻から大豆が生まれ出てきます。
カミムスビの神(神産巣日御祖命)はこれを集めて、穀類の種としました。
(朝倉訳)


 

 
てなわけで、小豆は、このように生まれたのでした。
なんせ古事記に書いてあるんですから、きっとそうなのでしょう。
 
――――だめっすか?
 
あ、5000年前というのは私がテキトーに決めた年ですけど。
こんくらいかなーと。
 
まあそれはともかくとして、小豆はかなり古い時代から日本にはあったようです。
 
そもそも、「あずき」って読み方に対して、「小豆」って完全に当て字ですよね。
ということは、少なくとも漢字が伝わってくるよりも前から日本にあった言葉ということになります。
 
ところが、こういう由来の話になりますと、すぐに「ではいつ頃日本に伝わったか」なんて書き出しをよく見かけるのですが、こういう人ってなんで「日本原産」という可能性を考えないんでしょうかねえ。
 
以前のこちら(2018.08号)で、大豆は日本原産の可能性が非常に高い、なんて話をしたこともありますが、実は小豆も、日本原産の可能性がゼロではありません。
 
アズキという品種の野生種はヤブツルアズキというのですが、まずこちらは日本に自生している野草です。
 


ヤブツルアズキ


 
また、ヤブツルアズキ自体は東南アジアからヒマラヤにかけてあるのですが、そのうちの極東アジアに生えているものと農業品種のアズキが、遺伝子的に近いということが判明しています。
 
また、紀元前4000年頃には日本で栽培されていたことが、粟津湖底遺跡(あわづこていいせき)の発掘によって判明しています。
ちなみにこの遺跡は、琵琶湖の底にあるんだそうです。
なにそれすげえ。
 


粟津湖底遺跡(赤いポイント)


 
そういったわけでともかく、小豆は日本に古くからずっとあるわけです。
そして現在、よく見かける用途としては冒頭に書いたとおり、あんこと赤飯ですよね。
 
あんこってなんて言っていますが、「餡」という言葉は元々は「具」という意味です。
要は肉まんの中身ですよね。
 
餡という漢字自体も、こういう作りでできているみたいです。
 
 


餡 まんじゅうなどの中に入れる、肉や野菜など
臽 押し込める、くぼめて中に入れる


 

 
さて今回、「小豆あんこの歴史」については色々な話を見かけたのですが、それを統合した結果、
 
「室町時代、チャイナから饅頭という「中に肉や野菜を詰めた食べ物」が伝わってきたのですが、僧侶は肉を食えないからと、代わりに煮豆を詰めたのが、今のあんこ入り饅頭の始まりだとか。」
 
――――というのが、どうやら一番正しそうです。
現在わかる中では、恐らくこれが正史でいいんじゃないかと思います。
 
ところが、インターネッツなんぞを調べていくと、色々な所に色々な歴史が書いてあるんですよね。
 
ちょっと引用してみましょうか。
 
 


空海が中国から持ち帰った小豆
 
諸説ありますが、小倉あんは伝説的な人物として知られている空海(774~835年)が中国から持ち帰った小豆が由来とされています。
その小豆を日本の京都市右京区嵯峨小倉山あたりで栽培。
収穫してあんこを作り、天皇や貴族が住む御所に献上したことが、小倉あんのはじまりとの説があるのです。


 

 
この記事アップされた方は、特にご自分で研究したようでもありませんので、きっとどこからかそのまま引用されたのだと思います。
一次資料は恐らく書物でしょう。
 
まず、小豆は先に書いたとおり、縄文時代から日本にありました。
少なくとも漢字が伝わる前からあったようですので、空海が持ち帰ったのが最初ということはあり得ません。
 
また、小倉あんが考案されたのは、江戸時代の文化年間です。
「江戸の船橋屋織江」が創作したと、作者名まで伝わっています。
そして「小倉」の語源は、百人一首の
「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」
から取っているとの説が有力です。

 
また、こんな記事も見つけました。
 
 


本書によると元々「あんこ」は魔除けに食べた小豆料理が始まりだったようだ。
小豆はアジア熱帯地方原産で、弥生時代に稲作とともに伝わったとされる。
中国では古くから小豆の皮の赤い色を「陽」と捉え、災いなどの「陰」を封じると信じられており、それが日本でも無病息災や魔除けを祈願する年中行事に赤飯やおはぎなど、小豆を使った料理が供されるようになったと考えられている。


 

 
やはり先に書いたとおり、小豆は縄文時代から日本にありました。
ということで、ここに書かれている「弥生時代に稲作と共に」という記述は、間違いと言ってしまってもいいでしょう。
恐らく、この資料となった本が書かれたのは、先述の琵琶湖湖底の遺跡が見つかる前だったと思われます。
 
また、チャイナの陰陽は詳しく知りませんが、年中行事で赤飯が出される理由は、私は柳田国男の
「赤飯は赤米を模した物(赤飯=赤米の代用品)」
説を信じています。
 
かつて日本には、白米の他に赤米という赤い米がありました。
味は白米の方が良かったので、年貢としての価値も高かったのですが、赤米の方が気候変化、病害虫、痩せた土地に強いということで、農業技術が発達する前は、各地で栽培されていたようです。
そして、神に供える米(神饌米)としては、現在も赤米を供えている神社が何カ所かあります。
 
といったあたりから、こんな考え方ができます。
 
 


・昔は、米と言えば赤米だったために、神に供える米も赤米であった。
・時代が変わり、白米が食べられるようになっても、神に供えるのは伝統的に赤米であった。
・赤米の代用品として、小豆を炊き込んで赤くした米、つまり赤飯が用いられるようになった。
・ここから、神事には赤飯が供され、さらに祝い事=赤飯となっていった。


 

 
要は、赤飯は赤米のレプリカなんです。
 
私は以前からずっと、この説を信じていますので、まあこの場はそういうもんだと思っちゃってください。
許して。
 
となると、先ほどの引用のように、チャイナから伝わった風習によって赤飯、というのは、違うと思うんですよね。
ねー。
 
なお、小豆あんが一般的に甘くなったのは、江戸時代に砂糖が流通し始めてからでして、それまでは塩味でした。
てなわけで、小豆を食べる国は数あれど、小豆を甘く加工してしまうのは、実は日本だけです。
 
そして、そのあんこ入り饅頭をパンにしてしまったのが、ご存じあんパンです。
そしてここから、世界でも稀に見る「菓子パン」という文化が生まれました。
 
パンは元々、西洋人にとっては「ご飯」と一緒ですので、例えばフランス人からすると、甘い菓子パンは「キモい食べ物」らしいですね。
「あの甘いパンだけは食えない」だそうで。
日本人からすれば、ご飯に練乳をかけられたようなものでしょうか。
確かにキモい。
 
あともう一つ、小豆に関する小ネタ。
 
小豆は英語でadzuki beanです。
(またはazuki bean , aduki bean)
また、アズキ属Azukiaという分類群もあります。
ご覧の通り、共に日本語由来です。
 
ちなみに、最初の饅頭画像は、カミサンの職場で新しく介護ステーションだったかなんかを建てた記念だそうです。
へーそりゃめでたい。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ223 カルデラ(2)

あすなろ

 
 
 
2020.06号
 
前回の続きです。
カルデラのお話です。
 
小中学校の理社のレベルでは、カルデラと言えば阿蘇で、その規模は世界有数だなんて書いてあると思います。
多分。
 
確かに、以前はそういう認識だったらしいのですが、今では日本一ですらないようです。
とはいっても、「カルデラ作りでギネスにチャレンジ」という町おこしイベントがあったわけではありません。
研究が進んだ結果、あれもカルデラここもカルデラ、ということがわかってきたのです。
 
……というよりも、私の見る限りでは、「カルデラ」という定義が、昔とは変わっただけなのではないかという気がするんですよね。
 
カルデラというのは火山の噴出によって山体がへこんだもの、であります。
でも、噴火口だってそういうものですよね。
富士山の頂上に火口があるのも、赤城山や榛名山の山頂に湖があるのも、山頂付近が噴火で吹っ飛んで、穴になった結果です。
 
で、いつものウィキペディアに質問してみました。
 


――本来は単に地形的な凹みを指す言葉で明瞭な定義はなく、比較的大きな火山火口や火山地域の盆地状の地形一般を指す場合がある。


 
ああ、明確な定義はないんですね。
ってことは、火口でもカルデラと呼べばカルデラなんですね。
 
さらには、「元カルデラ」もカルデラ呼ばわりしちゃってもいいんだそうです。
 


――過去にカルデラが形成されたものの、現在は侵食や埋没によって地表に明瞭凹地として地形をとどめていない場合もカルデラと呼ぶ。


 
また、研究者のサイトに、
「普通は2kmより大きいものを指す」
「でも小さいのもそう呼ばれることも」
なんて書いてあるのも見ましたので、学術的な定義は定まっていないながらも、一応の目安はあるみたいですね。
 
そんな状態ですので、日本国内のカルデラも、昔よりに比べてかなりの数に増殖してしまったようです。
同じくウィキペディアによると、日本には、北方領土も含めると164個のカルデラがあるんだそうです。
北方領土の分を入れなくても157個あるらしいです。
(数え間違えてたらすんません)
 
……やっぱこれ、私の知らない間に全国で「カルデラを作ろう」という町おこしイベントがあったんじゃないんですか?
 
ちなみに、富士山の火口は直径780mとのことで、脇に空いている宝永火口と言われる穴も、直径1.2kmくらいのようです。
ですから、先ほどの「直径2km以上」という定義によれば、こちらはカルデラには入れないようですね。
 


宝永火口

 
上空から


 
一方で、先に挙げた赤城山や榛名山は共に、頂上がカルデラとされているようです。
大きさは、赤城山頂が4km×2kmで、榛名山が2km×3kmということですので、富士山よりもずっと大きいんですね。
 
まあ確かに、山の上は湖を囲んで駐車場とか売店とかいっぱいあるしなあ、なんて思いながら画像を探したところ、考えていた以上にでっかい山でした。
ありゃそうでしたっけ。
 


上:赤城山
下:榛名山


 
じゃあ、山の中にある湖って、みんなカルデラってこと?
……と思ってみたのですが、どうもそういうわけでもなさそうです。
 
ただ、カルデラじゃなくても、火山活動と関係の深い湖は各地にあるようです。
 
例えば、火山の噴出物で川がせき止められたためにできたとか。
天然のダム湖みたいなものですね。
日光の中禅寺湖は、そうやってできたらしいです。
こういうのは「堰止湖」と言うらしいのですが、読み方不明です。
「せきどめこ」?
「せきしこ」?
 
また、福島の猪苗代湖は、元々は断層の窪みに水が溜まってできたのですが、火山で出口が塞がったために水位が上がったことがあるとのことです。
 


川と湖も面白いなあ。
今度なんか書くかもしれません。


 
カルデラの話に戻ります。
 
箱根は、カルデラらしいですよ。
 
びっくりです。
 
ただ箱根の芦ノ湖は、川が火山でせき止められてできたものだそうです。
ですから、カルデラの中にありながら、カルデラ湖ではなくて「堰止湖」に分類されるのだそうです。
 


円内が箱根
確かにこうやって見ると、カルデラです。
山地が円形に連なっています。

 
箱根の地形図
複数のカルデラが複合して作られた


 
箱根のカルデラは、南北11km×東西8kmあるんだそうです。
でけー。
 
……と思ったのですが、阿蘇のカルデラは25×18kmなんだそうで。
箱根の倍以上でした。
 
九州には、他にも巨大カルデラがいくつもあります。
鹿児島なんてこんな状態です。
 


赤い枠内がカルデラ
一番下が鬼界カルデラ→前回記事参照


 
そして九州最大のカルデラは、実は阿蘇ではありません。
こちらが、宮崎県と大分県にまたがり直径25×45kmの、
大崩山(おおくえやま)コールドロンです!
 



 
あれ?
カルデラどこー?
 
調べてみましたところ、コールドロンってのは
「元はカルデラだったけど、今は削れてなくなっちゃったよ」
というものらしいです。
そういえば、前の方に
「元カルデラもカルデラ扱い」
なんてことを書きましたね。
 
てなわけで、阿蘇は日本一じゃなくなってしまいました。
それでは日本一は、というと、それは北海道にありました。
しかも、皆さん絶対に、地図で見たことのある場所です。
 




 
屈斜路湖(くっしゃろこ)です。
 
なあんと、あの北海道にある「目玉」は、カルデラだったのです。
 
屈斜路湖は、正真正銘のカルデラ湖です。
元々は、もっと丸い形をしていたものが、右下に火山が噴火したために、現在の形になったとか。
それでも、カルデラ湖としては日本最大になるんだそうです。
 
屈斜路カルデラは、26km ×20kmのサイズを誇り、日本最大で……
あれ?
 
さっきさあ。大崩山コールドロンって25×45kmって言ってなかった?
これ、屈斜路より明らかにでっかいよね。
それとも、コールドロンはカルデラとしないってこと?
でも、大崩山コールドロンの所には「九州最大のカルデラ」って書いてあるんだよねー。
 
ま、いっか~。
 
はい。
では。
次。
世界一のカルデラです。
 
世界一のカルデラは、インドネシアのトバ湖周辺に拡がるトバカルデラ(またはトバ湖カルデラ)だとされています。
大きさは……。
 
あのですね。
どこを探しても「トバ湖の大きさ」ばっかりで、「カルデラのサイズ」が見つかりません。
仕方がありませんので、カルデラのサイズ=トバ湖のサイズということにします。
ともかく、サイズは100×30kmだそうです。
湖としては琵琶湖の倍だとか。
 



 
このカルデラは、一度に形成されたわけでは無くて、3回に及ぶ噴火の複合型のようです。
そしてその最後、74000年前の噴火は、超巨大噴火というレベルのものでした。
 


緑の点線が、3つのカルデラを示す
一番新しいのは中央部のYTT


 
トバ火山の大噴火はあまりに大量の噴煙を噴き上げたために、それが空を覆って太陽の光が届きにくくなった結果、「火山の冬」が起こりました。
人類は、噴火による気候変動によって1万弱~1万数千人くらいにまで急減したようです。
 
それでは「人類」は、噴火前はどのくらいの個体数がいたかというと……
これがまた、資料によってバラバラなんですよね。
 
当時は数百万人いたという資料に合わせれば、この噴火は人類の99%以上を死滅させたことになりますし、別の資料では、60%が死んだともあります。
ただ、どちらも学術論文ではないので、あんまり信用していません。
 
実は当時は、ヒトという動物には数種類あったのです。
現在はホモ・サピエンスの1種類だけですが、この頃はまだ、ホモ・なんたらってのが、まだ色々といたんですよ。
 
で、その全種類数を合わせて「人類」としているのか、それともホモ・サピエンスのみを「人類」としているのかで、個体数が変わってくるんじゃないのかなーと推測しています。
ただなんせ、一次資料が見つからないので、それ以上は不明ということでして。
 
ともかく、ホモ・サピエンスが1万程度にまで減少したことだけは、現生人類の遺伝子解析からも事実のようです。
また、少なくとも2種類のヒトが、この時に滅びています。
 
そしてこの頃、ヒトに寄生するシラミが、アタマジラミ(毛髪に寄生する)とコロモジラミ(衣服に寄生する)に分化しました。
つまり、「衣服」が生まれたのがこの頃だったというわけです。
 
なお、トバ火山最後の噴火は、過去十万年で最大規模のものでした。
心配しなくてもこんなのは、そうそう起こらないと思いますよ。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ222 カルデラ(1)

あすなろ

 
 
 
2020.04号
 
先日、どこかの授業中にカルデラの話をしました。
確か新小5の文系(社会)の時だったと思いますが、中学生の社会の解説だったかもしれません。
 
『鬼界カルデラという巨大なカルデラが海の中にあって、こいつが大噴火したときは、当時九州南部に住んでいた人たちが全滅した』
 
……という話ですが、覚えている方はいますでしょうか。
 
その時に、確かこのあたりがそのカルデラ、と言った場所が、実はウソでした。
 
すみません。
ウソ好きなんです。
 
私がウソつきであることは、小学生の皆様でしたらよーくご存じかとは思いますので、まあ今更ではあるのですが。
 
というかですね、昔一度これを調べたときは、どうがんばっても、正確な場所がわからなかったんですよ。
今みたいに検索が万能じゃなかったですし、ネットにアクセスする人は多くても、自分でサイトを開いているのはほんの一握りで、確かグーグルが出てくる前で、ブログという言葉が世に出る前だったはずです。
 
それが今検索すると、もう本当にあっさりと情報が捕まりましたので、訂正を込めてカルデラ話をしていこうかと思います。
 
まずは、カルデラというものの説明から改めてしておきます。
 
有名なのは阿蘇のカルデラですよね。
 
カルデラとは、火山の噴火によって、その上部が無くなったものです。
という話だけだと、単なる噴火口のことみたいですが、もっと大規模な「穴」です。
例えば阿蘇は、その大きさが半端なくて、その内側には町があり、牧場があり、田んぼが広がり、電車が通っています。
もちろん人も住んでいます。
 



 
この、「外輪山」が、元々の山裾です。
このクラスの山が噴火して、へこんでしまった内側に、さらに噴火によって新しく山ができたのが、今の阿蘇です。
 


阿蘇山遠景

 
カルデラ内部の牧場


 
ところで今、噴火で「へこんだ」と書きましたが、授業では「上が全部吹っ飛んだ」なんて言い方をしたような気がします。
しかしよーく調べてみたら、吹っ飛んでできたようなカルデラは、小型のものだけのようですね。
 
阿蘇レベルの大型カルデラになると、中央部分の陥没によるものか、環状に溶岩ドームが形成されたものか、そのどちらかで形成されるようです。
阿蘇の場合は、陥没カルデラにあたります。
 
次の図は、阿蘇と同じ陥没カルデラの作り方です。
 



 
火山が噴火する前の段階では、その地下にはマグマだまりと呼ばれる空間ができていて、文字通りマグマが溜まっています。
※ 地下にある時はマグマですが、これが地上に出ると溶岩……でいいはず。

 
そして火山の噴火が大規模に起こって、地下のマグマが一気に抜けてしまうと、そこにできた空間が山の重みに耐えられずに、潰れてしまいます。
その結果、山が内側に崩壊してしまえば、めでたくカルデラのできあがりとなります。
中に雨が溜まれば、きっとカルデラ湖となることでしょう。
 
阿蘇の場合は、大きい噴火が4回ありました。
その度に、徐々に噴火口の崩壊が進んで、カルデラが広がっていったと考えられています。
なお、阿蘇の外輪山を作ったのは溶岩というより、主に火口から噴出した堆積物のようです。
そしてその最後4回目は特に大規模の噴火となって、火砕流も160km先の山口県まで広がったことがわかっています。
 


阿蘇の位置と大きさ
山口県、結構遠いですよ。


 
火砕流とは、見た目でいえば、「斜面に沿って流れてくる煙」です。
本質的には噴煙と同じ高温のガスで、それが斜面に沿って流れ下ってくる場合に火砕流と呼ばれています。
 


火砕流(雲仙普賢岳)


 
阿蘇が最後に大噴火をしたのは、9万年前のことでした。
しかしその頃はまだ、日本列島には人類は住んでいなかったと考えられています。
 
ところが、人類が日本に住みだしてから、文明を破壊するほどの大規模な噴火も、日本で起こっています。
それが、今回冒頭に挙げた「鬼界カルデラ」の話です。
 
鬼界カルデラは、鹿児島の南の海中にあります。
というわけで、ようやくこれが本題なのですが、正しい場所はこちらです。

 




 
鬼界火山が最後に大噴火を起こしたのは、7300年前です。
縄文時代のことでした。
この大噴火によって吹き上げられた火山灰は、関東を遙かに超える範囲まで降り積もりました。
この火山灰の層は、アカホヤと呼ばれています。
火砕流も広範囲に達しました。
 



 
ところで、縄文時代の初期(縄文早期)の頃の土器は、全国的に底部がとがっているものが主流でした。
そんな中、九州南部では、底の平らな円筒形土器が使われていました。
しかし7300年前のアカホヤを境として、円筒形土器が見られなくなります。
これは、鬼界火山の噴火によって、円筒形土器を使う人たちが絶えてしまったからだと考えられています。
 
これが、冒頭の「九州南部の人たちが全滅」という話の根拠です。

 



 
まだ他にも書きたいことがありますので、次回も続けます。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ221 鐙

あすなろ

 
 
 
2020.03号
 
「鐙」のお話です。
 
まず、読めます?
高校生は読めてもいいとは思うのですが、読めない人も多いかもしれません。
「あぶみ」という字です。
あぶみというのは、バグの名前ですね。
 
……ウソです”馬具”です。
 
古典では、平家物語あたりに登場してもいいとは思うのですが、あんまり見たことがありません。
それよりも、生物を習っていると、あぶみという名前に見覚えがある人がいるかもしれません。
はい、耳小骨ですよね。
 
耳小骨とは一応書きますと、耳の中の、鼓膜の奥にある小さい骨のことです。
鼓膜の振動を増幅する働きをしています。
 


耳小骨
左から、つち骨・きぬた骨・あぶみ骨
(槌骨・砧骨・鐙骨)

 
耳小骨は、人間の体内で最小の骨


 
実は私も耳小骨のイメージが強いので、「あぶみ」といえばつい、「つち・きぬた」と勝手に言葉が続いてしまうのですが、そういう人は他にも多いと信じています。
 
関係ないですが、槌とはハンマーのことです。
木槌(きづち)、金槌(かなづち)もそうですし、打出の小槌(うちでのこづち)もこの字を使います。
 
また砧とは、砧打ちをするための台です。
砧打ちとは、洗濯したあとの生乾きの布を台に敷いたり棒に巻き付けたりして、棒でたたく作業です。
こうすることで、布のしわを伸ばします。
要するに、アイロンの代わりです。
 


砧打ち


 
そして残る一つの鐙とは、馬に乗るときに足を乗せる・引っかけるための輪っかのことです。
 



 
耳小骨のつち骨やきぬた骨は、形を見ても「何でこれが槌で砧なんだ?」って感じですが、あぶみ骨は確かに鐙の形をしています。
 



 
さて、鐙という道具は、ものの本によるとその発明によって、馬の使い方を変えた革命的なものだったそうです。
 
鐙とは当初、馬上に上がるための「はしご」として使われていました。
そのため、片側だけにつけられていました。
 


※鐙という漢字は、元々は容器の一種を表す形声文字でしたが、「登」が入っていたために、後に「馬上へ上がる時に足をかける道具」という意味で使われるようになったのだそうです。


 
もちろん現在でも、「はしご」としても使われています。
 



 
しかし、さらに乗馬中の足場としても使われるようになってからは、騎手は足だけで、体のバランスを取れるようになります。
すると乗馬中でも、手綱にしがみつきっぱなしでなくても大丈夫になります。
つまり、手が使えるようになるのです。
 
手が使えると、馬上から剣が振れます。
弓を射られます。
すなわち、騎馬による突撃が可能になるわけです。
 
鐙が使われ始めた時代については諸説(*)あるようですが、確実なのは四世紀頃のチャイナで、漢王朝の頃のようです。
 


*というのも初期の鐙は、単に馬上にあがるための足かけだったのか、乗馬中にも足を置いて使われた道具なのか、判別しにくいためのようです


 
一方、ヨーロッパにイスラム経由で鐙が伝わったのは、そこから数百年下った七世紀の頃だとされています。
 
また日本には、五世紀初頭に伝わったようです。
(ヨーロッパより古い!)
これは、古墳時代の後期にあたります。
 
当時の鐙は、古墳などの遺跡から出土されています。
馬形埴輪にも、その形が残されています。
 


鐙(輪鐙)をつけた馬

 
輪鐙 古墳時代


 
当時の鐙は輪鐙(わあぶみ)という、現在の鐙にも通じる形をしていました。
恐らくこの形で大陸から伝わったのでしょう。
しかし、ここから日本の鐙は、独自の進化を始めます。
 
古墳時代の末期には、壺鐙(つぼあぶみ)が登場します。
こちらは、足先を覆うような形状となっていました。
どうやら、輪鐙だと足を突っ込みすぎて、落馬の際に抜けずに危険だったからのようです。
 


出土した金属製の壺鐙と馬具
6-7世紀


 
壺鐙をつけた馬


 
まあ、ここまではいいんです。
この形の鐙でしたら、他の国でも使われていました。
ただし時代は、日本より千年以上後ですが。
 


上:スペイン 16-17世紀
下:メキシコ 19世紀


 
しかし次に登場した半舌鐙(はんしたあぶみ)(または舌短鐙(したみじかあぶみ))と、その後の舌長鐙(したながあぶみ)は、側面が完全に空いているという、世界でも唯一の形状に進化したものでした。
 


半舌鐙 平安時代
半舌鐙は奈良から平安時代にかけて使われた


 
舌長鐙 鎌倉時代
半舌鐙よりも下面が伸びたもの
舌長鐙は、平安末期から明治まで使われた

(画像の穴は、腐食によるもの)


 
このように、足の裏がかかとまで完全に乗るような形状になったのは、草履文化のためではないかという説があります。
確かに草履だと、輪鐙ではきついですからね。
足の裏が痛そうです。
 
そして、この形状が完成する平安末期の頃から、武士の活躍が活発になってきます。
鐙の完成と武士の戦闘力向上は、きっと無関係ではないと思います。
 
そんな舌長鐙ですが、明治以降、西洋式の靴と輪鐙が普及すると廃れてしまいました。
しかし、流鏑馬(やぶさめ)などの伝統行事では、現在でも使われているものを見かけることができます。
 
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
 


 
おまおまけけ
 
いつも大好きウィキペディアで鐙を検索すると、こんな感じで書かれています。
 

 
赤線を引いた部分が、日本の鐙について書かれている箇所です。
 
内容は、「日本にも木製の鐙があったよー」と、それだけ。
それ以上の詳しい情報は一切ありません。
 
一方こちらは、ウィキの英語版です。
 

 
赤枠内が、日本の鐙について書かれた箇所です。
日本版よりめっちゃ詳しいのは一体、何が起こっているのでしょうか。
 
ちなみに、英語版の方では壺鐙のことをtsuba abumiなんて書いてありましたので、tsubo abumiに書き直しておきました。
 
そういえば、どこか別の言語でもtsubaになってましたけど、修正してないままですわ。

あすなろ220 擬態-3 ベーツ擬態ミューラー擬態

あすなろ

 
 
 
2020.02号
 
今回もまた擬態の話です。すみません。
 


これまでのお話
その1→擬態-1 カモフラージュ
その2→擬態-2 特殊なカモフラージュ


 
前回は脱線しまくっていましたが、戻します。
擬態には大きく分けて「周囲に紛れる」と「別の動物に化ける」の2種類があるのですが、今回は後者の方です。
ハチのような配色のアブなんてのは、もしかしたら気づいてないかもしれませんが、多分日常的に見かけているはずです。
 


上:ハナアブ
下:ヒラタアブの一種


 

色は確かにハチのようですが、慣れればすぐに見分けられます。
特に違うのは顔です。
アブはハエと同じ仲間ですので、目の大きさや触覚の長さがハチとは大分違います。
 


上:ミツバチ
下:ハナアブ


 
こんなに似ている理由はもちろん、ハチに間違えてもらえれば捕食されにくくなるからです。
これによって、少なくとも両生類のカエルやトカゲ・ヤモリなどの爬虫類からの攻撃は、事前にかわすことができていると思います。
 
ただし、カマキリやクモには全く通じませんので、これで天敵がいなくなるってほど上手くいくわけではありません。
 
ハチのマネをしている昆虫はまだ他にもいっぱいあります。
それだけ、ハチの危険性は、動物界では共通認識となっているということでしょう。
 
ところで、ハチといっても種類はいくつもあります。
しかし、我々が危険だと認識するハチの色は、だいたい黄色(または橙赤色)と黒の縞模様という共通の色をしています。
このように、別の種類でも同じ色になることによって、例えばアシナガバチに刺されたことのあるカエルは、ミツバチにも手を出さなくなります。
このようなケースも、擬態と分類されています。
 
このようのように、カモフラージュ以外の擬態には、大きく分けて2種類あります。
 


ハチ以外が、ハチのマネをする
……「ベーツ(ベイツ)型擬態Batesian mimicry」
 
ハチ同士は、別の種類でも似たような模様になる
……「ミューラー(ミュラー)型擬態Müllerian mimicry」


 
テントウムシも、ミューラー擬態と言えます。
どの種類も共通して黄色・赤・黒系統のまだら模様をしていて、
「食べると苦い」
という警告を発しています。
 
一方で、ベーツ擬態――――つまり「危険生物にマネする無害な生物」の、ハチ以外の例としては、
 
・毒のあるチョウに似る無毒のチョウやガ
・有毒のウミヘビに似た無毒のヘビ
・アリに似たクモやバッタ
 
などという例がよく知られています。
 
「毒のあるチョウ」ったって、そんなのがいるのかと思われるかもしれませんが、います。
普通に塾の近辺でもいます。
例えば、ジャコウアゲハやアサギマダラがそうです。

 


アサギマダラ

 
ジャコウアゲハ(オス)


 
ただし毒とは言っても、ドクガのように、手で触れたらかぶれる、というものではありません。
そういう毒ではなくて、このチョウを食べたときの話です。
どうやらこのチョウは、鳥にとっては食べると「まずい」らしいのです。
辛いのか苦いのかはわかりませんが、なにか特徴的な味なのでしょう。
これらのチョウは、幼虫の時に毒のある食草を食べることで、体内に毒を蓄積しています。
 
……ですから、これと似ていれば鳥に食べられなくなるというわけです。
 
そんないきさつから、ジャコウアゲハとそっくりになったガがいます。
アゲハモドキというガです。
 


ジャコウアゲハ(メス)

 
アゲハモドキ


 
アゲハモドキの大きさは、ジャコウアゲハの前翅長42-60mmに対して、30-37mmしかありません。
ジャコウアゲハを見慣れていると、ぱっと見は、かわいいミニチュアみたいな感じのガです。
我々から見れば違和感はありますが、鳥でしたら十分だませると思います。
 
さて。
この手のネタはきりが無いので、このあたりでもういい加減に、二ヶ月ほど前に書いた、一番最初の話に戻ろうと思います。
 
元々は、こんな話題でした。
 


「人間に擬態して人間社会に生きる異生物」という、まあ最近ではすっかりありがちになってしまった設定の話を読んでいて、そういえば、そういう擬態って実際にもあるのかなあ、なんて思ったわけです。


 
この擬態は、先述した中ではベーツ擬態にあたると思われます。
ハチそっくりに化けるハナアブみたいなヤツですね。
 
ただしベーツ擬態は本来、被擬態種(ハチなど)の危険性を誇示して、第三者からの攻撃を避けるのが目的です。
被擬態種の社会に溶け込むのが目的ではありません。
例えば先に挙げたハナアブは、どれだけミツバチにそっくりになったとしても、ミツバチの集団に紛れてミツバチの巣で生活する、というには、少々無理があります。
 
アリにそっくりのクモもそうです。
 


アリグモ(メス)


 
アリグモは、他のクモ同様に虫を捕って食べていますが、基本的にアリは食べません。
また、アリに紛れてアリの巣に入ったりもしません。
むしろ、アリが近づいてきたら逃げます。
 


実は、アリという昆虫は、自然界では一般的に厄介者・嫌われ者扱いされることが多いのです。
ですから、他にもアリに化けている虫はいます。


 
一方、時々アリを捕食することで知られているアオオビハエトリというクモは、サイズはアリと同じくらいですが、特にアリに似ているわけではありません。
 


アオオビハエトリ


 
やはり、その社会に溶け込む目的で、そこの生き物に擬態するというのは、普通はほぼあり得ないと思います。
人間そっくりのロボットや人形も、人間から見れば、
「なんとなく違う」
「雰囲気が違う」
「人間っぽくない」
などなどと、同種からはすぐにわかっちゃうんですよね。
 
ただ、別の動物の社会に入り込んで、その社会を構成する動物を捕食するという例が、無いというわけではありません。
(寄生は除く)
見た目をその種類そっくりに似せる、ということをしていないだけです。
 
アリで言えば、アリスアブというアブや、ゴマシジミというチョウの幼虫がそれです。
 


上:アリスアブ幼虫(丸い物体)
下:ゴマシジミ幼虫


 
アリスアブの幼虫は、卵からかえるとアリの巣の中に入っていきます。
見た目はとても昆虫には見えないような半球形をしていて、アリにはなぜか攻撃されません。
(もしかしたらアリの攻撃が効かなくて、もう諦められているのかもしれません)
 
巣の中では、おとなしくアリの食べかすを食べていることもあるようですが、時にはアリの幼虫を捕まえて、体液を吸っています。
その時は、この丸い体でアリの幼虫を覆い隠して、こっそりと捕食します。
 
一方ゴマシジミは、最初は巣の外で暮らしているのですが、二令幼虫からはアリによって巣の中に運び込まれて、アリの幼虫などを食べて育ちます。
こちらは、アブラムシのように甘い汁が出せるので、アリはそれにだまされてしまっているわけですね。
(他にも要因があるとされていますが、はっきりとはわかっていないので省略します)
 
てなわけで、結論です。
 
何らかの異生物が、
『人間社会に紛れ込んで人間を食べたいなー』
と思ったら、どんな方法がいい?
 
・方法その1:『アリに無視されるアリスアブのように、目立たない姿になる』
・方法その2:『ゴマシジミのように、愛されるための工夫をする』
 
……とまあ、このあたりが、現実的な方法でしょうね。
人間そっくりに「擬態」して入り込もうってのは、やっぱり無理があると思います。
 
しかしまた別に、こんなのもあります。
別種のアリが巣に紛れ込んで、その巣を乗っ取る、というケースです。
 
例えば、トゲアリというアリがいます。
普通のアリの場合、若い女王アリが最初にすることは、巣を作ることです。
しかしトゲアリの場合は、まず最初にそこいらのムネアカオオアリをとっ捕まえて、そのニオイを自分に移すことから始めます。
次に、ムネアカオオアリの巣に侵入していきます。
うまく女王アリのいるところまでたどり着いたら、そこの女王を殺して、自分が成り代わってしまうのです。
その後は、トゲアリの卵を産み続けていけば、そこは次第にトゲアリの巣に入れ替わってしまう、というわけです。
 
ただしこの方法は、成功率が非常に低いみたいですね。
ハイリスク・ハイリターンの典型でしょう。
 
実を言うと、アリや、その巣に住み着く生き物の習性は実に様々なものがあって、まだまだネタは尽きないのです。
(アリの巣に住む虫には、好蟻性昆虫という名前までついています)
この世界はホント面白いので、そのうちまた取り上げるかもしれません。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ181 蜘蛛の子の散らし方

あすなろ

 
 
 
2016.11号
 
「蜘蛛の子を散らすよう」という言葉があります。
「散り散りになって逃げる様子」を表す言葉です。
しかしここで、なぜクモなのか、何をモチーフにした言葉なのか、そのあたりって案外知られていないらしいんですね。
最近、そんなことに気付きましたので、ちょっと書いてみます。
 
クモは、ほとんどの種類で、卵をまとめて卵嚢(らんのう)という袋に入れておきます。
 
卵嚢という言葉でよく知られているのは、カマキリあたりでしょうか。
カマキリの卵嚢は泡状のタンパク質でできていますが、クモの卵嚢は糸で包むことによって作られます。
 
この時の糸は、卵嚢専用の、ふわふわした糸が使われています。
この状態で巣にくっつけておく種類もいますが、さらに別の丈夫な糸で包み込んで、しっかりとした袋にしておく種類もあります。
 
卵嚢の中で孵化したクモは、中でさらに脱皮して、充分に歩ける状態になってから出てきます。
そしてその後はしばらくの間、近くで子グモ同士固まって暮らします。
ただ集まっているというよりは、本当に文字通り固まって、子グモだけで玉が作られています。
 


子グモの集団と卵嚢
青緑っぽいのが卵嚢



多分、オニグモだと思う。
近くに親がいたので。


前の画像の一部を拡大したもの
黒い部分は玉状に固まる子グモだとわかる


 
この状態のことを、クモのまどい(団居)と言います。
 
そんな状態のクモは、ちょっと指先で触れたり、または風に吹かれたりすると、びっくりしてワラワラと散り始めます。
 
これが、「蜘蛛の子を散らすよう」という様子です。
これが元ネタなんです。
 
驚いて散り始めたクモは、少しすると戻ってきて、元のような団子になります。
 
そして、しばらくそんな生活をした後、子グモは自分の糸を風になびかせて、それをタンポポの綿毛のようにして、風に乗って飛んで行きます。
そこからは、新しい世界で一人暮らしが始まるわけです。
 
ということで、慣用句というかことわざというか、冒頭の言葉の説明は終わりなのですが……。
これがですね、笑っちゃうんですよ。
 
ちょっと広辞苑を開いてみますね。
 


・広辞苑 第三版(昭和五八年版)
(蜘蛛の子の入っている袋を破ると多くの子が四方に散ることから)群衆などがちりぢりばらばらに逃げ散るさまなどにいう。


 
ぶははははははは!
 
なんだそれ!
なぜわざわざ袋を破る?
 
確かにクモは、前述の通り卵嚢の中で孵化しますから、卵嚢を破ると中から子グモが出てくることはあります。
でも、卵嚢はそこそこ丈夫にできていますので、わざわざ両手でつまんで引きちぎったりしない限り、何かの拍子についうっかり破れる、なんてことはありません。
 
ああ、小学生ならいいですよ。
私も小学生の頃にやりましたから。
 
でもわざわざそんなことをしなくても、クモのまどいを見たことがあれば、絶対にすぐにわかることなんですよね。
可哀想に、広辞苑の編集スタッフは、きっと誰も知らなかったのでしょうね。
 
一方、クモのまどいについて書かれているウェブサイトでは、ほぼ漏れなく
「『蜘蛛の子を散らす』とはこれのこと」
などの記述があります。
 
で・す・よ・ねー。
 
だって、まどいそのものを見れば、そんなのは一発で理解しますから。
 
試しに、他の国語辞典も見てみますね。
 


・大辞泉 第一版(一九九五年)
《蜘蛛の子の入っている袋を破ると、蜘蛛の子が四方八方に散るところから》大勢のものが散りぢりになって逃げていくことのたとえ。「悪童どもは―・すように逃げ去った」


 
広辞苑とほぼ同じ。
袋を破っていますね。
 
手許にある他の辞書も開いてみます。
 
北原学長の明鏡
――――――同じく袋破ってます。
 
新解さんこと新明解
――――――袋破ってます。
 
大野晋先生の角川
――――――袋破ってます。
 
期待してない明治書院
――――――やっぱり袋破ってます。
 
子供用ベネッセ
――――――言葉の意味の説明はあるのですが、なぜクモなのか全く触れず。
 
そして旺文社の大ことわざ辞典である成語林
――――――期待していたのにまさかの袋破り。がっかりだよお前には。
 
さらには、日本で最初の辞書と呼ばれている「言海」も調べてみたのですが、この語自体が掲載されていないようです。
期待したんだけど残念。
 


ところで、広辞苑は戦後の辞書なのですが、初版の発売当初は爆発的に売れた本でした。
ですから、その後の他の辞書は、広辞苑を参考にして編んだ可能性が非常に高いです。
となると、この一連の元凶は、広辞苑にあたる可能性があるなあ、なんて思っています。
真相はわかりませんが。


 
まあ、その犯人はともかくそんなわけで、クモの生態を知らない国語学者様たちは、今日もせっせとクモの袋を破り続けているというわけです。
国語学者ってのも大変ですねえ。
まどいをつつけばそれで済む話なのに。
 
さて。
この蜘蛛の子の話から、いつも連想する表現があります。
 
宮沢賢治『注文の多い料理店』。
超有名な話ですが、その一部より。
 


風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。


 
多分、聞いたことがあると思います。
このうち、問題は木の「ごとんごとんと鳴りました」という部分です。
 
これ、何の事だと思いますか。
 
木って、鳴るんですよ。「ゴンッ!」って。
 
強風の日に森に入ると、高い所から響いてくることが、ごくたまにあります。
 
隣同士の木がぶつかっているのか、それとも、普段はもたれかかっている幹が風に煽られて一瞬離れてぶつかるのか、そのあたりまではわかりません。
しかし、確かに鳴ります。
そして鳴るためには、風が「どう」というほど一気に吹いてくる必要があります。
 
強い風が吹いたとき、竹林がカラカラと鳴るのを聞いたことがあるでしょうか。
あれも、竹同士がぶつかって鳴る音なのですが、それの樹木版だと思ってください。
 
賢治は、それを体験していたのです。
だからこそ、この表現が出てきたのでしょう。
これと同様の表現は、『風の又三郎』でも見られます。
 
しかし、それを研究している文学屋さんは、そんなことを知らないので、
「賢治独特の斬新な表現」
とか書いちゃうわけですね。
その頭の中では、
「賢治ってのは想像力豊かだから、きっと現実にはあり得ない音も聞こえてるんだろうなあ」
なんて思っちゃっているってことが、アリアリと読み取れます。
 
一方、これが実際に聞こえる音を表現したものだ、という言及は、これまでに全く見たことがありません。
ネット上でも同様です。
かなり調べまくったのですが、全くありませんでした。
(2016年11月)
 
それどころか、賢治を他言語に翻訳する際に、
「風が強く吹いて、草が鳴り、木の葉が鳴った」
という文にしてしまって、木の音を無かったものとしてしまった例まで見かけました。
ノイズか何かと思ったのでしょうか。
 
私は、この賢治の表現の真意については、全く誰からも教えてもらっていません。
あるとき森の中で、自分の耳でその音を聞いて、
「これがそうだったのか!」
と、初めて本当の意味を理解したのです。
 
もっと外を歩きましょうよ。
そうすれば、もうクモの袋を破らなくてもいいのです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ173 おでん

あすなろ

 
 
 
2016.03号
 
少し前のこと、この場でちらし寿司のお話をしたことがあります。
(2015.06:No.164)
 
その回は「俺の食いたいちらし寿司が売ってないぞギャー」という内容だったのですが、同じような代物はまだ他にもあります。
例えば、おでんとかおでんとか。
 
おでんで画像検索すると、ウィキを初めとしてこんなのが出てくるわけですが、
 



 
違う違うぼくのおでんは違う。
こんなに汁に色はつかないし、そもそも油っぽい具が入っている時点で私の知るおでんとは別物です。
 
いいですか、教えてあげます。
こういうのは、
 
「関東煮(かんとうだき)」
 
というのです。
 
……と書こうとしたら、日本語変換ソフトとしては賢いと思っていたATOK2013が関東煮という単語を知らないし、どうなってるんでしょうか。
私はこの読み方を小学生の頃に教わりましたし、神社のお祭りでは関東煮と書いた屋台を見たものですが。
 
おでんという名の由来は、「田楽(でんがく)」から来ています。
では田楽とは何かというと、農村に伝わる伝統芸能での一つです。
元はおそらく「一年の仕事始めの儀式」だとか「神へ捧げるの豊年の踊り」あたりではないかと思われるのですが、実際の起源は古すぎてよくわからないそうです。
 
その田楽の中で、「一本高足」という踊りがあります。
 


田楽踊り 一本高足(茨城県金砂神社)


 
一本の竹馬のようなものに乗って跳ねる踊りですが、その姿と似ている食べ物であるということで、串焼きの豆腐を田楽と呼ぶようになったとのことです。
 


田楽豆腐(味噌田楽)

味噌をつけて食べます。
発祥は上方(関西)のようです。


 

そこから発展して、豆腐以外の野菜などの串焼きに味噌をつけた料理も、一様に田楽と呼ぶようになります。
 
それがそのうちに、串に刺して味噌を付けたら田楽だ、というような解釈が広がって、
「ゆでた串物に味噌をつけたものが田楽」
と変化していきます。
 
すると今度は、最初から煮汁に味噌をぶち込む奴が現れます。
これが名古屋あたりで見られる「味噌おでん」となります。
 


味噌おでん


 

味噌おでんはその後、「味噌煮込みうどん」や「ドテ煮」という料理にも発展しました。
ドテ煮というのは愛知県の郷土料理で、赤だしの甘味噌で煮込んだもつ煮込みのことです。
ドテ煮は私の実家でもよく作っていました。
 


ドテ煮(土手煮)

具は違いますが、基本は味噌おでんと同じです。


 

さらにここから、味噌の代わりに醤油味で作るものが登場します。
これが関東で食べられた関東煮、通称「おでん」のことです。
 
ただし、今コンビニで見かける「おでん」の汁は透明に近いのですが、本来の関東煮はもっと醤油で色が濃いものでした。
しかし店売りの際に、中身がよく見えるようにと関西風の透明な汁を採用したのだとのことです。
 
と、田楽から「おでん」までの流れはだいたいこんな感じなのですが、私の実家で作られていたおでんは、この途中にあった
「ゆでた串物に味噌をつけたもの」
でした。
 
具材は、大根とコンニャクと、豆腐?ちくわ?ゆで卵?と既に怪しい記憶しか残っておりませんが、そんなものを昆布出汁だけで煮て、自分で味噌をつけて食べる料理です。
 
味噌は、三河味噌(赤だし)を甘くしたもので、五平餅の味噌と同様です。
味噌カツのタレも、もしかしたら同じかもしれません。
 


五平餅
岐阜~長野の郷土料理
飯を板につけて味噌で焼く

 
味噌カツ
名古屋名物として有名らしい


 

こんな風に書くと、私のおでんは関東では全く縁の無いもののようですが、「単品」ならばそうでもありません。
例えばコンニャクだけならば「味噌コンニャク」として群馬のコンニャク屋さんや秋田・福島の味噌屋さんで宣伝されていますし、大根は、関東では「風呂吹き大根」という名前を付けられています。
風呂吹き大根という料理は、関東に来るまでは全く知らなかったのですが、これが正に「おでん」なのですよ、私にとっては。
 


味噌コンニャク

 
風呂吹き大根


 

ただ、風呂吹き大根を調べていくと、味噌の代わりに「肉そぼろあんかけ」なんてものもあることがわかりました。
でも私に言わせると、それは冬瓜(とうがん)の食い方だろ、と。
 
あ、冬瓜というのはでかいウリです。
カボチャのように冬に食べる夏野菜です。
あんかけで食します。
現時点では関東で見かけない食材ですが、茨城の農家なら、そのうち生産を始めてくれると信じていますよ。
水菜(みずな)のように、ね。
 
※水菜は、ほんの二十年前までは、茨城ではどこにも売ってないような関西系野菜だったのですが、今では茨城が生産高全国一です。
茨城の農業パワーが半端ないことを証明する好例です。
 


冬瓜


 

ところで、「Oden」で画像検索すると、片目片足で槍を持ったこわいおじさんが出てくることがありますが、これは北欧神話の
「オーディーン」
です。
おでん好きのおじさんというではありません。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ219 擬態-2 特殊なカモフラージュ

あすなろ

 
 
 
2020.01号
 
擬態とかカモフラージュとかの話の続きです。


これまでのお話→擬態-1 カモフラージュ


 
前回はカモフラージュの例として、主に周囲に紛れる話をしていたのですが、別に景色に溶け込む必要は無い、という開き直ったカモフラージュもあります。
例えば、シマウマの縞模様です。
 
シマウマは、遠くで多数の個体が群れていると、どちらを向いているのか判別しにくいことがあります。
すると、そこにいることがわかっても、個体の形が識別できなければ、逃げる方向を予測できないので、捕食者は攻撃が一手遅れることになります。
 
そういうわけで、シマウマの縞は、決して周りの景色に紛れるためではないと考えられています。
 



 

ただし、縞模様の動物がすべて同じ効果を狙っているというわけではありません。
例えばトラの縞は、明らかに周囲の風景に紛れるためのものです。
 



 
シマウマ効果の応用は、かつて軍艦の塗装に用いられていたことがありました。
これは「ダズル迷彩」と呼ばれています。
 
船ってのは巨大なので、兵隊や戦車などと違って、見えなくなるようにするのは絶対に無理です。
しかし塗色によって、進行方向を錯覚させることができれば、少しでも攻撃をかわせるのではないか、という発想です。
 


ダズル迷彩を施した軍艦


 

第一次世界大戦の頃(大正時代)までは、船が受ける攻撃といえば敵艦からの砲撃か、潜水艦からの魚雷でした。
大砲の大型化により、離れた距離からの撃ち合いとなってきますと、発射から着弾までは少し時間がかかります。
そこで、望遠鏡や双眼鏡で目視しながら、現在の位置よりも少し前方に向かって撃つとちょうど命中する、というようになってくるわけです。
ですから、進行方向がわからないと当てられないだろう、という理屈です。
実際に、ある程度の効果はあったようです。
 
ただ第二次世界大戦中からは、航空機による至近距離からの攻撃が主力になったり、レーダーが発達して目視に頼らなくなったために、こういう塗装も役に立たなくなってきました。
 
現在の軍艦は各国とも、灰色の単色塗装に戻っています。
これが一番無難に目立たない色のようです。
 
かつての軍艦と同様の発想かはわかりませんが、体の向きをわからなくするための「擬態」は、昆虫でも時々見られます。
 
こちらは、シャチホコガというガの一種の幼虫です。
左側に目玉が見えますが、これは単なる模様で、右が前、左が後ろです。

 


シャチホコガの一種(コスタリカ)


 
なお、この幼虫は、さらに擬態を完全にするために、後ろ向きに進むこともあるということです。
 
実は昆虫には、「前後をわからなくするための擬態?」と言われている例が、他にも多数あります。
その理由については、
「頭をやられないため」
「敵の裏をかいて逃げるため」
などと様々な意見を見かけますが、私個人的には、ちょっと違うと思っています。
上記の理由は単なる結果論で、
「使える部品を使ったら、たまたまそうなった」
というあたりが真相ではないかと考えています。
 
このあたり、書き出すと長くなりそうですので、今回はこのあたりで。
 
ちなみに、日本のシャチホコガはこんな姿です。
イモムシなのに足の長い、変なやつです。
ウチの近所にも普通にいます。
 


上:成虫 下:幼虫(左が頭)


 

こちらもコスタリカのと同様に、尾端は何かの頭に擬態しているような形をしています。
しかし、刺激を与えると体を反らして、こういう格好になります。
 



 

すごい形です。
何が目的でこんな形になっちゃったんでしょうね。
 
でもこうなると、一般的なイモムシ・ケムシには見えなくなるので、それによって捕食者の目から逃れ易くなる、ということかもしれません。
 
えーと。
 
擬態からはどんどん話が逸れていっていますが、あともう一つだけ、姿を消すための特殊な「カモフラージュ」をご紹介します。
姿形ではなく、動きによって景色に紛れるという方法です。
 
「モーションカモフラージュmotion camouflage」というのですが、日本語版のウィキペディアには項目がありません。
最初に発見されたのが1995年ということもあって、まだマイナーな言葉です。
 
飛行している虫や鳥にとって、周囲の風景は常に流れています。
このとき、その景色に合わせてうまく移動できれば、相手にとっては静止しているように見えるはずです。
これは、そういった位置を保ちながらターゲットに近づく方法で、最初はハナアブのオスがメスに寄っていく飛行ルートの解析によって発見されました。
後には、トンボが獲物を狩る際にも、同様の飛び方をすることが見つかっています。
 


赤:目標(エサなど)
青:古典的追跡法
緑:モーションカモフラージュ


 

移動中の目標(赤い点)に対して、まっすぐに向かっていくと青い線を描くことになります。
それに対して、常に「目標」と「起点」を結ぶ線上にいながら接近するのが、緑のルートです。
目標からは、周囲を流れていく風景に紛れて、一点に止まっているようにしか見えないので、接近に気づきにくくなります。
 


実際の観測データより

 
起点の手前に位置すること(左図)以外にも、奥に重なることで「消える」方法(右図)もあります。

→逃げるときに有効なのか?
ちゃんと論文読んでないのでわかりません。英語だし。


 

一方、コウモリやハヤブサでは、獲物に対して平行な位置を保ちながら接近することで、やはり見つかりにくくなるという方法をとっているようです。
 



 

鳥類や哺乳類がこちらの方法であるのは恐らく、トンボのようなマネは絶対にできないからなのでしょう。
 
というのも、先ほどのトンボ式モーションカモフラージュを実現するためには、
「目標と起点を同時に見つつ、目標との距離を測れること」
が求められるからです。
そのためには、
「右目と左目の視野が重なった部分を見ながら、同時にその反対側も見る」
という芸当が必要で、それは鳥やケモノでは、頭と目の構造的に不可能なのです。
 


左右の視野が重なると、距離を測ることができる。


 
しかし、
「視野が重なった方向に目標を見据えつつ、その逆方向の起点を見て位置を確認する」
ということは、これらの動物では不可能。
でもトンボならできるんですね。


 

すみませんが、もう一回だけ続きます。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義


続き
その3→擬態-3 ベーツ擬態ミューラー擬態


あすなろ218 擬態-1 カモフラージュ

あすなろ

 
 
 
2019.12号
 
きっかけは、何かの漫画だったかと思います。
 
「人間に擬態して人間社会に生きる異生物」という、まあ最近ではすっかりありがちになってしまった設定の話を読んでいて、そういえば、そういう擬態って実際にもあるのかなあ、なんて思ったわけです。
 
ただ、その前にちょっと、擬態という言葉の定義から確認したいんですよね。
この言葉って一応生物学用語ではあるのですが、何気に曖昧なのです。
 
まず、擬態というと、大きく分けて二種類に分けられます……が、えーと、皆様としては、「擬態」という言葉から、まずはどっちのパターン思い浮かべますか?
 


はっぱにそっくりなコノハチョウ


ハチにそっくりなトラフカミキリ


 
日本語としては、どっちも擬態で正解なんですけど、この二つは方向性が全くの逆です。
 
コノハチョウの姿は、景色に溶け込んで隠れるためのものです。
しかしトラフカミキリは、むしろ目立つためのものです。
ですが、色も形も何かにそっくりに化ける、という点では共通で、それを指す言葉が擬態です。
 
ここで重要なのは、形まで化けているという点です。
色だけでは、普通は擬態とは言いません。
せいぜい「保護色」ですよね。
 


エゾユキウサギ(保護色)


 
しかし、ただ色が変わるだけでも、変わり方によっては擬態と呼んでもいいような例もあります。
 


砂にそっくりなヒラメ
(一応これでも色だけ)


 
さらには、こんな例もあります。
 


タコでーす


 
タコの場合は、色だけではなくて、表面の凹凸を自在に作り出すことによって、周囲に完全に紛れることができます。
こうなると、擬態と呼んでもいいと思います。
 
さて、擬態擬態と書いてきましたが、国語辞典的な定義によると、ヒラメもタコも「擬態」からは外れてしまうようです。
では代わりに何と呼べばいいかというと、それがですね、ちょうどいい言葉がないんですよ。
 
周囲に身を隠すといえば、日本には忍者という素敵な前例があります。
技術としては、五遁の術と呼ばれる隠れ方があるのですが、そういった行為をうまくまとめた言葉がないんですよね。
(五遁とは水遁、木遁、土遁、金遁、火遁の五術のこと)
 
一応、学術的には隠蔽(いんぺい)という言葉を充てることもあるのですが、これを辞書で引くと、「覆い隠すこと」なんです。
何か別のものを被せて隠すことで、しかも「隠れる」じゃなくて「隠す」なんですよね。
さらには、都合の悪いものを隠すときにも使われます。
 
類義語としては、隠匿(いんとく)という言葉もありますが、こちらも「密かに隠すこと」であって、「隠れる」わけではなくて「隠す」です。
 
ですから個人的には、隠遁という言葉を提案したいのです。
これでしたら、「隠す」ではなくて「隠れる」です。
ただ、普通は隠遁といえば俗世を離れてなんもない所に籠もって暮らすことを言いますので、これもまたピッタリこない言葉だったりします。
うーん。
 
と、なんでこんなくだらないことを延々と書くことになってしまうかと、日本語には
「カモフラージュcamouflage」
にあたる言葉がないからなのです。
 
最初のコノハチョウも、ウサギもヒラメもタコも全部、英語で言うところの「カモフラージュ」です。
 
それに対して、ハチそっくりのカミキリは、カモフラージュではありません。
こちらが、国語辞典が言う所の「擬態」でして、英語では
「ミミクライmimicry」
と言います。
この言葉の元々の意味は「物まね」です。
 


mimicryの例
毒のあるチョウに似せた無毒なチョウ


 
RPGではすっかり有名になってしまった宝箱モンスター「ミミック」の名前は、ここから来ています。
もちろん、ポケモンの「ミミッキュ」も同じです。
 


ドラクエのミミック
この姿を確立させた鳥山明は天才だと思う


ミミッキュ


 
いつもお世話になっているウィキペディア君によりますと、隠れる方の「擬態」には
「隠蔽的擬態mimesis」
なんて言葉が紹介されています。
確かに、生物学の用語辞典を見てもそう書いてあります。
 
でもですね、擬態に対してmimesisなんて言葉は、普通の人は使わないんですよね。
同じウィキペディアの英語版を見ればすぐにわかりますが、「mimesis」という項目を見ても、プラトンとアリストテレスとデイオニソスの話しか書いてありません。
つまり、
 
隠蔽的擬態(生物学)

英訳

mimesis

和訳

模倣(西洋哲学)
 
となってしまうわけです。
これって、どうなんでしょう。
 
ところが、英語版ウィキペディアにカモフラージュcamouflageと入れてみると、隠れる方の擬態の話が大量に書いてあります。
つまり、英語圏の人にとっては、隠蔽的擬態はcamouflageの一種なのです。
しかし一方で、同じ言葉の日本語版に移動すると、軍事用語としてのカモフラージュの話しか記述がないんですよね。
 
……まあ、いいんですけどね。
1ページ丸々作り直すほどの意欲もありませんし。
 
そうそう。
隠れるといえば、こんなのもあります。
 


ゴミグモ


 
このクモは、自分の網に食いカスを並べたゴミの帯を作って、そこに隠れています。
ゴミグモの面白い点は、元々あった周囲の自然物に紛れようとするわけではない所です。

紛れるための環境を、自分で作っちゃうのです。
 
さあ、こういうのは、果たして擬態と言えるのでしょうか。
英語でいう所のカモフラージュであることは間違いないのですが。
 
特殊な隠れ方をする例は、クモや昆虫にはまだまだたくさんあります。
 


ゴミを背負ったクサカゲロウの幼虫

 
元々はこんな虫


 
クサカゲロウの幼虫は、落ちているゴミを拾って、背中に積み上げていきます。
強いて言えば、ゴミに擬態しているというわけでしょうね。
なんでもかんでも拾うので、虫の死体とか抜け殻とかが積み上がっている例もあります。

画像検索で「Chrysopidae larva」と入れると、色んなものを背負った画像が出てきて面白いです。
 


コガネグモ(幼体)


 
コガネグモの幼体は、網に白い帯をX字状につけて、それに足を沿わせて待機しています。
それで本当に隠れている効果があるのかはよくわかっていないのですが、隠れているとしたら、一応これもカモフラージュにあたると思います。
 
ところで、哺乳類や魚類など、脊椎動物の体色は腹側が白っぽい場合が多いのですが、それもカモフラージュ効果があると言われています。
 
光は上から当たりますので、下側が影になります。
そこで、日が当たる部分を暗い色に、日陰の部分を明るい色にしておけば、遠目にはベタ一色に見えて、動物のシルエットが消える、というものです。
画像はウグイスですが、絵で描くと腹が白い鳥も、野外ではそうは見えないという例です。
 



 
このような効果は、カウンターシェーディングcountershadingと呼ばれています。
これもカモフラージュの一種です。
 


チーターのノドの白い毛も、強い日差しの下で見ると……


 
えーと、まったく本題に入れないのですが、字数がたいぶ増えてきましたので、今回は一旦ここまでにします。
続きは次号にて。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義


続き
その2→擬態-2 特殊なカモフラージュ


あすなろ187 一休宗純

あすなろ

 
 
 
2017.05号
 
いつだったか、授業で室町時代の話をしたときに、
「一休さんもこの時代」
と言ったら
「は? 誰それ」
というような反応が返ってきたことがあります。
あれは中3だったかな。
 
昔はですね、「一休さん」というアニメが、もう延々と放映されていたんですよ。
いつものウィキペディア様によりますと、1975年から1982年まで全296話ということですから、相当なものですよね。
※ イマドキのアニメは、基本的に1クール12話くらいで一旦切っています。
※ プリキュアなどの人気アニメでも、1年4クール50話前後で終了です。

 
それはともかく、今時の若者はもう知らないのかなあ、しょうがないのかなあ、とも思ったのですが、本は結構色々と出ていますし、やっぱりそのくらいは知っていて欲しいなあと思ったので、書きます。
 
一休さんといえば、「とんち小僧」としての一連の話が有名です。
中でも特に有名なのは、「このはし渡るべからず」と「屏風の虎」の二つでしょうか。
 
橋の前に「このはし渡るべからず」と書いた札を立ててあるのを見て、
「はし(端)がダメなら真ん中を渡ればよい」
と渡ったという話です。
聞いたことないですか?
 
もう一つは、足利義満が
「屏風の虎が夜な夜な抜け出して暴れるので、退治してくれ」
と言うと、
「では退治するので、屏風から虎を出してくれ」
と返したという話です。
 
そんな一休さんとは何者なのか、という出自は、明確に書かれた書物が残っておりません。
しかし、実は後小松天皇の落胤(らくいん=落とし子)だということが、当時から公然の秘密だったようです。
 
室町時代といえば南北朝時代から始まるわけですが、最後は足利義満により、北朝主導で合一に成功します。
 
その時、北朝側に即位していた天皇が、そのまま合一された朝廷の最初の天皇となります。これが、先に書いた後小松天皇です。
 
ちょうどその頃、後小松天皇の側室の一人が身ごもっておりました。
しかし、この側室が南朝と通じているという噂が立ったため、この側室は、朝廷から離れて子を産みます。
その子が千菊丸、後の一休でした。
 
そのようにして産まれた子ですので、政治闘争に巻き込まれないために、6歳で臨済宗の安国寺に出家に出され、周建(しゅうけん)と名付けられます。
当時はこれが一番良い方法でした。
アニメの一休さんは、この安国寺時代の話ですので、厳密には「一休さん」じゃなくて「周建さん」が正解なんですけど、まあいいや。
 
幼い頃からかなりの詩才を発揮した周建ですが、当時は様々な理由で出家に出された貴族の子が沢山いましたので、出自の自慢をする小僧が多く、周建はそんな欺瞞(ぎまん)だらけの世界に反発するようになってきました。
 
僧界の出世権力争いに嫌気がさした周建は、幕府の庇護する安国寺を17歳で出て行って、ボロ寺に住む謙翁宗為(けんおうそうい)和尚に弟子入りします。
 
ところで、臨済宗では、師によって公案という問題を出されて、これを座禅して考えることで悟りへと導かれます。
そして最終的に、師に悟りを開いたと認められると、その証である印可(いんか)を与えられて、弟子を持つことが許されるようになります。
弟子達にとっては、この印可をもらうことが、修行の最終目標となっていました。
 
ところがこの謙翁和尚は、上級クラスの寺の住職から何度も、印可を与えるので跡を継いで欲しいと言われていたのを断り続けて、一人で清貧な暮らしをして、托鉢で食いつなぐ生活をしているという人でした。
 
一休も謙翁の元で貧乏暮らしを続けた結果、3年後には、もうお前に教えることは何も無いと言われます。
しかし、自分には印可が無いからお前にも印可を与えられぬ、と言われたので、周建は、ではせめてお名前を一文字くださいと言って、謙翁宗為の宗をもらった宗純を名乗ります。
 
さらに1年半経ったころ、謙翁は死去します。
師を失った宗純は自殺未遂をはかるものの引き留められ、その後は新たに華叟宗曇(かそうそうどん)和尚に弟子入りしました。
華叟和尚も本当は高僧なのですが、先の謙翁和尚よりもさらに厳しい極貧の暮らしをしていました。
 
あるとき華叟が出した公案に対して、宗純は、
「有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
という歌で答えます。
ここから、宗純は華叟より「一休」という号を与えられます。
22歳のことでした。
 
有漏路とは煩悩の世界のことで、現世とも解釈できます。
無漏路とは仏の世界です。
確か、アニメの一休さんではこの歌を、
「この世からあの世へ帰る一休み~」
としていたと思います。
だいたいそんな意味です。
 
27歳の5月の夜、夜の琵琶湖で舟にゆられていた一休は、闇夜の中、カラスの声を聞きます。
その瞬間、一休は悟ります。
 
「闇夜にもカラスはいる。ただ姿が見えないだけだ」
「仏も、ただ姿が見えないだけで、心の中にあるのだ」
 
「これまでの自分は、過去を嘆き、俗世を嘆いていた。そんな自分は今、カラスの声によって吹き飛ばされた」
「自分は生まれ変わった。まるで天地万物と一体になったようだ!」
 
夜が明けて、師匠に早速これを伝えると
 
「しかしそれは羅漢(らかん=自分のためだけに悟りを開いた修行僧)の境地であり、作家(そけ=真に優れた禅者)ではないな」
 
と言われます。
 
そこで一休は、
 
「ならばこれ以上欲しません。羅漢のままで結構です」
 
と答えると、
 
「それこそが作家の心だ。其方は今、大悟した」
 
と認められます。
 
師匠は印可を与えようとするのですが、一休はこれを断ります。
それに対して、師匠は笑い飛ばして送り出したとも、一休は印可証を破ろうとしたともあって、真相はわかりません。
(資料によって違うので、これ以上は原典にあたらないとダメなようです)
 
これ以降、一休は髪とひげを伸ばし始めます。
その後は、
 
・大徳寺(臨済宗の総本山)で大法要があった時には、豪華絢爛な場にボロの衣のままで出席したり
・腰に三尺の刀(中身は木刀)を差して街を歩き回ったり
・元旦にドクロ(もちろん本物)を乗せた杖を持って各戸を訪問したり
・禅宗とは仲の悪い浄土真宗の法要に参列してそこの高僧と仲良くなったり
・天台宗の延暦寺で土用干ししている経文の上で昼寝を始めたり
 
……と、その権威に逆らう姿や奇行によって、庶民の人気者となります。

 
そこまでしてもそれが許されたのは、やはり皇族であり、朝廷の庇護があったからのようです。
 
一休が、上記の臨済宗総本山である大徳寺の過剰な内紛に怒って餓死をしようとした時には、時の花園天皇から
「師(一休)は朕を見捨てるのか」
という勅宣が出されたと言われています。
そこまで天皇をも惹きつける人物だったようですね。
それを聞いた一休も、感涙して中止したそうです。
 
78歳の時、一休は森女(しんにょ)という、齢30の盲目の女性と、京都南部の田舎(現・京田辺市)に結んだ酬恩庵で暮らし始めます。
一休はこの女性にメロメロだったようで、エロエロな歌を何首も詠んでいます。
 
81歳、天皇に頼まれて大徳寺の住職となりますが、酬恩庵からは離れませんでした。
 
88歳で大往生。
最後の言葉は「死にとうない」だったと伝えられています。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ110 多面体

あすなろ

 
 
 
2010.12号
 
このあすなろ通信では、これまで、かなり色々なジャンルの話を書いてきました。
しかし、それでもまだ、敢えて手を出していないネタはあります。
例えば機械工学とか。
 
いや、だって、燃焼室のS/V比とかアームの動く瞬間中心の話とかをしたって面白くないですよね。
ぼくは面白いのですが。
 
まあ、そんなわけで今回は、この紙上で初めて取り上げる分野の話をします。
 
それは、数学の話です。
……はい、そこ、露骨に嫌な顔をしない。
 
テーマは、多面体です。
 
多面体とは、平らな面だけでできている立体のことです。
その中で、すべて合同な正多角形で構成され、且つ全ての頂点が同じ形状になっているものを正多面体と呼びます。
要するに、同じ正三角形や同じ正方形だけでできた形などのことです。
 
正多面体は、全部で5種類あることが知られています。
というより、5種類しか存在しません。
 
では何故、5種類しか無いのか。
それを説明してみましょう。
簡単ですよ。
 
立体の頂点は、正多角形である面の、頂点が集まってできています。
例えば、正四面体の全ての頂点は、それぞれ正三角形の角が3つ集まってできています。
 
正三角形の角を4つずつ集めて作ると、正八面体ができます。
5つずつなら、正二十面体になります。
6つ集めると、……立体はできません。
正三角形の角は60度ですので、それを6つ集めると360度、つまり平面になって、立体の頂点じゃなくなってしまうからです。
もちろん、2つでも無理です。
 
ですから、正三角形で作られる正多面体は、以上の3種類しかない、とわかるのです。
 
面が正四角形=正方形の場合は、角3つなら大丈夫なのですが、4つ集めたところで360度になってしまうので、1種類しかありません。
正五角形を使っても1種類です。
正六角形は、1つの角が120度ありますので、3つ集めただけで平面になります。
ですから、正多面体は作れません。
 


5種類の正多面体
左から順に、正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体


 
こういうものって、文字で書くと伝わりにくいので、数字のお話はそのくらいにしましょう。
それよりも、その仲間達の話をします。
 
半正多面体というものがあります。
 
これは、定義が正多面体に近いのですが、面の形は正多角形であるならば、2種類以上が入っていてもいい、というものです。
これには一定の作り方があって、1つは、正多面体の角を、新しく正多角形ができるように切り落とす、という方法です。
もとからあった面の角を、辺の数が倍になるよう切ります。
すると、こんなものができます。
 


切頂シリーズ(「切隅」とも)
順に、切頂四面体、切頂六面体、切頂八面体、切頂十二面体、切頂二十面体


 
切り落とされた結果、正三角形、正四角形などの面は、正六角形、正八角形などへと変わっています。
また、切頂二十面体は、いわゆるサッカーボールの形ですよね。
つまりサッカーボール形は、正二十面体の頂点の数だけ正五角形ができている、ということです。
 
算数が好きな方は、辺と頂点の数を計算してみてください。
多分、小学三年生レベルの計算で、求められると思います。
 
次に挙げるのは、さらにこの切り落としを進めていった結果できた、半正多面体です。
そろそろややこしいので、解説は省きます。
 


切り落としの進め方


切る量をさらに進めていくと、切り落とした面同士が接するようになる。
場合によっては、さらに新たな頂点を切り落とす


その結果できた立体


 
そして、星形正多面体という恐ろしい立体もあります。
これは、正多角形の面を交差させながら組み合わせて作った形で、これまでに4種類だけが見つかっています。
 


4種類の星形正多面体
順に、大十二面体、大二十面体、小星形十二面体、大星形十二面体


 

このうち、大十二面体

は、12枚の正五角形を、交差させながら組み合わせたものです。
1つの頂点には、正五角形の角が5つ、星形五角形(正5/2角形・五芒星)のように交差しながら集まっています。
 


上:星形五角形
下:晴明桔梗(家紋)


 
大二十面体

も同様に、正三角形を20枚、交差させながら組み合わせたものです。
その頂点は、これも同様に正三角形の角を星形五角形のように組み合わせています。
 
小星形十二面体

と、大星形十二面体

は、星形五角形を交差させながら組み合わせたものです。
頂点は、星形正五角形の角を3つまたは5つ集めたものです。
 
このくらいの立体になってくると、それなりの空間認識力が無いと、想像するのがそろそろきつくなってきます。
これの立体模型を作るのは困難でしょうが、針金を使って枠(辺)だけを作るのならできそうですね。
 
大人になって数学というと、苦手なイメージを持つ人が多いのですが、数学は学校で習う以外には、自ら学ぶ機会が殆ど無いからなのでしょうね。
 
学生の頃歴史が苦手だった人でも、その後本や会話で触れるうちに興味を持って、自分から調べて楽しくなることなんてあります。
しかし数学は、小説を読んでいたら新しい公式に興味が湧いてきた、なんてことは、普通はありませんからね。
 
でも、趣味で始めると、数学も案外面白いものですよ。
学問とは、そういうものです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ217 うどんそば

あすなろ

 
 
 
2019.11号
 
先月、健康診断に行ってきました。
 
その中で、腹囲を測定したのですが、測定したオネーサンが記録を書こうとして、
「すみませんもう1回測っていいですか」
と再測定。
そして記録を書きながら、
「朝倉さん、お腹、どうかしました?」
と。
 
なんだそりゃと思って聞くと、一年前の腹囲は72センチだったのが、今回70.5センチに下がったのが気になったみたいです。
 
いやそんなの誤差の範囲だろと思うのですが、わざわざ測り直したということは、この歳で腹囲が減る人は珍しいってことなのかもしれません。
 
というわけで、私はまた一つ、風説のウソを暴いてしまったのでした。
何かというと、
「糖質制限ダイエット」
とやらです。
 
私は、炭水化物の割合が相当高い食生活をしています。
ここでの炭水化物とは、米・パン・うどん・モチあたりがメインです。
 
その代わり、脂の摂取は押さえています。
 
脂肪ってのは、エネルギーの銀行預金なんですよね。
現金=炭水化物がなくなれば確かに銀行=脂肪からお金をおろしますけど、それ以上にガンガン振り込みしてたら意味が無いでしょ。
脂を減らしたかったら、脂の補充をしなければいいのです。
 
以前にもどこかで書いたような気もしますが、あのダイエット法は
「やせたいけど肉を食いたいのはガマンできない」
という西洋人がひねり出した屁理屈で、
「アイスは食ってもカロリーにならない」
と同レベルのものだと思っています。
 
確かに、炭水化物の少ない食生活に慣れるまで、一時的には減るらしいのですが、それ以上に食っちゃえばむしろ増えます。
 
ついでに言うと、西洋人以外の人間には一般に
「脂を取り過ぎると体調がおかしくなる装置」
がついているのですが、歴史的に肉と脂ばっかり食ってきた西洋人は、その装置が遺伝的についていません。
その遺伝子を持った血統は、みんな死んでしまったのでしょう。
 
つまり、西洋人と同じように脂ばっかり食っていたら、東洋人は簡単に死にます。なむ。
逆に、西洋人はどんだけ脂を食っても死なないので、我々から見たら、人としてありえないような太り方をすることができるのです。
 
そんなわけで炭水化物大好きな私ですので、白米大好きです。
うどん大好きです。
モチ大好きです。
パン……は、手軽だから食べるか、程度かなあ。
 
その中でも、うどんは子育てでも本当にお世話になっています。
おかげさまで、少なくとも幼稚園の頃までは、ウチの子は全員がうどん大好きでしたよ。
 
うどんといえば、そばとどちらが好きかという話がよく出ます。
うどん派かそば派かというようなネタは、犬派か猫派か、とか、ドラゴンボールかワンピースか、とか、お好み焼きかもんじゃ焼きか、きのこかたけのこか(*)、など色々とありますよね。


*初めて聞く方は、「きのこたけのこ戦争」で検索してみてください


我が家はうどんばっかり食わせていたせいか、どちらかを選ばせると、ほぼうどんでした。
私もうどん派です。
 
でも関東って、そば屋の方が目立ちますよね。
見ている限り、個人営業はそば屋、チェーンはうどん屋ってパターンが多い気がします。
もちろん、個人のうどん屋もあるんですけどね。
 
うどんといえば讃岐うどんが有名でして、今や県をあげてキャンペーンをやっています。
ですから、うどんが西、そばが東というイメージがあるかもしれませんが、実はそういうことでもないようです。
 
うどんは、小麦粉を水で練って作ります。
 
ここから始まる製法では、うどん以外にもお好み焼きやたこ焼きなど、実に色々とありますが、日本には、奈良時代の遣唐使が持ち帰った「こんとん」という団子菓子が最初と考えられています。
ただし、小麦そのものは弥生時代からあったようです。
 
その後、製麺技術は伝わったのか見つけたのかはわかりませんが、記録上にうどんが最初に登場するのは室町時代となるようです。
しかし、当時はまだ臼が搗き臼(つきうす)しか無かったために、小麦を粉にするのに手間がかかって、小麦粉製品は高級品でした。
 


搗き臼
餅つきに使うのがこれ


 
しかしその後、江戸時代になると挽き臼(ひきうす)が普及したために、うどんも庶民が口にする食品となったのでした。
 


挽き臼
粉をひく石臼はこちら


 
対するそばですが、こちらも各地の弥生時代の遺跡からはその花粉が発見されていまして、小麦よりも少し前の時代から普及していたようです。
しかし、こちらも当初は麺類ではなくて、そば粉をねってゆでた「そばがき」だったようです。
なお、そばがきの別名として「かいもち」という名前があるのですが、これは高校生以上なら知っている「児の空寝(ちごのそらね)」に登場する「かいもちひ」の正体です。
 


そばがき(かいもち)


 
そばがきについては平安時代、道長の甥が、山の住人から出された「蕎麦料理」を指して、「食膳にも据えかねる料理」と歌に歌ったという話があります。
当時の蕎麦は、貴族は食べないような粗食という位置づけだったようです。
 
先述の「かいもちひ」については、現代語訳によっては「ぼたもち」とされているものも見受けますが、この道長の甥の逸話からすれば、修行僧の食事ですので、ぼたもちではなくてそばがきの方が正解であると思われます。
 
さて、蕎麦もやはり、ソバの実を粉にして作ります。
すると小麦粉と同様に、臼の問題が生じてきます。
やっぱり粉にする手間は結構かかるわけです。
 


ソバの花と実


 
しかしソバは、水の少ない土地でも栽培できるために、非常食としては作られていました。
当時の分類としては、雑穀扱いだったようです。
 
それが、うどんのように麺として生産されるようになると、そこからは急に広まったようです。
つまり順序としては、うどんが先のようですね。
麺に加工しやすいように小麦機を混ぜるようになったのも、やはりうどんという先例があったからでしょう。
 
落語で、「うどんや」という話があります。
夜中、江戸の町を鍋焼きうどんの行商が売り歩く様子を描いた話です。
この通り、江戸の町ではうどんが普通に売られていたようですので、
「江戸といえば、うどんよりそば」
というわけでもなさそうです。
 
また、先述の通り、うどんの生産および消費で日本一なのは香川県なのですが、生産量二位は、実は埼玉県らしいのです。
埼玉もそれなりに伝統的にうどんを生産していたようですから、うどん=関西というわけでもないということが、ここからもわかります。
 
そういえば、「稲庭うどん」は秋田ですから、それを考えると全然関西じゃないですね。
一方でそばも、「にしんそば」は京都名物とされています。
 


にしんそば
そういえば食べたことないや


 
一つ忘れていました。うどんそばといえば、「たぬき」の呼称の違いがありましたね。
 
関東では「たぬき」といえば普通、天かすが入っているうどんやそばのことを指すと思います。
また、「きつね」は言わずと知れた油揚げ入りですよね。
 
しかし関西では、
「きつね」=「油揚の入ったうどん」
で、
「たぬき」=「油揚の入ったそば」
のこととなります。
 
最近はチェーン店やコンビニの影響で、関西独自の呼び方が廃(すた)れ始めているなんて話を聞いたこともあるのですが、どうなんでしょうか。
この程度の文化の違いは、いつまでも残ってほしいものです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ216 たたかえ! ぬいぐるみ!

あすなろ

 
 
 
2019.10号
 
「着ぐるみ」という言葉があります。
 
それに対して、
「『着ぐるみ』ではない。正しくは『ぬいぐるみ』である」
という話が以前からあったのですが、あれってそういえばどうなったんだろうと、最近ふと思い出しました。
 
ぬいぐるみと言えば、今では一般的にはテディベアのような、主に動物をかたどった人形で、綿などを詰めた布製のものを想像すると思います。
 
塾にも一つ、ダイオウグソクムシの愛くるしいぬいぐるみがあるのは、皆様ご存じの通りです。
 
※人によってはあれが枕に見えるようですが、本来はそういうつもりではありません。
 


意図しなかった使用法


こちらはティッシュカバーです。
断じてぬいぐるみではありません。


最近、リラックマのティッシュカバーを見かけないのですが、一体どこに……


 
世界初のぬいぐるみは、1880年と言われています。
明治13年のことですので、案外新しいですね。
ドイツで服飾工房を経営していたマルガレーテ・シュタイフさんが、甥姪のクリスマスプレゼント用に、フェルトで作ったゾウのぬいぐるみ(針刺し)が最初だとされています。
 
そのゾウの評判が良かったので、クリスマス用に市販を始めたら大ヒットしました。
そこでシュタイフさんはその後、さまざまな動物のぬいぐるみを作る会社を立ち上げています。
 
好きな人はもうわかったかもしれませんが、これがテディベアで有名なシュタイフ社の始まりです。
 
さて、このままシュタイフとテディベアの歴史の話を書き連ねてもいいのですが、それはまた次の機会とします。
 
(→ご要望がありましたら書きます)
 
まずは広辞苑にて「ぬいぐるみ」を引いてみましょうか。
昭和五十八年の第三版です。
 


ぬいぐるみ【縫包】
 
①中にものを包み込んで外側を縫うこと。また、その縫ったもの。特に、動物の形などにつくって玩具とするもの。
 
②演劇で、俳優が動物などに扮する場合に着る特殊の衣装。また、立ち回りの棒などを布でそれらしく作ったもの。


 
いかがでしょうか。
 
ぬいぐるみとは元々、「縫って何かをくるむこと」を指す言葉なのだとわかります。
動物などの「ぬいぐるみ」は、そこに充てた言葉だったんですね。
 
そして、今回注目するのは②の意味です。
 


・「演劇で動物などに扮する衣装」


 
歌舞伎で、天竺徳兵衛という役があります。
大ガマに乗って登場する妖術使いなのですが、このガマ、これが「ぬいぐるみ」です。
 


がまくんのぬいぐるみ


 
さて昭和29年の日本で、とあるぬいぐるみ映画が公開されました。
この映画では、本当は当時洋画で主流だったアニメーション撮影をしたかったのですが、予算の都合から断念して、それをぬいぐるみで代用することになったのです。
 
あ、つい書いてしまいましたが、「アニメーション」ってご存じですか?
今時の若者は、そんな言葉なんて知らないでしょ。
 
では、ご説明しましょう。
 
アニメーションというのは、人形などを少しずつ動かして撮った大量の写真を、つなげて映画とすることです。
そうすることで、まるで動いているように見せかける特殊効果のことです。
 
……絵?
 
まあ確かに、絵を使ったアニメーションもありますけど、迫力では立体造形物にはかないませんよね。
 
アニメーションと言えば、「キングコング」や、リー・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の冒険」「タイタンの戦い」あたりが有名です。
特にリー・ハリーハウゼンは、数々のアニメーション特撮映画を作ったことで有名です。
 


「アルゴ探検隊の冒険」より
複数のガイコツ剣士と戦うシーン
ガイコツ剣士がアニメーション


 
日本の話に戻します。
 
ともかく、そうやって作られた日本のぬいぐるみ映画は、従来までのアニメーションとは全く違った迫力を醸し出すことで、空前のヒット作となります。
そしてその後も、このぬいぐるみ映画は次々と続編を出して、日本の映画界に新しいジャンルを生み出すまでに至ります。
 
また、同じ技術を使って、子供向けにテレビ番組も多数作られるようになりまして、その流れは現在まで連綿と続いています。
 
その元祖となったぬいぐるみ映画は、「ゴジラ」というタイトルでした。
ゴジラは、ぬいぐるみに入った俳優の演技力によって、それまでにないリアルな動きをする怪獣を生み出したのです。
 



 
ここから始まった、ぬいぐるみ映画という一大ジャンルは、今でも「仮面ライダー」「戦隊もの」「ウルトラマン」など、日本の文化と言ってもいいほどに成長しています。
ここでは伝統的に、人型のぬいぐるみが派手な立ち回りをするという、独特の世界を作り出しています。
 


派手に戦うぬいぐるみ達


 
これが、先に述べた
 


・「演劇で動物などに扮する衣装」


 
です。
 
えっと、何も間違っていませんよ?
 
ところがいつからか(平成元年ごろからと言う説があります)、このぬいぐるみのことを「着るぬいぐるみだから『着ぐるみ』だ」などと言い出す人が現れて、そのままテレビを通じて日本中に蔓延してしまいました。
 
これが、冒頭に触れた「着ぐるみぬいぐるみ論争」です。
 
着ぐるみという言葉は、映画界の人達にとっては全く関係の無いところから発生したために、現在でも古参の映画業界人は、その言葉を認めていないようです。
しかし、若いスタッフは、着ぐるみという言葉を使う方が増えているとのことです。
 
なお、歌舞伎や狂言の世界では、着ぐるみという言葉すら存在しません。
 
ところで、玩具の方のぬいぐるみは、英語ではstuffed toy(動物はstuffed animal)と言います。
「縫われたおもちゃ(動物)」という意味となりますので、「くるむ」にあたる意味はありません。
このような新しい言葉が日本に入ってくるときは、大抵は直訳した和語が作られるのですが、stuffed toyについては、もともと「ぬいぐるみ」という同等のものがあったので、そのまま流用されたのでしょう。
 
また、いわゆる着ぐるみには、これとは別にcostumed characterという言葉があります。
しかしこれはどちらかというと、ディズニーランドあたりを徘徊している、動物の顔をした人達のようなケースを指します。
 
海外では、さらに別のfursuitファースーツというジャンルもありまして、趣味としている愛好家もかなりいるようです。
 


ファースーツの例


 
これはこれでまた、案外奥の深い世界らしいです。
 
いや、奥が深いというか、闇が深いというか……
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ215 東京2020エンブレム

あすなろ

 
 
 
2019.09号
 
そろそろ見慣れてきた、今度の東京オリンピックのエンブレムのお話です。
 



 

エンブレムについては、最初の「選考」の時に色々とケチがついたのはご存じの通りです。
そんないきさつを見ていましたから、今回のデザインが選ばれたときも
「一番つまんねえやつかよ」
「ABCDのうちのAってことは、最初から決まってたなこれは」
などという見方をしておりました。
 
ちなみに、キャラクターの方も、
「アイウのうちのア」
が選ばれていますので、こっちも「またかよ」って感じでした。
 
しかしですね、実はこのエンブレム、すごいデザインだったのです。
 
その討論がなされたのは、ツイッター上でした。
最初、どこかの大学教授が解析したというものがこちらです。
合同な三種類の長方形で成り立っているのですが、それが幾何学的に綺麗に組み合わさっている法則を示した図です。
 
当初はこのように、二十四角形の組み合わせと考えられていました。
 




 

パラリンピックの方は見ての通り線対称図形ですが、オリンピックの方は線対称でも点対称でもありません……が、実は120度の回転対称な図形でした。
 
※点対称=180度の回転で重なる図形。
それに対して今回の図形は、120度の回転で重なる図形となっています。
 
それをわかりやすくしたのが次の図です。
偶然ながら、グーグルクロムのデザインにぴったり収まっています。
 



 
また、2つの図の抜けている円の部分は、同じ径の円となっていました。
 



 
2つの図を構成する長方形の個数は、共に大が9個、中が18個、小が18個で同じです。
それどころか、全て同じ向きのまま平行移動させるだけで、2つの図ができることも発見されました。
 
そして、これを構成する長方形については、対角線と面積が同じではないかという意見がこちらです。
面積は後に否定されますが、対角線の長さは確かにどれも同じでした。
 



 
最終的に、この三種類の長方形は、それぞれの対角線が30度・60度・90度で交わるものだということが見つかっています。
 



 
長方形の対角線をrとしたときの面積まで求められていました。
 



 
また、こんなものも見つかっています。
 
各長方形は、全てが頂点同士でつながっているのですが、抜けている円の部分は、接続される頂点の位置まで同じなのです。
頂点同士がぴったりとつながっています。
 



 
そして最終的に、この長方形の図案の元となった図形が、この菱形の組み合わせだと解析されています。
 




 
それを並び替えると、規則性のある綺麗な図形が浮かび上がります。
 



 
そして、これがどうやら「正解」のようです。
科学雑誌ニュートンの2019年9月号では、このような解析がなされていました。
 
(手持ちの本をスキャンしたので、ちょっと斜めになっているのはご容赦を)
 



 
ところで、作者の野老(ところ)氏は、本当はこのように作ったわけではありません。
厚紙とテープを使って、文字通り手作業で作っていったのが原型なのだそうです。
 



 
さて、私がこの手の科学的要素の高い内容を紹介する時は、原則として本人の書いた論文を必ず読むようにしています。
まとめサイトやネット記事を見れば要点はわかるのですが、それでは本質が掴めないからです。
本人の書いた文章は、氏名+pdfで検索すると、普通はすぐにヒットします。
 
ところが、今回の主役である野老氏は、その手の論文を書いていないどころか、著作や寄稿すら見つかりませんでした。
そこで、今回の記事は、ニュートンの特集記事と、ネット上に散らばるまとめ記事、さらにはその元ネタとなったツイッターからなっています。
 
数少ない本人の弁としては、ニュートンのインタビュー記事があるのですが、それによると、数学好きの人には見つけられなかった秘密がまだありました。
それは、色です。
 
この図の三種類の長方形の面積比は、およそ100:86:50となっているのですが、そこからシアン:マゼンダ:イエロー:黒の比を100:86:0:50で混ぜた藍色を用いて、この原案を作ったのだそうです。
 
※原案ではC100、M86、Y0、K50でしたが、実際のエンブレムではM80となっています。
 
また野老氏は、同じパターンを用いることで、オリンピック関連イベントのエンブレムも作り上げています。
 



 
この様子でしたら、まだまだ他にも応用の利きそうなデザインですね。
 
ここまで読んで、いかがでしたでしょうか。
私は、この一連の話を知ってからは、今回のエンブレムが最高に思えて仕方ないです。
今では色々な意味で、実に日本らしいと思っています。
こんな数理的なデザインが、他の案に埋もれなくて本当に良かったです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
 
 
おまけ。
面白いので暇人はお試しあれ。
 
これでパズルを作った人もいるようです。

あすなろ214 バナナ

あすなろ

 
 
 
2019.08号
 
バナナってのは吊して保管するのが一番だと聞いた事はありましたが、「バナナハンガー」がこんなにヒットするとは思ってもいませんでした。
 



 
バナナです。
 
私は個人的に、バナナは果物としてはある意味最強の存在だと考えています。
 


・ 安い
・ 栄養価が極めて高い
・ くせがない・嫌いという声を聞かない
・ 手で剥ける・道具が要らない
・ 幼児から老人まで食べられる
・ 栽培が容易(だから安い)


 
ね? 最強だと思いません?
 
唯一、欠点を上げるとすれば、日持ちしないことでしょうか。
 
熱帯でしか栽培できない、という点も、難点といえば難点かもしれません。 
しかし植物というのは、ある程度はそういう面があるものですし、その程度でしたら品種改良で改善されることも多々ありますので、特に問題と考えておりません。
 
また、バナナという果物を、もう少し広義に「作物」としてとらえると、
 


・ 主食になる


 
という一面も持っています。
 
東アフリカから中央アフリカにかけては、バナナを主食としている地域がそこそこあるようです。
といっても、果物のバナナとは別の品種です。
 
主食用のバナナは、ウィキペディアくんには「料理用バナナ」と書かれていましたが、一般的にはplantainプランテンとかプランテインとか呼ばれているようです。
まだ緑色で未熟の状態の実を、刃物で皮を剥いて調理すると、イモのように食べられるのだとか。
 
しかし見ると、バナナそのままの形が焼かれたり揚げられたりしていて、果物バナナの味しか知らない身としては、こんなん食えるんかいな、という感じがします。
 


揚げ物

 
焼き物
下はチーズ乗せ


 
ただしここで、plantain dishと検索すると、普通に料理の写真がずらっと出てきて、普通に美味しそうなんですよね。
不思議。
 



 

さて、先にも少し書きましたとおり、バナナは熱帯の植物です。
日本ではほとんど栽培されておりません。
実際、日本で売られているバナナは、フィリピン産・台湾産・エクアドル産あたりがほとんどだと思います。


・ただし、沖縄産もあるそうです。
・また2017年からは岡山産の「もんげーバナナ」が販売されているそうです。


しかし植物の分類的には、バナナはバショウの仲間なのです。
バショウと言えば、松尾芭蕉のあの芭蕉です。江戸時代の俳人です。
 
彼は門下生に贈られた芭蕉にちなんで、自らの俳号を芭蕉としています。
その後、庵に植えた芭蕉がよく茂ったので、住居も芭蕉庵と名付けています。
 


バショウ

 
松尾芭蕉


 

また、芭蕉といえば、西遊記に「芭蕉扇」が出てきますよね。
孫悟空は、燃える山(火焔山)の火を消すために、牛魔王の妻の羅刹女の所に、強風を起こす芭蕉扇を借りに行くのですが、その後は簡単にはいかずにバトルになってしまうという話です。
 
そのあたりの話を思えば、バナナもそんなに日本から縁遠い植物でもないような気がしてきます。
 
あともう一つ、バナナといえば「皮を踏んで転ぶ」というお約束がありますが、これは1900年代から世界的に知られるコメディなのだそうです。
あのキートン、チャップリン、ロイドの三人も、全員がやっているそうです。
 
また、これについて真面目に考えて、なぜバナナの皮はすべるのかという研究をした日本人科学者は、2014年にイグノーベル賞(ノーベル賞のパロディ)を受賞しています。
 
資料を付けますので、お暇な方はどうぞ。
(pdfデータのダウンロードページです)
バナナの皮の科学

 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ213 デニム・ジーンズ;その2

あすなろ

 
 
 
2019.07号
 
前回(あすなろ212)の続きを書きます。
 
まずは、前回のおさらいから。
 


・ 中3英語の教科書にある
「ヨーロッパからアメリカ経由で伝わり、倉敷で独自の進化を遂げたデニム」
という記述が、ウソっぽい気がして調査開始。
 
・ 朝倉「デニムってのは染料のことだろ」
→残念。本当は織物の種類のことでしたー。
 
・ 朝倉「ジーパンは最初キャンバス生地で作ったけど途中から青くしたんだよな」
→残念。本当は最初から青いデニムとキャンバスの二本立てでしたー。


 

と、まずはここまでです。
 
……いや、もうちょっと書きますか。
 


いわゆるジーパンは、ゴールドラッシュ時代のアメリカで、「とにかく丈夫な作業ズボン」として登場しました。
最初に作ったのはリーバイさんという方で、これがリーバイスの始まりです。


 
てなところでしょうか。
 
で、そのまま粛々と、ジーパンの歴史の続きを書いていこうかと思ったのですが、前回参考にしていたウェブサイトが見つかりません。
代わりに、リーバイス公式と思われるPDFファイルが見つかりました。
ご丁寧にコピーガード付きですので、恐らくガチです。
前回読んでいたサイトは、どうもご自分で当時の資料をあたって調べまくったようでしたのでかなり信用していたのですが、今回はなんせ公式です。
こっちを信用することにしましょう。
 
例えば。
ジーパン生みの親の仕立屋さんが、最初にリベット止めを考案した時の話では、前回参照にしていたサイトでは、
 
「顧客リストを見ると木こりが多かったようだから、恐らく木こりに依頼されて作ったのだろう」
 
などという書き方がしてあったのですが、リーバイス公式のPDFでは
 
「注文主は体の大きな木こりで」
 
と明確に書いてあります。
すごいなあ公式。
でも先月はこのファイルは見つからなかったんですよね。
インターネットの不思議です。
 


1800年代のリーバイスの広告
股にもリベットがあった。
しかし焚き火に当たっていて股のリベットで火傷をした社員がいたため、廃止された。


 

んなことはともかく、もう一つ訂正です。
 
前回、
「初期のジーパンは、生地の種類が『ジーン』と『デニム』の二本立てだった」
なんてことを書いたのですが、これもまた少々違うらしいです。
『キャンバス』と『デニム』が正解だそうです。
 
また、ジーンズという商品名は、実はもっと以前にリーバイさんが売っていた安物のズボンの名称なのだそうです。
ですから、リーバイさん的にはこの名前では呼んで欲しくなかったらしいのですが、定着しちゃったんだそうで。
 

生地の話のついでにちょっと。
 

ネット上ではあちこちに、
「デニムのインディゴには虫除けの効果があったので、炭鉱夫に好まれた」
なんて書かれていますが、これは完全なデマです。
まず、当時のデニムは完全にアメリカ国内製で、染料には天然のインディゴなんてとっくに使われていませんでした。
虫除け云々は、もっと昔のお話です。
さらに、デニムが好まれたのはそんな理由ではなくて、キャンバスよりも着心地が良い上に丈夫だったからです。
 

とにかくそうやって、作業着としてデビューしたジーンズでしたので、その後も
「こんな職業にも使えます」
「子供服としても長持ち」
という、丈夫で長持ち路線で売っていたのでした。
 

しかし世界恐慌が終わった1930年代、リーバイスは、ジーンズとカウボーイのイメージを結びつけようという作戦に出ます。
そしてそれを見てか、ハリウッドも、西部劇の量産を始めました。
その結果、西部劇に登場する俳優は、誰もがリーバイスのリベット付き501を履いて馬に乗っているのです。
すると当然、西部劇を見た観客がリーバイスを履き始めるわけです。
 
ここから、作業着だったジーンズが、ファッションになったのでした。
言ってみれば、コスプレみたいなものです。
これをきっかけとして、リーバイスはファッションアイテムとして流行を始めます。
 
その次の出来事は、ある大学の中で起こりました。
先輩が後輩に、「1年生は501禁止」と言って優越感にひたろうとするくらい、501が流行したのです。
これが、第二次世界大戦前夜のあたりです。
 
そして大戦中は、ジーンズの流行はピークに達しました。
 


「LEVI’S TODAY」=「リーバイス本日入荷」
あまりの人気のため、アメリカ全土で品薄になった結果、割当制となっていた。
画像中にある通り、1944年(終戦前年)


 

そんな大流行していた頃に終戦です。
日本に進駐した米軍は、そりゃあもう誰もがリーバイスを履いているわけです。
 
日本語の「Gパン」は、どうやらこの頃に言葉が生まれたようです。
GパンのGはGIからという説は、どうやら正しいようですね。
 
また、終戦から約十年経った50年代には、今度は別の流行が生まれます。
 
映画「理由なき反抗」で、大人に反抗する若者を演じたジェームス・ディーンはジーンズ姿でした。
映画「乱暴者」で暴走族を演じたマーロン・ブランドは、革ジャンにジーンズでハーレーに乗っていました。
ここから今度は、
「ジーンズ」=「大人に反抗する若者」
というイメージが生まれます。
 
アメリカでは一時期、「ジーンズは不良が履くもの」ということで、ジーンズ禁止令があちこちの学校から出されたくらいです。
 
その次の60年代においては、高度成長期となった日本において、国産のジーンズメーカーが次々と誕生します。
 
アメリカに憧れる団塊の若者は、誰もがジーンズを履きました。
ヒッピーはジーンズでした。
学生運動もジーンズでした。
 
日本にジーンズが本格的に定着したのは、この頃からです。
 
さらに、「日本伝統の藍染めの糸を使ったデニム」という、日本オリジナルのジーンズが登場したのもこの頃です。
こちらは倉敷の会社が作ったので、「桃太郎ジーンズ」と名付けられました。
 
ではこの辺りで、前回の最初のネタに戻ります。
 
中3英語の教科書の
 
「ヨーロッパからアメリカ経由で伝わり、倉敷で独自の進化を遂げたデニム」
 
という言い方は多分、正しいと言っていいでしょうね。
すんません。
 
もうちょっと詳しく解釈すると、
 
「フランス伝統のデニム織りがアメリカのリーバイス経由で日本に伝わって、倉敷のメーカーが日本の藍染めと融合させたデニムを作り出した」
 
という意味だということがわかります。
 
まあ、私も色々と勉強になりました。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ212 デニム? ジーンズ?

あすなろ

 
 
 
2019.06号
 
中学三年の英語の教科書に、こんな一節がありました。
 


(前略)2013年には、デニム発祥の地フランスで、倉敷のデニム製品の展示会が行われました。
ヨーロッパからアメリカ経由で伝わり、倉敷で独自の進化を遂げたデニムが、来場者にその高い品質と技術を示しました。


 
……そうだっけ?
 
なんか私の記憶と違うような気がするんですよね。
デニムって、単なる染料だったような気がするのですが、どうでしたっけ。
 
英語の教科書に載っているコラムについては、以前ちょっとおかしい表記(午前と午後の間違い)を見つけたこともありますので、この話が本当に正しいのかどうか、ちょっと調べてみることにします。
 
さて。
まずは私のうろ覚え知識から。
 


・ デニムとは、フランスのニム地方の染料のこと
 
・ いわゆるジーパンは、リーバイさんが抗夫向けの作業ズボンとして、最初はキャンバス生地で作って売り出したもので、途中からデニム色に替えたら受けたために定番になった
 
・ 戦後、進駐軍によって日本に伝わったため、「GIパンツ」から「Gパン」と呼ばれるようになった
 
・ 倉敷や大阪では、確かに「本物のジーンズ」を作っていて、現在はそんな本物が作れるのは日本だけ


 
では、本当なのか、調べてみましょうか。
 
まずは、ジーパンの起源から。
 
先に挙げたとおり、最初にジーパンを売り出したのはリーバイさんです。
これがリーバイスLevi’sですね。
 
英語圏では、人名+sをブランド名にしている会社はたくさんあります。
例えば、チョコレートのハーシーズHershey'sもハーシーさんが始めた会社ですし、マクドナルドも本当はMcDonald’sで、やはり創業者の人名+sで、コーンフレークのケロッグも、会社名はKellogg’sです。
でもケンタッキーフライドチキンは、ケンタッキーさんが始めたわけじゃないのでsは付きません。
 
で、そのリーバイさんがアメリカにいた頃、カリフォルニアで「ゴールドラッシュ」が起こりました。
1950年頃のことです。
 
ゴールドラッシュとは、新たに見つかった金鉱脈に、人が殺到する現象です。
この時は数年のうちに30万人もが集まったと言われています。
 
――ゴールドラッシュの話だけでも面白いのですが、今回は割愛します。
 
さて、リーバイ氏の作った会社は、生地や衣類などの卸売りをしていたようですが、その中にキャンバス(カンバス)布がありました。
キャンバスは油絵でも使われますが、元々は帆船の帆のための布です。
他に、テントや馬車の幌にも使われていました。
 
そんなあるとき、リーバイ氏から生地を買っている仕立屋さんから、事業を興さないかという提案がありました。
この仕立屋さんは、作業用オーバーオールのポケットの端を、リベットで止めて補強したものを作っていたのですが、これを量産化しないかというものです。
 
リベットというのはですね……。
 
現在でも、ジーパンといえばポケットの端に丸い金属がくっついていますよね。
あれがリベットです。
 
リベットとは、本来は鉄板と鉄板をかしめるための鋲で、橋や飛行機などを製造するときに使われています。
 
――リベットの話も、語り出すとまた面白いのですが、今回は断念します。
 




リベット


 
ともかく二人は、このリベットを使った「ポケット口の取り付け強化法」について特許を取ると、工場を確保して生産を始めたのです。
売る対象となったのは、ゴールドラッシュで炭鉱夫をしていた労働者です。
当時は、とにかく丈夫なズボンが求められていたのです。
(この仕立屋さんの顧客は、炭鉱夫よりも木こりが多かったという話もあります)
 
ところで、当時のこのリベット付きのオーバーオールは、布の種類によって二種類が売り出されていたようです。
それが、デニムdenimとジーンjeanです。
 
デニム仕様は、丈夫な代わりに高価でした。
そのために、機械工やペインターが使っていました。
対してジーン仕様の方は、それ以外の一般労働者が着ていたようです。
 
デニムとは、元々はフランスのニーム地方特産の織物のことで、「セルジュ・デ・ニーム」という呼称を短くしたものです。
 
一方ジーンは、みんな大好きウィキペディアによると、


デニムを輸出する際にイタリアのジェノバから出港していたので、ジェノバが転訛してジーンとなった(つまり同じ物を指す)


……なんてことが書いてありますが、少なくとも19世紀のアメリカでは、全く別の種類の布として、使い分けられていたというのが真実のようです。
 
ではここいらで一旦、私のうろ覚えの答え合わせをしておくことにします。
 
まず、「デニム」とは織り方を示す言葉で、インディゴ染めのことではありませんでした。
ただし、元々デニムという布は、インディゴ染めが特徴だったようです。
 
GパンのGは、ジーンズを略しただけですね。
言われてみれば、そりゃそうですわ。
 
また、デニムのパンツは途中から追加したのではなくて、最初からあったのですね。
 
ところが、ジーンズの語源にもなっているジーンは、洗っているうちに「テントを着ているよう」になってくるのだそうです。
ところがデニムは、ジーンよりも丈夫で快適なので、デニムを着るとジーンには戻れない……
ということで、ついにはジーンを廃止して、デニム一本にしたようですね。
 
この話は、次回も続けます。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ182 日本とトルコ

あすなろ

 

 

 

2016.12号

 

インターネットでは有名な話、というものがあります。

 

中学校の教科書が今年度から改訂されているのですが、そんな中学二年の英語の教科書を見ていたら、そういう話が掲載されていることに気付きました。

 

話は、日本とトルコの友好の話です。
イランイラク戦争のトルコによる邦人救出劇から始まって、エルトゥールル号事件、トルコ北西部地震、東日本大震災、と話は続きます。

 

ここまで書けば、ネット中毒者ならばだいたいのストーリーはわかってしまうのですが、多分普通の中高生は知らないと思いますので、ここに紹介しようと思います。
所詮は中学英語の教科書ですので、字数の制約的に薄い内容となってしまっている補足をしたい、という意図もあります。

 

トルコという国は、アジアの西端にあたる国です。
地中海に面していますが、ヨーロッパから見て、トルコから東のことをアジアと言います。
というよりも元々アジアとは、黒海と地中海を仕切るアナトリア半島――通称『小アジア(しょうアジア)』――のことを指す言葉でした。
 


トルコの位置


 

15世紀から17世紀にかけては、この地を中心としたオスマン=トルコが大帝国を築いていましたが、19世紀にはロシアなどに圧迫されて、衰退の一途を辿っていました。
そんな中、明治維新を果たした日本から、皇族がこの地を訪れます。
そこでオスマン帝国は1890年、その返礼として、日本に向けて軍の練習艦を派遣することにします。

 

これがエルトゥールル号でした。

 

エルトゥールル号の派遣は、トルコにとって、アジアの大国としての威信を取り戻したいという思惑もありました。
ですから、日本に向かう途中では、アジア諸国を歴訪しています。
しかしエルトゥールル号は、長く使われていなかった船でしたので、航行中も破損が相次ぎ、修繕しながらの旅となっていました。

 

ようやく東京に到着した頃は、予算も日程も予定を大幅に超えた旅となっていました。
スエズを通過してきたにもかかわらず、東京に着くまでに実に11ヶ月も経過しています。

 

それに加えて、船内ではコレラが発生していました。
東京には6月7日に到着したのですが、それが出港可能になったのは3ヶ月後の9月になってからでした。

 

もう本当に色々なものが限界になっていました。
台風が迫る中、本国からの帰還命令が出されたエルトゥールル号は、日本の制止を振り切って出港します。
しかし、和歌山南端の大島付近で座礁して、爆沈してしまったのです。

 


和歌山県大島


 

実はここは、その4年前の1886年には、あのノルマントン号事件が起こって、イギリス人だけが生き残った地でもあります。
しかし、村民は漂着する外国人に対して、台風の中、医者を呼び、備蓄用の米や鶏まで潰して救命に尽力します。
その結果、乗員650名中、69名が救出されたのでした。

 

その後は、日本中から集まった億単位の義援金が送られたり、トルコが医療費を払おうとしても日本の医師が断ったり、という話がトルコに伝わります。

 

この一連の話は、トルコでは小学校の教科書に載っていました。
今は載っていないという話もありますが、どちらにせよ、こんな逸話を知っているトルコ人は数多くいるようです。

 

時代は下って、第二次世界大戦中のことです。
トルコは当初、中立を維持していました。
しかし連合国の圧力に負けて、1945年に日本に宣戦布告します。
ところが実際には、一切の軍事行動は行われませんでした。
そして戦後は、
「 同 盟 国 イ タ リ ア 」

「 中 立 国 ス イ ス 」
までもが日本に対して賠償金を請求する中、トルコは一切の賠償金を請求しませんでした。

 

1985年、イラン・イラク戦争の最中のことです。
イラク政府は突如、
「今から48時間後以降、イラン上空を飛行する全てを無差別に攻撃する」
という宣言をします。
各国は自国民脱出のために特別機を飛ばしますが、日本は……

 

日本の自衛隊は、侵略侵略と騒ぐ社会党(現・社民党)や共産党があったために、この距離を飛べる機体を持つことができませんでした。
また当時は、政府専用機もありませんでした。

 

つまり、この時の日本政府には、直接下せる手が何も無かったのです。

 

一方の民間では、日本航空が会社もパイロットも飛ぶつもりで準備していました。
しかし、労働組合が安全保証を取り付けない限り反対と言い張って、行動不能となります。

 

現地の日本人は各国の航空会社にかけあいますが、どこの国も自国民救出を優先させるため、それまでに取っていたチケットも、全て無効とされてしまいます。
その後は、各国の通常便が全て止まります。

 

日本人200余名は、脱出の見通しが立たないまま、町のあちこちで空襲におびえて隠れているしかない状態となっていました。

 

そんな中、とあるビジネスマンの懇願によって、その旧知の仲であったトルコ首相は、日本人救出を決断します。
日本人をトルコ人と同じに扱ってくれという依頼に対して、トルコは当時保有していた最大の機体を、日本人専用機として1機手配します。
これと、トルコ人用定期便の1機を合わせて、2機の飛行が決定しました。
トルコ航空では、その救出任務のためのパイロットを募ると、その場にいたパイロット全員が挙手したそうです。

 

イラクの設定したタイムリミットは、現地時間の午後8時30分です。
(※英語の教科書にある「午後2時」は間違い。日本時間ならば午前2時)
それに対して、トルコ行きの最終便が離陸したのは7時30分。
トルコのイスタンブールに着いたのは、8時20分でした。
誤差を考えると、本当に間一髪です。

 

その時2機は、わざと違う高度を飛行しました。
もし敵機に襲われても、トルコ人機を囮にして日本人機を逃そうというポジションで飛んだのです。

 

実はこの時点で、イランにはまだ600人のトルコ人がいました。
しかしこちらは、トルコ大使館などの用意した車に分乗して、陸路で脱出することになりました。
当然こちらの方が時間がかかるため、空路よりも危険度の高いルートです。

 

しかし、自国民よりも他国民の命を優先したという首相の采配に対して、文句を言うトルコ人は無かったといいます。


※なお現在では、緊急時には国会の承認なしで自衛隊機を派遣できるように、1999年に法整備されています。
→野党が当時「戦争法案」と呼んで反対していたものがこれです。


 

1999年、トルコ北西部で大地震が発生すると、日本は即座に救援隊を派遣しました。
日本が建てた仮設住宅には、5000人の被災者が身を寄せました。

 

2011年に東日本大震災が起こると、今度はトルコが救援隊を出します。
そして、原発事故によって各国が撤退する中、一番最後まで日本にとどまって救援に当たっていたのはトルコ隊でした。

 

同年10月には、今度はトルコ東部で大地震が起こっています。
しかし、東日本の被災者がおとなしく列に並んでいる姿を見ていたトルコ人達は、配給には列を作り、暴動などの混乱を起こさなかったということです。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉

あすなろ192 秋の七草

あすなろ

 
 
 
2017.10号
 
秋です。秋の七草は言えますか?
最近、塾生に配った下敷きにも書いておきましたが、こんな感じです。
 
オミナエシ
ススキ
キキョウ
ナデシコ
フジバカマ
クズ
ハギ
 
それぞれの頭を取って、「お好きな服は」と覚えます。
 
春の七草の方は覚えている方も多いようですが、
 
「セリ・ナズナ ゴギョウ・ハコベラ ホトケノザ スズナ・スズシロ これぞ七草」
 
と、七五調で覚えます。
作者不詳の、古来より伝わる伝統的な覚え方です。
 
※なお、ウィキペディアには「覚え方と呼べるような語呂合わせは知られていない」なんて書いてありました。
 まあ、所詮はウィキペディアですから。
 
春の七草とは、一月七日=人日の節句(じんじつのせっく)の「七草がゆ」に入れて食べる野草リストです。
 
元々日本には、春先に「若菜摘み」をして、それを入れて食べる七草がゆの風習(もしくは宮中行事)がありました。
ただし、その際に入れる「七草」は、どうも平安時代頃までは、違う種類だったようです。
(927年「延喜式」)
 
そんな春の七草が、現在と同じ種類となった記録としては、1360年代の河海抄(かかいしょう)という書物が初出のようです。
河海抄というのは、室町時代に書かれた、源氏物語の注釈書(ガイドブック)です。
源氏物語自体は、1008年に書かれたとされていますので、室町時代から見るとすでに300年以上昔の作品です。
つまり、室町当時としてもすでに「古典」だったために、昔の文化を読み解くためには、そういうガイドブックが必要だったのでしょう。
 
ちなみに河海抄の時代から見て、源氏物語まではどのくらい「昔」だったのかというと……
今からでいえば、だいたい徳川綱吉の時代くらい昔のことにあたります。
 
……日本の歴史って、長いですねえ。
長すぎてクラクラすることがあります。
 
と、ここまでが春の七草の話です。
 
一方、秋の七草は食べません。
秋の方は単に、秋の野に咲く花リストです。
 
秋の七草の初出は、759年の万葉集となっています。
どうも、山上憶良くんが選んだようですね。
これは、源氏物語よりもっと前の、今から1200年以上も前のことですから、こう見ると秋の方が古いということになります。
しかし発想のきっかけは、やはり七草がゆにあるのではないか、と私は思っています。
七草がゆが始まったのは、いつからなのかはわかりませんので、七草がゆの方が万葉集よりも古い可能性は十分にあります。
 
前置きが長くなりましたが、そんな秋の七草です。
写真を挙げていきます。
私は、植物にはあんまり詳しくないので、自分にとっての勉強も兼ねております。
先に挙げたとおりの、「お好きな服は」の順に行きます。
 
まずオミナエシ。
……って、どんな花?
 

  
うーん。
知らない。
 
こうやって眺めていると、どっかで見たことはあるような気がしてくるのですが、やっぱり野草としては見覚えがありません。
 
調べてみると、どうも野草としてはごく局地的にしか自生していないらしいです。
 
次は、ススキです。
こちらは、各地で普通に見られますよね。
 


 
ススキと言えば、一時期は外来種のセイタカアワダチソウに駆逐されると大騒ぎになっていたこともありましたが、現在ではススキの勢力も盛り返してきて、なんとなく共存しているようです。
 
次のキキョウは、庭先以外では見ないよなあと思ったら、自生地のほとんど残っていない絶滅危惧種なんだそうです。
普通に見られる花ですので、なんかびっくりです。
 


 
キキョウといえば……。
えっとですね、小学生の頃、通学路に植えてあったキキョウのつぼみを破裂させることを流行らせたのは私です。
その節はすみませんでした。
 
次はナデシコ。
それとフジバカマ。
 
 


 
ナデシコは、名前だけはよく聞きますよね。
よく売っています。
塾の前に植えておいたら野生化したのですが、今はどうなったやら。
 
フジバカマは、大学近辺で見たことある気がします。
しかしこちらも絶滅危惧種だということですので、きっと園芸ものでしょう。
 
最後はクズとハギです。
共にマメ科の植物ですので、花の形は似ています。
まずはクズ。
 
 


そしてハギ。
 


 


 
さて。
クズはいいとして、問題はハギです。
 
下の画像は冬の姿なんですが、あのですね、これ、草じゃないんです。
木なんです。
 
 
ただ、伸びている枝は草みたいに青々としていますので、最初に七草として選んだ山上憶良くんが間違えたのも良しとしましょう。
 
それにしても、今回の話で一番驚いたのは、普通に近所で売っているのに、実は絶滅危惧種だという種類がいくつもあるということです。
どうも、園芸植物の世界では、珍しくないらしいですね。

でも私の場合は、これを知って、最初に連想したのはヒトコブラクダでした。
こちらは、野生に限ると完全に絶滅種なんですよね。
ラクダはすぐに出てくるのに……植物は、ほんとまだまだ知らないことばかりです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

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