2022年8月

あすなろ240 果実的野菜

あすなろ

 
 
 
2022.04号
 
今回は簡単に。
 
小6の授業中に、野菜と果物の区別の話が出ました。
イチゴやメロンは、果物ではなくて野菜だ、
というような話(クイズ?)が、テレビであったそうです。
 
しかしこれには、本当は正解がありません。
確かに、野菜とも言えます。
本来の果物とは「木の実」であって、
イチゴは「草」ですし、ダイコンやキュウリも「草」ですから。
 
しかし、だからと言って、ドヤ顔で
 
「イチゴは果物じゃなくて野菜だよ。お前バカじゃねえの?」
 
と言い切るのは間違いです。
 
 
 
と、授業中はそんな話で終わりにしたのですが、
その根拠でも出しておきます。
 
 
 
ではまず、
日本一、野菜や果物に詳しいサイトって、どこでしょうか。
 
はい。
簡単ですね。
農林水産省です。
 
では、そこからの引用をしてみましょう。
 


 

果樹とは
 
農林水産省では、園芸作物の生産振興を効果的に推進するため、
概ね2年以上栽培する草本植物及び木本植物であって、
果実を食用とするものを「果樹」として取り扱っています。
 
従って、
一般的にはくだものとは呼ばれていないと思われる
栗や梅などを果樹としている一方で、
くだものと呼ばれることのある
メロンやイチゴ、スイカ(いずれも一年生草本植物)などは
野菜として取り扱っています。

 


 
これを読む限り、農林水産省では、
確かにメロンやイチゴを野菜扱いしています。
しかしその代わり、ウメやクリを果物としています。
ウメはともかく、クリもフルーツだそうです。
それで満足なら、別にいいんですけど。
 
その話は、こちらにも記載されています。
 


 

いちごは野菜なの? 果物なの?
 
園芸学では、
木の実(木本性)は果物(果樹)、
草の実(草本性)は野菜と分類します。
草本性であるいちごは野菜。
また、農林水産省の作物の統計調査でも野菜に含まれています。
ただし、実際は果物と同じように食べられていることから
「果実的野菜」とも呼ばれています。

 


 
果実的野菜、だそうです。
ということは、やはり野菜の一種としていますね。
 
ところが、同じ農水省のサイトで、
こんなページもあります。
 


 

令和元年度 食料・農林水産業・農山漁村に関する意向調査
野菜やくだものの外観や販売方法に関する意向調査
(中略)
注:2
「くだもの」とは、
みかん、りんご等の小売店等で販売されているくだものをいい、
メロン、いちご等の果実的野菜を含む。

 


 
この調査では、「くだもの」の中に、
「果実的野菜」を含めていますね。
果実的野菜を野菜として分類するのは、
あくまで農水省の、調査上の区分である、
ということがわかります。
 
もう一つ、別の例を出しましょう。
 


 

GAP認証取得農産物の年間出荷状況について
(平成30年調査結果)
 
GLOBALG.A.P.、ASIAGAP、JGAP認証取得経営体等に
聞き取り調査を行ったところ、
認証取得農産物の年間出荷量は少なくとも、
穀類が約2万トン、野菜類が約14万トン、果実類が約1万トンとなりました。
 
調査の概要
 
1.調査対象品目
 
穀類:
米、麦、大豆
 
野菜類:
(根菜類)かぶ、ごぼう、さつまいも、
じゃがいも、だいこん、にんじん、
やまのいも(葉茎菜類)キャベツ、こまつな、
たまねぎ、はくさい、ブロッコリー、ほうれんそう、
ねぎ、レタス(果菜類)かぼちゃ、きゅうり、
スイートコーン、トマト、なす、ピーマン
 
果実類(果実的野菜を含む。):
いちご、かき、すいか、なし、ぶどう、
みかん、かんきつ、メロン、もも、りんご

 


 

GAPとは「農業生産工程管理」のことですが、
GLOBALという文字が見えるとおり、
農水省では現在、「国際水準GAP」というものを推進しています。
 
つまり、国際水準に合わせた結果、
「果実的野菜」は「果実類」に分類されているわけでして、
世界的にはイチゴやメロンは果物である、
ということになります。
 
そして、こんなのもあります。
 


 

日本産果実マーク使用許諾要領
 
農林水産省が商標権を有する
「日本産果実マーク(以下「マーク」という。)」
に関する使用許諾について、次のとおり定める。
 
1.目的
日本産の果実及び果実的野菜(以下「日本産果実」と総称する。)の
品質やおいしさ等を
海外の流通業者、消費者、外国人観光客等にアピールするとともに、
海外において日本産果実が他国産果実と容易に識別されることを
目的として定められたマークの適正使用のため、この使用基準を定める。


 


 
このあたりをまとめますと、
「ジャパニーズフルーツ」の中には、
イチゴやメロンが含まれていますね。
 
 
 
以上からの結論。
 


 

世界基準、及び世間一般では、イチゴは果物である。
ただし農水省は、植物学的な分類に従って、野菜として統計をとっている。

 


 
なんでこんな、
「植物学的な分類」をしているかというと、
そうしないと、境目が曖昧になってしまうからです。
例えば、マクワウリとか。
 
マクワウリは、ウリという名前はついていますが、
実際はメロンです。
果物として食べます。
そういう曖昧なものが、
この先また新しく出て来ないとも限りません。
そのためには、野菜と果物を区分するための、
はっきりとした定義が必要なんですね。
 
ですから、イチゴを野菜とするのは、
あくまで

「農水省では」
「植物学では」

ということにしたほうがよさそうです。
 
言語と科学は、時にこういうぶつかり合いが起こりますが、
そういうものですので仕方ありません。
 
 
 
……それでもまだ何か言うような奴がいたら、
こう聞いてみてください。
 
「イモって何?」
 
 
 
さあて。
 
イモって、何でしょうか。
 
ヒント
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ237 涼月(2)

あすなろ

 
 
 
2022.01号
 
それでは、涼月(すずつき)の話です。
 
塾のお地蔵さんは、涼月という子を祀って、江戸時代に彫られたようだという話を、前回書きました。
その中でちらっと、涼月(すずつき)という名前の船があったという話をしましたよね。
 
「すずつき」は現在、海上自衛隊の護衛艦にあります。
あきづき型護衛艦の3番艦で、2014年から配備されています。
 



 


 
ところで、海上自衛隊の艦名のほとんどは、日本海軍の連合艦隊で使われた艦名を踏襲しています。
すずつきも、戦時中にあった涼月という駆逐艦(くちくかん)から、その名前を受け継いでいます。
 


 

ただし自衛隊公式には、すずつきという艦名は
「爽やかに澄み切った秋の月」
に由来するとされています。
駆逐艦「涼月」とは、
「たまたま同じ名前」
というスタンスのようです。

 


 
そして実は駆逐艦「涼月」は、ちょっと有名な船です。
その話を……
……よりもまず、
 

駆逐艦ってなあに?

 
からですよね。
 
まず、戦争における船とは、元々は敵地に兵力を運搬するための手段です。
すると今度は、その輸送を阻止するために、船を使って船を沈めようとします。
そうやって船そのものが武器として使われるようになって、船対船の、「海戦」が行われるようになります。
 
また、船は元々、重量物の運搬に向いていますので、大砲が発明されると、それを装備した船が登場します。
大砲は、船同士の戦いにも用いられますが、陸上の敵地の攻撃にも使われるようになります。
 
そのための船が、戦艦と呼ばれるものです。
 
戦艦は、船体を大型化することによって、ますます大型の大砲を積めるようになります。
陸上では移動が困難なほどの巨大な大砲も、船に詰めばどこにでも運べます。
また、敵よりも強力な砲を積めば、相手の弾が届かない距離から、一方的な攻撃ができます。
 
そうやって、戦艦と主砲のサイズは、どんどん大型化していきました。
 
世界史や日本史で、もしかしたらロンドン軍縮会議の話を聞いたことがあるかもしれません。
これは軍艦の保有隻数を制限するものですが、ルールの中には船のサイズと数に加えて、砲のサイズがありました。
要するに、どれだけ強力な砲を積んだ戦艦が何隻あるかというのは、軍事力の目安だったのです。
今で言えば、核ミサイルの性能と数のようなものですね。
 
そうなってくると、戦艦はますます巨大化します。
そのために、当然ながら質量も巨大なものとなりますので、小回りが全くきかなくなります。
潜水艦に懐に入られると、強力すぎる遠距離砲ではなんともできません。
 
そこで、それをカバーするために、速力があって小回りのきく船が必要となります。
戦艦は、小型の艦を何隻か護衛につけた「艦隊」で行動するようになります。
 
この小型艦が、駆逐艦です。
英語ではデストロイヤーと言います。
 
駆逐艦は、潜水艦の駆逐以外にも、偵察や機雷の掃討にも運用されました。
この役割分担は、日露戦争の時にもすでに行われていました。
日本海海戦の主力は戦艦ですが、戦闘には魚雷艇や駆逐艦も参加しています。
 
特に、主海戦のあったその夜には、駆逐艦隊が戦艦など大型艦を一夜で5隻沈めています。
駆逐艦の速さを生かした「高速近距離射法」という戦法によるものでした。
この隊を指揮したのが、「鬼貫(おにかん)」と呼ばれた鈴木貫太郎(後の首相)です。
 


鈴木貫太郎の人生も、とても面白いので、
興味があったら調べてみてください
 

(鈴木貫太郎)


 
一方、第二次世界大戦が始まると、日本海軍は新戦法を編み出します。
航続距離の長い航空機を使って、戦艦の巨砲さえも届かないはるか遠距離から攻撃をしかけたのです。
これによって日本軍は、緒戦を連勝します。
 

そのために開発されたのが、いわゆるゼロ戦です。

 
それに対抗するために、アメリカ軍も同じように、航空機を積極的に活用するようになります。
その結果、太平洋戦争における艦船への攻撃は、航空機が中心となってきました。
すると、かつては魚雷や機雷という対艦装備が中心だった駆逐艦の役割も変わってきます。
対空砲を積んで、航空機から大型艦を守る、という任務を持たされるようになるのです。
 
そうやって、本格的な対空駆逐艦として最初に就航したのが、秋月型駆逐艦です。
そしてその秋月型の三番艦が、涼月です。
 
 
 
…………ん?
 
 
 
涼月は、秋月型駆逐艦の三番艦。
一番艦は秋月。
二番艦は照月。
 
すずつきは、あきづき型護衛艦の3番艦。
1番艦はあきづき。
2番艦はてるづき。
 
 
 
きっと偶然でしょう。
海自は駆逐艦とは関係ないって言ってるし。
 
それでは、ようやく最初に戻ります。
 
涼月は、ちょっと有名な駆逐艦です。
それを説明するために、涼月の艦歴を、箇条書きにしてみます。
 


1942
竣工。
 
1943
艦隊編入、作戦従事。
 
1944
潜水艦の魚雷攻撃により大破。
艦前部と艦尾を喪失。
艦橋も破壊されて艦長も戦死。
しかし沈没は免れたため、曳航されて呉に帰還。


 
ちょっと一回止めますね。
 
この時点で、前と後ろを吹っ飛ばされているのですが、港になんとか戻されています。
 
軍艦というのは巨大な塊ですので、一から作るにはかなりの時間と鉄と必要とします。
ですから、使えるものは可能な限り再利用するわけです。
 
ただ涼月の場合、修理担当者が「沈まなかったのが不思議だった」と述懐するような状態だったようです。
 
では続けます。
 


1944
半年の修理を経て作戦従事中、潜水艦の魚雷攻撃により艦首切断、船体亀裂。
呉に退避して修理。


 
艦首切断ですから、ここでもかなりの損害を受けていますが、修理されて復帰します。
 


1945
戦艦大和の護衛として、沖縄特攻に従事。
坊ノ岬沖海戦にて前部大破、戦闘不能となる。
なお、大和はこの海戦で沈没。
 

(坊ノ岬沖で被弾炎上する涼月)


 

大和沈没後、帰投開始。
通信機器は使えず、ジャイロもなく、海図も焼失した状態で、
艦首が沈下しているために前進すると船体が潜ってしまうような状態であった。
火災が鎮火しないまま、後退によって本土を目指す。
帰投開始からちょうど24時間後、佐世保に到着。


 
つまり、前に進むと沈んでしまうので、丸24時間の間、バックし続けて戻ったのです。
また、火が残っている状態ですので、夜間は大変目立ちます。
ですから帰還中、潜水艦にも攻撃されたようですが、幸いにも魚雷は外れました。
 


(涼月の損害)


 

ようやく佐世保に到着したところで、ドックに入れるために前進に切り替えたところ、浸水が進行。
ドックの排水が間に合わずに着底。


 
船の修理は、ドックという場所に船を入れたら、水を抜いて固定します。
しかしその水抜きの最中に、先に船底が床についてしまったのです。
間一髪というやつです。
 
しかしやはり、損傷は激しかったために、年内には本修理は行われないことが決定しました。
佐世保の近くに係留されて、その夏、そのまま終戦を迎えます。
 


(終戦時の涼月)


 

1948年、涼月は上部の構造物を撤去したのち、駆逐艦「冬月」「柳」と共に、
北九州市の若松港の、防波堤として再利用されました。
 
しかし風化による損傷が激しくなってきたこともあって、現在は冬月と涼月は完全に埋め立てられています。
 



 
柳だけはかろうじて地上に残っているようですが、やはり錆が進行したために、
現在では補修されて、ようやくその姿をとどめている状態です。
 


駆逐艦柳 補習前

 
現在の柳


 
と、いうように。
 
涼月は、三度も奇跡の生還をして、終戦まで生き残りました。
いわゆる「不沈艦」です。
しかも、今でも日本の本土に埋まっていて、そこを訪れることもできるという、希有な存在です。
 
そして偶然、それと同じ名前のお地蔵さんがこの塾にはあって、それがみんなを見守っているんですよ。
名前が同じなのは、本当に偶然なんです。
 
最高でしょ?
 
実は、この駆逐艦涼月の話は、護衛艦すずつきが進水して命名された2012年から、ずっと書きたかった話でした。
下書きをちょっと書き始めたところでやめて、10年間、ずっとそのまま保留にしてありました。
それをこの度、ようやく完成させた次第です。
(今回の1枚目の画像は、10年前にどこかからDLした、すずつきの進水式の様子です)
 
お付き合いいただき、ありがとうございます。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ236 涼月(1)

あすなろ

 
 
 
2021.11号
 


少し前、塾のお地蔵さんのお話をブログに書きました。
今回の内容は、それを基にして加筆修正しておりますので、大部分が重複します。
すみません。


塾の敷地、南東の角に、石彫りのお地蔵さんが立っています。
自販機の脇に安置されている、アレのことです。
 

 
 
これ、いいでしょ。
これの由来については、話せば長くなるのですが、せっかくですから簡単に。
 
 
 
もう何年前だったかなあ。
 
 
 
ヤフオクで買ったんですよ。
 
 
 
なお、台座となっている石は、山新で買った庭石です。
 
 
 
ですが、モノ自体はちゃんと骨董でして、江戸時代に彫られた物のようです。
その証拠に、光背には日付が彫られています。
 


 

※ 光背(こうはい)とは、仏像や人物画の、頭の周囲に描かれた光や炎などのこと。
フランシスコ・ザビエルの、頭の後ろで光っているアレも、光背です。

 

 


 
光背の向かって左には、
「寛政丁巳六月七日」
という文字が見えます。
 

 
あの「寛政の改革」の寛政年間のことです。
 
「丁巳」は、「ひのと み」で、つまり、寛政九年=1797年のことです。
今は2021年ですから、224年前のことですね。
その六月七日(旧暦)ですから、現在の五月半ばごろだったようです。
 
また一方で、光背の向かって右には、祀られた方と思われる名前が入っています。


「涼月童女」
(凉月にも見える)


涼月は、本来は「りょうげつ」と読みますが、現代風に、「すずつき」と読んでも構わないと思います。
 

 
涼を「すず」と読むのは、要は「送り仮名ぶった切り読み」で、一般的には最近のどきゅ…………キラキラネームみたいですが、そういうわけでもありません。
 
というのも、旧日本海軍の駆逐艦に、「涼月(すずつき)」という名前の艦があったからです。
つまり少なくとも、戦前にはあった読み方ということになります。
 
そして、童女とは、一般的には嬰児より上で成人するまでの女性のことです。
つまりは、小学生から中学生くらいまでの女性です。
 
恐らく、今から200余年前、涼月という女の子が亡くなって、それを祀るために彫られたものでしょう。
 
そう言うと、
きゃーこわーい とか、
のろわれるー とか、
たたられるー とか、
そういうことを言う人がいますが、そういうのとこれとは、根本が違います。
 
例えば、道祖神という土地の神様の場合。
 
大抵の場合は、その土地の守り神で、外から来る邪気を払うために置かれます。
 
しかしまれに、何か悪いことがあった場所で、その地の穢れや怨念を鎮めるために置かれることがあります。
昔からのお社を動かしてはいけない、というのが、まさにそれです。
 
でもこの地蔵の場合は、明らかにそういうのじゃないですからねえ。
だって童女って書いてありますし。
 
また仮に、かつては涼月ちゃんがこの石に取り憑いていたとしても、200年も経ったら、もう毒気は抜けてますよ。
 
それよりも、塾の守り神となってもらって、受験の神様として扱えば、涼月童女も、そういう神様になります。
 
日本の八百万の神というのは、本来、そういうものです。
世の万物に神が宿るというのが八百万の神ですが、元から宿っている神だけではなくて、宿ってもらう神もあります。
 
そういう場合、何でもいいのです。
そこいらに落ちている石ころでも、それを神棚に祀って祈れば、そこに神が宿ります。
神が憑くと表現してもいいかもしれません。
 
ですから逆に、コワイコワイと言っていると、本当に怖い神になります。
その通り、怖い神が憑くからです。
そう言える理由は、私に神の声が聞こえるからでも経典に書いてあるからでもなくて、宗教学的な見地からです。
 
霊感があると自称して、恐怖を煽る輩がそこここにいますが、そういうのに乗せられないようにしましょう。
 
すずつきちゃんも、もう、この塾には何年もいます。
この土地にも、すっかり馴染んでいることでしょう。
 
今年の生徒も、また見守っていてください。
 


 
……というところでブログは終わったのですが、本当はまだ書きたいことがあります。
 
次回は、地面の下にいる涼月の話です。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ239 ウクライナ

あすなろ

 
 
 
2022.03号
(2022.03.05記)
 
こちらには、基本的には時事ネタを書かないようにしていますが、今回はちょっと時事がらみです。
 
今、世界で一番話題となってしまった国、ウクライナの話です。
 
ロシアがどうしてウクライナに攻め込んでいるのか、ウクライナってどんな国なのか、色々な背景などをちょっと語ってみます。
 
まずは、位置から。
実は、ヨーロッパではロシアの次に広い国です。
 

 
地中海の一番東の奥に、黒海という巨大な入り江があります。
その北側に位置するのがウクライナです。
ヨーロッパの穀倉地帯という別名も持つ、平坦な地です。
私もウクライナといえば、広大な麦畑のイメージです。
 
ウクライナの首都は、キエフです。
キエフという名前、世界史を学んだ人は、どこかで聞き覚えはないでしょうか。
 
キエフ大公国という国が、9世紀から13世紀まで、ヨーロッパにありました。
1240年にモンゴル帝国に滅ぼされますが、その直前の頃は、ヨーロッパでは最大の国でした。
 

 

 
キエフ大公国はモンゴルに倒れましたが、その勢力が弱まった頃、モスクワ大公国という国が興ります。
モスクワ大公国は、その後のロシア帝国です。
それを受け継いだのがソビエト連邦で、現在のロシアと繋がっていきます。
 
モスクワ大公国は、キエフ大公国の正統な後継を自称しています。
つまり、今のロシアは、キエフを由来とする国と言っているわけで、
恐らくロシアの学校で教える歴史でも、そうなっていると思われます。
 
なお、日本では、「キエフ大公国」と呼ばれていますが、正式な現地名は
「ルーシ」または「キエフィアンルーシKievan Rus'」と言います。
ウィキペディアでは「キエフ・ルーシ」となっていました。
 
そして、ロシアRussiaという名は、このルーシから来ています。
また、隣国のベラルーシBelarusという国名も、このルーシを由来としています。
 
さらに言うと、ロシア料理として有名なのはボルシチとピロシキですが、
ボルシチは元々はウクライナ料理ですし、ピロシキはロシア・ベラルーシ・ウクライナ地方の料理です。
また、コサックというのは、ウクライナに発生した軍事集団です。
 
というように、ウクライナとモスクワは、文化的や歴史を共有する国同士なのです。
 
さて、現在ロシアは、なぜウクライナを攻めているのか。
 
表だってはNATOがNATOが言っていますので、新聞などでもそんなことが書いてありますが、それだけが真意ではありません。
一番の理由は、ロシアの停戦条件を見ればわかります。
 
すごく単純に、クリミア半島の支配のためです。
もう少し言えば、セバストポリへの兵站ルート(武器や食料の補給線)を、今よりも太くするためです。
 
もう一回、地図を出します。
 

 
黒海に突き出た半島をクリミア半島と言いますが、この先端にある都市がセバストポリです。
 

 
そしてこの写真で、だいたいどういう場所かおわかりでしょうか。
 

 
ここは、軍港として最高の地形なのです。
 
18世紀、初めてロシアがこの地を支配したとき以降、この街はロシアの軍港としてずっとあり続けていました。
 
19世紀、ロシアとオスマン帝国がクリミア戦争をしたときには、この軍港を巡り、大激戦となっています。
ここで一度放棄しているのですが、戦後また返還されています。
 

クリミア戦争といえば、ナイチンゲールが活躍したことで有名ですね。
白衣の天使なんて言われていますが、実はなかなか壮絶な人生を送っていますので、一度どこかで読んでみてください。

 
第二次世界大戦では、ドイツ軍がここを攻撃するために、史上最大の大砲(ドーラ80㎝列車砲)を使用していることでも有名です。
 

※軍艦史上最大と言われた戦艦大和の主砲でも、46㎝です。

 

 
ロシアにとってセバストポリは、貴重な不凍港です。
 
海軍の拠点となる地ですので、クリミア戦争の頃から要塞化されています。
 
しかし、冷戦後のソ連崩壊によって、ウクライナがクリミア半島と一緒に独立してしまいました。
ですが先述の通り、ここはロシア艦隊の基地です。
そのまま「他国」に渡すわけにはいきません。
そこで、租借という形で、ロシアはセバストポリ軍港を使うために、ウクライナに金を払い続けてきました。
 
このあたりで、ロシアがクリミア半島を欲しがる理由がだいたいおわかりかと思います。
 
ソ連崩壊で、ウクライナに手渡す羽目になったのは、軍港だけではありません。
周辺にあった軍需工場と、核ミサイル基地もでした。
ですから、ウクライナは独立と同時に、核保有国となったのです。
 
しかし、アメリカとロシアが説得して、現在の国境を保証するという約束をしたので、ウクライナは核を手放すことにしたのです。
 

(正確には、ロシアがアメリカを巻き込んだのではないかと思っています)

 
さて、このクリミア半島近辺には、ロシア人が多く住んでいます。
「ロシア系住民」という言い方をされることが多いのですが、ウクライナ人から見たら、単なるロシア人です。
 
どうしてこういうことが起こっているかというと、理由は3つほどあります。
 


1.
ソ連が支配した頃、ホロドモールという人工的な飢餓をスターリンが起こして、大量に死者を出した。
 
2.
第二次世界大戦の独ソ戦において、スターリンがクリミアタタール人にスパイ嫌疑をかけて、何十万もの人々をシベリアなどに強制移住させた。
 
3.
そうやって人口が減ったところに、ロシア人を入植させた。


 
と、ここまでがソビエト時代の話です。
そこまでロシア化を進めていた土地だったので、本格的にロシアにするには、あともう一押しに見えていたのです。
 
2014年、親ロシア派の大統領がデモを抑えきれずに、ロシアに亡命する事件が起こります。
それに反発した親露派(中身はロシア軍)の起こした「抗議デモ」が庁舎を襲撃して、
そこでの「住民投票」によってウクライナから「独立」して、ロシアに「編入」されました。
 
この事件は、ハイブリッド戦争と呼ばれています。
従来の軍事力だけではなく、情報を押さえて、かつ攪乱することで制圧するという、
21世紀型の情報戦争とも言えるものでした。
ロシア軍は国籍を隠してウクライナ東部に潜入して、抗議デモに混ざって過激な行動を繰り返すことで、
ついにはデモ隊を暴徒にすることに成功したのです。
 

ところで、この「ハイブリッド戦」は、実は現在、目の前で進行中です。
この日本で。
 
テレビには、特定のアジア国に対して、過剰に気を使う意見や世論が度々紹介されるようですが、それがまさにその前哨戦です。
また、スパイ防止法や国防関連の法案を通そうとすると、すごい勢いで反対して世論を煽ろうとするマスコミや政党がありますが、
それがそうです。

 
日本の話はともかく、こうやってロシアは、クリミアを事実上は手に入れました。
しかし、ロシアから見れば、クリミアは「飛び地」です。
現地は海に囲まれた地域ですので、まずは水が足りません。
さらに、陸路のルートは武力衝突が続いていて、維持するコストが膨大となっていたのです。
しかも、西側からの経済制裁は止まないし。
そこで、もう一気に首都を落としてしまおうと動いたのが、今回の侵攻でした。
 

 
しかしこれは米英も読んでいて、2015年からウクライナに武器を供与してきて、訓練も続けていました。
今のウクライナの善戦は、それが功を奏したとみることもできます。
 
今回はここまでにしますが、あと一つだけ。
 
現在(2022.03.05)も戦闘中のハリコフという街ですが、
ここはソ連時代、ナチスに一旦奪われたが、激戦の末に奪還した街です。
今回、侵略する側に回ったロシア将兵の心境たるや、いかなるものでしょうか。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ238 斎藤隆介

あすなろ

 
 
 
2022.02号
 
昔話が好きです。
 文庫本の昔話集を読んだのは、確か中2の頃だったと思います。
中3の時には、日本の昔話の原点であり神話の原典だからと、古事記を原文で読み始めました。
 

私が中3の時に読んだ古事記は、当時のしおりがささったまま、塾の書架に置いてあります。

 
また、高校生の頃には、柳田国男の「遠野物語」と、グリム童話の「昔の版*」を全巻読破しました。
 

グリムの昔の版:
岩波文庫「改訳グリム童話集」全7巻
金田鬼一 昭和二九年発行(改訳版)
改訂版は昭和十三年 初出は大正十三年(1925)
→日本で初めて全訳されたグリム童話集です。

 
昔話が好きになったのは、子供の頃に放映されていたアニメ「まんが日本昔ばなし」の影響もあるかもしれません。
しかし恐らく、それ以上に影響したのは、父親によく読んでもらった、
斎藤隆介の童話集「ベロ出しチョンマ」だろうと思います。
 
一般的には、斎藤隆介と言えば、ベロ出しチョンマよりも
「花さき山」
「モチモチの木」
の方が有名かもしれません。
小学校の国語の教科書にも採用されたことがありますが、今でも掲載されているのでしょうか。
 
絵本版は、滝平二郎の切り絵を挿絵としています。
切り絵を引き立てるために黒地となっていますが、
「黒い児童用絵本」というものは、当時は画期的だった……
というか当初は、「子供用に黒い本なんて」と書評では酷評されていたらしいのですが、
実際には人気が高かったようですね。
 


花さき山(1969)

 

モチモチの木(1971)


 
出版当時は批判されたが、後に評価を受けるという点では、
やなせたかしの絵本「あんぱんまん」に通じるものがありますね。

 
なお、切り絵の滝平二郎は、茨城県の旧玉里村(現:小美玉市)の出身です。
2009年に亡くなっているのですが、存命の頃、つくば市の図書館で展覧会+サイン会がありまして、
絵本を持ち込んでサインをしてもらったことがあります。(2002年)

 
この人の切り絵って、子供の頃は嫌いだったんですけど、不思議なものです。
ふと思い立って、絵本を買おうと思ったのは、恐らく二十代後半くらいだったと思います。

 
ちなみに、この写真の左端にある、朝日新聞のマークがある紙は、滝平二郎の「きりえカレンダー」です。
まだ他にも、
 
……じゃなくて、斎藤隆介の話ですよね。
 
その、「花さき山」や「モチモチの木」の作者である斎藤隆介の童話短編集が、
先に紹介した「ベロ出しチョンマ」です。
「花さき山」も、元々はその「ベロ出しチョンマ」の中に、プロローグとして収録されていた
「花咲き山」でした。
 
斎藤隆介、いいですよー。ほんと。
 
そういえば、この中に入っている「ひいふう山の風の神」は、四谷大塚のジュニア教材に、
国語の問題文として入っていたような気がします。
二年生だったかな?
言いわけ小僧の言いわけが、風の神様の風袋を、黄色くしちゃう話です。
 
そういうあっけらかんとした話もいいのですが、それとは別にですね、
 
子供の頃からあんまりにも何度も読んでいるせいか、
読み始めるだけで泣きそうになっちゃう話が、何個もあるんですよね。
 
でも、自分の子供に読んであげたいので、涙声になりそうなのを必死でこらえて読み聞かせたこともありました。
 

※ 別に、元々涙もろいってわけではありません。実際、映画で泣いたことは殆どありません。

 
その筆頭は、書籍「ベロ出しチョンマ」の中にもある「天の笛」。
次が「三コ」。
この2つは私にとってヤバいです。
まともに読めません。
 
次点が、「ベロ出しチョンマ」と「八郎」です。
 
さて。
かつて自分が小学5年生か6年生の頃だったと思うのですが、学校で地図帳を眺めていて、
「八郎潟」という場所を見つけました。
 
八郎潟とは、ベロ出しチョンマの中にあった話「八郎」に登場する場所です。
 
 
ほんとにあったのか――――!
 
 
実は、斎藤隆介の話は、グリムのように民話を集めたものではなくて、
全て自作の「昔話風創作」なのですが、まれにこうやって実在の地名が出てくるのです。
 
……なんてことは後で知ったのですが、その時から、いつか行きたいなんて思って、
 
――――――――――――――――――――
 
確か1997年だと思ったのですが、
ヤマハの主催で、道の駅スタンプラリーというイベントがあったんです。
そこで自分も、五月の連休に、バイクで道の駅巡りをしようと思って、ちょっとしたツーリングを考えたのです。
 
その目的の一つが、八郎潟でした。
 
連休の初日は、朝から福島県いわき市の知人宅まで、トラックでバイクの配達に行って、一旦帰宅。
 
そこからすぐバイクに乗り換えて、常磐→磐越→山形道と経由して、山形か秋田のどこかで野宿一泊。
夜が明けたら鳥海山のワインディングを経由して日本海側を走って、
午前十時頃、ついに八郎潟に到着。
 
現地の看板の地図を見ると、「寒風山」なんて地名もあります。
 
そして「八郎」の話には、波をせき止めるために海に沈められた「さむかぜ山」が登場します。
 
 
すげ――――。
 
本当にあった――――。
 
 
当時は28歳。
八郎潟を地図で見つけたのが、多分11歳か12歳くらい。
 
実に、十余年越しの夢がかなったのでした。
 
 
 
本当は、実在の「寒風山」は「かんぷうざん」と読む、ということを後で知るのですが、そんなことはどうでもいいんですよ。
 
バイクでは、随分いろいろな所に行きました。
四国八十八箇所も全部回りました。
 
でも、八郎潟で得たあの感動、あの感激は、他には比べられるものがありません。
 
その後も、色々なことを経験しましたが、でもやっぱり、あれを越える感動は、未だにありません。
 
自分は本当に、あの八郎潟にいるんだという、あの気持ちは忘れられません。
 
 
 
八郎潟からはさらに北上して、青森で夜を迎えた頃には雨が降り出しました。
そこでまた一泊野宿してから、雨の東北道で帰宅しました。
この時は二泊で2000キロくらい(トラックでいわきまで往復した分も含む)走って、午前中に帰ってきました。
 
そしてちょっと仮眠して、その夕方からはカミサンを後ろに乗せて、長野方面にツーリングに行きました。
こちらも確か二泊で、今度は山道ばっかりを800キロくらい走ったと思います。
計2800キロですが、だいたいこれは、鹿児島まで往復するくらいかな?
 
何が言いたいかというと、若い頃はどこか頭がおかしいね、ということです。
でも、だからこそ、色々な経験ができるんです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ235 八郎潟

あすなろ

 
 
 
2021.07号
 
秋田県に、八郎潟というところがあります。
 
四谷大塚のテキストでは、社会5年上で登場するのですが、小中学校の教科書には掲載されていません。
地図帳にはありますけど。
 
場所は、男鹿半島の付け根です。
 
 




 
 
かつてここは、霞ヶ浦よりも広い湖でした。
しかし現在は、その8割弱が干拓されて、陸地となりました。
陸地は主に、水田となっています。
 
上のように、日本地図で見ると、大して広いようには見えないかもしれません。
しかし、実際にはここだけで、神奈川県の全水田面積に匹敵するそうです。
干拓は、国家プロジェクトとして進められました。
 
この干拓の目的は、食糧増産でした。
終戦直後の食糧難の時代に、耕作地を増やそうとしたわけです。
……と書くと、戦後初めて思いついた話のようですが、実は江戸時代の頃からあった計画でした。
 
八郎潟は元々、水深が3~5mしかない、浅い湖でした。
そんな所を、国中のありとあらゆる場所を水田化してきた日本人が見逃すわけはありません。
当然、目は付けられていたのです。
 
しかし実際には、その湖底はヘドロが何十メートルもの厚さの層となっていましたので、
見た目ほどは容易ではないこともわかっていました。
 
江戸時代には、新田開発で名を馳せた渡部斧松という武士が、八郎潟の干拓を計画しています。
しかし財政的・技術的に困難とされて断念しています。
その後も、何度も計画だけは現れたようですが、実現には至りませんでした。
 
さて、少々話は変わります。
戦後の日本は、サンフランシスコ平和条約によって独立を回復しますよね。
しかしこの時、オランダがなかなかこれを認めようとしませんでした。
 
オランダは大戦前、東南アジアに植民地を多数持っていました。
しかし戦時中、それを日本に奪われてしまいます。
 
日本が敗戦してからは、また元のように植民地支配をしようとしたのですが、
旧日本軍人が協力した現地人に抵抗されて、次々と独立されてしまいます。
 
オランダから見れば、日本には植民地を奪われたという恨みがあるわけです。
 


戦後、東南アジアからインドにかけての諸国が次々と独立したのは、実はこのように、
戦時中の日本の進出がきっかけとなっています。
 
それまで、白人には何をやっても勝てないと思わされていたところに、
同じ顔をした日本人が、あっという間に白人を追い出したのです。
日本人はまた白人と違って、現地人と対等な付き合いをしていました。
軍上層部の思惑はともかく、少なくとも現地に進駐した軍人達は、
大東亜共栄圏の設立を夢見ていたわけですから。
 
それもあってか、日本の軍人達は敗戦時も、
現地人のために武器を残して引き揚げていったり、
人によっては現地に残って、共に独立のために戦ったりしています。


 
そこで、何か合法的に、オランダにお金を払えるようなことを見つけて、オランダの機嫌をとる必要が出てきました。
そこに浮上したのが、八郎潟の干拓の技術指導です。
 
オランダと言えば、海抜ゼロメートルの干拓地です。
干拓の技術は高いはずですから、その指導を依頼すればいいのではないかと、
秋田県から吉田茂首相に、直接の要望がいったのだそうです。
 
そんないきさつで昭和二十七年、八郎潟の干拓はついに動き始めたのでした。
 


なお、こうやって日本はオランダ政府のご機嫌を取ることには成功したのですが、
オランダでは今でも日本のことを、
「オランダを邪魔したヤツだからキライ」
と考えている人が多いらしいですね。
ですから好感度調査を行うと、日本を好きじゃ無い率が、
ヨーロッパではオランダが一番高いらしいです。


 
それはともかくとして、八郎潟です。
 
干拓には、まず湖底に堤防をぐるりと建設して、閉め切った内側の水を排水するという手法が選ばれました。
 
大正の頃、国家事業として岸の方を排水する計画が立てられているのですが、その逆ですね。
 


大正の計画


 
確かに干拓と言えば、岸から陸地を作るのが普通の方法ですから、
内側を丸々排水するというのは、いかに大胆な計画だったかということがよくわかります。
 
 
 
昭和32年 湖底調査開始。
 
昭和33―34年 試験堤防の建設。
地盤の一番ゆるい場所に堤防を建ててみて、さらには、その堤防の破壊実験まで行っています。この試験堤防だけに2年をかけました。
 
昭和33―38年 堤防工事。
相当苦労したようです。浅いところと深いところでは、工法を変えているとか。

 
昭和38年 排水。

 
昭和39年 大潟村発足。
 
昭和41年 排水完了。
 
昭和42年 入植開始。
 
 
 
合併や分割なしで新しい自治体ができるのは、この大潟村が、日本で最後の事例です。
 
八郎潟の話は、もう1つ続けます。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

2022年度 入試結果

あすなろ

 
 
 
----------2022年度入試結果----------
 
(合格数 / 受験数)
 


 
◆◆◆ 小学生:中学受験/受検 ◆◆◆
 
---茨城県立附属中学校・中等教育学校---
 
・土浦第一高等学校附属中学校
→ 1/1(100%)
 
・下妻第一高等学校附属中学校
→ 4/7( 57%)
 
・古河中等教育学校
→ 2/3( 67%)
 
・下館第一高等学校附属中学校
→ 0/1( 0%)
 
 
県立中学校計
→ 7/12(58.3%)
 
 
-----私立中高一貫校-----
 
・土浦日大中等教育学校
→ 5/5(100%)
 
・常総学院中学校
→ 3/4( 75%)
 
・霞ヶ浦高等学校附属中学校
→ 1/1(100%)
 
 
私立中学校計
→ 9/10(90.0%)
 
---------------------
 
中学受験全合格率
→ 16/22(72.7%)
 
※全受験者数を書き出しています。

他塾との比較にご利用ください。

 
2022年度の中学受験コースは、
2月5日から新年度を開始しました。
詳細はこちらです。

2022年度募集要項

 


 
 
◆◆◆ 中学生:高校受験/受検 ◆◆◆
 
---茨城県立高等学校---
 
・下妻第一高等学校
→ 5/5(100%)
 
・下妻第二高等学校
→ 2/2(100%)
 
 
県立高校計
→ 7/7(100.0%)
 
下妻一高率
→ 5/7(71.4%)
 
-----私立高等学校-----
 
・受験校全合格
(100.0%)
 
---------------------
 
高校受験全合格率
→ 100.0%
 
 
なお、この5年間では、
全受験生40人のうち25人
(62.5%)が、
下妻一高へ進学しました。
 
さらにここに、
土浦一・竹園・茗溪・小山高専
などの高校を加えると、
偏差値60以上の高校へは、
全受験生40人中、32人
(80.0%)が進学しています。


 
 
◆◆◆ 高校生:大学受験 ◆◆◆
 
---国公立大学---
 
・筑波大学
・茨城大学(3)
・群馬県立女子大学
 
---私立大学---
 
・立正大学
・国士舘大学
・専修大学
・日本大学
・神奈川大学(3)
・文教大学(2)
・神田外語大学
・大東文化大学
・白百合女子大学(2)
・清泉女子大学(2)
・獨協大学(2)
・武蔵大学(2)
・東洋大学(2)
・文教大学
・白鴎大学
 
 
 
生徒の皆様、
ありがとうございました。

あすなろ234 逆行する惑星

あすなろ

 
 
 
2021.05号
 
 
※ 前回分のNo.233は欠番とします。
 
地学って、
私は面白いと思うし好きなんですけど、
高校では、ほとんどの生徒が履修しないんですよね。
しかも、習うとしたら文系で、
理科でありながら理系では習えないという
奇妙な科目です。
 
でも地学って、
本格的に始めると物理の世界に入ってしまうので、
大学で地学関係をやりたかったら
まず物理をやっておくのがいいとは思います。
 
が、どうもすっきりしません。
 
私は星と化石が好きでしたので、
高校の頃は、地質部と天文気象部に入っていました。
地質部では副部長をやりましたし、
天文気象部では部長をやりましたので、
両方とも、後輩に教えられる程度には、
まあまあ色々やって色々覚えました。
(さらに生物部の部長もやって、

化学部にはよく遊びに行っていました。

 
そんな人ですので、
地学ネタはそこそこ持っているのですが、
その中でも私が
「皆さん、案外知らない?」
と思っている話をします。
 
惑星の動きの話です。
 



 
惑星は、
「惑う星」
と書きます。
 
 
 
……惑う?
 
 
 
星の種類には、他に恒星と衛星があります。
 
恒星の恒は、「常に」という意味です。
常に暖かい動物は、恒温動物と言いますよね。
同じように恒星は、
・常に光っていて、
・常に同じ配置で、
空を回っています。
 
衛星の衛は、衛兵の衛で、
守るという意味です。
自衛隊の衛でもありますよね。
惑星をまるで護衛しているように回っているので、
そう呼ばれています。
 
では惑星は、
何を戸惑っているのでしょう。
 
 
 
惑星には、別名に遊星という言葉もあります。
この遊は
「あちこち移動して回る」
という意味です。
遊説の遊ですね。
 
一方、惑星の惑という漢字は
・考えが定まらないこと
が元々の意味です。
 
ただし惑星という名は、
元々はオランダ語の「迷う星dwaalster」を、
江戸時代の蘭学者が訳したときに、
「迷」の代わりに「惑」を使ったのが
始まりだとされています。
後に出た本には、惑星のことは
「天の掟を惑わしむ」
とも書かれています。
 
(ネット上には、

英語のplanetを翻訳したと書いてあることもありますが、
残念ながらハズレです)

 
これは、惑星が恒星と違って、
その位置を変える星だからです。
 
……と言っても、今からすれば
何言ってんだオメエは、というレベルの話ですが、
これが昔の博物学者を、悩みに悩ませました。
なんでこうやって、勝手に動き回る星があるのか。
 
そこで、昔の人はまず、こう考えました。
 

秩序正しく並んでいる「恒星」よりも、
惑星・太陽・月は、手前にあって、
それぞれ独立して地球の周囲を回っている

 



 
しかしそれだけでは、
「科学的」には説明できないことがありました。
 
惑星の「逆行」という現象です。
 
月や太陽は、天球上のいつも定まったコース(黄道)を、
一定の速度で移動していきます。
しかし惑星は、時には天球上で止まり、
さらには逆に向かって移動を始めることがあります。
これが逆行です。
 


・2011-12年の火星の逆行


 
そこで、プトレマイオスという科学者が、
逆行を説明するために考え出した学説がこちらです。
 




 
このように、それぞれの惑星は、
・その場で円を描きながら地球の周囲を周回している
と考えたのです。
 
これによってとりあえず、
逆行は説明できるようになりました。
 



 
しかしこの動きはまだ、観察結果と少々異なります。
そこで、その整合性を取るために、
・惑星の公転する中心は、地球とは少しずれた位置にある
という考え方が採用されています。
 
ところが、この理論は複雑すぎて、
当時の数学では、その正確な軌道が、
計算不能な状態になってしまっていたようです。
 




 
もちろん、今の地動説では、
惑星の逆行はちゃんと説明できます。
 
逆行は、
・内側の惑星が、外側の惑星を「追い抜く」
ことから起こります。
 
太陽に近い惑星(内側の惑星)は、
それより遠い惑星よりも、
公転する時間は必ず短くなります。
 
これは、人工衛星でも同じです。
人工衛星は、地球から近いとすぐに一周しますが、
遠くなると、一周に時間がかかるようになります。
(この話もなかなか面白いので、

今度、機会……ヒマがあったら書いてみます)

 
内側の惑星が外側の惑星を追い抜くというのは、
そんな理由からなのですが、
このとき、次の図のようなことが起こります。
 



 

Tが地球、Pが火星とします。
 
最初、T1から見たP1は、天球上のA1の位置に見えます。
Aは、天球という背景に映ったPの位置だと思ってください。
 
T1がT2へと移動すると同時に、P1はP2へと移動します。
ここで、T2からP2を見ると、P2はA2という前方へ、
進んで見えています。
 
ところが、Tが進むにつれて、TはPを追い抜いて行きますので、
Tは徐々に、「後ろ」へと下がって見えます。
これを背景のAに照らし合わせてみると、
Pは順にA2・A3・A4・A5へと動くように見えます。
つまり、一時的には逆に進んでいくように見えるわけです。

 
この現象は、
地球よりも外側にある外惑星で起こりやすいのですが、
地球よりも内側の内惑星でも起こります。
 
次の2枚のうち、右側の図が、内惑星の逆行です。
詳細は省きますが、こういう位置の時に逆行が起こります。
 



 
しかし外惑星の場合と違って、
内惑星はそもそも地球から見て、
太陽と同じ方向にあるわけですから、
その様子は非常に観察しにくくなります。
あまり見られないのはそのためです。
 
 
 
さて、そんなわけで。
プトレマイオスくんが一生懸命考えたアイデアは、
地動説によってポシャってしまったわけでした。
 
……が、
実はまだ、今も生きているのです。
 
 
 
先に、惑星のことを遊星とも呼ぶなんて話を出しましたが、
まさにその「遊星歯車」という機構があります。
英語でいうと、プラネタリ・ギアplanetary gearです。
もちろん、プラネタリとは「惑星の」という意味です。
 
※ 私は遊星ギアと呼んでいますので、以下遊星ギアと書きます。
 
遊星ギアは、中に組み込まれた歯車が、
かつてプトレマイオスが考えた惑星のような動きをさせることで、
中心の軸との同軸上に、逆回転を発生させることができます。
 



 
中心軸は、ご覧の通り太陽sun gearという名前となっていますが、
この動きは、地球の周りを公転する惑星そのものですよね。
 
プトレマイオスの描いた宇宙は、1900年の時を超えて、
まだここに生きているんです。
 
 
 
ところで。
 
外惑星の逆行は、
大抵、2年に1回以上は起こります。
2021年は、火星の逆行はありませんでしたが、
木星は7月から10月が逆行、
土星は6月から10月が逆行でした。
遠い惑星は動きがわかりにくいので、
観測しやすいのは火星ですね。
 
近年は、ネタ切れのマスコミが
火星大接近などと騒いでくれますが、
その時はまさに、最速で逆行している最中です。
他の星と比べてどこにあるか、
しばらく観測すると、
逆行が「見えてくる」と思います。
 
 
 
塾には天文年鑑が置いてありますので、
日程の詳細は、すぐに調べられますよ。
 
 
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ232 素敵なLED

あすなろ

 
 
 
2021.03号
 
 
LEDです。
ライトです。
 
昔は、発光ダイオードという名称でした。
しかし最近はこれに限らず、
何でもかんでもアルファベットの略称にしてしまって、
同音異義語を増やすだけということになっています。
 
そもそも、アルファベットの頭文字を並べただけの略称というのは、
日本語みたいには文字数がコンパクトに収まらない言語圏の、
苦肉の策なんですよね。
 
有名どころで言えば、例えばUNICEFとか。
あれの正式名称は、
 

the United Nations International Children's Emergency Fund

 
……って言うんですけど、日本語では
 

国連児童基金

 
の六文字です。
すごいでしょ。
 
司会という短い言葉を、
わざわざMCと言い換えて喜んでいるマスコミって、
本当にアホだなあと思っています。
 
(↓「MC」の例)
 



 
※ ちなみに、私にとってのMCとは、モーターサイクルです。


 
それは今回の本題じゃ無いのでそこまで。
 
LEDといえば今や、
電気代が安くて寿命が長いし、
蛍光灯と違って即座に明るくなるということで、
なんとも理想の明かりですが、
値段が高いのがネックです。
 
ところが、LEDがサイコー、CO2削減万歳と、
政府関係を中心として宣伝されているものですから、
売れちゃっているわけです。
 
高いものが売れたら、当然企業は儲かります。
ですから、安物なんかもう作ってられないということで、
白熱電球も蛍光灯も、
次々と生産をやめる宣言をしている真っ最中です。
 
中学入試の中でも、公立一貫校(茨城県立の中等など)の適性検査では、
社会的テーマに算数をからめた問題として、
LEDの問題がありました。
買うときは高いけど、電気代は安いし長持ちするから、
最後は割安なんだという計算をさせるような問題です。
 
確かに、今でも電器屋さんに行くと、
 
「LEDなら光熱費がわずか○○%」
 
なんて書いたポップが並んでいます。
ワット数で比較すると、
おおよそ13%くらいで済むらしいですね。
へー。
そんなに安くなるのなら、買っちゃおうかな。
 
でも、ちょっとだけ待ってね。
 
LEDの比較対象は、ほぼ間違いなく白熱電球です。
白熱電球を使っているご家庭も、無いとはいいませんが、
今は普通は蛍光灯ですよね。
しかし蛍光灯と数字を比べたものは、
今のところ、店頭では見たことがありません。
 
理由は簡単です。
だいたい想像がついたとは思いますが、
蛍光灯とLEDでは、白熱電球ほどの差が付かないからなのです。
さらに言ってみれば、
買い換えをしようという気を起こすほどの違いにならないから、
とも言えるでしょう。
 
調べてみました。
 
同じ明るさで比較すると、
LEDはだいたい蛍光灯の75%から50%くらいの
電気代で済むことが多いようですね。
 
50%ならともかく、75%だと、ちょっと迷いますね。
なんせLEDって高いですから。
 
ん?
でも以前調べたときは確か、
5%くらいしか違わなかったような気がしたなー
 
……と思ってもっと調べたら、ありました。
 
私が以前迷ったのは、塾の談話室の明かりです。
あれを白熱球から買い換えるときに調べてみたんです。
 
すると、「電球型・電球色」という条件では、
 
電球型蛍光灯:10W
電球型LED:9.6W
 
……ほらね。
違いは4%です。
 
そして、お値段はLEDが蛍光灯の3倍。
 
ま、買いませんよね。
 
でもあくまでこれは、何年か前の話です。
 
今ではもっと低価格のLEDを売るメーカーが登場しまして、
蛍光灯とほぼ変わらないようなものもあります。
あと、何よりもLEDは長持ちで、
蛍光灯の寿命6年に対して、
その3倍の18年も持つと言われています。
 
だったらもう、LEDがお得に決まってますよ。
アマゾンで安いの買っちゃいますか。
 



 
んん~?
なんか怪しいぞ~。
 
やっぱり、ちゃんとしたメーカーのものじゃないとダメみたいですね。
ちょっと高くても、高いだけの理由があるというわけです。
 
経験的にも、工業製品の値段の差ってのは、
耐久性に関わることがほとんどです。
これは、クルマの部品で比べるのが一番わかりやすいです。
メーカー純正部品は高いんですけど、
その分、壊れませんし錆びません。
 
というわけで、どうせ買うんでしたら、
ちゃんとしたメーカー製のLEDランプに決定ですね。
なんせ18年も持つらしいですし。
 
よおーし。
ついに買うぞー。
では一応、ウィキペディア様にお伺いを立てまして。
 



 
だはははは。
 
……ぼくやっぱり、また今度でいいや。
 
一応フォローしますと、
点灯させたときの即応性は、蛍光ではLEDにはかないません。
用途によって使い分けるのが良さそうですね。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ231 花札

あすなろ

 
 
 
2021.02号
 
 
先日、古河中等の生徒が学校からの課題で、
花札について調べていました。
横で見ていて、なかなか面白そうでしたので、
私もちょっと調べて、まとめてみようと思います。
 
まず、花札のそもそもの始まりは、
「裏トランプ」だったと言われています。
トランプで遊ぶと摘発されるので、
そこから逃れるために作られたのが花札です。
 
って言っても、よくわかりませんよね。
もうちょっと詳しく説明します。
 
安土桃山時代、トランプがポルトガルから伝わってきました。
当時のトランプは、
1~9が数字の札で、10~12が絵札である
12枚×4スート(マーク)=48枚でした。

 



 
日本に伝わったトランプは、すぐにアレンジされて、
日本式のトランプとなりました。
これは、天正かるたと呼ばれています。
 



 
天正かるたは、賭博(とばく)用として広まっていきました。
そこで大名や幕府は、何度もかるた禁止令を出しています。
特に寛政の改革(江戸時代1787-1793)の
取り締まりは厳しかったようで、
そこから「かるたに見えないかるた」として、
花札が生まれたようです。
 
参考にしたのは、教育用の和歌かるただそうです。
また、元の天正かるた(トランプ)は、
四種類の絵柄が12枚ずつで合計48枚だったのに対して、
花札は12種類の絵柄が4枚ずつとなって、
やはり合計48枚となっていました。
 
ところで、トランプゲームといえば、
カードに書かれた数字が大切なのですが、
数がわかるように書かれていたらバレバレです。
 
そこで、1から12の数字は、一月から十二月を表す絵を書くことで、
わかる人だけにわかるようにしました。
 



 

こうやって眺めてみると、季節の花鳥風月が取り込まれていて、
なかなか風流ですね。
 
さて、お気づきでしょうか。
十二月のところに、任天堂と書いてあります。
 
実はこの花札画像は、任天堂の公式サイトから拾ってきた物です。
これ、任天堂製の花札の画像なのです。
だって、花札と言えば昔から任天堂ですよ。
他の会社製の花札もあるらしいですが、
私は任天堂のものしかみたことがありません。
 
この絵柄の中で、私が一番面白いと思っているのは五月です。
「ショウブ」または「アヤメ」と呼ばれている札ですが、
その一番左にある札の木道は、「八つ橋」と呼ばれています。
 
つまりこれ、伊勢物語です。
在原業平です。
 
三河の八つ橋というところで、
周辺に生えている杜若(かきつばた)を読み込んで
 

からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ
(各句の頭の文字を並べると「かきつはた」となる)

 
と詠んだ説話のアレのことです。
 
要するに、花札なんて賭博の道具なのに、
古典の教養が元ネタとなっているのです。
でも結局、カキツバタもショウブもアヤメもごちゃ混ぜです。
昔から、このあたりの区別はテキトーなんだな、
なんてこともわかります。
 
あともうちょっと。
これは最近知ったのですが、十月の鹿がそっぽを向いていますよね。
そこから、無視することを鹿十(しかとお)、
つまり「シカト」という言葉となったそうです。
 
また、花札は、札によって最初から決まっている得点があります。
(詳しくは書きませんが)
中でも一月・三月・八月・十一月・十二月の一番左の札は
特に得点が高くて、
これが揃うと三光・四光・五光という役が付きます。
そして、「八八」というゲームでは、
このうちの一枚だけがあった場合、
「光一(ぴかいち)」という役となります。
これが、ピカイチの語源なんだとか。
 
これもごく最近知りました。
下山君ありがとう。
 
ところで最初の方にも少し書きましたが、
トランプが日本に伝わった当時、
トランプのことはカルタと呼ばれていました。
これは、英語の「カード」に相当するポルトガル語です。
そして後には、このトランプのような形の紙を一般にかるた、
これを使った遊びをかるた遊びと呼ぶようになります。
 
現在、かるたと言ってまず連想するのは、
「いろはかるた(犬棒かるた)」
を始めとする形式の物だと思います。
しかしこれが出回ったのは、幕末以降なのだそうです。
案外新しいんですね。
 
また、百人一首の競技会も、「かるた大会」と呼ばれます。
でも、百人一首(小倉百人一首)が
藤原定家によって選ばれたのは、鎌倉時代です。
「カルタ」という言葉が伝わるより、前の時代なんですよね。
 
これについては、
 

平安時代から貝合わせ(かいあわせ)という、
2枚の貝殻の絵柄を合わせる遊びが、貴族の女房の間にあった。
 
小倉百人一首の選者、藤原定家によって書かれた、
原本にあたる色紙が、戦国時代に珍重されて、
高値で取引されるようになった。
要するに、流行した。
 
そんな時代に、「カルタ」が伝わって、
国産のかるたも作られるようになった。

 
という、三つの要素が融合して、
今のような
「ペアとなる句を合わせる百人一首かるた」
ができたと言われています。

 


貝合わせの貝(ハマグリ)

トランプの神経衰弱のように遊ぶ。
貝殻は、左右の組み合わせが違うと合わないため、
正解か不正解かがその場で確認できる。


百人一首の色紙(蝉丸)


 

そして、そんなかるたであるトランプと百人一首も、
やはり任天堂の製品ラインナップに入っています。
 
実は、任天堂のルーツは、花札製造会社だったのです。
1889・明治二十二年年のことでした。
その後、1902・明治三十五年には、
日本初のトランプ製造を始めます。
また、1953・昭和二十八年には、
日本初のプラスチック製トランプを製造します。
ここから、他の玩具に進出していったわけです。
 
任天堂がコンピューターゲーム機の開発を始めるのは、
1970年代になってからの話です。
 
そこからは、皆様ご存じの通りです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ230 バンアレン帯

あすなろ

 
 
 
2021年01月号
 
ご存じかもしれませんが、この国では2月14日に向けて、チョコレートの売り上げが伸びます。
 
そう。
バンアレンタインデーです。
 
バンアレンタインデーになぜチョコレートなのかは、
お菓子メーカーが作り出したものだとされています。
が、そもそもバンアレンタインとは何なのか、由来をご存じでしょうか。
 
それは、地球の磁力と関係があります。
 
六年生の授業でも少し話したのですが、地球は巨大な磁石です。
その磁石は、磁力によって色々なものを引きつけているのですが、
そうやって取り込まれた陽子や電子……。
 
えっとですね。
世の中の、目に見える物質は全て、原子というものでできています。
 



 
その原子は陽子・中性子・電子という3種類の部品(上の図参照)からできています。
陽子や電子とは、そんな部品のことです。
 
原子には不安定なものもありまして、そこから中性子やら陽子やら電子やら、
部品が少々飛んでっちゃう場合があります。
その飛んでいく力が放射線で、そのパワーはすごい熱に置き換えることができます。
それを利用して周囲を熱で吹き飛ばすのが原子爆弾で、
それを利用してお湯を沸かすのが原子力発電です。
 


あくまで概説です。
詳しい方は、細かいところに突っ込まないでください。


 
さて、地球の磁力の話に戻ります。
 
宇宙には、様々な陽子や電子が飛び回っていまして、
それは宇宙線とか太陽風とか呼ばれています。
そしてそれらが地球の脇を通りかかると、
地球の磁力に引きつけられてしまうのです。
 
磁石に引きつけられるわけですから、N極とS極に集まりますよね。
そんな時、引かれた陽子や電子は、磁力線に沿った動きになります。
 


磁力線


 
その結果、地球という磁石の周囲を、磁力線のように、
陽子や電子が飛ぶ層ができあがります。
 
これを、「バンアレン帯」と呼びます。
 


バンアレン帯イメージ。
「あけぼの」は磁気観測衛星で、26年間も飛んでいた。

 
北極点(自転軸の中心)と磁北(磁石が指す真北)には
ズレがあるため、地軸に対しては少し傾いている。


 
「バンアレン」とは、発見者の名前です。
英語でバンアレン帯は、
Van Allen radiation belt
と書きます。
Radiationというのは放射線のことです。
「バンアレン放射線帯」という意味ですね。
 
よく、バンアレンタインデーに売っているチョコレートに
 
St. Van Allen Radiation Belt's Day
 
と書いてありますよね。ありますよね。ありますよね。ありますよね。
 
あれは直訳すると、
「聖バンアレン放射線帯の日」
という意味なのでした。
はい、1つ賢くなりましたよー。
 
さて、そんなバンアレン帯を飛んでいる陽子や電子ですが、
それは先に書いたとおり、即ち放射線のことです。
ですから、この中で長居すると、被爆します。
すると、生き物はもちろん、
機器にも異常が起きやすくなります。
 
しかし上の図の通り、バンアレン帯は
地球に比べてもかなり大きいものです。
内帯でも高度2000~5000kmのところにあります。
これは、高度600~800kmを飛ぶ人工衛星よりも、
ずっと高い位置にあります。
国際宇宙ステーションは高度408kmで、
さらに低い位置にありますので、
その中にいても被爆しないわけです。
 
しかし例えば、
ちょっと月まで行ってみようかなー
と思った時には、
この放射線の満ち満ちているバンアレン帯の外側まで
行く必要があります。
そこでアポロ計画では、内帯を迂回してから
外帯を一気に突破するルートを選んだということです。
 
と書くと、
バンアレン帯にも困ったもんだ、
なんて思っちゃうかもしれませんね。
 
でも違うんです。
邪魔なものじゃなくて、むしろ逆なのです。
 
バンアレン帯は、宇宙を飛んでくる放射線が、
地球の磁気に取り込まれてできた層です。
ということは、地球の磁気がないと、
放射線は途中で引っかからずに、
そのまま地上に届きます。
ヤバいことになるのです。
 
「自然界にも放射線は普通に存在する」
というような文は、読んだこと無いですか?
 
そうなんです。
元々、太陽からガンガン放出されているのです。
しかし地球の磁気が、それをうまーく
受け流しているお陰で、
地上にはほんの少ししか降ってこないのです。
 
その、かわした放射線の通過ラインが、
バンアレン帯というわけです。
 


Solar wind=太陽風 つまり放射線


 
ちなみに、地球に磁気がなぜあるのかというと、
地球の中心部にある、核という鉄の塊の中が、
対流しているからです。
 
磁石とは、そもそも鉄です。
鉄とは、即ち磁石です。
鉄を構成する「粒子」は、一つ一つが磁石です。
しかし普通の鉄は、それがバラバラの方向を
向いたまま固まっているから、
磁力が生じないだけです。
その粒子の向きをそろえると、磁石になります。
 
んで、そんな鉄を流動させると、磁力が生じて、
その磁力によってまた鉄が流動して、という、
訳のわからないダイナモ理論という理屈があるんですよ。
私は理解できませんが。
 
地球の磁力は、そうやって生まれています。
 
ですから、何かの拍子に対流の方向が変わると、
磁気が逆転したり、一時的に無くなったりして、
バンアレン帯が乱れたり消えたりすることもあります。
つまり、宇宙からの放射線が、直接地上に降り注ぎます。
ヤバい。
 
今、バンアレン帯があることには、
感謝しなければいけないんですよね。
 
バンアレンタインデーは、そんなバンアレン帯に感謝する日です。
終わり。
 

*   *   *

 
さて、本編とは全く関係ない話ですが。
バンアレンタインデーと言えば個人的に、
連想する言葉があります。
 
第二次世界大戦の頃、イギリスで作られていた、
バレンタイン歩兵戦車です。
バンアレン帯とバレンタイン、似てませんか?
似てますよね?
バンアレンタインデーと聞く度に、
私はバレンタイン歩兵戦車を連想しています。
 
バレンタインなんて言っても、
そんな妙な言葉は聞き慣れないかもしれませんが、
有名ですよ。
何せ、イギリスで一番多く生産された戦車ですから。
 
生産台数が多い分、バリエーションも多いのですが、
下部転輪が異径3輪セットの変形ボギーサス×2の計6輪で、
非常に特徴的ですので、すぐに見分けられます。
 



 
はい、ではこの話は終わりでーす。
終わり。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ229 七福神-2

あすなろ

 
 
 
2020.12号
 
七福神のお話、続きです。
 
前回は、その始まりとなった三体……じゃなくて三柱である
恵比寿(えびす)・大黒(だいこく)・毘沙門(びしゃもん)の話でした。
ですから今回は、それ以外の四柱です。
 
有名どころで言ったら、次点は布袋(ほてい)か弁天(べんてん)あたりでしょうか。
 
どっちが先でもいいのですが、前々回にちょっと触れた、弁天様の話から始めることにします。
 
今、弁天様と「様」をつけましたが、七福神の中で一番「様」が様になっているのが
この弁天だと思っています。
 
「さん」でしたら恵比寿さん(えべっさん)あたりは耳にしますが、
恵比寿様とか大黒天様とか……
まあ、あることはありますが、人口に膾炙しているとは言いがたいと思います。


「人口に膾炙する(じんこうにかいしゃする)」とは、
「世間の人々の話題・評判となって広く知れ渡る(北原学長の明鏡より)」
という意味です。
この言葉の面白いところは、この言葉自体が、人口に膾炙していない点です。
お前、人のこと言ってる場合じゃないだろと、いつも思うのですが。
 
……って、どっかで書きましたっけ?


それはともかく、弁天様で様が付きやすい理由は至極単純です。
美しい女性の神とされているからです。
例え神様でも、オッサンやジジイには様を付けるつもりは無くて、
でもきれいな女の人には思わず様を付けちゃうという、
要はそれだけの話です。
 
ところで、ここまで弁天弁天と書いていますが、
正式には「弁財天」です。
前々回に取り上げた、仏のランクである「天」に所属しています。
大黒天や毘沙門天と同じですね。
 
そして、こちらが元々の仏像たる「弁財天」です。
前々回にも出した画像です。
 



 
正面には剣を持っています。
他にも色々と持っています。
もう普通に仏像ですね。
 
この弁財天は、元ネタはヒンドゥー教のサラスバディ
……とずっと思っていたのですが、正解はサラス バ テ ィ だそうです。
 

うーわまじか。
ってことはパールバティもか。
 
二十代の頃からずっと間違えていたぞ俺。

 
 
 
まあ。
それはともかく。
 
上の画像のような弁財天は、武神という面を持つらしいのですが、
同時に学問や音楽の神でもあるみたいです。
それが、いわゆる弁天様の、琵琶を持った姿です。
そして弁天の元となったサラスバティも、
やはり芸術・学問の地を司る神だとのことです。
 



 
弁天(歌麿画)


 
弁天画を見ていると、その姿のモチーフはどうも、天女のようですね。
 
また、サラスバティが河に関する神だった影響で、
弁天もやはり河川や海に関わる場所に祀られてることが多いようです。
確かに、弁天島とか弁天池とか聞きますし、
弁天堂が湖畔に建っていたりもします。
 
七福神に戻ります。
 
弁天の次は、知られている順番からすれば、布袋(ほてい)になると思います。
 



 
今度は、仏教の「天」ではありません。
実在の僧侶です。
唐の時代です。
 
本来の名は契此(かいし)だということですが、
常に袋を背負っていたので通称が布袋となったのだそうです。
そしてその姿が描かれてた禅画が、日本にもそのまま伝わってきて、
そのまま定着しました。
その姿から、福の神として受け入れられたようです。
 
なお、現在のチャイナにも、布袋信仰は残っているようですね。
こんな巨大な布袋をのっけた寺が、どっかにあるらしいです。
 



 
そして残る2人は、福禄寿と寿老人です。
 
これがまたですね、どっちがどっちか、昔はいつまで経っても
覚えられなかったんですよ。
 
それもそのはずで、元は2人とも「南極老人星」の化身で、
要するに同じ人のことだったのです。
それがどういうわけか、別々に伝わったものが、
日本では福禄寿と寿老人になったらしいのです。
 
この2人は、名前からわかるかもしれませんが、
共に不老長寿の象徴です。
 
なお、「南極老人星」とはりゅうこつ座のカノープスのことで、
南中したときだけ、南の水平線のちょい上に見える星です。
カノープスは、全天でシリウスの次に明るい恒星ですので、
水平線近くの高度でも、そこそこちゃんと見えます。
とにかく、極めて高度の低い星です。
 
もっと南の地域では、もうちょっと普通に見えるらしいのですが、
多分茨城では海の水平線近くを見ないと、まともに見られないと思います。
また、りゅうこつ座は冬の星座で、オリオンやおおいぬと同じ頃に南中します。
なかなか見られないので、見えると感動しますよ。
 
それはともかく、こちらが福禄寿です。
 



 
そしてこちらが寿老人。
 



 
頭が長いのが福禄寿です。
そうじゃないのが寿老人の方。
 
福禄寿の長い頭は、やっぱり昔から面白かったようで、
江戸時代の浮世絵では散々いじられています。

 


はしごをかけて、福禄寿の頭を剃る大黒天の図。


 
江戸時代の浮世絵師、歌川国芳(うたがわくによし)が描いた、
「福禄寿 あたまのたはむれ」という、一連の作品群もあります。
後ほどご紹介します。
 
一方、寿老人といえば、強いて言えば鹿を連れているくらいで、
それ以外はこれといって特徴もない格好をしています。
残念ながら、一番薄いキャラです。
 
寿老人以外でもそういえば、七福神はそれぞれ、
使いとなる動物を連れています。
 

・恵比寿:鯛
・大黒天:鼠(ねずみ)
・毘沙門天:百足(むかで)
・弁財天:蛇
・布袋
・福禄寿:鶴
・寿老人:鹿

 
布袋だけ何もいませんが、この人は実在の人物だから仕方ない、
ということらしいです。
 
てなわけで、七福神については、だいたいこんな感じです。
日本人ならば、全員の名前は覚えておきましょう。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
 
 
 
はいおまけ。
歌川国芳作「福禄寿 あたまのたはむれ」
 






 
この作者、歌川国芳は、こんな浮世絵↓でも有名な人です。

あすなろ228 七福神-1

あすなろ

 
 
 
2020.11号
 
七福神のお話です。
七福神と言えば、宝船に乗っていて、その絵を枕の下に敷いて寝ると、
よい初夢を見ることが出来るなんて話があるんですけど、
 
――――知らないかなあ。
 



 
洋菓子のブランドである「タカラブネ」は、もちろんここから名前を取っています。
元は「宝船屋」という名前だったそうです。
 



 
それよりも、恐らく小中学生くらいでしたら、福神漬けという名前の方がおわかりかと思います。
らっきょう漬けと並んで、いつからかカレーの添え物という認識になって久しいアレです。
 



 
あれは、色々な野菜の切れ端が入った漬物なんですけど、
その具材を七福神に例えたことから、福神漬けという名前になっています。
 
てなわけで、七福神というのは福神漬けの元ネタです終わり。
 
 
 
なんてひどい説明だろう……。
 
 
 

ともかく七福神とは、七柱(神様はこうやって数えます)の神様なんですけど、
神様とは言っても古事記に登場する由緒ある日本の神様とは、またちょっと違うんですよね。
 
古事記に登場する神様というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)や伊弉諾(いざなぎ)、
伊弉冉(いざなみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)
あたりのことです。
言い方を変えると「神社に祀られている神様」であり、「神話に登場する神様」です。
 
その形が固まったのは、古事記が編纂(へんさん)された奈良時代です。
そして、古事記の編纂は国家事業として行われました。
つまり、この神様たちは「国が定めた神様」とも言える存在です。
 
それに対して、七福神は民間信仰から始まって、なんとなく集まって出来たメンバーなのです。
順にメンバー紹介をしましょうか。
 
まずは恵比寿(えびす)です。
関西では「えべっさん」とも呼ばれています。
 
右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えている、いわゆる福の神です。
海の向こうからやってくる神様で、漁業の神様でもあります。
 



 
ところで古事記では、イザナギとイザナミは最初、ヒルコという子供を産みます。
ヒルコは、手順を間違っていたために産まれてしまった失敗作ということで、
海に流されてしまって、その後は登場しません。
古事記には、ヒルコは子には含めないと書かれています。
 
ところが、
「ヒルコは実は生きていた!」
「恵比寿となって、海を渡って帰ってきた!」
 
……という話が室町時代に登場しまして、恵比寿=ヒルコとして祀られている神社が数多くあります。
 
一方、恵比寿とはヒルコではなく、事代主神(ことしろぬしのかみ)のことである、
という説もあります。
事代主神とは、やはり古事記に登場する、大国主命(おおくにぬしのみこと)の子にあたります。
 
大国主命というのはですね、日本の国を作った人で、「因幡の白ウサギ」でウサギを治療する神様です。
神無月に日本の神様が集まると言われている出雲大社は、大国主命を祀るための神社です。
 
というわけで、どちらにせよ恵比寿は日本の神様なのですが、七福神の他の神様は、日本以外が由来だとされています。
 
次は、大黒です。
 
前回少し書きましたとおり、大黒天のことです。
仏教における「天部」の1人ですね。
 
元々は、ヒンドゥー教のシヴァの化身の1人である、マハーカーラのことだと言われています。
 




 
しかし日本では、大黒→大国→大国主と解釈されて、先述の大国主命と習合しました。
 


習合(しゅうごう)=元は別であった信仰の対象が、一つにまとまること。
民間信仰では、神様が別の神格へと分離したり、逆に同一視されて習合することは珍しくありません。


 
その結果、名称は大黒天のままでも、その実像は大国主命という、今の「大国様」ができあがりました。
 
今や大黒天と言えば豊穣の神であり、米俵の上に乗り、福袋を肩に掛け、打ち出の小槌を持ち、
さらにはネズミを使いとして従えています。
シヴァの化身だった頃の恐ろしい顔はどこへやら、もうニッコニコですよ。
 


出雲福徳神社の恵比寿(右)と大黒(左)


 
左の画像のような、恵比寿と大黒がセットで祀られている姿は多く見られます。
実はこの二柱から始まって、三柱目、四柱目……と色々加えていった結果が、今の七福神です。
 
三柱目の神様としては、私は布袋(ほてい)だと思っていたのですが、
正解は毘沙門天(びしゃもんてん)のようです。
 
名前からもわかるとおり、こちらも仏教の「天部」に属する1人です。
 
毘沙門天の由来は、ウィキペディアには
 


ヴェーダ時代から存在する古い神格であり、インド神話のヴァイシュラヴァナを前身とする


 
……なあーんて書いてありますが、すみませんよくわかりません。
私は聞いたことがなかった名前ですが、この「ヴァイシュラヴァナ」が「ビシャモン」に変化したらしいです。
 
それよりも実は毘沙門天は、四天王の多聞天と同格の存在です。
ですからその姿は、古代のチャイナな甲冑を着ているのが一般的です。
もちろん、戦いの神です。
 


那珂にある日本一の毘沙門天だそうです

 
こちら↓は前回掲載の多聞天


 
この三体から始まった信仰ですが、後には毘沙門天の代わりに弁財天が入ることもありました。
 
……が、今回はここまでにします。
 
続きはまた次回ということで。
こんなのばっかりで、なんかすみませんほんと。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ227 天部

あすなろ

 
 
 
2020.10号
 
 
地球の終わりの話から、仏様の如来、菩薩と続いて、次は天(てん)の話です。
 
前回も書いたのですが、天は「ほとけさま」ではありませんが、天の像は「仏像」です。
例えば、阿修羅天の像が有名ですよね。
 



 
いや、阿修羅展ではなくて、阿修羅天なのですが……。
 
ともかく、こんなのが天です。
ただ、天界の「天」と紛らわしいので、こちらは「天部」と呼ぶこともあります。
つまり、「天という階級」、言い換えれば「クラス天」です。
 



 
いや、Class10なんて言ってませんよ。
 
んで、前回の如来と菩薩のように、天の名前を挙げていってもいいのですが、
こちらはちょっと数が多いです。
多いんです。
 
例えば、四天王、十二神将、二十八部衆、というセット売りの人たちだけでも、
合計で四十人余りいるわけです。
もちろんこれだけじゃないですよ。
 
あ、そうそう。
マンガとかゲームとかによく名前が出てくる「四天王」って、ここから来てますからね。
あれは仏教用語です。
 
また四天王といえば、東大寺の戒壇院に安置されている四天王像が、多分一番有名どころかと思います。
 


戒壇院って火事で焼けたんだっけ? と思って今調べてみたら、焼けたのは江戸時代以前だったようです。
何か勘違いしていました。


では四天王はなぜ四人なのかというと、それぞれで四方を守るからです。
 
以下、東大寺の四天王像です。
 


東方・持国天

南方・増長天

西方・広目天

北方・多聞天

実は私、四人の名前は出るのですが、方角は覚えていませんし、見てわかるのは広目天だけです。
おじさんすぐ忘れちゃうの。


 
全員、足下に天邪鬼(あまのじゃく)を踏みつけている像が多いです。
 
そしてこの四人は、帝釈天(たいしゃくてん)という英雄に仕えています。
そして帝釈天は、もう一人の梵天(ぼんてん)と並んで、天部のトップに君臨しています。
 
他にも、この手の武闘派は数多く在籍しています。
寺の山門にいる、仁王(におう)もそうです。
 
中学生以上は、歴史で金剛力士像(こんごうりきしぞう)という名前を覚えたと思います。
運慶と快慶の、鎌倉美術のあれです。
(……覚えてるよね?)
 
あの金剛力士も、天のうちの一人です。
 
先に書いた十二神将(じゅうにしんしょう)も、名前からわかるとおり武闘派の兵隊です。
 
十二神将は、それぞれ別の菩薩・如来の守りについているようです。
またそれぞれが、十二ヶ月や十二支に相当するようです。
 


金剛力士

十二神将


 
一方、武闘派でない天も多数います。
 
そもそも天とは、インド各地にて信仰される神々を、仏教に取り入れた存在なのだそうです。
ですから、あの有名なガネーシャもいます。
仏教界では、歓喜天(かんぎてん)といいます。
 



 
歓喜天は、なぜか抱き合った二体で一体とされることもあります。
しかも大抵、片方がもう片方の足を踏んでいるという、不思議な姿をした像です。
 



 
インドの神としては、他にもヴィシュヌ、カーリー、シヴァとその化身が、
天として存在しているようです。
インドの神様なんて、大抵は名前も聞いたことのない人たちですけど、
シヴァの化身の一人であるマハーカーラは、仏界では大黒天と呼ばれています。
 



 
また、私の実家近くにある豊川稲荷は、本尊が吒枳尼真天(だきにしんてん)と呼ばれる天です。
こちらは、キツネと深い関わりがあるとされています。
 
 
 
女性の天もいます。
鬼子母神(きしぼじん)も天とされています。
吉祥天や弁財天も、名前の通り天に所属しています。
 


吉祥天

 
弁財天


 
さて。先ほどから、大黒天も弁財天も、違和感を感じませんでした?
 
そう。
七福神では、こんな人たちじゃないですよね。
 
というのもですね、
 
 
 
――――いやちょとまて。
 
えっと、七福神、全員の名前言えますか?
 
いやいやその前に。
 
 
 
――――小学生、七福神って知ってますか?
 
 
 
……なんか心配なので、次回は七福神の話にした方がいいでしょう……か、ね?
 
 
はい、では次回、七福神のお話。
 
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ226 如来・菩薩

あすなろ

 
 
 
2020.09号
 
小5の授業中だったか、今後の地球について、話をしたことがあります。
 
今後の地球といえば、定番の地球温暖化を始めとして、色々とテーマはあるとは思います。
しかしその時に話したことは、それよりも、もうちょっとだけ未来のことです。
 
すごーく簡単に言うと……
あと50億年とか70億年とか経つと、太陽の直径が地球の軌道を超えますので、地球は確実に消滅します。
 



 
でも大丈夫です。
安心してください。
 
というのも、56億7000万年後には、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が人類を救ってくださるからです。
 
――――という話をしたのですが、間違いに気づきました。
訂正します。
 
私の授業は、余談にあたる部分は、自分の知識と記憶に頼って勝手なことをしゃべっています。
ですから時に、テキトーなウソが混ざることがあるのです。
 
授業中には、
 

~その時が来たら、その辺を歩いている地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が弥勒菩薩になって人類を救う~

 
なんて話をしてしまったと思います。
 
すみません。
大変な思い違いをしておりました。
 
地蔵菩薩は、弥勒菩薩が降臨するまでの間、六道を見守る役割なのだそうです。
弥勒菩薩が来るまでの間、地上に仏が不在になってしまうから、代わりに下りているのだそうで。
 
地蔵菩薩はあくまで、弥勒菩薩が不在の間の代理であって、同一の存在ではありませんでした。
どうやら間違って覚えていたようです。
どうもすみませんでした。
 


弥勒菩薩の半跏思惟像(はんかしゆいぞう)
どうやって人類を救うか考えている姿


 
なおこちらは、広隆寺の弥勒菩薩です。
有名です。
京都の太秦(うずまさ)というところ……映画村の近くにあります。
 
あ、ちなみに、「半跏思惟」の読み方は、「はんかしゆい」です。
「はんかしゅい」ではありません。
ヨハンシュトラウス一世(パパの方)の「ラデツキー行進曲」は、「ラデッキー行進曲」ではありません。
Radetzkyさんという人名から来ています。ラデツキーさんです。
ただ、キヤノンはキャノンではないのが正解ですが、こちらは昔の社名の表記上の問題ですので、どっちでもいいと思っています。
 
すんません。
どうでもいい話でした。
 


地蔵菩薩


 
一方で、地蔵菩薩です。
いわゆるお地蔵さんですね。
こちらも仏様なのですが、普通の仏様とはちょっと違って、僧侶の姿をしています。
これは、地上を見て回る時に、普通の人間に紛れるための、いわばカモフラージュをしているわけです。
ふとすれ違ったお坊さんが、実は地蔵菩薩だったという可能性もあるわけです。
盆の頃、スクーターに乗って袈裟をはためかせながら檀家に向かう坊さんが実は……
 
いやそれはないか。
 
 
 
弥勒菩薩も地蔵菩薩も、共に「菩薩」です。
 
この菩薩という名称は、仏の中の階級のような物です。
もっと上には、如来(にょらい)という存在があります。
 
如来で有名なのは、やはり釈迦如来(しゃかにょらい)でしょう。
これは名前の通り、お釈迦様ですね。
芥川龍之介に言われて、天国の蓮池から地獄に蜘蛛の糸を垂らした、あの人です。
 
中学では、仏教の始祖が「シャカ」であると歴史の時間に習うと思うのですが、まさにその名前です。
ただ厳密には、シャカという名称は人名ではありません。
菩提樹の元で悟りを開いたのは、インドのシャカ族の王子である、ガウタマ・シッダールタさんなのでした。
シャカというのは部族名です。
 
このガウタマ・シッダールタという名前は、毎年1回は中3に紹介しているのですが、誰も覚えてくれないようです。
まあ別に忘れてもいいですけど。
 


釈迦如来像
仏像としては、飾り気がないのが特徴


 

ともかく、このお釈迦様が含まれる如来が、仏の中では一番上のランクです。
他に有名どころの如来といえば、大日如来(だいにちにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)あたりでしょうか。
 
って言っても、仏像に興味がないと、聞いたこともないかもしれませんね。
ただその中でも、阿弥陀様くらいは知っててもいいとは思います。
なんせ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の阿弥陀なんですから。
「あみだくじ」「あみだ被り」という言葉にもなっています。
また、鎌倉の大仏は、阿弥陀如来です。
 


上:あみだ被り(あみだに被る) ;ベレーでは正解ですが、ヘルメットでは不正解です。
下の画像のような、昔の編み笠をこう被ったら仏様の後背のようになるから……ってあたりが由来でしょうか。


 

なお、奈良の大仏は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」というのですが、あれは大日如来のことらしいです。
 
 
 
んじゃ次。
菩薩です。
 
前に上げた二つ以外でも、観音菩薩(かんのんぼさつ)くらいは知っていると思います。
いわゆる観音様ですよね。
観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)と書かれていることも多いですが、こっちが正式名称です。
 
観音菩薩も、阿弥陀如来と同様に、かなり文化的にも浸透している存在です。
地名をつけた「なんたら観音」というのは日本各地にありますし、色々な物が観音様に例えられています。
美しい女性とか。
 
そうそう。「ねんぴーかんのんりき」と繰り返すお経もありますよね。
 
また「観音開き」とは、両側に開く扉のことを指します。
恐らく、仏壇の扉から来ているのだと思います。
初期型クラウンが「観音」とか呼ばれているのはそういうことです。
 


トヨタクラウン初期型 通称「観音クラウン」


 

観音菩薩のバリエーションの中で、一番スタンダードなのは、聖観音(しょうかんのん)です。
これが「普通の観音様」です。
 
十一面観音(じゅういちめんかんのん)や千手観音(せんじゅかんのん)あたりも、見たことはあると思います。
この二つを合わせた十一面千手観音像は、見た目が派手なためか、全国各地で見かけることができます。
 


十一面千手観音


 
観音の名を持ちながら、ちょっと特殊なものとして、馬頭観音(ばとうかんのん)という怒りの形相をした観音もあります。
 


馬頭観音
頭上に馬の頭を持つ


 

私は学生の頃、この馬頭観音のことを、東北地方のおしら様(オシラサマ)と深い関係が
……というより混同していたのですが、全く由来は別のもののようです。
まあそのあたりは、若気の至りということで。
 


おしら様は、馬の姿をした養蚕の神。
現地では、棒に布を巻き付けた姿で、女性像と二体セットで祀られる。
馬と夫婦になった女性の伝承がある。


 
おしら様というと、もしかしたらジブリの某作品で見たという方もいらっしゃるかもしれません。
しかしこちらは、ダイコンの化身だということです。
あっそ。ふーん。どうでもいいや。
 



 
もう一つ、馬頭といえば牛頭(ごず)と馬頭(めず)という、対になった鬼もいますが、あちらは地獄に勤務する鬼です。
 



 
観音菩薩以外の菩薩では、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)くらいは聞いたことがあるかもしれません。
「三人寄れば文殊の知恵」のアレです。
文殊様っていうと、知恵の神様というイメージがありますが、実は仏様です。
 


文殊菩薩
獅子の背に座るのが定番


 

文殊菩薩とよく対になっているのが普賢菩薩(ふげんぼさつ)で、こちらは白いゾウに座っています。
釈迦三尊像では、両脇がこのお二方になっていることが多いです。
 


普賢菩薩


 

さて。いわゆる仏様といえば、普通はだいたいこの如来と菩薩までです。
しかし仏像というくくりでは、これ以外にもまだあります。
 
天(てん)と呼ばれる、軍人たちの像です。
 
その中のトップは不動明王(ふどうみょうおう)なのだと思っていました。
……が、今見てみたら、明王は如来の姿を変えたものだから、天よりは上の存在なのだと書いてありました。
 
言われてみれば、そんな話も聞いたことがあります。
てなわけで、菩薩と天の間に明王があるようです。
 
 
 
天の話は次回に。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ225 コロナコロナコロナ――!

あすなろ

 
 
 
2020.08号
 
今回は、コロナについて書きましょう。
 
まずは、コロナってご存じでしょうか。
 
おや?
知っていましたか。
なかなかの通ですね。
 
そうです。
コロナというのは、皆既日食の時に見られるこれのことです。
 



 
これの正体は、太陽の表面を覆っているガスです。
普段は太陽自体がまぶしいために見えませんが、皆既日食の時にはこうやって見ることができます。
 



 


 
ところで、太陽の表面温度は6000度だそうです。
しかしこのコロナは、1000000度とも2000000度とも言われています。
 


※「K」は温度の単位です。
厳密には「℃」とは273度ずれますが、このくらいの温度になってくると誤差の範囲です。


 
では、なぜコロナは、表面温度の100倍以上になってしまうのか。
 
 
 

――――それは、ナゾです。
 
 
 

……いや、マジで謎なんです。
現在の物理学では、まだ説明できていないんです。
 
なんと、普通に誰もが見られるものでも、今の科学では説明できないものがあったんですよ。
なんかすごいでしょ。
 
さて。
コロナと言えば実際には、こっちよりも別の場所、例えばホームセンターとか電器屋さんとかで見かけることの方が多いかと思います。
 
寒くなってくると……そう。
石油ストーブですよね。
 
石油ストーブの第一メーカーは、恐らくコロナでいいと思います。
次が、最近増えてきたトヨトミあたりでしょうか。
 
コロナといえば、石油ストーブ以外でも給湯器のエコキュートでも有名です。
我が家の灯油ボイラーもコロナ製で、エコキュートは……ウチのは入ってなかったかなあ。
 
エコキュートというのは、元々は関西電力が始めたシリーズ名なのですが、ヒートポンプの冷媒にフロンを使わずに二酸化炭素を使ったもので、これを最初に販売したのがコロナです。
 
ヒートポンプといえば、一時期ヤマハなどのメーカーがガスヒーポンに手を出しましたが、結局ほとんどが撤退しましたよね。
現在も販売しているメーカーはあるみたいですけど、家庭用は全滅で、業務用のみとなっています。
サイトのやる気の無さを見る限り、たぶんこれ、受注生産ですね。
東京ガスのサイトにはガスヒーポンのページが残っていますが、もう全く売れてないんじゃないかなあと思います。
 
話が逸れました。
 
ところで、コロナという社名の由来は、太陽のコロナのことだと思っていたのですが、公式サイトによればコロナ放電から取ったとのことです。
コロナ放電の青い光と、ガスコンロの青い炎からの連想だそうです。

 



 


 
コロナ放電という名前自体は、放電の様子が太陽のコロナに似ているからつけられたようです。
普通は、放電と言えば一方向ですからね。
静電気とか雷とか。
 
あ、コロナ放電をご存じないですか? では、別のサイトで説明してもらいましょう。
 


Qコロナ放電とは何ですか?
A 高周波・高電圧によって電極周囲の電界が強く振動することで、気体の分子が分離して発生したイオンと原子、そしてもともと気体中に存在した電子が加速して他の原子に衝突し、衝突された原子が分離して電子とイオンが増殖し続ける現象です。コロナ放電が起きている空間は音や光を発生し、この雰囲気中では化学変化が促進され、絶縁皮膜が破壊されます。周波数が高い程、短時間で絶縁破壊に至るので、コロナ放電を起さないよう設計し、製造検査では必ずコロナ放電試験をする事が最善策となります。


 
読みました?
ぼくは読んでませんけど。
 
ついでに、こんなのもご紹介します。
ほとんどの人には縁が無いでしょうが、私にとっては見慣れている現象で、初めて知ってへえーと思ったので。
NGKのサイトより。
 



 
また、コロナ放電を利用したコロナ処理というものもあります。
 
これは、プラスチックフィルムや紙、金属箔の表面にコロナ放電を照射することで、表面にミクロン単位の凹凸を作ることです。
これによって、表面の親水性(ぬれ性)を向上させて、液体をはじかないようにさせます。
 
この処理によってインクや接着剤の乗りが良くなるので、印刷、コーティング、接着の前処理として利用されているようです。
 
あと、コロナといえば、もう一つお世話になっている会社があります。
テルスターというブランドの監視カメラを作っている、コロナ電業株式会社です。
 



 
塾で使っているカメラがこれです。
怪しい海外製は使いたくなかったので、国内メーカーのものを選んだらこれになりました。
 
この会社が、どういう由来でコロナを社名にしたのか知りたかったのですが、公式サイトには何も書いてありませんでしたので、残念ながら不明です。
 
あ、サイエンス用語としてのコロナがもう一つあるのを忘れていました。
金星の表面にある盛り上がった地形です。
 



 
これは、金星の地下にあるマントルが、地表を押し上げてできた地形だと言われています。
 



 
ちなみに、コロナcoronaという言葉自体は、ギリシャ語の「冠」から来ているようです。
英語のcrownとは、おそらく語源的には同じだろうと思います。
 
そしてコロナと言えば、トヨタで作っていた車種がありますよね。
確か、トヨタが戦後に、最初に作った「小型車」がコロナじゃなかったでしたっけ。
中型車クラウン→小型車コロナ→大衆車パブリカという順だったと思いました。
 


上:パブリカ初期型後期
下:パブリカスポーツ800(通称ヨタハチ)


 
今調べましたら、コロナの初期モデルは1957年に登場したようです。
 


コロナ初期型ST10


 
その後、コロナはマークⅡという派生モデルも併用しながら何十年も販売を続けたのですが、最終的にはコロナは2001年にプレミオに代わって終了しました。
 
派生モデルのコロナマークⅡは、1968年に登場しましたが、1984年モデルからはコロナが抜けて、単なるマークⅡと名称変更されています。
さらに、後継となるマークXが2004に登場した際にマークⅡの名称が消滅しましたが、そのマークXの方も、2019年で生産終了したようです。
 
長々と書きましたが、今でもトヨタがコロナを作っていたら……なんて思うのです。
 
ISって覚えていますか?
一時期、イスラムの「新興国」を自称して、周辺地域に戦争をふっかけまくっていた組織のことです。
 
あれ、最初はアイシスISISという名前で報道されていたんですよね。
ですが、途中からアイエスISに一斉に変わっています。
 
なんでだと思いますか?
 
私も真相を知っているわけではありませんが、恐らくトヨタが待ったをかけたんじゃないかと推測しています。
というのも、トヨタにアイシスというクルマがあるからです。
 
ですから、トヨタが今でもコロナを作っていれば、今頃は例のウイルスも別の名前で呼ばれていて、コロナコロナという風評被害は無かったんじゃ無いかなあと、残念で仕方ありません。
 
私が塾のブログを書く時も、例のウイルスについては、基本的には「コロナ」という名称を使わないようにしています。
普段の会話でも、恐らく滅多に、「コロナ」とは口にしていないはずです。
コロナという会社のことが、最初からずっと頭にあるからです。
 
ちなみに、メキシコ製のビールであるコロナ・エキストラ、通称コロナビールは、風評被害のためにアメリカで売れなくなってしまいました。
そして現在は、政府からの要請によって、生産を中止しているようです。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ224 小豆

あすなろ

 
 
 
2020.07号
 
ある日の明け方。
 
家に帰ると、誰もいない居間にこんなものが置いてありました。
 



 
「祝」
 
「祝」
 
私「わーいおめでとうー」
 
私「わーいありがとうー」
 
私「……何が?」
 
なんだかよくわかりませんが、めでたいらしいです。
 
この国では、めでたいときには紅白饅頭というのが定番ですね。
めでたくない時の葬式饅頭というものもありますが。
 
共に、中にはあんこが入っています。
 
また、めでたいといえば、赤飯というものも定番です。
 
あんこといえば小豆です。
赤飯も小豆です。
小豆くん、大活躍です。
 
以前、大豆について書いたことがありますが、小豆もなかなか日本の伝統に深く根付いているようです。
きっと、ずっと昔からあるのでしょう。
 
では、小豆はいつから日本にあるのでしょうか。
 
これの答えは、実はちゃんとした記録が我が国に伝わっています。
小豆がどうやって生まれたのか、昔からちゃんと書物になっているのです。
すごいでしょ。
おおもとの原文は、かなり古い書物です。
しかし私はこの本が好きなので、中学生の頃に「現代語訳付き版」を自分で買いました。
塾に置いてあります。
ちょっと引用してみましょう。
 
まずは書き下し文から。
 
 


[三、須佐之男命(すさのおのみこと)]
 
[蚕と穀物の種]
 
また食物(をしもの)を大気都比売(おほけつひめのかみ)の神に乞ひたまひき。
ここに大気都比売、鼻口また尻より、
種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)を取り出でて、
種々作り具へて進(たてまつ)る時に、
速須佐之男命(はやすさのをのみこと)、その態(しわざ)を立ち伺ひて、
穢汚(きたな)くして奉るとおもほして、
その大宜津比売(おほげつひめ)の神を殺したまひき。
かれ殺さえましし神の身に生れる物は、
頭(かしら)に蚕(かひこ)生(な)り、
二つの目に稲種(いなだね)生り、
二つの耳に粟(あは)生り、鼻に小豆(あづき)生り、
陰(ほと)に麦生り、尻に大豆(まめ)生りき。
かれここに神産巣日御祖(かみむすひのみおや)の命、
こを取らしめて、種(たね)と成したまひき。


 
 
ね。書いてあるでしょ。ね。ね。
 
角川の新訂古事記(昭和五十二年刊)から引用して、適宜読み仮名を追加しました。
 
ただ、小学生以下では少々読みにくいかもしれませんので、こうの史代の「ぼおるぺん古事記 天の巻」の方が、文の意味を取りやすいかもしれません。
こちらも塾に置いてあります。
 


今回の参考文献
左:角川書店 新訂 古事記
右:平凡社 ぼおるぺん古事記


 
話の流れとしては、天の岩戸が解決したところで、その原因となったスサノオ(須佐之男命)が高天原を追放されて、その途中でオオゲツヒメ(大気都比売の神)に食べ物を恵んでもらうところですね。
スサノオが地上に降り立って八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するという有名な話がありますが、今回はその直前の話です。
 
 


およそ5000年前のことです。
スサノオが、オオゲツヒメの食事の準備の様子をのぞき見ていると、オオゲツヒメはその食材を鼻や口や尻から出しているので、キタネエと思ったスサノオはオオゲツヒメを殺してしまいます。
すると、殺されたオオゲツヒメの体からは、頭から蚕、目からは稲の種、耳から粟、鼻から小豆、股から麦、尻から大豆が生まれ出てきます。
カミムスビの神(神産巣日御祖命)はこれを集めて、穀類の種としました。
(朝倉訳)


 

 
てなわけで、小豆は、このように生まれたのでした。
なんせ古事記に書いてあるんですから、きっとそうなのでしょう。
 
――――だめっすか?
 
あ、5000年前というのは私がテキトーに決めた年ですけど。
こんくらいかなーと。
 
まあそれはともかくとして、小豆はかなり古い時代から日本にはあったようです。
 
そもそも、「あずき」って読み方に対して、「小豆」って完全に当て字ですよね。
ということは、少なくとも漢字が伝わってくるよりも前から日本にあった言葉ということになります。
 
ところが、こういう由来の話になりますと、すぐに「ではいつ頃日本に伝わったか」なんて書き出しをよく見かけるのですが、こういう人ってなんで「日本原産」という可能性を考えないんでしょうかねえ。
 
以前のこちら(2018.08号)で、大豆は日本原産の可能性が非常に高い、なんて話をしたこともありますが、実は小豆も、日本原産の可能性がゼロではありません。
 
アズキという品種の野生種はヤブツルアズキというのですが、まずこちらは日本に自生している野草です。
 


ヤブツルアズキ


 
また、ヤブツルアズキ自体は東南アジアからヒマラヤにかけてあるのですが、そのうちの極東アジアに生えているものと農業品種のアズキが、遺伝子的に近いということが判明しています。
 
また、紀元前4000年頃には日本で栽培されていたことが、粟津湖底遺跡(あわづこていいせき)の発掘によって判明しています。
ちなみにこの遺跡は、琵琶湖の底にあるんだそうです。
なにそれすげえ。
 


粟津湖底遺跡(赤いポイント)


 
そういったわけでともかく、小豆は日本に古くからずっとあるわけです。
そして現在、よく見かける用途としては冒頭に書いたとおり、あんこと赤飯ですよね。
 
あんこってなんて言っていますが、「餡」という言葉は元々は「具」という意味です。
要は肉まんの中身ですよね。
 
餡という漢字自体も、こういう作りでできているみたいです。
 
 


餡 まんじゅうなどの中に入れる、肉や野菜など
臽 押し込める、くぼめて中に入れる


 

 
さて今回、「小豆あんこの歴史」については色々な話を見かけたのですが、それを統合した結果、
 
「室町時代、チャイナから饅頭という「中に肉や野菜を詰めた食べ物」が伝わってきたのですが、僧侶は肉を食えないからと、代わりに煮豆を詰めたのが、今のあんこ入り饅頭の始まりだとか。」
 
――――というのが、どうやら一番正しそうです。
現在わかる中では、恐らくこれが正史でいいんじゃないかと思います。
 
ところが、インターネッツなんぞを調べていくと、色々な所に色々な歴史が書いてあるんですよね。
 
ちょっと引用してみましょうか。
 
 


空海が中国から持ち帰った小豆
 
諸説ありますが、小倉あんは伝説的な人物として知られている空海(774~835年)が中国から持ち帰った小豆が由来とされています。
その小豆を日本の京都市右京区嵯峨小倉山あたりで栽培。
収穫してあんこを作り、天皇や貴族が住む御所に献上したことが、小倉あんのはじまりとの説があるのです。


 

 
この記事アップされた方は、特にご自分で研究したようでもありませんので、きっとどこからかそのまま引用されたのだと思います。
一次資料は恐らく書物でしょう。
 
まず、小豆は先に書いたとおり、縄文時代から日本にありました。
少なくとも漢字が伝わる前からあったようですので、空海が持ち帰ったのが最初ということはあり得ません。
 
また、小倉あんが考案されたのは、江戸時代の文化年間です。
「江戸の船橋屋織江」が創作したと、作者名まで伝わっています。
そして「小倉」の語源は、百人一首の
「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」
から取っているとの説が有力です。

 
また、こんな記事も見つけました。
 
 


本書によると元々「あんこ」は魔除けに食べた小豆料理が始まりだったようだ。
小豆はアジア熱帯地方原産で、弥生時代に稲作とともに伝わったとされる。
中国では古くから小豆の皮の赤い色を「陽」と捉え、災いなどの「陰」を封じると信じられており、それが日本でも無病息災や魔除けを祈願する年中行事に赤飯やおはぎなど、小豆を使った料理が供されるようになったと考えられている。


 

 
やはり先に書いたとおり、小豆は縄文時代から日本にありました。
ということで、ここに書かれている「弥生時代に稲作と共に」という記述は、間違いと言ってしまってもいいでしょう。
恐らく、この資料となった本が書かれたのは、先述の琵琶湖湖底の遺跡が見つかる前だったと思われます。
 
また、チャイナの陰陽は詳しく知りませんが、年中行事で赤飯が出される理由は、私は柳田国男の
「赤飯は赤米を模した物(赤飯=赤米の代用品)」
説を信じています。
 
かつて日本には、白米の他に赤米という赤い米がありました。
味は白米の方が良かったので、年貢としての価値も高かったのですが、赤米の方が気候変化、病害虫、痩せた土地に強いということで、農業技術が発達する前は、各地で栽培されていたようです。
そして、神に供える米(神饌米)としては、現在も赤米を供えている神社が何カ所かあります。
 
といったあたりから、こんな考え方ができます。
 
 


・昔は、米と言えば赤米だったために、神に供える米も赤米であった。
・時代が変わり、白米が食べられるようになっても、神に供えるのは伝統的に赤米であった。
・赤米の代用品として、小豆を炊き込んで赤くした米、つまり赤飯が用いられるようになった。
・ここから、神事には赤飯が供され、さらに祝い事=赤飯となっていった。


 

 
要は、赤飯は赤米のレプリカなんです。
 
私は以前からずっと、この説を信じていますので、まあこの場はそういうもんだと思っちゃってください。
許して。
 
となると、先ほどの引用のように、チャイナから伝わった風習によって赤飯、というのは、違うと思うんですよね。
ねー。
 
なお、小豆あんが一般的に甘くなったのは、江戸時代に砂糖が流通し始めてからでして、それまでは塩味でした。
てなわけで、小豆を食べる国は数あれど、小豆を甘く加工してしまうのは、実は日本だけです。
 
そして、そのあんこ入り饅頭をパンにしてしまったのが、ご存じあんパンです。
そしてここから、世界でも稀に見る「菓子パン」という文化が生まれました。
 
パンは元々、西洋人にとっては「ご飯」と一緒ですので、例えばフランス人からすると、甘い菓子パンは「キモい食べ物」らしいですね。
「あの甘いパンだけは食えない」だそうで。
日本人からすれば、ご飯に練乳をかけられたようなものでしょうか。
確かにキモい。
 
あともう一つ、小豆に関する小ネタ。
 
小豆は英語でadzuki beanです。
(またはazuki bean , aduki bean)
また、アズキ属Azukiaという分類群もあります。
ご覧の通り、共に日本語由来です。
 
ちなみに、最初の饅頭画像は、カミサンの職場で新しく介護ステーションだったかなんかを建てた記念だそうです。
へーそりゃめでたい。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ223 カルデラ(2)

あすなろ

 
 
 
2020.06号
 
前回の続きです。
カルデラのお話です。
 
小中学校の理社のレベルでは、カルデラと言えば阿蘇で、その規模は世界有数だなんて書いてあると思います。
多分。
 
確かに、以前はそういう認識だったらしいのですが、今では日本一ですらないようです。
とはいっても、「カルデラ作りでギネスにチャレンジ」という町おこしイベントがあったわけではありません。
研究が進んだ結果、あれもカルデラここもカルデラ、ということがわかってきたのです。
 
……というよりも、私の見る限りでは、「カルデラ」という定義が、昔とは変わっただけなのではないかという気がするんですよね。
 
カルデラというのは火山の噴出によって山体がへこんだもの、であります。
でも、噴火口だってそういうものですよね。
富士山の頂上に火口があるのも、赤城山や榛名山の山頂に湖があるのも、山頂付近が噴火で吹っ飛んで、穴になった結果です。
 
で、いつものウィキペディアに質問してみました。
 


――本来は単に地形的な凹みを指す言葉で明瞭な定義はなく、比較的大きな火山火口や火山地域の盆地状の地形一般を指す場合がある。


 
ああ、明確な定義はないんですね。
ってことは、火口でもカルデラと呼べばカルデラなんですね。
 
さらには、「元カルデラ」もカルデラ呼ばわりしちゃってもいいんだそうです。
 


――過去にカルデラが形成されたものの、現在は侵食や埋没によって地表に明瞭凹地として地形をとどめていない場合もカルデラと呼ぶ。


 
また、研究者のサイトに、
「普通は2kmより大きいものを指す」
「でも小さいのもそう呼ばれることも」
なんて書いてあるのも見ましたので、学術的な定義は定まっていないながらも、一応の目安はあるみたいですね。
 
そんな状態ですので、日本国内のカルデラも、昔よりに比べてかなりの数に増殖してしまったようです。
同じくウィキペディアによると、日本には、北方領土も含めると164個のカルデラがあるんだそうです。
北方領土の分を入れなくても157個あるらしいです。
(数え間違えてたらすんません)
 
……やっぱこれ、私の知らない間に全国で「カルデラを作ろう」という町おこしイベントがあったんじゃないんですか?
 
ちなみに、富士山の火口は直径780mとのことで、脇に空いている宝永火口と言われる穴も、直径1.2kmくらいのようです。
ですから、先ほどの「直径2km以上」という定義によれば、こちらはカルデラには入れないようですね。
 


宝永火口

 
上空から


 
一方で、先に挙げた赤城山や榛名山は共に、頂上がカルデラとされているようです。
大きさは、赤城山頂が4km×2kmで、榛名山が2km×3kmということですので、富士山よりもずっと大きいんですね。
 
まあ確かに、山の上は湖を囲んで駐車場とか売店とかいっぱいあるしなあ、なんて思いながら画像を探したところ、考えていた以上にでっかい山でした。
ありゃそうでしたっけ。
 


上:赤城山
下:榛名山


 
じゃあ、山の中にある湖って、みんなカルデラってこと?
……と思ってみたのですが、どうもそういうわけでもなさそうです。
 
ただ、カルデラじゃなくても、火山活動と関係の深い湖は各地にあるようです。
 
例えば、火山の噴出物で川がせき止められたためにできたとか。
天然のダム湖みたいなものですね。
日光の中禅寺湖は、そうやってできたらしいです。
こういうのは「堰止湖」と言うらしいのですが、読み方不明です。
「せきどめこ」?
「せきしこ」?
 
また、福島の猪苗代湖は、元々は断層の窪みに水が溜まってできたのですが、火山で出口が塞がったために水位が上がったことがあるとのことです。
 


川と湖も面白いなあ。
今度なんか書くかもしれません。


 
カルデラの話に戻ります。
 
箱根は、カルデラらしいですよ。
 
びっくりです。
 
ただ箱根の芦ノ湖は、川が火山でせき止められてできたものだそうです。
ですから、カルデラの中にありながら、カルデラ湖ではなくて「堰止湖」に分類されるのだそうです。
 


円内が箱根
確かにこうやって見ると、カルデラです。
山地が円形に連なっています。

 
箱根の地形図
複数のカルデラが複合して作られた


 
箱根のカルデラは、南北11km×東西8kmあるんだそうです。
でけー。
 
……と思ったのですが、阿蘇のカルデラは25×18kmなんだそうで。
箱根の倍以上でした。
 
九州には、他にも巨大カルデラがいくつもあります。
鹿児島なんてこんな状態です。
 


赤い枠内がカルデラ
一番下が鬼界カルデラ→前回記事参照


 
そして九州最大のカルデラは、実は阿蘇ではありません。
こちらが、宮崎県と大分県にまたがり直径25×45kmの、
大崩山(おおくえやま)コールドロンです!
 



 
あれ?
カルデラどこー?
 
調べてみましたところ、コールドロンってのは
「元はカルデラだったけど、今は削れてなくなっちゃったよ」
というものらしいです。
そういえば、前の方に
「元カルデラもカルデラ扱い」
なんてことを書きましたね。
 
てなわけで、阿蘇は日本一じゃなくなってしまいました。
それでは日本一は、というと、それは北海道にありました。
しかも、皆さん絶対に、地図で見たことのある場所です。
 




 
屈斜路湖(くっしゃろこ)です。
 
なあんと、あの北海道にある「目玉」は、カルデラだったのです。
 
屈斜路湖は、正真正銘のカルデラ湖です。
元々は、もっと丸い形をしていたものが、右下に火山が噴火したために、現在の形になったとか。
それでも、カルデラ湖としては日本最大になるんだそうです。
 
屈斜路カルデラは、26km ×20kmのサイズを誇り、日本最大で……
あれ?
 
さっきさあ。大崩山コールドロンって25×45kmって言ってなかった?
これ、屈斜路より明らかにでっかいよね。
それとも、コールドロンはカルデラとしないってこと?
でも、大崩山コールドロンの所には「九州最大のカルデラ」って書いてあるんだよねー。
 
ま、いっか~。
 
はい。
では。
次。
世界一のカルデラです。
 
世界一のカルデラは、インドネシアのトバ湖周辺に拡がるトバカルデラ(またはトバ湖カルデラ)だとされています。
大きさは……。
 
あのですね。
どこを探しても「トバ湖の大きさ」ばっかりで、「カルデラのサイズ」が見つかりません。
仕方がありませんので、カルデラのサイズ=トバ湖のサイズということにします。
ともかく、サイズは100×30kmだそうです。
湖としては琵琶湖の倍だとか。
 



 
このカルデラは、一度に形成されたわけでは無くて、3回に及ぶ噴火の複合型のようです。
そしてその最後、74000年前の噴火は、超巨大噴火というレベルのものでした。
 


緑の点線が、3つのカルデラを示す
一番新しいのは中央部のYTT


 
トバ火山の大噴火はあまりに大量の噴煙を噴き上げたために、それが空を覆って太陽の光が届きにくくなった結果、「火山の冬」が起こりました。
人類は、噴火による気候変動によって1万弱~1万数千人くらいにまで急減したようです。
 
それでは「人類」は、噴火前はどのくらいの個体数がいたかというと……
これがまた、資料によってバラバラなんですよね。
 
当時は数百万人いたという資料に合わせれば、この噴火は人類の99%以上を死滅させたことになりますし、別の資料では、60%が死んだともあります。
ただ、どちらも学術論文ではないので、あんまり信用していません。
 
実は当時は、ヒトという動物には数種類あったのです。
現在はホモ・サピエンスの1種類だけですが、この頃はまだ、ホモ・なんたらってのが、まだ色々といたんですよ。
 
で、その全種類数を合わせて「人類」としているのか、それともホモ・サピエンスのみを「人類」としているのかで、個体数が変わってくるんじゃないのかなーと推測しています。
ただなんせ、一次資料が見つからないので、それ以上は不明ということでして。
 
ともかく、ホモ・サピエンスが1万程度にまで減少したことだけは、現生人類の遺伝子解析からも事実のようです。
また、少なくとも2種類のヒトが、この時に滅びています。
 
そしてこの頃、ヒトに寄生するシラミが、アタマジラミ(毛髪に寄生する)とコロモジラミ(衣服に寄生する)に分化しました。
つまり、「衣服」が生まれたのがこの頃だったというわけです。
 
なお、トバ火山最後の噴火は、過去十万年で最大規模のものでした。
心配しなくてもこんなのは、そうそう起こらないと思いますよ。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ222 カルデラ(1)

あすなろ

 
 
 
2020.04号
 
先日、どこかの授業中にカルデラの話をしました。
確か新小5の文系(社会)の時だったと思いますが、中学生の社会の解説だったかもしれません。
 
『鬼界カルデラという巨大なカルデラが海の中にあって、こいつが大噴火したときは、当時九州南部に住んでいた人たちが全滅した』
 
……という話ですが、覚えている方はいますでしょうか。
 
その時に、確かこのあたりがそのカルデラ、と言った場所が、実はウソでした。
 
すみません。
ウソ好きなんです。
 
私がウソつきであることは、小学生の皆様でしたらよーくご存じかとは思いますので、まあ今更ではあるのですが。
 
というかですね、昔一度これを調べたときは、どうがんばっても、正確な場所がわからなかったんですよ。
今みたいに検索が万能じゃなかったですし、ネットにアクセスする人は多くても、自分でサイトを開いているのはほんの一握りで、確かグーグルが出てくる前で、ブログという言葉が世に出る前だったはずです。
 
それが今検索すると、もう本当にあっさりと情報が捕まりましたので、訂正を込めてカルデラ話をしていこうかと思います。
 
まずは、カルデラというものの説明から改めてしておきます。
 
有名なのは阿蘇のカルデラですよね。
 
カルデラとは、火山の噴火によって、その上部が無くなったものです。
という話だけだと、単なる噴火口のことみたいですが、もっと大規模な「穴」です。
例えば阿蘇は、その大きさが半端なくて、その内側には町があり、牧場があり、田んぼが広がり、電車が通っています。
もちろん人も住んでいます。
 



 
この、「外輪山」が、元々の山裾です。
このクラスの山が噴火して、へこんでしまった内側に、さらに噴火によって新しく山ができたのが、今の阿蘇です。
 


阿蘇山遠景

 
カルデラ内部の牧場


 
ところで今、噴火で「へこんだ」と書きましたが、授業では「上が全部吹っ飛んだ」なんて言い方をしたような気がします。
しかしよーく調べてみたら、吹っ飛んでできたようなカルデラは、小型のものだけのようですね。
 
阿蘇レベルの大型カルデラになると、中央部分の陥没によるものか、環状に溶岩ドームが形成されたものか、そのどちらかで形成されるようです。
阿蘇の場合は、陥没カルデラにあたります。
 
次の図は、阿蘇と同じ陥没カルデラの作り方です。
 



 
火山が噴火する前の段階では、その地下にはマグマだまりと呼ばれる空間ができていて、文字通りマグマが溜まっています。
※ 地下にある時はマグマですが、これが地上に出ると溶岩……でいいはず。

 
そして火山の噴火が大規模に起こって、地下のマグマが一気に抜けてしまうと、そこにできた空間が山の重みに耐えられずに、潰れてしまいます。
その結果、山が内側に崩壊してしまえば、めでたくカルデラのできあがりとなります。
中に雨が溜まれば、きっとカルデラ湖となることでしょう。
 
阿蘇の場合は、大きい噴火が4回ありました。
その度に、徐々に噴火口の崩壊が進んで、カルデラが広がっていったと考えられています。
なお、阿蘇の外輪山を作ったのは溶岩というより、主に火口から噴出した堆積物のようです。
そしてその最後4回目は特に大規模の噴火となって、火砕流も160km先の山口県まで広がったことがわかっています。
 


阿蘇の位置と大きさ
山口県、結構遠いですよ。


 
火砕流とは、見た目でいえば、「斜面に沿って流れてくる煙」です。
本質的には噴煙と同じ高温のガスで、それが斜面に沿って流れ下ってくる場合に火砕流と呼ばれています。
 


火砕流(雲仙普賢岳)


 
阿蘇が最後に大噴火をしたのは、9万年前のことでした。
しかしその頃はまだ、日本列島には人類は住んでいなかったと考えられています。
 
ところが、人類が日本に住みだしてから、文明を破壊するほどの大規模な噴火も、日本で起こっています。
それが、今回冒頭に挙げた「鬼界カルデラ」の話です。
 
鬼界カルデラは、鹿児島の南の海中にあります。
というわけで、ようやくこれが本題なのですが、正しい場所はこちらです。

 




 
鬼界火山が最後に大噴火を起こしたのは、7300年前です。
縄文時代のことでした。
この大噴火によって吹き上げられた火山灰は、関東を遙かに超える範囲まで降り積もりました。
この火山灰の層は、アカホヤと呼ばれています。
火砕流も広範囲に達しました。
 



 
ところで、縄文時代の初期(縄文早期)の頃の土器は、全国的に底部がとがっているものが主流でした。
そんな中、九州南部では、底の平らな円筒形土器が使われていました。
しかし7300年前のアカホヤを境として、円筒形土器が見られなくなります。
これは、鬼界火山の噴火によって、円筒形土器を使う人たちが絶えてしまったからだと考えられています。
 
これが、冒頭の「九州南部の人たちが全滅」という話の根拠です。

 



 
まだ他にも書きたいことがありますので、次回も続けます。
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ221 鐙

あすなろ

 
 
 
2020.03号
 
「鐙」のお話です。
 
まず、読めます?
高校生は読めてもいいとは思うのですが、読めない人も多いかもしれません。
「あぶみ」という字です。
あぶみというのは、バグの名前ですね。
 
……ウソです”馬具”です。
 
古典では、平家物語あたりに登場してもいいとは思うのですが、あんまり見たことがありません。
それよりも、生物を習っていると、あぶみという名前に見覚えがある人がいるかもしれません。
はい、耳小骨ですよね。
 
耳小骨とは一応書きますと、耳の中の、鼓膜の奥にある小さい骨のことです。
鼓膜の振動を増幅する働きをしています。
 


耳小骨
左から、つち骨・きぬた骨・あぶみ骨
(槌骨・砧骨・鐙骨)

 
耳小骨は、人間の体内で最小の骨


 
実は私も耳小骨のイメージが強いので、「あぶみ」といえばつい、「つち・きぬた」と勝手に言葉が続いてしまうのですが、そういう人は他にも多いと信じています。
 
関係ないですが、槌とはハンマーのことです。
木槌(きづち)、金槌(かなづち)もそうですし、打出の小槌(うちでのこづち)もこの字を使います。
 
また砧とは、砧打ちをするための台です。
砧打ちとは、洗濯したあとの生乾きの布を台に敷いたり棒に巻き付けたりして、棒でたたく作業です。
こうすることで、布のしわを伸ばします。
要するに、アイロンの代わりです。
 


砧打ち


 
そして残る一つの鐙とは、馬に乗るときに足を乗せる・引っかけるための輪っかのことです。
 



 
耳小骨のつち骨やきぬた骨は、形を見ても「何でこれが槌で砧なんだ?」って感じですが、あぶみ骨は確かに鐙の形をしています。
 



 
さて、鐙という道具は、ものの本によるとその発明によって、馬の使い方を変えた革命的なものだったそうです。
 
鐙とは当初、馬上に上がるための「はしご」として使われていました。
そのため、片側だけにつけられていました。
 


※鐙という漢字は、元々は容器の一種を表す形声文字でしたが、「登」が入っていたために、後に「馬上へ上がる時に足をかける道具」という意味で使われるようになったのだそうです。


 
もちろん現在でも、「はしご」としても使われています。
 



 
しかし、さらに乗馬中の足場としても使われるようになってからは、騎手は足だけで、体のバランスを取れるようになります。
すると乗馬中でも、手綱にしがみつきっぱなしでなくても大丈夫になります。
つまり、手が使えるようになるのです。
 
手が使えると、馬上から剣が振れます。
弓を射られます。
すなわち、騎馬による突撃が可能になるわけです。
 
鐙が使われ始めた時代については諸説(*)あるようですが、確実なのは四世紀頃のチャイナで、漢王朝の頃のようです。
 


*というのも初期の鐙は、単に馬上にあがるための足かけだったのか、乗馬中にも足を置いて使われた道具なのか、判別しにくいためのようです


 
一方、ヨーロッパにイスラム経由で鐙が伝わったのは、そこから数百年下った七世紀の頃だとされています。
 
また日本には、五世紀初頭に伝わったようです。
(ヨーロッパより古い!)
これは、古墳時代の後期にあたります。
 
当時の鐙は、古墳などの遺跡から出土されています。
馬形埴輪にも、その形が残されています。
 


鐙(輪鐙)をつけた馬

 
輪鐙 古墳時代


 
当時の鐙は輪鐙(わあぶみ)という、現在の鐙にも通じる形をしていました。
恐らくこの形で大陸から伝わったのでしょう。
しかし、ここから日本の鐙は、独自の進化を始めます。
 
古墳時代の末期には、壺鐙(つぼあぶみ)が登場します。
こちらは、足先を覆うような形状となっていました。
どうやら、輪鐙だと足を突っ込みすぎて、落馬の際に抜けずに危険だったからのようです。
 


出土した金属製の壺鐙と馬具
6-7世紀


 
壺鐙をつけた馬


 
まあ、ここまではいいんです。
この形の鐙でしたら、他の国でも使われていました。
ただし時代は、日本より千年以上後ですが。
 


上:スペイン 16-17世紀
下:メキシコ 19世紀


 
しかし次に登場した半舌鐙(はんしたあぶみ)(または舌短鐙(したみじかあぶみ))と、その後の舌長鐙(したながあぶみ)は、側面が完全に空いているという、世界でも唯一の形状に進化したものでした。
 


半舌鐙 平安時代
半舌鐙は奈良から平安時代にかけて使われた


 
舌長鐙 鎌倉時代
半舌鐙よりも下面が伸びたもの
舌長鐙は、平安末期から明治まで使われた

(画像の穴は、腐食によるもの)


 
このように、足の裏がかかとまで完全に乗るような形状になったのは、草履文化のためではないかという説があります。
確かに草履だと、輪鐙ではきついですからね。
足の裏が痛そうです。
 
そして、この形状が完成する平安末期の頃から、武士の活躍が活発になってきます。
鐙の完成と武士の戦闘力向上は、きっと無関係ではないと思います。
 
そんな舌長鐙ですが、明治以降、西洋式の靴と輪鐙が普及すると廃れてしまいました。
しかし、流鏑馬(やぶさめ)などの伝統行事では、現在でも使われているものを見かけることができます。
 
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
 


 
おまおまけけ
 
いつも大好きウィキペディアで鐙を検索すると、こんな感じで書かれています。
 

 
赤線を引いた部分が、日本の鐙について書かれている箇所です。
 
内容は、「日本にも木製の鐙があったよー」と、それだけ。
それ以上の詳しい情報は一切ありません。
 
一方こちらは、ウィキの英語版です。
 

 
赤枠内が、日本の鐙について書かれた箇所です。
日本版よりめっちゃ詳しいのは一体、何が起こっているのでしょうか。
 
ちなみに、英語版の方では壺鐙のことをtsuba abumiなんて書いてありましたので、tsubo abumiに書き直しておきました。
 
そういえば、どこか別の言語でもtsubaになってましたけど、修正してないままですわ。

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